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Yabunira20周年記念・lived in NINGYOCHO 2003
FirstUPDATE2023.10.18
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何かPage1、長くなかった?


そら、5月は書くことが多いさかいや。せやからとっとと行くで!


 
◇ 2003年5月

5月1日【出勤?】


5月2日【出勤】退勤後にOとKとラーメン屋、地下鉄終電のためOとJR→東京→徒歩→帰宅


5月3日【憲法記念日(休み)】築地(昼過ぎ、ランチ(1,920円))→有楽町(→ビックカメラ(@フリード契約))→帰宅、有楽町で東京三菱UFJ銀行のキャッシュカード紛失が発覚


5月4日【休み】T-CAT、僕の好きな場所・日本橋周辺編(後述)


5月5日【こどもの日(休み)】オリジン(昼食)、カレー革命(夕食)


5月6日【出勤】→秋葉原(→秋葉館)→福岡行き航空チケット購入(33,000円)、退勤後にKとラーメン屋→東京駅→徒歩→帰宅


5月7日【出勤】予算達成会(場所不明)


5月8日【出勤】(→沖縄料理屋で昼食→夕方羽田空港までN所長を自動車で送る→自動車で人形町(→重盛で土産))→帰宅


5月9日【出勤(18時迄)】T-CAT(18時40分)→羽田空港(19時10分着20時10分発)→福岡空港→E氏宅泊(23時前着)


5月10日【休み】E氏宅(昼過ぎ)→バス→小笹(→やまとの湯平尾店(スーパー銭湯、2014年閉館)→マキイ)→バス→天神(→ジークス→ビックカメラ→ベローチェ)→E氏宅(21時着)→ロイホ→E氏宅泊


5月11日【休み】E氏宅(11時半発)→天神(→ビックカメラ(SDバッテリー購入)→Z-SIDE)→高宮(→びっくり亭(14時)→ジョイフル→1000円散髪)→天神(→ジークス)→福岡空港→羽田空港(23時着)→モノレールとJR(浜松町経由か?)→東京駅→徒歩→帰宅


5月12日【出勤】


5月13日【出勤】


5月14日【出勤】


5月15日【出勤】


5月16日【出勤】昼休み銀行についでに「いさ美」で昼食(サーモン丼、値段不明)


5月17日【出勤(15時迄)】東京駅→髙島屋→丸善→徒歩?→帰宅


5月18日【休み】洗濯


5月19日【出勤】退勤後に神戸屋(不明、居酒屋か?)


5月20日【出勤】


5月21日【出勤】


5月22日【出勤】


5月23日【出勤】上野(→上野パチンコ村)


5月24日【出勤(15時迄)】新宿(→東急ハンズ(額縁用フック420円と特殊ドライバー470円購入。どういう用途のために買ったかは記憶欠落))→秋葉原→日本橋(→ベローチェ)→徒歩?→帰宅


5月25日【休み】上野(15時前→中華粥の店(店名不明)→アメ横)→新宿(→MAGICmQCINQ(パンツ3,900円購入))→帰宅


5月26日【出勤】


5月27日【出勤】


5月28日【出勤】新宿(→TSUTAYA)


5月29日【出勤】八重洲口直行


5月30日【出勤】


5月31日【出勤(15時迄)】金の延べ棒事件(後述)、ハルクビック


 <父>が言う通り、5月はネタがかなりある。とくに4日の日記にある「僕の好きな場所・日本橋周辺編」を大きく膨らませます。
 ここの箇所は「決別に花束を」でも引用している。だけれども今回はより詳細に、日記に記載があるうちから人形町周辺のみにポイントを絞って書いてみたい。あ、ちなみに「T-CAT」は一応人形町周辺にはなるんだけど、いろいろ考えた末、別エントリに振り分けることにしたので割愛します。
 と、その前に、今現在の非常にざっくりとした人形町周辺のお手製地図を貼り付けておきます。

