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複眼単眼・男女7人夏物語
FirstUPDATE2017.10.31
@Classic #複眼単眼 #東京 #1980年代 #テレビドラマ 明石家さんま 全2ページ 男女7人夏物語 男女7人秋物語 片岡鶴太郎 大竹しのぶ 奥田瑛二 池上季実子 賀来千香子 小川みどり 岩崎宏美 手塚理美 岡安由美子 山下真司 ロマンチックコメディ 女はそれを我慢できない ギャグ 鎌田敏夫

 1986年の製作当時から「合コン」という言葉自体はあったと思うけど、とにかく本エントリの主題である「男女7人夏物語」というドラマは、合コンで知り合ったアラサー(という言葉はもちろん製作当時はない)の男3人組と女4人組が織り成す恋物語です。

 しかし完全に「恋愛」だけにベクトルが向いているかというとそうでもなく、あきらかに視聴者に「青春の終焉期」を意識させるようにこしらえてあるのが特徴でした。
 ただ、アタシの見立てはちょっと違う。たしかに「恋愛」と「青春の終焉期」もテーマであったのは間違いないと思う。でもこの作品で作者がやりたかったのは「ちゃんとしたギャグが入ったロマンチックコメディ」だったのではないかという気がするんですよ。
 フランク・タシュリンが監督をつとめた「女はそれを我慢できない」という映画があります。1956年の作品で、一応ロマンチックコメディに分類されると思うけど、極めてコメディ要素の強く、一部に熱狂的な愛好者がいます。
 ロマンチックコメディというものに必ずしもギャグが必要なわけではなく、大抵の場合コメディの軽さ「だけ」を利用している場合が多い。
 それはけして悪いことではないんですが、「女はそれを我慢できない」もそうだし、ビリー・ワイルダーの「お熱いのがお好き」もそうで、意識的なギャグを大々的に挿入したロマンチックコメディも1950年代くらいまではずいぶん作られた。
 「男女7人夏物語」は主演が明石家さんま、そして大番頭的な役どころで片岡鶴太郎が出演している。さらにコメディセンスに長けた大竹しのぶがヒロインのドラマです。
 もう、この配役を見るだけで、勘違いの連鎖ような初歩的なギャグや、軽いノリ一辺倒の雰囲気ギャグではなく、「女はそれを我慢できない」的な本格的なギャグが挿入されたロマンチックコメディを作りたい、という意思があったとしか思えないんですよ。

 さてここで、いささか掟破りのことをしたいと思います。
 「男女7人夏物語」の前に、続編である「男女7人秋物語」の話から始めようかと。ま、順序が逆なのは百も承知だけど「秋物語」から話をした方がより「夏物語」の特異性が浮かび上がると思うからです。
 リアルタイムでの感想はともかく、今の目で見た場合、「男女7人秋物語」は完全な失敗作だとつくづく思った。何というか、「男女7人夏物語」の良さがことごとくなくなっているんですよね。

 続編を作るとなると基本3通りの方法があります。
 ひとつは出演者はほぼ変えず、文字通り物語の続きを語る、というやり方。ひとつは出演者の大部分を入れ替えてしまって続きを語るやり方。
 最後は、厳密には続編にはならないのですが、出演者は大筋変えないが物語の続きではなく「似た設定」の話を新たに演じさせる(わかりやすくいうなら映画の「若大将」や「社長」のようなシリーズ)、というものです。
 一番目の「出演者はそのまま、物語は続き」は「男女7人夏物語」が恋愛モノである限り不可能です。恋愛モノならば物語は「出会いから成就まで」と相場が決まっているからで、かといってまさか全員相手をシャッフルするわけにもいくまい。
 となると二番目が三番目しか選択肢がないんだけど、「男女7人夏物語」のラストが次作を予感させるものにしたせいもあってか、二番目、つまり「出演者大幅入れ替え、物語は続き」を選択するしかなかった。

