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決別に花束を
FirstUPDATE2017.8.29
@Classic #2003年 @笠置シズ子 #体験 #2010年代 #東京 #人形町 #日記 #メンタル @戦前 全3ページ 退職 虚無 @川畑文子 モダニズム建築 江分利満氏の優雅な生活 二階堂 ★Best

 2017年8月27日14時39分、アタシは東京都中央区日本橋浜町2丁目の地下にある浜町駅に降り立ちました。
 
 地上に上がり、明治座を右に見ながら西に歩く。真夏、とは言えないものの、まだまだ残暑が厳しい。ダラダラと汗を流しながら数分も歩くと甘酒横丁の交差点に到着した。周りを見渡せば「人形町駅」という地下鉄の駅の看板が見える。
 そこからさらに5分ほど歩いたあたりに相鉄フレッサイン日本橋人形町があります。ここに泊まるために、予約も済ませてある。
 フロントで自分の名前を告げると
 
「2泊のご予約を承っております。本日は少し広めをお部屋をご用意させていただきました」
 
 料金を払うとカードキーを渡された。
 本当はこのまま出掛けたい気分でしたが、まずは部屋に行って荷物を置いてきた方がフットワークが軽くなりそうだ。
 部屋に入る。・・・うん、広め、広め、ねぇ。これで少し広めか。どう見てもベッド以外のスペースはないに等しいんだけど。
 まァいい。とりあえずテレビをつける。
 NHKBS1にチャンネルを合わせると、東京ドームで行われていた巨人VS阪神戦をやっている。
 阪神贔屓のアタシとしては当然阪神に勝って欲しいけど、この年ルーキーだった畠の調子が恐ろしく良い。これは打てない。
 試合は巨人のワンサイド気味になってきた。阪神贔屓としては面白くないので、スイッチを切った。
 
 いや、そもそも野球など見ている場合ではないのだ。
 
 当時アタシは神奈川県に在住していました。神奈川県に家があるのに東京のホテルになど普通は泊まらない。んなもったいないことをするわけがありません。
 そんなことは百も承知ながら銭をはたいてホテルに泊まるのです。呑気にテレビなど見ているヒマがあったら、さっそく行動を開始しなければ。
 
 ホテルを出て、ものの一分もかからない場所に、この時から遡ること14年前に居住していたマンションがあります。
 そうだよな、このマンションの前から出発しないことには始まらないよな。
 とは言え、どこに行こうか。
 とくに久しく行ってない場所、と思案すると、TーCATが浮かんだ。ならまずは箱崎だ。
 しかし実際に行ってみると、あまりにも久々すぎて、どこに何があったか何も憶えてなかった。
 ま、忘れてるレベルで久々だと何も懐かしくないって話で。
 
 水天宮を横目で見ながら人形町通りを北上する。
 人形町通りと新大橋通りがクロスする水天宮前交差点まで来ると、右手には重盛永信堂、左手には三原堂本店がある。どちらも人形町、というより日本を代表する和菓子屋さんです。
 三原堂本店の左横にTomod`sという薬局がありますが、アタシが14年前に居住していた頃はPISMOという書店だった。
 あそこの本屋、結構面白い品揃えだったんだよな・・・。
 
 それはともかく。
 どんどん人形町通りを北上します。
 左側に文教堂書店があるので久々に入ってみる。当時を思い出すために「本気で移住を考えていた」奄美大島関連のガイドブックをパラパラと立ち読みしてみた。(その辺の話はココを参照してください)
 うん、さすが14年の月日が経っただけあって、何の興味も湧かない。いや別に奄美大島が嫌いになったとかじゃあ、ぜんぜんないんだけどね。
 
 人形町交差点まで来た。交差点の北西辻には玄冶店跡碑が立っていますが、それを過ぎ、さらに刃物で有名な<うぶげや>をも通り過ぎて、有り体きわまるベローチェにやって来た。
 うん、人形町で飲むいつもの味。これでいいんです。
 ふと時計を見ると17時半。そっか、夕食のことを考えないといけないな。「キラク」ってのもアリだけど、ここはひとつ、今半の惣菜店でしこたまテイクアウトしてやろう。
 人形町通りを南下して今半の惣菜店に行った後、さらに南下して水天宮前交差点を右折してセブンイレブンでおにぎりやドリンク類を買い込む。
 さあ、あとはホテルに帰ってコイツを食すだけだ。
 
 惣菜類を掻っ込み、ビデオやなんやを見て時を過ごすと、いつの間にか22時になっている。そうか、もう、こんな時間か。
 ベッドに横になったアタシはスマホを取り出した。電話をするわけでもLINEをするわけでもない。スマホのメモリに入れた、2003年当時の日記を閲覧するためにスマホを取り出したのです。
 
