決別の旅日記
FirstUPDATE2017.9.13
@Scribble #Scribble2017 #日記 #夏 #人形町 #東京 #2003年 単ページ 新宿 新宿御苑 神保町 清澄白河 清洲橋 まちBBS 江分利満氏の優雅な生活 #みうらじゅん #明石家さんま #某巨大掲示板 #風呂/銭湯 PostScript #兵庫 @戦前 #2000年代 #2010年代 #2020年代 #YouTube #イギリス #クルマ #サブスク/有料ネットコンテンツ #モバイル #公共交通機関 #嗜好品 #映画 #本 #東宝/P.C.L. #湘南 #神奈川 #福岡 #食べ物 #南西諸島 tumblr 画像アリ

えと、まずは令和の世からこんにちは。というような説明が入るということは、このエントリはいわゆる<例外>に属するエントリということになるわけで。

過去に書いた「時代が表出した」文章だけを選んでScribbleという形で置いておく、というのが一応のルールなのですが、他にも「連作はオミットする」というルールも決めた。そうしないとキリがないから。
となると本来であればこの日、つまり2017年9月13日のエントリはオミットされて然るべきなんですよ。何故ならアタシは2017年8月29日から9月19日まで、全20回に及ぶ超大型連作「決別に花束を」をエントリしていたんだから。
「決別に花束を」ココに置いていますので、もしよろしければどうぞ。

ただし「連作版」と現在Yabuniraに置いてある、いわば「リメイク版」はまったく違うものです。
どこがどう違うかの説明はマジでキリがないのでやりませんが、2021年になって、2003年当時書いていた日記を全面活用する形でゼロから書き直したのがリメイク版、ということになりますか。
ということはつまり、連作版の文章はほぼ活かされていない。もちろん別の形で活用した箇所はあるんだけど、大半が封印状態になっているわけで。
まァね、それは構わないんですが、どうしても一部だけ、良い意味で「時代が表出した」箇所があるので、そこだけをScribble化したいな、と。

それは「決別に花束を」というエントリを書くため<だけ>に決行した、2017年8月27日から29日までの小旅行について記した箇所です。
この小旅行についてはリメイク版でも全面的に活用している。というか「小旅行最中の思考の<巡り>」を軸にして全体を仕上げたと言ってもいい。
だから重複っちゃ重複なんですよ。でもリメイク版は小旅行中の行動を相当割愛している。というかあくまで「2003年の<空気感>」を思い出すってのがエントリの趣旨なので、「2017年の<空気感>」は感じさせないように書いた。でないとゴチャゴチャになるから。

ただ、今となっては「2017年の<空気感>」も捨てがたい。これは2003年当時に書いていた日記に倣って日記形式で書いているので、いつものエントリより<空気感>が濃厚なんですよ。
なので、マジで例外中の例外ではありますが、2017年9月13日から9月16日までのエントリを掲載します。
全4回分を無理矢理一回にまとめるので異様に長いエントリにはなる。というかこの前置き自体がすでに長いし。
ま、それでも、これはこれでいいと思っているので、どうか読んでみてください。ではどうぞ!

-------------------------------------------------


さてさて、いよいよ始まった決別の旅ですが、ここからは2003年当時に倣って日記形式で書きます。むろん公開を前提にして書いたものなので、当時の本当の日記よりはだいぶ抑制が効いてますが。
今の住所を晒すのは(大まかにでも)嫌なので、ま、公共交通機関を使って新宿まで行って、そっから都営新宿線で浜町駅に行った、とだけ書いておきます。

◇ 2017年8月27日の日記
14時39分、浜町駅に着く。人形町駅でも水天宮前駅でもなく浜町駅なのは完全にルート的な都合だけど、ま、久々に甘酒横丁を端から端まで歩いてみたかったってのもあるし。

