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Yabunira20周年記念・lived in NINGYOCHO 2003
FirstUPDATE2023.10.18
@Classic #人形町 #2003年 @クレージーキャッツ @ドリフターズ @8bitマイコン #やぶにら大全 #さかい親子 #ルックバック #プロ野球2003年 #プロ野球 #福岡 @戦前 #2000年代 #PC #Windows #インターネット #PocketPC/WindowsMobile #笑い #施設 #公共交通機関 #藤子不二雄 #からだ #クルマ #体験 #アタクシ事 #日記 #メンタル #やぶにらこぼれ #会話劇 #事件 #ネタ #下ネタ #恋バナ #デザイン #映画 #人間関係 #プログラミング パチンコ 何気ない日常 お見合い Wikipedia 新宿 TSUTAYA スーパーフリー @いかりや長介 浅草東宝 スーパーポテト ガラケー ソニーエリクソン 着メロ 奄美大島 CM テツandトモ なんでだろう なんちゃって女子高生 全4ページ ドラえもん 風呂/銭湯 フェイバリット PostScript

 とにかく「やぶにらみJAPAN」、現在の<Yabunira>開設までの話の続きです。

 Page3にて「デザインチックでヘンテコなサイトが2003年当時はいっぱいあった」みたいに書いたけど、割合としては圧倒的に少ない。
 やはり多かったのは、シンプル極まる、ま、はっきりいえばデザイン的にはダサい、テキスト中心のホームページが主流でした。
 当時のアタシが考えていた「デザインチックでヘンテコな」ホームページを作ろうと思えば、とにかく手がかかる。友人のホームページを間借りしてテキストを書くのさえも「忙しい」とペンディングしていたのに、本当に自分の思うようなサイトを作るとなると、いったいどれほどの時間が必要か。

 それでもテキスト中心のダサいサイトは嫌だった。曲がりなりにもデザイナー、というプライドもあった。仮にもデザイナーともあろうものが、ダサいホームページを運営しているとなったら笑われる、と。
 もうちょい具体的に言えば、アタシは当時、田名網敬一に傾倒していたので、ああいう隅から隅までゴッテリしているのにカッコいい、みたいな感じでやろうと思っていたんです。ゴッテリしている各パーツをFLASHを使って動かす。これは面白いしカッコいいぞ、と。

 何年かかってもいい。これこそまさに自分がやるべき仕事、じゃないけど、遊びだな、と本気で思っていたわけで。

 ところがいろいろあって、この辺のことはココを参照してもらいたいんだけど、会社を辞める、という方向に向かっていった。
 こうなると、そりゃ会社の仕事とは方向性がまるで違うとはいえ、デザインチックな、みたいなのはやりたくなくなった。つかもう、この頃はデザインチックなものを見るのさえ嫌になってたし。
 仕事を辞めるってのはね、そういうものなんですよ。
 会社を辞めるとなったら、んでデザイナーであるとかみたいなプライドを捨てるのであれば、自分のホームページはやはり一番最初の構想通り、テキストメインで行くべきではないか?
幸い、書きたい文章というか吐き出したいことは山ほどあった。というかちょうど阪神の優勝が決まって、何はともあれ野球の話をアホほど書きたかったわけで。

 

ま、優勝の話もないんやったら、当然日本シリーズの話もなしやな


そういうこっちゃ


それはそうとさっきの小咄のオチはなんやったんや


言えるわけないやろ。そんなん言うたらこのサイト諸共消されるわ。ま、ヒントはオマリーの決め台詞、とだけ言うとく


 
◇ 2003年10月

10月1日【出勤】Jornada568ハードリセットされてデータ消える


10月2日【出勤】新宿アカシヤでロールキャベツ、着メロの話(後述)


10月3日【出勤】新宿一丁目歯科


10月4日【休み】一日寝る


10月5日【休み】秋葉原(→ソフマップ、でWindowsデスクトップ機購入。27,100円(後述))