 何でソレがあってアレがないんだ!とかいろいろあると思いますが、ま、思い入れの問題とかいろいろあるんで。
 というかこのエントリはあくまで「2003年を振り返る」という趣旨なので、2003年当時のアタシが思い入れのない場所は割愛したし、今もほとんど変わってないところも意味ないし。一部わかりやすくするために入れておいたけど。
 それとこれはもう、かなりどうしようもないことなんですが、2003年当時の人形町の写真をほとんど見つけられませんでした。
 もう「2003年限定で人形町界隈」となるとたった1枚もロクなのが落ちてないし(「出没!アド街ック天国」のサイトにある超低解像度のしかなかった)、書籍でも、やっぱ「2003年限定」ってのが難しすぎた。
 しかしたった1枚だけ、自分で撮影した写真が見つかった。正直よくわからないというか、いったい何を写そうとしたかすら不明なんだけど、とにかく上記地図の「Tomod’s」の文字の下にある謎の矢印は「この場所のこの方向から撮影した」という印です。ちなみに画像のExifデータを見るに「2003年9月7日17時32分」に撮影されたもののようです。

 ともあれこんな状況なので、一部、2003年とほぼ同じ&2023年現在では変わってしまった建物についてはGoogleストリートビューの2010年版(おそらく最古)から引用させてもらいます。

◆ 水天宮

 いわば人形町のランドマーク(住所は違うけど)とも言える安産の神様を奉る水天宮ですが、意外にも外観は大きく変わっています。

 こうやって見比べたらよくわかるはずですが、アタシ的にはどうしても旧来のものの方が馴染み深い。というかあの妙に嵩高い建築にどうも慣れないんですよね。

◆ Tomod’s

 水天宮前交差点の北西辻には今も昔も三原堂がありますが、その隣(厳密には三原堂をぐるりと囲むようなビルの1階)にはTomod’sというドラッグストアのチェーン店があります。
 しかしアタシが人形町に居住していた頃は「BOOKS PISMO」という書店で、結構面白い品揃えだったんですよ。

 アタシはてっきりチェーン店だろと思ってたんだけど、どうもそうではなかったようで、ここの店舗がなくなった時点(2011年10月閉店らしい)でPISMOという名前の本屋は消滅してしまった、ということのようです。
 ここではかなりいろんな本を買ったなぁ。下手したら日本橋の丸善にも置いてないようなのがある場合もあって、かなり重宝していました。

◆ 文教堂

 そしてPISMOのライバル、ではないんだろうけど、もうひとつの人形町の書店と言えばここです。ちなみにこっちはバッチリ現存しています。
 ただ文教堂こそまさしく「チェーン店の書店」で、わりと東京のどこの駅前にもある。そういう意味では面白くはないんだけど、こういうある意味「可もなく不可もなく」みたいな書店がひとつあると本当に助かるんですよ。

◆ うぶけや

 こんなに「昔も今も<そこ>にある」という表現がピッタリくる店も珍しい。
 何しろ創業は1783年です。てことは江戸時代中期ですよ。江戸時代後期創業の店はまだあるけど<中期>となると一気に少なくなるのに。
 とにかく人形町がまだ花街はおろか「日本一の興行街」だった頃から続いてるんだからハンパじゃない。
 さすがに中に入ったことは一回もないけど、いつも前を通る時は最敬礼の気持ちになるのです。

◆ ダイソー

 その「うぶけや」の斜め向かいというか人形町交差点の辻にあるダイソーですが、ここはかなり変わってるね。
 アタシが在住していた2003年はここは「am/pm」というコンビニで(am/pmはファミリーマートに吸収合併されて2011年に消滅)、その後居酒屋みたいなのが入ったりしてましたが、今はダイソーになってる、という。
 ここのダイソー、それこそam/pmの頃に行ったことがあるからよくわかってるけど、一見デカそうに思えるけど実はかなり小さい。大阪で言えば足立宝石店並みのペラペラさです。ま、足立宝石店の建物も取り壊されたけどさ。

◆ エムズクロス人形町

 で、ダイソーの向かい、水天宮側に立つのが2023年7月にオープンした「エムズクロス人形町」です。
 地上10階建てと人形町にしてはかなりデカい商業ビルで主に飲食店が入っていますが、では2003年頃に何があったかの記憶が欠落している。
 2003年の住宅地図で確認したところ、おそらくかなり低層の建物だったと思うのですが、「みどりや靴店」「ナカジマバッケージ」「喫茶ロン」という文字が確認出来ます。
 しかしどれも印象が薄く(喫茶ロンは入ったことがあるかもしれないけど)個人的には、これ、2003年にはなかったけど「メガネをかけたオッサンの看板」がメチャクチャ印象深い。