 たしかにこうすることによって恋愛モノとしては成立する。しかし代償として「青春の終焉期」と「本格的なギャグが入ったロマンチックコメディ」といった「夏物語」の魅力がないがしろにされてしまっているのです。
 とくに新キャラクターと新設定の説明に話の大半をつぎ込んだ第一話の「やっちまった感」がハンパじゃない。
 「秋物語」の失敗の原因を挙げるとするなら「新キャラクターが揃いも揃って魅力がない」「新キャラクターの魅力のなさに引きずられて、続投したキャラクターも魅力が半減している」このふたつに尽きる。


 中でも山下真司が演じた高木と岡安由美子が演じたヒカルが酷い。ただただ視聴者をイライラさせるだけのキャラクターであり、一言で言えば「幼稚なキャラクター」としか表現しようがない。
 前作にあたる「男女7人夏物語」はアラサーたちの物語でした。今でこそアラサーと言えば、もしかしたら若者に分類されるのかもしれない。しかしこの当時は30歳前後といえば完全に大人の年齢であり、「本当は大人の年齢なのに、まだ青春の残骸を引きずっている」というのが新しかったんです。
 青春の残骸を引きずっているとはいえ、彼らは基本は大人です。だから「夏物語」のキャラクターから<幼稚>な言動は見られなかったし、その中で若干浮世離れした桃子(大竹しのぶ)が自然に、そして良い感じで浮き上がっていた。
 ところが「秋物語」の高木とヒカルは精神年齢が恐ろしく低い。もう、そうなった時点で「大人のドラマ」として成立しなくなってしまうわけでね。

 さんま演じる今井良介は「男女7人夏物語」から約10年前に、同じ脚本家(鎌田敏夫)によって作られた青春ドラマ「俺たちの旅」のカースケ、鶴太郎演じる貞九郎は同じく「俺たちの旅」のオメダの発展型でしょう。
 では高木はと言うと、これは「俺たちの朝」(「俺たちの旅」の後番組で同じく鎌田敏夫がメインライター)のオッスの発展型なんだろうけど、オッスは高木ほど無神経なキャラクターではないし、空気を読めないことはなかった。
 問題は何故高木をこんなキャラクターにしてしまったのかです。
 これは冒頭に書いた「ちゃんとしたギャグの入ったロマンチックコメディ」を標榜していた、という推理と無関係ではないと思う。
 「夏物語」の笑いのパートはほぼ「さんまと鶴太郎」「さんまと大竹しのぶ」によって演じられています。
 が、「秋物語」の展開を考えると、彼らだけに笑いを任せるわけにはいかない。何しろ彼らには「夏物語」という歴史があるわけです。その上を歩かなければいけない以上、どうしても言動が制限される。
 後述しますが、池上季実子や奥田瑛二といった「つっかえ棒」もないわけで、無闇に笑いを取りに行けば物語が崩壊してしまう。
 そこで、かどうかは知らない。とにかく高木の脳筋ぶりをデフォルメさせて「笑い」のパートを担わせようとしたのはあきらかです。

 しかしはっきりいえば、これがまったく笑えない。山下真司は上手くデフォルメして演じているんだけど、笑いの方向性が幼稚すぎて顔がこわばってしまうんですよ。
 正直「夏物語」で見られた、さんまと鶴太郎によるコントの呼吸をドラマに取り込んだ、いわばプロの笑いと、さんまと大竹しのぶによる、爆笑問題太田曰く「天才同士の会話」をまんま物語に組み込んだような笑いと比べると、高木の脳筋ぶりや空気の読めなさ、ヒカルの優柔不断な言動の笑いはあまりにも幼稚すぎて、結果としては「秋物語」から笑いが消えてしまったのです。