チェックインの前に新大橋通りにある個人経営(?)の100均に行って乾電池を買う。プロジェクターのリモコン用の電池ね。
聞いたこともないような100均(現注・新大橋通りの「100円ショップ まさし」。2022年4月に閉業)だが、意外と品揃えは悪くない。そういえば昔、人形町駅の地下にも100均があったはずで、潰れたのは相当前のはずなのに何故か看板が残っているのが可笑しかった。

15時、定刻通りチェックイン。
エレベーターに乗って階ボタンを押しても反応しないのに焦る。んでよく見ると客室カードキーでタッチしないと(つまりSuicaみたいに所定の場所をカードで触れないと)階ボタンが押せない仕組みだった。
ま、セキュリティ的には正しいんだろうけど、ちょっとやりすぎじゃね?

でもカードキーってのはいいやね。いろいろとラク。いやラクというよりキラク(←駄洒落的伏線)というべきか。
普通のっつーか昔のキー型キー(ナンノコッチャw)の何がめんどくさいと言っても、外出時にいちいちキーをフロントに預けなきゃいけないところ。うっかり預けないと後で文句を言われるし。そういや一度、フロントマンが走って追いかけてきたことがあったな。キー渡せって。
まァホテルからしたらキーの紛失でもされたらたまらんだろうし、もちろん勝手に複製でもされたらもっとたまらんだろうから気持ちはわかるけど、利用者側からすれば面倒なもんは面倒だからねェ。

部屋、狭いっつーか激狭だが、わりと良い。チェックインの時フロントで「少し広めのお部屋をご用意しました」とか言ってたけど、広め?たしかにベッドはセミダブルくらいはあるけど、ベッドとテーブル以外のスペースはないに等しい。
これで広めなら通常の部屋はどれだけ狭いんやろか。

実は一番心配していたのは部屋の壁紙。何しろ壁紙にプロジェクターを投写するんだからね。濃い色の壁紙だったり変な柄が入ってたらサイアクと思ってたんだけど、見事真っ白の無地。まるでプロジェクター用と言わんばかり。
さっそく実験で投写。おお、かなり良い。プロジェクター自体も部屋で実験した時より画質がキレイに見える。

SD画質なのは了解事だからいいとして、色味にかんしてはメインで使っているヤツより正確な色が出ているように感じる。メインのはどうしても薄い白んだ色味になりがちなのに、こっちはこってり濃い。かといってドギツイ色味でもない。色合わせしてない状態でこれはかなり素晴らしい。
これが液晶方式とDLP方式の違いか。(現注・このエントリの一回前に「この旅のために小型プロジェクターを買った」というようなことを書いたので、つまり「プロジェクターを買った」ってのは了解事として話を進めているのでこんな文章になっています。わかりづらくてすみません)

プロジェクターの実験は早々に終えてテレビをつける。んで見る予定のなかった巨人対阪神戦をBS1で視聴。
結論からいうと負けた。だけれども藤浪、かなり良くなったね。抜け球はあるけど、これならぜんぜん合格でしょう。何球かに一球はアウトローにエグいストレート投げてたし。
それより今日は畠が良すぎた。マジで一世一代のピッチングじゃない?絶好調時のダルやマーや江川も打てる感じすらなかったけど、今日の畠はそれに匹敵する出来。ルーキーなのに本当にたいしたもの。
これはしょうがない。相手を褒めるべきですよ。

野球はそこそこで切り上げ(ワンサイド気味になったし)、人形町・水天宮周辺をウロつくことにする。
まずはT-CAT。もうホント久々。懐かしい。懐かしすぎるんだけど、あまりにも久々すぎて元がどんな感じだったかも忘れてしまってたのは何ともはや。
それにしてもここに来ると自分が変わってしまったのを痛感してしまう。羽田までのバス所要時間より、まず成田までの所要時間を見てしまうもんねぇ。