◆ 鳥近

 人形町の鳥近と言えば、まァ鶏肉専門店なんだけど、一般には「玉子焼の店」として有名なはずです。
 もっともアタシはここでは「とり皮」しか買わなかった。安くてウマい。いや本当にとり皮如きに味の違いがあるのかわからないし、プラシーボ効果なだけかもしんないけど「やっぱ鶏肉専門店だけあってとり皮も美味いなぁ!」と思っていたのは事実なわけで。

◆ 今半惣菜

 ま、多少は高いっちゃ高いのですが、けしてバカ高というわけでもなく、家からも近かったので本当に頻繁に利用していました。
 アタシが住んでた頃は弁当が、つまり「ご飯」があったんだけど、2017年に行った時点ですでに弁当がなかった。いつなくなったのかね。

◆ ベローチェ

 「うぶけや」のすぐ側だけど、アタシにとってはある意味うぶけや並みに「昔も今もそこにある」店で、2003年の頃は後述するオリパの方が行く回数は多かったけど、今は人形町に行けばほぼ100%の確率で休憩する場所、それがこのベローチェです。

◆ 日高屋

 若干話が逸れるけど、ここの店舗に限らず実は日高屋ってモンにほとんど行ったことがなかったんです。
 日高屋は関東にしか店舗がないからわかりづらいけど、かなり特殊な店で、似た価格帯の餃子の王将や幸楽苑なんかとも違う。上手く言えないんだけど、それらの店より圧倒的に「呑み」要素が強いというか、どちらかというと「ひとりせんべろ系」なんじゃないかというような気すらします。
 そういうイメージがあったので基本呑まないアタシは敬遠してたんだけど、2023年に東京に引っ越してね、近所にあるんで行くことが増えた。このご時世にこの値段は素晴らしい。味は価格なりっちゃ価格なりだけど食えないってレベルじゃないし。
 それでも人形町の店舗は行ったことがないんだけど、2003年当時に日高屋の場所にあった「オリパ(正確には「Pasta cafe Oripa」)」に足繁く通っていたのです。
 今の日高屋同様二階席があって、そこが異様にくつろげてね、ベトナムコーヒーも美味しかったし。ま、アタシはここで「カフェでまったり(2003年当時の言い方なら「マターリ」)することを覚えた」という記念碑的な店なのです。

これは外せません。ここだけは他の地域では替えがきかないというか、とにかくこれほどマターリできるカフェは初めてです。しかもベトナムコーヒーは本当においしいし。(2003年5月4日の日記より)


 これは2003年の日記からの引用、つまりリアルタイムの意見ですが、もうこんな、おそらく誰も憶えてないような店がアタシにとっては最重要とも言える存在だった、というね。
 しかしオリパは2003年末、焼肉屋さかいに譲渡された上で閉店してしましました。そもそもオリパ自体、2003年時点でここしか店舗がなかったようです。

◆ キラク

 人形町を代表する洋食屋ですが、ここはもう、この引用を読んでもらった方が早い。

やっぱ美味い。しかしあのソースは何だってあんなに美味いのか。ポークもだが付け合わせのキャベツがあのソースに浸っているだけで死ぬほど美味くなる。
店の感じも良し。最後深々とお辞儀されたのも、昔っぽくて、良いんだな。(2017年9月13日更新「決別の旅日記」


◆ 玉ひで

 実はねぇ、一回も行ったことないんですよ。あんだけ近くに住んでたのに。
 というのもここ、とにかく行列がすごくて気軽に行けない。ま、ひとりで行くとなったら名物の親子丼ってことになるんだけど、サラリーマンだったんでそもそも昼間には行けないしさ。
 とか言ってたら、2023年現在建替のため旧店舗は工事中なんですよね。

◆ ケンタッキーフライドチキン

 別段、今も行くことはないのですが、これは2003年当時にはなかったということで取り上げました。どうも当時はドコモショップがあったみたいだけどまったく記憶がない。

◆ 明華園

 ここも行ったことがないんだけど、ちょっとね、今の姿が衝撃的なんで。って↑の画像を見てもらった方が早いか。
 看板も店構えもそのまま、居抜きでマスクやなんやを売る店になってる。ま、このご時世なんでしょうがないっちゃしょうがないんだろうけど、だったらせめて外装も外して欲しいな。ちょっと悲しくなるから。