10月6日【出勤?】


10月8日【出勤】電気毛布のスイッチオン(後述)


10月9日【出勤?】


10月10日【出勤】新宿一丁目歯科


10月11日【出勤(会社引っ越し)】


10月12日【出勤(会社引っ越し)】ハルクビック


10月13日【体育の日(休み)】神保町(15時すぎ(フータくん5〜7巻購入))→秋葉原(CD-R50枚購入)→帰宅


10月16日【出勤】この日で退社、星野辞任公に


10月17日有楽町


10月18日夜中にサイト仮オープン(後述)


10月20日奄美大島・名瀬市役所に電話


10月22日夜、日本シリーズ見る


10月23日夜、日本シリーズ見る


10月24日夜、日本シリーズ見る


10月25日福岡に移動(たしか飛行機で)


10月26日福岡ドームで日本シリーズ観戦→博多(→ホテルキャビナス福岡)


10月27日福岡泊(E氏宅泊?)


10月28日福岡→鹿児島→フェリー(奄美大島行き)


10月29日名瀬港(4時50分着)→ジョイフル→名瀬市(現在奄美市)内の民宿にチェックイン(11時半)→市内を民宿Aで借りたマウンテンバイクでウロウロ→名瀬市役所→民宿


10月30日奄美大島移住計画のために戦闘開始(民宿A→モスバーガー(昼過ぎ)→ダイエー(靴下購入)→ベスト電器→県庁大島支部→某映像プロダクション→定食屋(店舗名不明)→民宿A)


10月31日奄美大島移住計画続行(民宿Aチェックアウト(10時、民宿Aは奄美大島で県体開催のため30日泊までしか取れなかった由)→ジョイフル→大和村役場→御殿浜公園→某デザイナー事務所→食堂(店舗名不明、鶏飯)→タクシー→民宿B(チェックイン))


 それにしても気になるのが10月8日の時点で電気毛布を入れてるところ。この年そんな寒かったんか?これを書いてるのは2023年10月半ばですが、どっちかっていったらまだ冷房のが必要なくらいなんだけど。

 それはともかく、10月18日、ついに「やぶにらみJAPAN」を仮オープンさせるのですが、先立つこと約2週間前、ついに念願のWindowsデスクトップ機を購入しています。
 そもそも会社を辞めてしまったら自由に触れるパソコンがなくなる、ということになる。何しろ家にパソコンがないんだから。さすがにこれは由々しき問題だった。
 PDAで文章を書く、んでそれをアップする。ただしいくらなんでも「文章を書く」以外のこと、つまりサイトの構築だったりをPDAでやるには如何にも無理がある。となるともうパソコンは必須だな、とはわかっていたとはいえ、ハナから中古狙いだったのが災いしてか、なかなかね、良い頃合いのがなくて。

今日いきなりアキバでWindowsマシン購入!
WindowsXPの新機種が49,800円であることから、最初は2万円前後で絞っていったのだが、ソフマップに『WindowsMeインストール済、CD-RW内蔵、ペンティアムⅢ800MHz』という<何も買い足さなくてすむ>マシンが28,800円であったため、それに決める。(中古の日3000円引き+消費税で計27,100円)
これ、hpのマシンなのだが、型番がなんと2200!今朝「2210にポケットキーボードの接続に成功」という一大事に遭遇し、もしかしたら2210買ってしまうかも、と思った矢先であった。
単なる型番の偶然なのだが、いやはやなんとも。
これはうれしい誤算。ネット接続には不安があり、スリッパ買わなきゃな、けど6000円くらいするんだよね、などと思っていたが、なんとPCカードスロットが内蔵されている!このおかげで、帰っていきなり@Freed(現注・当時ドコモが展開していた使い放題のPHSサービス。詳細はココ)でネット接続成功。めっさ遅いけど。(2003年10月5日の日記より)