喉がカラカラだったのでどこかで茶~シバくか、と考えたが、あえて快生軒は避けて、チェーンのカフェに行くことにする。そっちの方が地元民ぽいからね。
「♪ いきっな黒塀 見っ越しのまァつに~」と歌いながら(本当は歌ってない。何でこの歌かって?そンりゃオメェ、玄冶店ってご存知ない?)うぶげやを通り過ぎてベローチェへ。ここのベローチェも久しぶり。内装はぜんぜん変わってしまってるけど。


その後、文教堂(本屋)を冷やかす。2003年当時に戻って、当時の癒しだった奄美大島関連の旅行書をパラパラめくるが、今の自分がてんで興味がないのに呆然とする。
それよりも、どうしてもロンドン関係の本の方が気になる。

考えてみれば、初めて「ちゃんと」海外に行ったのが2011年。つまり2003年当時は飛行機を乗るにしても旅行するにしても、全部国内だけだったんだよな。国内ったってほぼ関西か福岡に限られていたし。まさか自分がここまで頻繁(ってほどでもないけど)海外に行くことになるなんて、ね。
そりゃ羽田よりも成田への所要時間の方が気になるのは当たり前。この辺はもしかしたら2003年と一番変わったことかもしれない。

帰りに、今回の目的のひとつである今半デリカ(って名前じゃなくなってた。今半は今半だけど単に「惣菜」とあるだけ)で晩飯の買い出し。
すき焼きコロッケ、メンチカツ、プリプリ海老カツ、カニクリームコロッケ、アジフライ。締めて1,123円。
うん、高い。いや、一品一品が高いっていうんじゃなくて買いすぎ。テイクアウェイ、もといテイクアウトでこの値段とか、普段なら絶対こんなことしないけど、ま、今回は特別。あとで「あれ食べておけばよかった」とか思いたくないからね。

最後にセブンイレブンに寄って、おにぎり類とドリンク類を購入。こっちもちょっと買いすぎだけど、特別ってことで。
結局ホテルに戻ってきたのは18時前。ホテルを出たのが16時くらいだったので、なんだかんだ2時間は外出してたってことか。ま、半分はベローチェだけど。

さて、ホテルに戻ってきてまず何をやるかといえば、もちろんさっき買ってきた晩飯を食すこと。
今半デリカのフライ類、普通に美味い。メチャクチャ美味とかじゃないけど、思い出に浸れるくらいには美味い。
しかしいくらなんでも買いすぎたわ。一気には食えんかった。


食後はプロジェクターを再度テスト。実験で「ニッポン無責任野郎」の冒頭を見る。やっぱり面白いけど、わりと最近見たんだよね、これ。
ただどうやっても手持ちのスピーカーから音が出ない。うーん、何で?せっかく重い思いをして持ってきたのに。
ま、プロジェクターからスカスカとはいえ一応音は出るからいいんだけど。

まずはYouTubeで2003年当時のCMを視聴。
これが意外にもヒントになった。想像以上に今と雰囲気が違う。上手くいえないけど、いろいろ雰囲気が明るい。
今思えば2011~2013年くらいが一番暗い時代だった。絶望的に暗かった。リーマンショックの頃よりも暗かった。自分が、じゃなくて世間がね。テレビ番組もCMも、いくら震災とかがあったとはいえ、何であんなに暗かったんだろ。

今は2013年頃よりは明るくなったけど、2003年のCMの明るさには負ける。何というか、まだこの頃には「明るい未来」を予見させる「何か」がある。
ケータイのCMなんかわかりやすいけど、実際にワクワクするかはともかく、ワクワクさせようという意思が見える。ほら、こんな新機能が搭載されましたよ、みたいな。ま、今はステマだのなんだのうるさいから、こーゆー作りにするのが難しいってのはあるんだろうけどさ。
ここはもう少しキチンと考察する必要がありそうだ。

続いて「江分利満氏の優雅な生活」を見る。当時の日記によると2003年2月23日に通算二度目の視聴をしたらしい。
その日記では「傑作とまではいかない。佳作止まり」とあるけど、今の視点でみれば、これは大傑作ではないか。

