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決別に花束を
FirstUPDATE2017.8.29
@Classic #2003年 @笠置シズ子 #体験 #2010年代 #東京 #人形町 #日記 #メンタル @戦前 全3ページ 退職 虚無 @川畑文子 モダニズム建築 江分利満氏の優雅な生活 二階堂 ★Best

 夜が明けた。夜が明けた。
 夜っがっ明けた夜が明けた。
 もう夜が明けたもう夜が明けた。
 明けた明けた早起きだ。
 
 いやぜんぜん早起きではない。時計を見るとすでに10時。ま、茶目子ではないので早起きする必要はないんだけどさ。
 ・・・にしても、ここはどこだ?
 あ、そうだった。人形町の、正確には蛎殻町だけど、のホテルに泊まってるんだった。マジで一瞬どこかわかんなかった。
 昨日はテンションが上がっていたのか、ついつい遅寝してしまった。結局日記も1月分から3月分まで読んでしまったし。
 
 あ、こうしちゃいられない!会社に行かなければ!
 
 もちろん本当に出社するわけじゃないよ。気分だけ。2003年当時勤めていた会社はとっくの昔に退職したし。
 でもまるで<あの頃>の続きのように<あの頃>とまったく同じ行動をすれば、何かが見えるはずだ・・・。
 なんて理屈はいいから早く出発しろ!つか同じ行動って、もう10時半になろうとしているのに何をエラソーに!
 
 ホテルを出て水天宮前駅まで行って、半蔵門線で大手町駅まで、大手町駅で丸ノ内線に乗り換えて、会社の最寄り駅である新宿御苑前駅で降りる。
 駅からものの5分も歩くと、オフィスの入ってるビルに到着した。ま、オフィスはとっくの昔に移転してるんだけどね。
 
 それにしても、ここに来るのは14年ぶり、か。
 そうそう、こんな感じだったなぁ、と懐かしくなるかと思いきや、突然、胸が締め付けられそうになる。
 辛いことを思い出した?いや違う。
 やっぱ辞めなきゃ良かった?それも違う。
 自分でも自分の感情がわからない。ただしひとつだけわかったことがあるとするなら、アタシが何故<2003年という年>にこだわるのか、その理由はまだわからないとしても、こだわるだけの理由は、何か、絶対にあるな、と確信がわいた。
 
 アタシは新宿方面に向かって新宿通りを歩き出した。
 一応の目的は昼飯を食うこと。そのためにどこに行こうか、と思案はしていた。ま、昼飯となったら、神保町になるのかね。だったら新宿三丁目駅まで行って都営新宿線で行くのがベストか。
 神保町に行って昼飯を食い、半蔵門線で清澄白河駅まで。清澄公園を抜けて清洲橋を渡り、再び人形町に戻ってきました。
 その間中、どうしてもソレが、頭をもたげる。つまり、何故、2003年にこだわるのか、ということが。
 
 Page1にて「2003年に限って日記をつけていた」というようなことを書きました。そしてその中からいくつか引用もした。
 この日記、長らく紛失したと思っていたのです。いくらPCのデータを引っ掻き回しても見つからない。これだけ探して見つからないってことは、もう紛失したんだな、と考えるしかなかったんです。
 
 ところが2016年の10月、まったく別の資料を探している時に偶然、2003年の日記を発見した。
 2002年12月31日から2003年11月12日までの全240回。もちろん後のウェブに書いたものに比べたら長さも短いし、改行なんかまったくないし、一人称は<俺>だし、周辺の人が実名で出てくるし、人様に読ませる気がないので(日記だから当たり前だけど)いろいろと支離滅裂です。
 でも、これは、現在のYabuniraの原型です。間違いなく。Yabuniraには日記要素はゼロだけど。
 
 でもね、最初はなかなか読み返さなかったんですよ。
 発見した時にちょろっと読み返してみようと試みたんだけど、早々に断念している。あまりにも、青臭くてストレートな感情を書き殴っているから、気恥ずかしくて止めてしまったのです。
 しかし、発見からひと月ほど経ってから、やっぱ、どれだけ気恥ずかしくても最後まで、つまり全部読み返してみよう、とチャレンジしたんです。
 んで、気恥ずかしさを我慢して読み進めると、自分でも意外な感情が芽吹いてきた。
 
何か、この男(=2003年当時のアタシ)、妙に幸せそうだな
 
 Page1で書いた話の続きになりますが、あそこで引用したことよりさらに辛いことが幾重にも重なり、結局アタシは2003年8月に退職の意向を示し、10月に退職した。
 正直、会社への忠誠心を失ってからのアタシはボロボロもいいところで、よほど辛かったのか、それなりに楽しいこともあったはずなのに、2003年と聞くと条件反射的に「人生の中でもトップクラスに辛かった年」と認識していたのです。
 
 ところがね、日記を読んでみると、たしかにところどころ「そりゃあ、キツいわな」みたいなことも出てくるんだけど、全体を通してみるなら、むしろ<未練>という言葉さえ、チラつく。
 そんな馬鹿な。あんな辛かったはずだよ?なのに、何故に、未練なんてあるのさ?
 あの時、どれだけ辛くても会社を辞めなきゃ良かったっていう未練?いや違う。それならむしろ「答えとしては」簡単です。
 そうじゃない。未練の<元>はあの頃勤めていた会社とは思えない。じゃあ、何なんだ?
 