 今見たら「ペンティアムⅢ800MHz(今調べたら厳密には866MHzらしい)」とかお笑い草のスペックだけど、少なくともウェブサイトを構築するくらいなら、というかPhotoshopやIllustratorなどのAdobeのソフトを使うくらいなら十分のスペックで、とりあえずこれで「会社を辞めても自宅でウェブサイトの構築&修正が出来る」体制が整ったのです。
 途中の「2200」とか「2210」とかはPDAの話なんだけど、ま、そのままにしています。

 何にしろアタシはついに念願のマイウェブサイト、当時の言い方ならホームページを開設したわけですが、開設当初は本当に酷いものでしてね。

 ↑こんなサイト、いくら2003年当時はテキストサイトが中心だったとしても、誰が見に来ると思う?というかこれホントにデザイナーが手掛けたサイトなのか、と誰もが思うほどダサダサだったわけで。
 ま、その後、紆余曲折があってね、2007年に一回閉鎖したりなんかして、2010年にまた復活して、とうとう20周年を迎えたわけです。
 それにしても、まさかまさか、こんなに長くやるなんてまったく思ってなかった。というかこんなに長く続くのがわかってたらもうちょっと、サイト開設当時の細かい状況を書いてたと思うんだけどね。

 ちなみに福岡ドームに日本シリーズを観に行った話はココ、奄美大島移住のために下見に行った話はココにあります。
 これで終わるのも何なんで<時代が表出した>2日の日記から引用してみます。

終礼後からMIDI→MLD(iモード用着メロ)変換にハマり、結果以下のファイルをSO505i(現注・後述)に取り込む。

・ラッキー7(ABCサイトからダウンロードしたものより音が軽いがいきなりメロディに入るのがいい)

・ヒッティングマーチメドレー(一番今岡から9番投手までのヒッティングマーチとそれに続く六甲おろしのメドレー。さっそくめざましメロに設定!)

・MyBlueHeven・私の青空(なんか不思議なアレンジで若干音圧が足りないが出来は一番いい)

MIDIならなんとかなりそうなので、その内オリジナル(有りモノのMIDI化)に挑戦してみるか。


 いやはや、もう「この時代だなぁ!」としか言いようがないわ。着メロそのものもそうなんだけど、ちゃんと「阪神の優勝に盛り上がってる」というのがいい。
 2023年だって阪神は優勝したんだけど、もはや着信音にこだわるとかまったくないもんね。今ならそれこそPCM音源で着信音とか作れるけど、どうせずっとマナーモードだし何の意味もない。

 で、もしかしたら気になる人がいるかもしれないので補足を入れておきます。
 何か「知らん間に」ケータイの機種変をしているね。それまでSO503iだったのが上記日記ではSO505iになってるんだけど、日記には「ケータイ機種変したよ」という話がどこにもない。
 SO505iの発売が2003年6月、んでこの年の8月半ばに運転免許の更新に行った時は確実にSO505iだった記憶があるから、ということはたぶん7月の、Hといろいろあって日記執筆が滞ってた時に機種変したんだな。
 失恋して髪の毛を切るってのは聞いたことあるけど、失恋してケータイ機種変か。なんだそれ。ま、ちょっとキモチはわかるけどさ。

 この際だからついでに書いておくか。
 まず2003年の前半まで使っていたSO503iですが、基本的なことを書けば「ドコモ端末、ソニーエリクソン製」です。
 んでこのSO503i、筐体デザインは今見ても文句なしにカッコいいんだけど、致命的な欠点がふたつばかしあって、とにかく着信音の音量が小さいこと、そしてジョグダイヤルが異様に壊れやすかったんですよ。

 これがね、完全に壊れてくれるんだったらまだいいんだけど、調子の良い日と悪い日があるって感じで、あまりにも不調が続いたのでドコモショップに持っていったことがあるんだけど、ドコモショップに着いたら突然調子が良くなりやがるでやんの。あれはマジムカついたわ。