あまりにも身につまされるというか、痛いところをガンガン突いてくるんだけど、本質的な箇所で救いがある。しかもこの救いも、ある程度経験を重ねてないと気づかないような、実に深い救い方。
日記には「どうしても後半が見ててダレる」と書いてあるが、二瓶正也目線、小川安三目線ではなく小林桂樹目線で見れば長く感じないし、泣けてくる。
あれは岡本喜八による戦中派の吐露、というが、そこまでイデオロギーっぽくないよな。むしろキャラクター性のダメ押しじゃないのかね。

この男(江分利満)もまた、こんな風にしか生きられない代表なんじゃないか。
どこかのサイトに、主人公は凡人(エブリマン)じゃない、むしろ恵まれたエリートだ、とあったけど、とてもそうは見えない。
たしかに主人公は幸せな家庭を育み、一流企業に勤務し、その上で突出した才能まである。が、同時に欠けたところが多すぎる、かなり困った人なのだ。今でいえばアスペルガーになるのかもしれない。
そんな人間が、一所懸命生きている、だけれども本質は誰にも理解されない、という哀しみがある。
そしてそれを表現するためには、あの終盤の展開は絶対に必要だったし、あれがなければ、それこそただの才能溢れる勝ち組の話になっていただろう。

「江分利満」観賞後、昔と今の「まちBBS」の人形町スレを見る。
昔のは2002年から2005年くらいまで見たけど、2004~2005年に境目があるのがはっきりわかる。
2003年まではレスのほとんどがコテハンなのに、2004年くらいからコテハンが減り始め、2005年以降は名無しばかりになる。
雰囲気も2004年くらいまではポジティブで穏やかな感じなのに、2005年からはクサしてナンボ、みたいな感じで大幅に荒れてくる。


これは2004年、2005年にかけてブームになった「電車男」のせいで、2ちゃんねる(まちBBSも同様)に低年齢層が一気に流入した影響、なんて言われるけど、それだけじゃなくて時代そのものが荒廃してきたからじゃないか。
2ちゃんねるやまちBBSのようなインターネット掲示板でさえ、時代の空気から完全には逃れられないということかね。いやむしろ一番ダイレクトに受ける場所なのかもしれない。

しかしそれでもこのスレはまだかなりマシな方だ。
現行スレも2003年ほどの穏やかさはないけど、ちゃんと情報交換をしているし、まだ昔の掲示板の雰囲気は残っている。
今自分が住む街のスレなんか酷いもんだからね。罵倒レスしかないもん。下手したら本家の2ちゃんねるより酷い。
今住む街は好きだけど、このスレ見てたら街まで嫌になりそうだよまったく。(現注・さすがに当時の現住所なのでボカしてるけど、「今住む街」というのは神奈川県藤沢市のこと。もちろん今は住んでいません)

風呂に入り、晩飯の残りを食べて、友人とメッセージのやりとりを何度かした後、もう一回2003年の日記の1月分から3月分までを読み返す。
この日記が14年前、ホテルから歩いて数分の場所で書かれていたことに微妙な違和感をおぼえる。
けど、間違いなく、自分はこの辺で暮らしていたんだ。あんなことやこんなことも、全部この街で起こったことなんだ、と思うと不思議といえば不思議なんだけど、ほんのちょっと「あの頃の自分」と「今の自分」が近づいた感じもするわけで。

ホテルの部屋にずっといて、妙なことを思い出した。
そういえば昔住んでいたマンション、何か暗かったんだよね。いやわざと暗い照明にしてたのよ。そーゆーのが良かったんだね。
んで、ホテルの部屋も薄暗い。これも半分はわざとらなんだけど、部屋の狭さと相まって、一瞬、今が2003年で、自分があのマンションにいるような錯覚に陥る。