 こうなると机の前でいくら頭を抱えていても答えなんか出てくるはずがない。
 では何をするべきか。そう、実地検証というヤツです。
 まるで<あの頃の続き>のように、当時居住していた、つまり実際に日記を執筆していたマンションの近くのホテルに滞在して、<あの頃の続き>のように出社する。ってもこれは<真似事>だけど。
 もしかしたら、ぜんぜん意味がないかもしれない。答えが見つからなければホテル代もパーになる。
 
 でもアタシは切羽詰まっていた。とにかく、この<2003年への未練>という日記を読み返したことで湧いてきた感情に押し潰されそうになっていた。
 もう予断を許さない。実地検証をやらなければ前に進めない。そう決断したのが2017年の8月初旬。そして27日から2日間、当時居住していたマンションから歩いて2分程度の場所にある相鉄フレッサイン日本橋人形町の予約を取ったのです。
 
 とにかくホテルに戻ってきたので、2003年日記の続きを読むことにした。
 
 

2003年4月5日
めちゃくちゃ頭が痛いです。気分も悪いです。にもかかわらず、なぜか日記を書く気になりました。特別書きたいことがあるわけではないのですが。
今日は新人歓迎会でした。毎度飲み会の度に思うことですが、自分の体力のなさを痛感します。やっぱりもう年なんですかね?2次会のカラオケについた時点で、完全に電池切れになってしまいます。いつもです。正直18時から終電まで遊ぶ元気など存在しません。
電池切れになった俺はただの置物以下です。それでも根性でゼンマイ巻いて一曲だけ唄いました。でも俺にとってこれが精一杯なんです。
神戸では俺は外様として振舞えます。常に女の子を横に置いておくようなこともできます。でもこっちでは絶対無理です。それは、やっぱ思うところがあるわけで。
問題なのは、電池切れの俺はコミュニケーションをとろうともしないことです。自分でもあきれます。最低です。もともと団体行動は好きではありませんが、最近はちょっと非道すぎます。
(中略)
どんどんしんどがりになってます。実際めちゃくちゃしんどいんです。逃げ出したくなるくらいしんどいんです。もちろんそんなことはいえるわけないのですが、でもやっぱりそういう雰囲気がでてるんでしょうね。
疲れました。疲れて疲れてしょうがないから絶対家で寝たかった。東京駅から歩いてでも家に帰りたかった。
なさけないです。元気ならば無理矢理他人にあわすことぐらいできます。でもそんな体力なんかないんです。俺にできることといえば和を乱さず、2次会まで参加することぐらいなんです。それだけで限界なんです。

 
 例の日(Page1参照)以前なら絶対に芽生えなかった感覚を見事に書き記しています。
 しかし人間、ここまで一気に虚無的になるものか、と思えるほど虚無的ですな。
 
 

2003年4月8日
今日は、そうですね、2ちゃんねるについてでも書きましょうか。
俺が2ちゃんねるを本格的にみるようになったのは東京にきてからだと思う。(後略)

 
 この辺りから日記に「会社での出来事」がほぼ登場しなくなり、ということは本来の意味で日記と言えるようなことを書いてるのは休日のみ。
 で、平日はというと、こんな感じで日々の記録とはまるで関係のないことばかり書いています。
 だから先ほど書いたように「2003年日記こそYabuniraの原型」と言い切れるのです。
 
 