 で、機種変したSO505iはそこら辺りは解消されており、着信音の音量も並程度にはなったし、ジョグダイヤルの耐久性もあきらかに上がっていました。
 でもSO505iと言えば、何と言ってもその形状ですよね。

 これ、いわゆるリボルバータイプってヤツで、使いやすいんだかなんだか、最後までよくわからんかったんだけど、意味なくね、ガンマン気分でガチャガチャやってたのを思い出します。
 あとはカメラかな。たぶんドコモ端末で初めてのメガピクセルカメラが搭載されたってのが大きかった。っても130万画素なんで今基準だと所詮は「その程度」なんだけどさ。
 ただね、SO505iで撮影した画像が数枚現存しており、それを見る限り画質はそこまで悪くない。あ、ちなみに場所はたぶん日比谷あたりだと思う。

 いやもちろん今基準で比べないでね。あくまで「スペックを考慮した上で」の話ですが、今でも「見てられないってほどでもない」写真が撮れたってのはたいしたものですね。

 

8月分よりはマシとは言え少ないなぁ。しかも11月の途中で終わってるし


ウェブサイト始めて日記を書かんようになったんやな


それやったらそうで、サイトを始めた時点で日記とかスパンと辞めたらええのに。そういうところはお父ちゃんそっくりやな


一緒にすなって。ワシは立派な家庭持ちや。愛する嫁さんもおれば可愛い倅のお前もおる。しかしてこの男はどうや?独身貴族ならぬ独身貧乏やないか


言われてみればそうやな。お父ちゃんとそっくりなんはち◯ちんが小さいことだけや


なんぼホンマのことでもそれは言うな言うてるやろ!!


 
◇ 2003年11月、12月

11月1日奄美大島移住計画最終章(民宿B→名瀬市街地→民宿B)


11月2日奄美大島移住計画終結&失敗(民宿B(チェックアウト)→ジョイフル→名瀬市街地→民宿B)


11月3日【文化の日】民宿B→名瀬港(フェリー(時間不明))


11月4日鹿児島港(8時20分着)→西鹿児島駅(11時20分発)→JR→博多駅(15時15分)→小笹(→やまとの湯平尾店)→E氏宅→五衛→E氏宅泊


11月5日福岡E氏宅泊


11月6日E氏宅→福岡空港→羽田空港(13時15分着)→帰宅(14時半すぎ)


11月7日人形町(→小春軒(トンカツライス))→秋葉原


11月8日有楽町(→ソフマップ)


11月9日一日雨のため何もせず


11月12日サイトの更新予定が書いてあるだけのため行動一切不明


 はい、日記からはこれで終わりです。最終回は11月12日。何の宣言もなく突然終わっています。だから当然12月分もありません。
 結局アタシは12月の末に実家のある神戸に舞い戻るわけですが、正直日記が残ってないこともあって年末までの<動き>がどうだったのか、一切憶えていない。
 何となくの記憶で書けば、たしか福岡・奄美大島の旅から帰ってきて週が開けた11月10日に、10月まで勤めていた会社に挨拶に行ったような気がする。つかたぶんだけど、挨拶だけじゃなくて所長に何か渡すものがあったように思う。

 この時ね、ひとり、ものすごく悲しんでくれた別部署の女の子がいて、メール交換しましょう、と言われたんだけど「また来るからその時」と断った。もちろんその後は、もう渡すものも渡したので会社に行ってません。要するに嘘をついたというか体良く拒否ったというか。
 この子とは何度かメシに行ったくらいで、とくに深い付き合いではなかったんだけど、彼女がまだ入社してすぐの頃、とにかくよく怒られててね、何故か部署の違うアタシのところに逃げ込んできてたんです。
 正直、直属の部下ではない、というのは優しい言葉をかけてあげやすい。直属ならそういうわけにはいかないんだけど、ま、所詮は別の部署のことだから無責任でいられるというか。