もちろん当時はプロジェクターなんかなくて、14インチの小さいブラウン管のテレビだったし、それどころか部屋にインターネットはおろかパソコンもなかった。唯一ネットに繋がる環境といえばデータ通信用のPHSが刺さったPDAだけ。(ま、iモードケータイもあるにはあったけど)

今はモバイル環境でも当時の光回線より速い速度で通信できる。けどさ、それはただの科学の進歩なだけなんだよね。そりゃ月日が流れたんだから、それくらいの変化はあるっしょ。
だけれども、それでも、あれから14年も経ったとは到底思えない。せいぜい1年とか2年に思えてしかたがない。

もしかしたら、2003年の続きとは言えなくても、ほんのちょっと時間が開いただけで、本当にあの時の続きなんじゃないか。
そう考えれば、薄っすらとではあるけど、光明は射してきた。まだ、まるまる一日ある。その間に、きっと、何かが見つかるような。



◇ 2017年8月28日の日記
前日は興奮していたせいか4時過ぎまで寝付けず、目覚ましをかけずに寝て、目が覚めたら10時ジャストだった。
寝起き、一瞬ここがどこかわからなくなる。

今回の宿泊プランは朝食なしだが、これはこれで良い。朝食付きだとどうしても8時過ぎに起きなければならず、せっかくの旅のゆったり気分も台無しになるからね。
おかげで10時まで眠れたし。

30分ほどで身支度をし、行動開始。
ま、起きたのが遅かったので時間はかなりズレてしまったが、2003年の続きなのだから会社に行かねばならない。むろん本当に出勤するわけではないよ。気分だけね。

当時と同じく水天宮前から半蔵門線に乗り、大手町で乗り換える。それはいいのだが、すっかり乗り換え方を忘れてる。こんな感じだったっけ?
大手町で丸ノ内線に乗り新宿御苑前で下車。ここが会社の最寄駅。徒歩5分ほどでオフィスのビルに着く。
もちろん中には入らない。外観を眺めるだけ。つか自分が勤めていた会社はもうとっくの昔に移転しているのだが。

新宿御苑の近くには会社を辞めてからも何度か来たことがあるけど、オフィスの入ってたビルを見るのは久しぶり。もしかしたら退職以来初かもしれない。
ここで意外というか予期せぬ感情というか、胸が締め付けられそうになる。
やっぱ、それなりに思い入れはあるんだよ。思えばあの会社の社名もマークも、考えたのは自分だからね。

オフィス近辺を軽くブラついてみる。
驚いたのが、かつてよくランチを食べた店が片っ端からなくなってること。ちょうど昼前だったので、あわよくばこの付近でランチ、と思ったのだが、知らない店ばかりじゃしょうがない。

何かで、飲食店が新規オープンから3年後も生き残る確率は10%以下、と読んだことがある。しかしこうも変わるものか。たしかに3年どころか14年も経ってるけどさ。
こうなってはしかたがない。場所を変える。というか別に働くわけじゃないので、さっさとこの土地から離れても何の問題もないわけで。

徒歩で新宿方面に向かう。
新宿三丁目に近づくほどに、2003年ではなくここ5年ほどの自分の感覚になってくる。世界堂なんてサラリーマンの時はほぼ来たことがなかったのに、今のことをやりだしてからは、頻繁ではないけどたまに来るしさ。
あとは、某ショップ。2003年にはこんなブランド、意識すらしたことがなかったのにね。人生ってのはわからん。(現注・某ショップ、のことは、ちょっと、書けん。いやスマンね。仕事と直結する話なんで)

それはさておき、さあて、どこに行くとするか。
最初は日記に頻繁に登場する有楽町とも考えたが、有楽町はあまりにも最近よく行ってるのでパスし、とりあえず新宿三丁目から都営新宿線で神保町に向かう。
何故に神保町か?たしかに当時よく行ってたってのもあるが、ランチを食べるとなったらここほど充実してる場所はないからね。