 アタシはそもそも日記をつけるという習慣がまったくない人間です。せいぜい夏休みの絵日記くらいで、それだって8月末にまとめてつけていたくらいで。
 そんなアタシが、2003年に限っては日記をつけていた。
 理由は簡単なんだけど説明が面倒くさい。
 当時アタシはスマホの前身とも言えるPDAなるものにハマっていました(その辺の話はココとかココ)。アタシが当時使っていたPDAにはポケットキーボードなる周辺機器があって、このポケットキーボードで文字を打つのが楽しかったんですよ。
 とはいえまだ自分のサイトを始める前です。いくら文字を打つのが楽しくても書くことがない。
 だったら日記とやらを書いてみよう。やったことはないけど、日記なら毎日書ける=毎日PDA+ポケットキーボードで遊べる、と。
 つまり目的はあくまでPDAを弄り倒すことであって、たまたま日記を題材にしただけです。
 

2003年1月1日
馬鹿な高校生ばかりのジョナサンで日記を書くのもオツなものだ。
元旦とはいえまったくいつもと変わらない休日。寝たい時に寝て、食べたい時に食べたいものを食うだけ。だけれども、それでよし。
14時過ぎ起床。先ず東京駅で新幹線の座席を2日の昼から3日の夜に変更する。そのあと、有楽町のソフマップとビックカメラに行くが、掘り出し物、特になし。福袋も残っておらず、何の収穫もなし。マリオン近くの、普段なら絶対行かない類のパスタ屋でめんたいパスタを食う。うまくも何ともなし。しかしいくら銀座周辺といえども、まともな定食屋ひとつ開いてないのだからしかたがない。
(中略)
22時頃から軽く寝て、0時過ぎに目が覚めたので、水天宮に初詣に出かけるが、門が閉まっている。あたりまえか。
ジョナサンではいつも通り「タンドリーチキン&メキシカンピラフ」とドリンクバー。

 
 

2003年1月7日
あー疲れた~!正直疲れるほどの仕事してないのになぁ。
本日の制作物件・○○、△△、♯♯(作りかけ)、あとXXの改稿、ZZの名刺・・・そんなもんか?少な・・・。
Hさん(現注・別部署の人)以外全員帰ってから「原稿を一分一秒でも早くあげるノウハウ」作成。しかしA(現注・部下)の場合、入社して6ヶ月もたってこんなものを作らなければならないとは、あまりにも情けない話だ。
0時30分過ぎブーブー(現注・社用車)にて帰宅。なんかアホラシ。今日はとにかく疲れたので短めにしておく。明日から9時出社だし。

 
 

2003年1月9日
早くも朝がキツくなってきた。どうしても起きられない。やはり「絶対9時出社」はしんどい。別に決められてなければ、平気で9時前に会社に行ってるのに。人間なんて勝手なものだ。
最近問題なのが晩飯だ。ちょっと前までは20時すぎになると勝手に腹がへったものだが、ここんとこ21時をすぎても、サッパリ腹が減らず、挙句会社が退けてから食事、というパターンが続いている。これではまた太っていってしまう。無理にでも終礼までに食うか?そうしたらそうしたで部屋に帰ってきてまた何か食ってしまうんよなぁ。ナントカシナクッチャナー!

 
 
 2003年当時、アタシは人形町近辺に居住し、東京は新宿にあるオフィスでサラリーマンをやっていました。もっとも職種としてはグラフィックデザイナーだから今と変わんないんだけどね。
 この時点、つまり2003年1月の初旬くらいまでは、何の疑いもなく、一介のサラリーマンとして当たり前のように、正月は休み、平日は仕事に行く、という毎日が過ぎ去っている様子が日記からも読み取れる。
 さらに日記からの引用を続けます。
 
 

2003年1月20日
いや仕事とはかくも疲れるものか。人間とはここまで複雑なものか。頭の中の構図はこうも人によって違うものか。答えなど存在する由もないにもかかわらず、中途な回答しか提示できぬもどかしさ。かくして真意は遥か彼方に置き去りにされ、誤解のみがひとり歩きをはじめる。気持ちの整理もつかぬまま、人声のみが響きわたり、意とは無関係のことを口走る。
誰がこの事態を責められようか。誰がこの事態を解決できようか。いや、取り残されるのは、常に本心のみ、という悲しい定理は、どうやら我が身辺においても普遍であることが証明されたにすぎぬだけではないか。
(中略)
おそらく個の考えなど及びもつかぬところで、極めてひっそりと、かつ大胆に事態は進行していっているように感じる。莫迦な考え云々とはいうが、たとえ莫迦莫迦しくとも、片付けていかなければ、小指の先ほどの小さないさかいすら解決をみない。努力しかないのだ、結局は。戦うしかないのだ。たとえ結果がどうであろうとも。騒げ騒げ。何、別に命までとられるわけじゃない。(by足立光宏)
本当に信じられるのは己のみ。そして己ひとりの力では何一つできないのも真実。R(現注・友人)ではないが、結局利用価値があるかどうか、それしか他人への客観的な視点は持てない。だけれども、それでいい。利用価値があれば、徹底的に利用し、利用価値がなければ、心の中で切り捨てればいいだけの話なのだから。
悲しい意見だが、それくらいクールな思考回路でないと押しつぶされてしまう。それくらいでちょうどいい。結局最後は情に流されてしまうのだから。