 「決別に花束を」では話がややこしくなるのでオミットしたのですが、アタシはあきらかに制作チーム、つまり同じ部署の女性たちから嫌われていたのです。それも相当レベルで。そもそも3月に起こった精神崩壊も<きっかけ>は制作チームの女性陣による<反撃>だった。
 これはアタシにも非がある。何というかもう、アタシの最大の欠点なんだけど、とにかく「物言いがキツい」ので、今となってはアタシを毛嫌いしていた女性社員たちの気持ちもわかるんです。いやわかるけど、ねぇ。
 ところがこの事件以降に入社してきた女性社員はむしろアタシを慕ってくれた。
 とくに別部署の女の子のひとりは、メチャクチャに怒られて泣いてるのを何度も励ましたし、それでもまだ話を聞いて欲しそうなら終礼後にメシにも連れて行った。
 言っても別部署のことなので、しかも彼女たちが入社した時点でアタシの心は会社から離れていたのでそこまでする必要はなかったんです。でも、それでもやろうと思ったのは下心でもなんでもない。ただただ、アタシのような人間を慕ってくれることが嬉しかったからなんです。

 ただし向こうからしたら違っていた、というかもっと別の感情があったのかもしれない。それは本心を聞いてないので藪の中です。
 もし仮にそうだとしても、とにかくアタシは「ここの会社の人間全員との関係を断ち切りたかった」んです。だから非常に冷たい行動を取ってしまった。ま、つまり、彼女とは何もなかった、ということになる。
 だからといって「社内の人間とは一切、そういうことはなかった」かというとそうではない。
 東京に転勤する前、した後含めて、3人の女性社員と「そういう関係」になってるし、そんなことを言えばフラれたとはいえ大枠で言えばPage3とPage4で書いたHも社内の人間っちゃ人間です。
 ただ、この時に限っては、まったくそういう気にならなかった。そんなことより「この会社の人間とは繋がっていたくない」という気持ちが強すぎた。

 いや、冷静に考えるとそれだけではなかった気がする。
 と書くとPage2からPage3で書いた「Hとの件がトラウマになったんじゃないか」と思われるかもしれないけど、実はアレ、かなりのダメージだったんだな、と気づくのはもうちょっと後のことで、この時点ではさほど関係なかったように記憶しています。
 それよりも当時のアタシ自身の置かれた立場の方がよほど重要だった。
 奄美大島移住計画は見事に玉砕した。さらに東京に住み続けることも不可能、というのもあきらかになりつつあったわけで、とてもじゃないけどウツツを抜かしてる場合じゃねーだろ、と。
 もし、まだ東京に住めるなら、もうちょっと違う行動を取っていたかもしれないけど、そうじゃないのであれば、そういうことになれば相手を苦しめるだけだ、というのも皆無ではなかったかもしれない。
 路頭に迷う、と言えば大仰だけど、当時のアタシはそのレベルで先が見えなかったのです。
 そんな中、唯一の希望というか楽しみが10月18日からはじめた自分のサイトで、思えば辛い時には必ずといっていいほど「Yabunira」に寄っかかってたといっても過言じゃない。とくに自分の中で「人生最悪の一年」の位置づける2018年は20年にも及ぶYabuniraの歴史で唯一の「365日全日更新」を達成しています。