しかしせっかく神保町まで来たのに食べたいものがない。最初は「いもや」にでも、と思ったが、トンカツにしろ天ぷらにしろ真夏のランチに食いたいとは思わない。
ならば2003年当時に何度か行ったことがある店、みたいな観点で探し始めたのだが、ここでとんでもないことに気づいてしまった。

話は飛ぶ。前にみうらじゅんが「吉田拓郎に憧れてたわけじゃない。吉田拓郎そのものになりたかったんだ」みたいな話をしていたことがあった。
学園祭かなんかで、吉田拓郎に想いを寄せる人らはみな吉田拓郎のカバーをやったそうな。ま、当たり前である。
しかしみうらじゅんは違った。自ら作詞作曲したオリジナルにこだわった。吉田拓郎の歌を歌ったんじゃ吉田拓郎にはなれない。何故なら吉田拓郎はオリジナルを歌ったんだから、と。(時代を考えると「吉田拓郎」ではなく「よしだたくろう」だけど勘弁してね)

突然この話が頭をよぎる。そうか、もしかしたら根本的な思い違いをしていたんじゃないか。
2003年に戻りたいんだったら2003年当時に出向いた店なんかに行ったりしたらダメだよ、と。
あの頃は今よりずっと好奇心の塊だった。井之頭五郎ではないが、たかがランチを食うだけなのにいろいろ冒険したもんだ。何が食いたいか、どんな店構えに惹かれるか、それだけを吟味して店を選んでいた。

そうなれば、もう、かつて行ったことがある店、という縛りを捨てる。そうじゃなくて、あの頃の感覚に戻って、アンテナに引っかかるような店を探そう。

とある店が目に入った。夜は居酒屋になりそうな感じの店だが、とにかく海鮮丼の文字が飛び込んできた。
直感である。特段、海鮮丼の気分ではなかったし、990円はランチとしては安くはない。が、惹かれたものはしょうがない。よし、ここに入ろう。

海鮮丼は予想よりもずっと美味かった。ビンゴってヤツである。
それよりも驚いたのが、海鮮丼を食した後に鯛茶漬けが出てくること。これがまた美味。

これなんだな。こうやって自分の直感を信じて決めることなんだ。(現注・神保町魚百。現在は閉業)

そういえば一番最初にイギリスに行った時もそうだった。
ケンブリッジに行かねばならないのに、どうやっても行き方がわからない。いくら検索してもダメなものはダメ。人に聞こうにも、何しろ英語がまるで喋れない。
進退窮まるとはこのことだと思った。異国で、たったひとり、まったくどうすることも出来ない。

ここで突然アドレナリンが噴出した。眠っていた能力が目覚めたようだった。前のめりになり、この窮地を突破してやる!と活力が漲りだした。
するとどうだ。窮地がとんでもなく楽しいことに思えてきたのだ。オレ、今、大ピンチ!スゲー!みたいな。
こうなると物事は好転していく。直感にしたがってずんずん歩いていくと、あっさりケンブリッジ行きの電車が見つかったのだ。

思えば「2003年当時の思い出を巡る」という時点で、まったく当時らしくない行為だったのだ。それより、とにかく前のめりになって、かねやんではないけど「やったるでぇ!」みたいな感じで、アンテナを張って、直感を信じて、動く。
当時はそれが出来た。いやそれしか出来なかったのかもしれない。しかし今はそれを蔑ろにしすぎているのではないか・・・?

