1/2
PHSに花束を
FirstUPDATE2021.2.23
@Classic #電脳 #モバイル #体験 #2003年 #2000年代 #PocketPC/WindowsMobile 全2ページ PHS NTTドコモ NTTパーソナル アステル DDIポケット ウイルコム ドッチーモ つなぎ放題 @Freed ドーマント AirKeeper ISDN W-SIM W-ZERO3 XGP #某巨大掲示板 PostScript #ソフトウェア #自作/パーツ/周辺機器 #噂 #1980年代 #1990年代 #2010年代 #2020年代 #Android #iPhone #Windows #おもちゃ #オタク/マニア #サブスク/有料ネットコンテンツ #ラジオ #公共交通機関 #大阪 #福岡 画像アリ

PHS←これは今現在未成年でもない限り読めるはずです。もちろん正解は「ピーエイチエス」です。では

H”←これは?となると、かなり怪しいと思う。

 アルファベットに濁点なんか付くわけないのですが、まァ、正解は「エッヂ」です。
 これはさすがに無理がある。というかこういう表記ってメチャクチャミレニアム前後っぽいんですよね。

 というわけで、2021年1月で停波したPHSについて書いていきたいと思います。
 いやね、PHSについて最初は書く気はなかったんです。でもよくよく考えたら「NTTドコモ(NTTパーソナル)、ウィルコム(DDIポケット)、アステル」の三大PHSキャリア(というかこの3つしかないけど)を全部使ったことがあるなんて人はそうそういないんじゃないかと。
 残念ながらNTTドコモは音声通話は使ったことがなくデータ通信のみ、アステルは逆に音声通話のみだけど、ウィルコムは両方を使ってたわけでね、とくにウィルコムはDDIポケットから使ってたので、ちょっとだけ、他の人よりもPHS経験が豊富なのかも、とね。

 何で<ケータイ>回線ではなく<PHS>回線なのか、それはモバイルっつーかPDAとは切り離せない。というかケータイ回線とPHS回線を同時に使っていた時期も長い。
 こう書けば何となく想像は出来ると思いますが、ケータイ回線とPHS回線は<排他的>というよりは<別腹>って感じで受け入れられていたと思うんです。
 というかPHSの成り立ちからして、PHSがケータイの競合相手として想定されていたか疑わしい。
 「固定回線ではない、外出先で使える」という意味では、たしかに競合相手に成り得る存在です。しかしNTTがPHSのサービスを開始するにあたって新たにNTTパーソナルという会社を立ち上げたものの、結局NTTドコモに吸収させたのは「意外と顧客のバッティングはなかった」からではないか。いくら単独でPHS事業が苦しくてもモロにバッティングするなら吸収はしなかったと思うんですね。

 というかPHS開始当初の<売り>は「持ち運べる固定電話」という感じだったんです。
 これは当時の固定回線の状況の説明がいるんだけど、1985年の電話機の販売自由化(とは若干違うけど)にともない各メーカーは多機能電話機の販売を開始した。とくに留守番電話機能付き電話は爆発的にヒットしました。
 その次、が「コードレス電話機」で、その名の通り、受話器(子機)と電話機(親機)間のコードがなくなった。この利便性も絶大で、やはり爆発的にヒットします。

 当初のPHSは「子機を外に持ち出しても使える」という売り出し方でした。いや正確には「コードレス電話の子機として使えるケータイ回線」と言った方がいい。(DDIポケットのCMで鈴木清順に「公衆電話みたいなもんよ」とまで言わせている)
 何故こんな売り方をしたか。たぶん、単純にケータイとの差別化だけではなかったと思う。
 PHSはその方式からエリアを広げるのに多額の費用が必要でした。そして移動しながらの通話=基地局をまたいでの利用が難しかった。(これは当時のケータイ回線も同様だけど、一基地局あたりのエリアが広いケータイ回線の場合、高速道路や新幹線などの高速移動でなければ問題なかった)

 PHSの基地局はまず繁華街、住宅地などから設置され、とくにケータイ回線が苦手な地下鉄の駅にも重点が置かれました。(さすがに今はほぼ消滅しましたが、2010年代に入った頃までは地下鉄の駅や地下街にまだNTTパーソナルのステッカーが貼ってあった)
 つまりPHSの使い勝手はあきらかにケータイより悪い。その分利用料金も安価に抑えられましたが、ケータイとほぼ同じという感覚で使われたらクレームの嵐になってしまう。そこで「これは携帯電話というよりは、町内くらいなら外に持ち出しても使えてしまう、コードレス電話の延長線上のサービスです」ということにするしかなかったっつーか。
 というか、単純に競合関係になるようなサービスなら、世界的にもメジャーな規格とは言い難いPHSなんてサービスをはじめるわけがありませんから。