2003年4月20日
昼起床。ほとんど何もやる気がおきず、ベッドの中でダラダラする。昼メシくらいは食わにゃと外へでるが、小雨のせいか半袖ではうすら寒い。
今半デリカで弁当を買い、千葉ロッテVSオリックスをダラダラみる。どうにもしまりのない試合で、中島そのみ風にいうと「クリームの入ってないシュークリーム」みたいだ。
つまらないテレビをみているうちに眠くなり、16時くらいから2時間程昼寝。目が覚め、なんとなく渋谷に行く事にする。
ダイソーでベルトを買い、ムルギーでカレーを食っておしまい。滞在時間わずか1時間。もう渋谷には俺の興味を惹く店がほとんどないように感じる。
帰宅後、部屋の模様替えを実行にうつせないほどダラけきった自分がいる。もうどうしようもない。しかし冬服と春夏服を入れ替えないとどうにも不便だし、きのう洗濯した衣類も片さなきゃいけないので、無理矢理重い腰をあげる。形容ではなく本当に腰が重いのがなさけない。
模様替え、それなりに成功。あとは空いたスペースにソファーを置きたい。しかしただでさえ狭い部屋にソファーを置こうなど狂気の沙汰かね。まぁ、ソファーはともかく、せめて落ち着きのある模様のラグマットがほしい。
今日はダラダラ度が高かった関係で、まさしくダラダラテレビをみていたが、どうしてこんなにつまらぬものか。しかも今日やっていた「噂の東京マガジン」(TBS)や「サンデースポーツ」(NHK)内の<アンカツ>(現注・騎手の安藤勝己のこと)のドキュメンタリーなどまだ良質なほうなのだ。
たとえば「行列のできる法律相談所」(日本テレビ)など、まぁみれなくもないが、ゴールデンにやるような番組ではないだろう。いくら面白くつくってあっても、程度の低い面白さにはかわりない。
俺は別にテレビになにひとつ期待などしていないのだ。必ずしも<知的好奇心をくすぐられる番組>であったり、<モラルのいきとどいた番組>であったりする必要はない。所詮2ちゃんねるに代表される<良識もへったくれもない>ネットとたいして変わらない存在だと認識している。
しかるにどうだ。俺にとって<2ちゃんねる>は面白いものであり、<テレビ>は非常につまらない。これは興味の対象がどうたらこうたらという問題ではなく、メディアの特性を活かしているかどうかの差だと思う。
何度もいうが、テレビの最大の特性は<生放送>なのだ。制作サイドは絶対滞りなく進行させる義務がある。しかし本当になんの滞りもなかったかのように<編集>してしまっては、テレビの魅力など皆無に等しい。誰がつくられたハプニングなど見たいと思いますか。どれだけつくっても本当のハプニングには逆立ちしてもかなわないのに。
なんかなぁ、この間漫画について書いた時もそんな結論になったが、漫画だけでなく、ゲームもテレビも<ソツ>がないものばかりじゃないか。あの時も書いたが、<つっこまれどころ>のないもの程つまらないものはないですよ。もう想像を絶するような完璧な作品ならともかく、そこそこのアイデアとそこそこの予算とそこそこの情熱で<ソツなく>つくられた作品(本当は作品などと呼ぶのさえもったいないが)のオンパレードじゃねぇ。ま、これはデザインにもいえることだが。(一応自戒)
なんでこんなことになっちゃったんだろうね。先週買った「東京人」を丹念に眺めたが、どう考えても日本文化が正常進化しているとは思えない。
もし、あの時代の続きで現在があったらな、と真剣に思う。橋本治も云っているように、あの時代は突然どっかへ行っちゃって、そしてあの時代とはまったく関係ない、現在につながる時代が始まった。
たとえば70年代の写真を見せられて、これが現在の30年前の姿です、といわれても説得力がある。しかしそれより前、60年代、というか昭和30年代までと、70年代がつながっているというのはあまりにも無理がある気がしてならない。
昭和43年生まれの俺には到底理解できないが、いったい俺の生まれた前後に何があったのか?
俺はモラリストでもなんでもないし、俺の10代後半の時代など最悪の時代だったと思うのだから、<俺の若い時分は・・・、それに比べて今の若者は・・・>なんていう気はさらさらない。だけれども、昭和30年代までのセンスやモラルの方が、本当の意味で健全であり、進歩的だと思うのだ。
無責任男は植木等が演じるから痛快なのであって、大半の人からは(もし実際にあんな人物がいればの話だが)顔をしかめられる存在であったはずだ。だからあの映画は輝いている。でももし今、植木等に相当するコメディアンが現れて、あの話であの役を演じても、話題にもならないのであろう。もう、本当にあの時代から現在を眺めれば、とんでもない狂った方向に時代がいっちゃってるんだから。
やっぱねぇ、文化そのものが老年期なんでしょうなぁ。一回間違った方向に走り出しちゃうと、誰にもとめることはできないから。だからね、もういっかい最初からやり直さないといけない時期なんだと思わざるをえないんですよ。

 
 この頃の虚無感と休日のヤル気のなさとそれに伴う空虚感、そして今のYabuniraにつながる「謎の上から目線のエラソー感」があまりにも露呈しているので、極力カットなしの長尺で引用してみました。
 しかし、言ってること、今と見事に変わんねぇな。
 
 一度整理しておきます。
 アタシがこの頃勤務していた会社を辞める決意をしたのが8月の半ばです。
 もし、本当に<未練>に相当する出来事があるとするなら、いくら仕事が辛くても8月半ば以降はあり得ない。と、思う。
 でも本当に、未練と思えるほどのことが4~7月にあったか?何とも自信はないけど、Page3に続く。







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