結局神保町はメシ食って、せっかく来たという理由だけで矢口書店だけ寄って終わり。
一冊、どうしても欲しい、戦前の東宝映画の写真集みたいなのがあったんだけど、高かったので買わず。(現注・ここ、微妙に嘘をついてます。というか話がとっ散らかりそうだったのでオミットしただけなんだけど、実は矢口書店に行った後、1時間くらい神保町のベローチェで休憩した。ま、ベローチェで何をしたわけでないのでオミットしても何の問題もないんだけど)

ここからは再び半蔵門線に乗り、ま、普通なら行きと同じく水天宮前で降りるべきなのだが、気が向いたので清澄白河まで行く。
そういえば半蔵門線が押上まで延伸したのは、ちょうど2003年だったな。それまでは水天宮前が始発駅だったんだよ。
始発だから確実に座れるってのが良かったんだよね。ま、どうせ大手町で乗り換えるんだけど。

清澄公園の中を通って清洲橋に。いや清洲橋を渡りたいから清澄白河で降りたって感じなんだけどさ。
途中、清澄公園でセミがぶつかってきて、肩にしばらく止まっていた。
大丈夫ケ!?ボケとるんちゃうんケ!?
閑話休題。
清洲橋といえば何といっても「男女7人夏物語」である。何度来てもあのドラマを思い出す。
もっとも2003年とはまったく関係ないけどさ。

一度ホテルに戻り、大昔、それこそ2003年頃にダウンロードしておいた、むぎ焼酎二階堂のCMをプロジェクターで見る。
しかしこれは、あんまり意味がなかった。たしかにPDAでこの動画を見れるってことには感動したのだけど、それはあの当時だから意味があったわけで、今見ても意味を見出せない。
むろんCMそのものは素晴らしいんだけどね。

ついでに、せっかくさっき清洲橋を通ったんだから、と「男女7人夏物語」の一話目を見る。これはローカルに保存してなかったけど、何たって今の自分にはYabflixがありますから。(現注・<Yabflix>なるNetflixのモジりの説明はパス。ま、簡単に言えば某サービスに手持ちの映像をすべてアップして、それをNetflixっぽい名前で呼んでただけです)
清洲橋の登場する、さわりの今井良介(明石家さんま)が野上(奥田瑛二)に電話してるところだけ、と思って見始めたんだけど、気がつけば一話まるまる見てしまった。いやぁ、グイグイ来るね。良く出来てるわ。(現注・この時「男女7人夏物語」を見たことがきっかけとなって、2017年10月に「複眼単眼・男女7人夏物語」というエントリを書きました)

何だかんだしているうちに17時になる。ずっとホテルってのも気詰まりなので出かけることにする。
最初は秋葉原、とも思ったが、さすがに秋葉原では現代っつーか今でありすぎる。なので止めて人形町界隈をブラブラすることにする。

ここでもハタと気がついた。やっぱこの街は異様なくらい便利なのだ。
今は神奈川県に住んでいるが(現注・2017年当時)、飲みに行く習慣のない自分は17時からどこかに出かけようとは思わない。せいぜい駅前か、クルマでファミレスに行くくらいしか「手」がない。
ところがこの街は違う。17時からでも、秋葉原であろうが神保町であろうが余裕で行けるのである。

考えてみれば、秋葉原も神保町も新宿も渋谷も上野も銀座も、主要な場所にはすべて一本で行ける。しかも電車賃もすこぶる安い。とにかく「気安さ」がぜんぜん違う。
ま、その分家賃も高いんだけどさ。

人形町界隈をブラブラ、といっても晩飯にはまだ早い。
2003年頃によく飲んでいたDAKARAも買ってたし、これを割りにしてウォッカでも飲むか、と思ってわざわざピーコックまで行ってみた。だが、よくよく考えてみれば、下戸の自分が飲みきれるほどの少量の小瓶なんか売ってるわけがなかった。
しゃーない。とりあえず酒は諦める。(どーでもいいけどDAKARAはGREEN DAKARAになり、当時とはまるで味が変わってしまった)

晩飯までカフェドクリエで時間を潰す。その間、昨日読んだ2003年の日記から気になる一文があったので、それを膨らませてyabuniramiJAPAN用のテキストを書くことにする。(これは近日アップします/現注・で、書いたのがコレです)

時間的にも腹具合も良い頃合いになったので、晩飯。
これはもう決めていた。キラク(伏線回収)でポークソテー。たしかに何度も来たことがあるし、何度も食ったけど、思い出に浸りたいからじゃなくて、もう単純にこれを食いたいという理由。