 Yabuniraにはいろいろ悩むことが多かった。
 文体だったり一人称だったり、はたまた文章の長さ、どんなサービスを使うかなど、なかなか「これ!」という形が作れませんでした。
 ドメインを取得したり、既存のブログサービスを利用したり、数年置きに流転を繰り返したのは「どの<やり方>も本当にしっくりいってるわけではなかった」からですが、それでも駄文を書き続けたのは「つまんないことを書いてる時間が何よりも嫌なことを忘れられる」というか、一種のヒーリングとしてサイトを続けている意味もあった。んで実際、2018年はマジでYabuniraが心の支えというよりは<命の支え>ですらあった。もしYabuniraをやってなかったら令和を知らずにこの世を去っていたのかもな、とすら思うくらいです。
 そうこう考えるなら、Yabuniraが「辛い時に寄っかかるためのものではなく」「純粋に自分が楽しむためのもの」になったのがScribbleをはじめた2021年からで、すべてがひとつの形に結実したのは今(2023年現在)のサイト構成になった2023年からかもしれない。
 つまりね、このエントリも20周年記念だなんだ言ってきましたが、やっとのことで「一人前のサイト」になったのは開設から20年経った2023年からなんですよ。
 今回のエントリでも恥ずかしげもなく恋バナを書いてるけど、こういうのが書けるようになったのも「今さら恥部もクソもない」ってのがあるからで、一人前になるためにはそういう隠したいことなどないに越したことはないですからね。

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 さて、辛気臭い話はこれくらいにして、このエントリは20周年記念なので、ほんのちょっぴり「ルックバック」の要素も入れたいと思います。
 とはいえまた別枠で「ルックバック2003」もやる予定なので、ここからは当時の世相っつーか「2003年から始まったわけではないけど、如何にも当時の<空気感>がわかる」みたいなことを書いていきます。
 まず芸能関係的なことで言えば、何と言ってもテツandトモの「なんでだろう~」でしょう。

 たぶんこのネタが一般に浸透しだしたのは2002年くらいからだったはずで、2003年の新年会で同僚がこのネタ(もちろんネタそのものは会社のあるあるネタに置き換えたもの)を余興としてやってたのを強烈に憶えています。

 次。風俗的な流行と言えば「なんちゃって女子高生」なんてもんが流行ったんですよ。いや流行ったらしい。本当かどうかは知らん。とにかくとっくに高校を卒業した年齢の女性が制服などの女子高生ルックをするのが流行った、ということらしい。ホンマかいな。
 そういや、あきらかなオッサンが学ラン姿で東京駅をウロついてるのを見たことがあってね、あれはいったい何なんだろ、と。
 その時の別部署の後輩(男性)の答えが振るってた。

「なんちゃって男子高生ですよ」

 その機転の効き方に大笑いしたことを思い出します。ま、別にコスプレとしてやってたというか、そういう意図じゃなかったんだろうけどさ。

 最後。せっかくなんで2003年のCMのYouTube動画を貼り付けておきます。あえて長いのを見繕ってきたのでテキトーに流し見してください。


 こんな感じかな。本当に「何気ない日常」が抽出出来たのかはわからないけど、ま、おそらくインターネット史上前代未聞のエントリになったことは間違いないだろうから、これでいいか。

このエントリの壮大なテーマとして「Yabuniraの全サイト、全カテゴリの要素をまんべんなくブチ込む」ってのがあって。
だからクレージーキャッツの話、ドリフターズの話、8ビットマイコンの話、戦前の話、そして「ルックバック」の要素、「さかい親子」の要素、「やぶにら大全」の要素が散りばめられています。
ただし、どうしても入れ込みようがなかったのは「複眼単眼」の要素で、本当はちょっとアイデアはあったんだけど長くなるので割愛しました。
まァね、たしかに一部の文章は過去エントリから流用したけど、それでも書いた量としても最長です。というかここまで長くする必要があったのか、とは思うんだけど、結果的に長くなってしまった。どころか「複眼単眼」のアイデアを含めて当初の予定では「このエピソードは書こう」と思っていながら、これ以上長くなるのはさすがにマズい、となってかなりオミットしたくらいで。
って古い日記を引っ張り出してきて、これだけ長々書けたってことだけは自分を褒めたい気分です。ま、褒めるほどでもないけどさ。
そうはいっても、テーマ的にどうせ誰の興味も惹かないってのはわかってるので、だったらとにかく、徹底的に自分本位でやろうってのは達成出来たかな。ま、そういう意味では好き勝手に書けて非常に気持ちよござんした。




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