◆ ラジャ

 これも行ったことがない。しかしまったく同じ場所で営業していた、しかも同じインドカレー屋である「カレー革命」って店には本当によく行ってたのです。
 カレー革命は本当に美味くて、個人的には渋谷のムルギーと並んで東京のカレートップ2だと思うんだけど、とっくに店舗がなくなったという。
 ただね、正直本当に「ラジャ」の場所が「カレー革命」だったのか把握出来なくて。というのも2003年の住宅地図にも載ってないんですよ。
 店内を軽く覗き込んでみるとほぼ記憶にあるカレー革命と同じなので、そういうことにしておきます。

◆ 人形町駅上の空き地(工事中)

 もう跡形もないのでよくわからないんだけど、2018年頃まで存在していた駅ビルってのも変だけど、地下鉄の階段上にあったビルなんですが、ここに当時人形町唯一の100均があったんですよね。

 ただし調べてみても、どうも店舗名がわからない。2003年の住宅地図には「バラエティショップ」とあるけど、まさかこれが店舗名なのか?

 
 2003年当時、結構行ってたのにオミットした店は他にもあって、玉ひでの隣にある快生軒とか、それこそ下手したら週3くらいで行ってた松屋とかね。
 他にもファミリーマート日本橋小学校店やセブンイレブン日本橋蛎殻町店なんかは文句なしの行きつけだったけど、さすがにコンビニを入れるのは、と思いオミットしました。
 てな感じで「やぶにらの2003年当時が懐かしい人形町店舗大全」終わり。

 さて2003年5月の出来事からもうひとつ、どうしても外せないのが31日に起こった「金の延べ棒事件」です。
 ま、事件と言っちゃったら大仰なんだけど、アタシのメンタル的には間違いなく大事件だった。大事件だョ!全員集合~!!
 とにかく、いつものように出勤する途中、家から100mも行かないような道端に、とんでもないものが落ちていることに気づいた。金の延べ棒です。
 さらっと「金の延べ棒」と書いたけど、ホント、最初見た時は信じられなかった。手にしたことはもちろん、ナマで見たことすらほとんどないものが、目の前に落ちているわけだもん。
 こりゃあ、こうしちゃおれん。ひと目がないのを見計らって、金の延べ棒「らしきもの」をサッと鞄にしまった。

 会社に着きました。
 まずは鞄を抱えたままトイレの個室に直行。腹を下してたわけてじゃないよ。もちろん「確認作業」のために個室に入ったのです。
 入るや否や、おもむろに鞄から「例のブツ」を取り出して、隅から隅までじっくり眺めてみた。
 うん、重さといい光沢具合といい、誰がどう見ても金の延べ棒に間違いない。実に実にとんでもないことになってしまったものよォ!
 そうなると、いろいろな景色が違って見えるようになる。いつもの変わらない「はず」の職場なのに、何とも言えない妙な、しかしかなり強度の緊張感がアタシを覆っていったのです。
 鞄の中には、金の延べ棒が入っている。つかこの金の延べ棒は俺のものだ!というね。そう思えば思うほど緊張感は強くなっていくわけで。

 そうはいっても、さすがにこのまま「拝借」はマズいのはわかっていた。やはり警察に届けるのが筋です。
 しかし、その手順をどうするべきか。警察に行っていきなり「金の延べ棒を拾いました」ってのも怪しすぎるし、上手く話を運ばないと、いろいろややこしいことになりそうな気もする。
 アタシは上司に、それとなく世間話を始めました。

「オオヌキさんって憶えてます?」

「ああ、一億円拾った」(1980年に起こった「一億円収拾事件」についてはココ参照)

「もし、一億円拾ったらどうします?」

「どうするって、そりゃ警察に行くだろうけど、その前にやることがあるわな」

「やること?」

「まずその一億円が本物かどうか。ニセモノだったらカッコ悪いしな」

 ああ・・・。そうか、その可能性があるか。
 アタシは上司に上手いこといって、そっと会社から抜け出し、近くの質屋に駆け込みました。まず金の延べ棒が本物かどうか確認するのが先決だと。
 質屋のオヤジに金の延べ棒を差し出します。もちろん「拾った」なんてことは言わない。
 ここが勝負どころです。のるかそるか。
 しかしオヤジの反応はあまりにもあっさりしていた。たぶん5秒もかからなかったと思う。

「メッキだね」

 メ、メッキ!?いやはや、その手があったか!
 あの、一応念のために伺いますけど、もし買い取ってもらうとなったら、おいくらほどで・・・。

「ま、5、600円ってところだね」

 なんと、あれほどアタシに緊張感をもたらした金の延べ棒がワンコインとな!
 で、でも、何ですぐにメッキとわかったんですか?