やっぱ美味い。しかしあのソースは何だってあんなに美味いのか。ポークもだが付け合わせのキャベツがあのソースに浸っているだけで死ぬほど美味くなる。
店の感じも良し。最後深々とお辞儀されたのも、昔っぽくて、良いんだな。

ホテルに戻る。この時点で19時すぎ。さあて何をしよう、と思ったが、せっかくプロジェクターと動画を用意してきたんだから、と阪神タイガース2003年の軌跡を見る。本当は昨日見るつもりだったんだけど、何しろ昨日は負けたからね。見る気がしなくて。
しっかしこの年の阪神は本当に良いチームだった。ベテラン中堅若手外国人が渾然一体になって戦ってるのが嫌でもわかる。
以下、感想。

・甲子園、いろいろ今と違っている。とくにバックネットの下
・ヒーローインタビューの時、選手の後ろにパネルがない
・どこのOBかとなると必ず押し付け合いになる広澤だけど、この動画を見てたら阪神OBでいいんじゃないかという気がしてくる
・この年、藤田太陽先発してたんだ
・金澤、足なげーなおい
・あ、27番は野口だったか
・片岡の打席、絶叫に近い感じでの「リフォーム!リフォーム!」はやっぱ笑える
・下柳、影薄いな。この頃はまさかここまで阪神ベッタリになるとは思わなかった
・星野が醒めてるように見える。役者だから熱血に見せかけたりサービストークもたっぷりだけど、どこか心あらずって感じ。穿ち過ぎか?


その後、風呂に入ったのち、2003年の日記の続きを読む。4月分から7月分まで。それ以降は意味がないので割愛。
もうこの頃になると、活動的っちゃ活動的だが、無理してるってのがありありとわかって、辛い。
そんなに頑張らなくても、無理に東京生活を楽しもうとしなくていいよ、と言いたくなる。

でも、もしかしたら、この無理矢理動き回るってのは、もうすぐ東京生活が終わりだと予見していたからではないか。たしかに会社で立場的に辛すぎて、それを吹き飛ばすためにってのもあるかもしれないけど、別れを惜しむ感情も、皆無ではないような。
この時点(2003年7月)ではまだ会社を辞めるのは決まってないんだけど、心の準備期間に入っていたのかもね。

-------------------------------------------------


厳密には翌日のチェックアウトまでは旅なんだけど、朝10時までなんで割愛。8時半に目が覚めて、9時15分にホテルを後にしました。
ちなみに2003年当時の日記はこんなに丹念に書いてないよ。改行とかまったくないし(これは日記だから当たり前)、長さもぜんぜん短い。「今日は書くことなし」で済ましている日も多い。

でもさ、せっかくならこの頃からこれくらい丹念に書いておけば良かった。そしたらもっといろいろわかったのに。

当時はメインで使っていたTumblrの仕様もあって画像をまったく使ってなかったんだけど、無理に引っ張り出して実際に撮った、んで残ってる写真を貼り付けておきました。
こういうエントリは画像はいるわ。あるとないとでは臨場感がまるで違うもん。




@Scribble #Scribble2017 #日記 #夏 #人形町 #東京 #2003年 単ページ 新宿 新宿御苑 神保町 清澄白河 清洲橋 まちBBS 江分利満氏の優雅な生活 #みうらじゅん #明石家さんま #某巨大掲示板 #風呂/銭湯 PostScript #兵庫 @戦前 #2000年代 #2010年代 #2020年代 #YouTube #イギリス #クルマ #サブスク/有料ネットコンテンツ #モバイル #公共交通機関 #嗜好品 #映画 #本 #東宝/P.C.L. #湘南 #神奈川 #福岡 #食べ物 #南西諸島 tumblr 画像アリ







Copyright © 2003 yabunira. All rights reserved.