 PHSはその利用料金の安さから「ポケベルの次」として「ピッチ」などと呼ばれて女子高生(というかコギャル)あたりから火がついたのですが、ケータイの料金が下がるにつれてあっという間に下火になった。
 そりゃあね、唯一のメリットが「料金の安さ」だけなんだから、遅かれ早かれケータイに抜かれるのは当然です。
 アタシが一番最初にPHSと契約したのはちょうどこの時期、つまりPHSが下火になりかけた頃でした。
 この頃アタシは福岡に在住してたんだけど、別にケータイはいらないかなぁと思っていたんです。まだ誰しもが持ってるって感じでもなかったし、そもそも連絡を取り合うなんて当時付き合っていたカノジョくらい。そのカノジョにしたところで徒歩3分ほどの距離に住んでたからお互いに行き来すれば済むと。
 ま、それでもね、緊急連絡手段はいるだろうと。で、たいして電波とか入らなくていいや、とにかく安ければ、みたいな感じだったのでPHSにしたんです。

 アタシが契約していたのはアステルです。NTTドコモは言うに及ばず、現在のソフトバンクに吸収される形になったウィルコムとは違い、いわば存続会社のない、完全に消滅したキャリアなので知らない人も多いと思う。
 当時使っていた端末はAD-11というデンソー製のだった。ま、この頃のPHSの性能がどこ程度だったかの目安になるので簡単なスペックを転載しておきます。

サイズ 120x38x16.5mm
重 さ 78g
連続通話時間 7.5時間
連続待受時間 600時間
電話帳 100件300番号
32kbpsデータ通信対応
着メロ対応
Aメール(アステルのショートメールサービス)対応
スピーカーフォン対応
発売日 1997年6月28日
価 格 37,000円

 言うまでもないけどアプリ非対応、音楽再生も動画再生も非対応です。というかモノクロ液晶ディスプレイだしさ。
 当時を知らない人が結構衝撃を受けると思うのが「電話帳 100件300番号」じゃないでしょうか。んなもん、登録出来る数に制限とかあんのかよ!?てな感じなんでしょうね。

 アステルと契約した当初はこれで十分だったんだけど外回り、じゃないけど外でする仕事をしだすとPHSではあきらかに物足りなくなった。
 もうね、ちょっとでも繁華街、住宅地から外れるとぜんぜん電波が入らないのです。アタシの職場っつーか行き先は河川敷とかだったので(別に石を拾っていたわけじゃない。その辺のくっさいくっさい当時のアタシの仕事の話はコチラ)、あっさりPHS回線をあきらめてケータイキャリアと契約しました。
 この間、たぶん一年もなかったと思う。これがアタシの初PHSでした。

 その後アタシはセルラー(auの前身)を経由してNTTドコモに行きます。これが2000年。
 この時購入したのがNEC製のN821iという機種。って型番だけでわかる方は鋭い。そう、これ、いわゆる「ドッチーモ」端末なのです。
 この頃、爆発的にヒットしていたのがN501iという機種だったのですが、あろうことか、ケータイ回線(さっきからわかりやすいようにケータイ回線って書いてるけど、もちろんPDCもしくは2Gのことです)のN501iにPHS回線まで搭載しちゃったという。つまりケータイ回線もPHS回線も<どっちも>使えるからドッチーモ、という。
 けど結局、PHSとしてはほとんど使わなかった。パソコンにつなげる想定でドッチーモにしたんだけど、ちょうどPC本体を手放しちゃった時期なんで活用する機会がまったくなかったんです。

 さらにそれから一年後。
 2001年頃からアタシはPDAなる摩訶不思議なモバイル端末に魅せられることになるのですが、PDAの話を書いていくとキリがないので、くっさいくっさいモバイル関係の話はコチラ。(念の為書いておくけど「くっさいくっさい~はこちら」ってのは、なんJの定期スレ)
 ま、結局は上記のリンクから該当エントリを読んでもらうしかないんだけど、ものすごくかいつまんで説明しておきます。
 PDAとはパーソナルデジタルアシスタントの略でして、名前からも想像出来るように本来はビジネス用途向けのモバイル端末の総称です。ま、高機能版電子手帳と言えなくもない。

 この分野でトップを走っていたのはPalm社が開発したPalmOSが搭載された機種群で、Windowsを擁してパソコン用OSでリードするマイクロソフトもモバイルOSを開発しますがPalmにまったく太刀打ち出来ませんでした。
 そこでマイクロソフトはビジネス用途を後退させてエンターテイメント寄りの機能を充実させはじめた。たとえばカラー表示をサポートしたり、たとえば圧縮音源(WMAやMP3)をサポートしたり、などなど。
 こうなるともはやデジタルアシスタントでもなんでもないんだけど、いつしかマイクロソフト製モバイルOSを搭載した規格であるPocketPCは「Windowsと直接互換はないがWindowsライクなオモチャ」扱いになった。
 今のiPhoneもAndroidも<遊び>アプリは山のようにあるけど、というか両方ともビジネスでの利用はさほど想定されていない。
 その元祖がPocketPCからはじまる規格だったんです。