 具体的なことは何も書かずに、ひたすら自己合点を繰り返す様はまさしく日記の本懐かもしれませんし、「追い込まれている」ことはわかるものの、無理にややこしい言い回しを使いたがっているところを見るに「本当に言いたいことはソコではないが、たとえ日記であっても吐き出してはならない」みたいな抑制が見られます。
 
 それでも戦う姿勢までは崩していない。状況はけして喜ばしいものではないものの、何とか打破しよう、そんな気概が見られることを鑑みれば、ま、少なくともこの時点でこの男(=2003年当時のアタシ自身)は大丈夫ということになるのか。
 
 

2003年2月5日
今日がwebの発表会の日のようなもので・・・。
社内の評判はおおむね好意的だったと思う。まぁ所詮は素人仕事ですが、努力を買ってくれたんですかね。実際頑張ったし。

 
 アタシの本職はグラフィックデザイナーなのですが、上司からのお達しにより会社のサイトを作ることに相成ります。が、WEBの知識なんか皆無で、ぜんぜんわからない状態が半年ほど続きました。
 さすがに業を煮やした上司は「通常業務は全部部下に振って、お前はWEBだけに専念しろ!」と命じられ、ようやく、このタイミングでホームページ(当時の言い方)をアップ出来たという。
 この時、いわば<無理矢理>HTMLを覚えたことが後々効いてくるのですが、この時点ではまだ何もわかっていませんでした。
 
 

2003年2月23日
本日久しぶりに「江分利満氏の優雅な生活」を観る。前半はすごぶる面白いが、やはりなんとなく後半はダレる。印象では後半が良かった気がしていたのだが。江分利満にしゃべらせたいのはわかるし、クドさを表現したかったのもわかるが、もう少しテンポよく処理してほしかった。そうはいっても直木賞決定のあたりで落涙しそうになった。傑作ではないが、好ましい、佳作だと思う。

 
 そう言えばこの頃この映画を見たぞ、と思い出してね、2003年の日記を読み始める前にホテルで14年ぶりに「江分利満氏の優雅な生活」を鑑賞したんですよ。
 日記に書いてあることとは真逆のことを言うみたいだけど、この時(つまり14年後の2017年)観返した感想は「佳作」どころか「大傑作」だと感じた。とにかく、日頃生きづらいと思いながら日々をおくっている者にとって、身につまされ度合いがハンパではない。
 後半のクドさも、小川安三目線、二瓶正也目線ではなく小林桂樹目線で見るとクドいどころか泣けてくる。ああ、この人、結局は「こんなふうにしか生きられない人なんだなぁ」って。
 よく言われるイデオロギー(戦中派の心情云々)なんかまるで感じないし、個人的には岡本喜八の最高傑作だと思う。
 
 

2003年3月6日
俺にも落ち度はある。しかしどう考えても大筋では俺の考え方は間違っていないという自信がある。(中略)
意外と人のことは見ていない。見ているようで見ていない。俺もそうだし、Yさん(別部署の上司)はその状態のままアクションを起こしてしまった。「いきなり」なのだ。すべてにおいてこの会社は。
(中略)
結論:自分に自信を持て!やるべきことをキチンとやれ!自分を棚にあげるな!

 
 

2003年3月7日
うーん、いくらなんでも書くのは無理でしょ・・・。

 
 さあ、始まりました。精神の崩壊。
 3月6日にコトが起こり、翌7日に<全社員総出で>責め立てられ、完全に崩壊してしまったという。
 たぶん6日の件だけでなく、それまで溜まりに溜まったものが噴出しただけなのだろうけど、それが一気に来たことで、この日以降、この会社への忠誠心のようなものが極端に薄くなってしまった。
 もちろんこの日以降も他の社員と冗談を言い合ったり、表面上は「それまでと変わらない日常」をおくっている<そぶり>はしていたんだけど、自分の中で、何かがガラガラと音をたてて崩れるのを感じたんです。
 
 逆の言い方をすれば、この日の前の時点では、異様なほど、この会社への忠誠心が高かったんです。
 前々年の2001年に、神戸にある広告代理店に入社したのですが、入社してまだ半年に満たないアタシを東京支社立ち上げのメンバーに選抜してくれたこと、そしてグラフィックデザイナーが所属する制作部の長に抜擢してくれたこと。
 おかげで東京に移住することが出来たし、憧れの街だった人形町に部屋を構えることも出来た。
 そのことにたいする感謝の念はハンパなかった。アタシに出来る限りのことは何でもしよう。誰よりも早く出社し、誰よりも遅く退社する。そして誰よりも多くの仕事をコナす。
 そんなことは当たり前だと思っていた。この会社のために尽くすことが自分の幸せにつながると本気で思っていたんです。
 
 さあ、この男、ま、2003年当時のアタシですが、これからどうなるのか。Page2へ続きます。







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