「ほれ、ここにK24GPと書いてあるだろ。K24ってのは純金ってことだ。だけれどもその後につく「GP」、これはゴールドプレーテッド、つまりメッキってことってわけ」

 ああ、記号を見れば一目瞭然だったのね。普段貴金属に興味がないアタシは、そんな基本的なことにすら気がつかなかった・・・。
 ま、考えてみれば当たり前の話で、花の都東京の道端に金の延べ棒なんか落ちているわけないよ。

 結局アタシは金の延べ棒を警察に届けないまま拝借しました。言っても500円ほどだからね。ま、いいかと。それに友達にギャグで「実は金の延べ棒持ってんねん」と机の引き出しとかから出せば、大抵ビックリされるしね。
 ま、金の延べ棒「らしきもの」が「ブーブークッション」や「ぱっちんガム」や「ビリビリボールペン」レベルに成り下がったという話でして。

 

熱い!ヤバい!間違いない!


何やねん突然、ビックリするやないか!!


何や、そんな事件があったんや。けどこの男にも月末に熱い!ヤバい!間違いない!ことが起こるで



◇ 2003年6月

6月1日【休み】体調不良


6月2日【出勤?】


6月3日【出勤】昼休みブックオフ(ディック・ブルーナの本購入、700円)


6月4日【出勤(体調不良のため19時すぎ迄)】


6月5日【休み(体調不良のため)】


6月6日【出勤(体調不良のため19時迄)】


6月7日【出勤(15時迄)】


6月8日【休み】徒歩→神田→JR→会社(ハックロム作り、18時半迄)→帰宅、ヤクルト阪神戦のチケットを探すが見に行かず


6月9日【出勤?】


6月10日【出勤】体調不良続く。首痛


6月11日【出勤】


6月12日【出勤】昼食・スーパー(購入店舗不明)、夕食・カレー革命


6月13日【出勤】


6月14日【休み】秋葉原→会社(ハックロム作り続き)、うるぐすで江川問題


6月15日【休み】部屋でダラダラ、うるぐす続き


6月16日【出勤】


6月17日【出勤】


6月18日【出勤】


6月19日【出勤】


6月20日【出勤?】


6月21日【出勤(15時迄)】


6月22日【休み】一日寝る


6月23日【出勤】


6月24日【出勤】


6月25日【出勤】


6月26日【出勤(8時20分)】


6月27日【出勤】新宿(→TSUTAYA)


6月28日【休み】一日寝る


6月29日【休み】人形町(→オリパ)


6月30日【出勤?】


 ここにきて「体調不良」という言葉が目立つようになってきます。
 このエントリは「何気ない日常」を書いていくためのものなので、体調がどうこうはあんまり書きたくないのですが、今思えばこうした体調不良がずっと続いていたことも会社を辞める大きな理由になったのかもしれないなと。にしても2004年に起こった原因不明の首痛はこんな伏線があったのか。すっかり忘れてた。

 で、です。今回あらためて日記を読み返してみて、もしかしたらこれも会社を辞める原動力になったんじゃないか?と思えることを見つけました。
 いや見つけたってよりは今までこっ恥ずかしいからあえて書かなかったことなのですが、とにかく28日の日記にこんなことを書いてます。

22時半前、Hに電話してみる。はじめは腹の探りあいだったが、途中からとんでもなく話が盛り上がり、結局午前4時まで、計5時間半もしゃべる!とにかく様々な面において俺と考え方が似ていることに驚く。しゃっべっていてこんなに「楽しい!」と思える子はひさしぶりだ。


 はい、恋バナです。ってそれにしても、いくら土曜日の夜とはいえ、つまり翌日休みとはいえ、5時間半も電話とか完全にオチてますね。いやアタシの方が。
 もちろんこの時代はカケホーダイなんてものはなく、一応Skypeはあったけど、双方がパソコンを持ってないとダメだったわけで、つまりは普通にケータイ同士で5時間半も喋ってたって、そらケータイ代3マン超えるわ。

 この顛末はPage3に続く。