 つまり、PocketPCとはスマホの元祖とも言える。言えるんだけどスマホではない。何故ならこれらの端末では通話は出来なかったからです。
 通話が出来ないのはもちろん通信も出来ない。って、わかります?もし今のスマホがネットに接続出来なかったらと考えてみてください。つまり、ずっと、圏外状態で使うようなものです。
 もし今、当時のPDAと同じ感覚を味わいたいのであればSIMカードの刺さってない古いスマホを持ち出してみてください。
 いや、それでもまだSIMカードのないスマホの方がマシで、今ならわりとどこにでも公衆Wi-Fiが来てるから、まだ何とかなる。
 しかもです。この当時のPDA、モバイル回線を内蔵してないだけでなく、そもそもWi-Fiも内蔵されてない機種の方が多かったんですよ。つまり、インターネットに接続して、なんて利用法は、少なくともメインストリームとは考えられていなかったんです。

 では、まったく外部との通信が出来なかったのか、というと、一応は考えられていました。
 ひとつめがWi-Fiを使う方法。ってさっき内蔵されてない機種の方が多かったって書いてたじゃん!と思われる方もおられるでしょうが、周辺機器として「コンパクトフラッシュ型Wi-Fiカード」なるものがあったんです。コンパクトフラッシュスロットはたいていの機種に付いてたんだけど、そこにガシャンとWi-Fiカードを差し込めば、とりあえずはWi-Fiが使えるようになる。
 しかしさっきも書いたように、2000年前後と言えば公衆Wi-Fiなんてまだほとんどなくて、部屋や職場にWi-Fi設備がなければほとんど使えない。もちろん移動しながらとかぜんぜん無理です。

 ふたつめはActiveSync経由でパソコンと有線でつなぐって方法。だけど、これは話が専門的になりすぎるから割愛。
 ま、ActiveSyncとか書いててメチャクチャ懐かしいんですけどね。

 みっつめは厳密には2種類あるのですが、どちらもモバイル回線に接続する方法です。
 まずは「PDAの外部接続端子とケータイをケーブルで接続する」ってやり方。ま、手持ちのケータイを活用出来るのである意味一番敷居は低いのですが、「ケーブルの接続が面倒」「通信がメチャクチャ遅い」「パケット代がアホほど高い」の三重苦でして、テストとしてならともかく、間違っても常用はしたくないレベルでした。
 そして最後、これが本命ってことになるんだけど「コンパクトフラッシュ型PHS通信カード」を使う方法です。
 これならPDAに挿しっぱなしに出来るので取り回しを考える必要はないし、通信速度も、少なくともケータイ接続に比べると圧倒的に速い。

 そしてこの年、PDAの<お供>となるモバイル回線はPHSでキマリだな、と思わせるサービスがDDIポケットから提供が開始された。それが冒頭で名前を出した「H”」(正確にはエアーエッヂ)です。
 このサービスが何よりすごいのは定額制を採用したところで、サービス開始当初は接続時間が25時間までの「ネット25コース」が月額5,800円、完全定額の「つなぎ放題コース」が月額7,000円でした。
 「高っ!」と思うのは今の感覚だからで、当時としてはこれは破格に安い。通信速度もケータイ回線(9.6kbps)の約3倍、当時は固定回線の主力だった通信規格であるISDN(64kbps)の約半分だから、特別遅くもない。というかISDNもこの時期はまだ完全定額の実施前で(事務用途にはプランが設定されていたが高い)、インターネットがいつでもどこでも、たった7,000円で使えるなんて、モバイル回線はもちろん固定回線を含めても他になかったのです。
 もちろんこうしたサービスをDDIポケットがはじめたのは通話での利用が完全に下火になって、通信に活路を見出すしかなくなったからなんだろうけどね。

 ただ、ひとつだけ留意しておくことがあります。
 これはもう、感覚というか、パイオニアには得てしてそういうことが起こってしまうのですが、いくらDDIポケットが画期的なサービスを提供したところで、そもそもこの時期は「モバイル回線を使ってまで外出先でインターネットに接続する」というのがまだ重要視されていなかった。
 何で外でまでインターネットにつなぎたいの?今ならケータイがあるんだし、それでメールの確認も出来りゃ、ウェブサイトにつなぐことも一応とはいえ出来なくはないんだからそれで十分じゃん、と。
 まだこの当時のノートPCは重くてゴツかったし、そんなのを持ち運んで外出先でインターネット、なんてどうかしてる。ましてやPDAなんて、何それおいしいの?程度の認知度です。

 誰しもがスマホを持ち、というか歩きスマホなんてのが社会問題になってる現代から見ると隔世の感がありますが、21世紀に入ったばかりの頃のモバイルへの認知度も関心も、所詮この程度だったんです。
 つまりDDIポケットのつなぎ放題コースなるプランに狂喜乱舞したのはほんのひと握りのモバイルマニアだけだった。いやモバイルマニアの中にも「外でまでインターネットにつながってる必要って、ある?」みたいな感じの人も結構いたってのも、時代ですねぇ。

 2001年頃のアタシはまだマニアの域までは行ってなかった。でも、モバイル回線が必要派か不必要派かで言えば、徐々に、いやこれは必要なんじゃないかと思い始めたのです。







Copyright © 2003 yabunira. All rights reserved.