 しかも既存キャラクターへの悪影響も大きかった。
 「夏物語」での奥田瑛二的ポジションのキャラクターがいなくなったために、良介は野上(奥田瑛二)の担っていたことも賄うようになっており、貞九郎は新たなボケ役(=高木)が入ったために自身はツッコミになるしかなくなり、さらに「夏物語」での良介(と一部は千明(池上季実子))の役割まで担わなければならなくなってしまった。
 当然良介からは軽快さや余裕が消え、下衆な存在になってしまったし、貞九郎も持ち味であるダメっぷりを発揮している場合ではなくなってしまった。
 桃子にかんしてはもっとも変わり身が大きく、良介とのシーンはともかく、「夏物語」であった浮世離れ感がまるでなく、良くも悪くも普通の、年齢相応の女性になってしまっているんです。
 だいたい「秋物語」で桃子が普通にクルマの運転をしていることからして違和感がある。「夏物語」の桃子って一番免許をとっちゃいけないタイプだったのにね。

 これを言っては身も蓋もないけど、高木とヒカルは終始ドラマから悪い意味で浮いており、既存キャラクターへの悪影響も強く、不要な存在と言い切っていい。楽屋裏では山下真司の存在が大きかったというけど、それは受取手には関係ないことだし、そもそも山下真司のせいではない。単に演技だけでいえばむしろ好演しているんだから。
 個人的な意見をいうなら、高木とヒカルを抜いて、健ちゃん(柳葉敏郎)と波子(麻生祐未)で「7人」ということにした方が良かった気すらするわけで。

 「夏物語」の女性陣は「4人組」として登場しました。今でいうなら女子会的な会話の面白さがあって、非常に強い魅力になっていたのですが、桃子のみ再登場となるとどうしても4人組という形は取れない。
 ならば女性陣4人は最初の時点で全員が無関係の方が自然だったと思う。だいたい美樹(岩崎宏美)と一枝(手塚理美)が友人というのも不自然で(一応予備校の同級生という設定はあるとはいえ本編にはまったく活かされてないし)、これなら偶然知り合った女性4人が良介や貞九郎と知り合う展開の方が良かったと思う。

 新キャラクターに魅力がなく、既存キャラクターの魅力さえも削がれてしまった「秋物語」ですが、「夏物語」に比べると大幅にパワーダウンしているとはいえ、それでも「良介と貞九郎」もしくは「良介と桃子」といった既存キャラクターだけのシーンになると正直ホッとします。
 第六話になって初めて「貞九郎と桃子」のシーンが登場しますが、これは遅すぎる。シーン自体は新鮮で良いのに、タイミングとして遅すぎたために今更感が出てしまったのがあまりにももったいなかった。
 というか、良介、桃子、貞九郎以外のメンバーを入れ替えた時点で、もう「男女7人」ではない。続きを描くなとは言いませんが、それなら開き直って「良介と桃子だけに焦点を絞った物語」にするべきだった。タイトルは別に「男女7人秋物語」で良いんだからさ。
 良介、桃子、貞九郎は結果的にかもしれないけど「秋物語」でも続投したわけで、「夏物語」「秋物語」通じて「男女7人」という作品のメインキャラクターといっていいはずです。
 では後の4人は、というと、こちらは準メインキャラクターといえるのかもしれないけど、「夏物語」と「秋物語」ではあまりにも落差が大きい。
 人生を感じさせながらも徹底的に軽妙な「夏物語」と、すべての面で重く、とくに終盤になると暗い表情ばかりになる「秋物語」の一番の違いは、メインの3人が自由に動けたかどうかの差です。
 何故自由に動けたか、それは「夏物語」には千明(池上季実子)と野上(奥田瑛二)がいたからなんです。
 このふたりが恋愛関係に発展することがないのでわかりにくいんだけど、「夏物語」単体で考えるなら真の主人公は千明と野上といっても差し支えないと思う。

 これは演じる役者のキャリア、そして「秋物語」との比較で考えれば理解しやすい。
 さんまと鶴太郎の本職が役者でないのは言わずもがなですが、賀来千香子はまだこの時点ではキャリアが浅く、小川みどりに至ってはリポーターであり、芝居はズブの素人だった。(そのわりには善戦しているけど)
 こう見れば、男性側と女性側にひとりずつ「プロ」を配置しているのがわかる。
 もちろん大竹しのぶは天才女優と言われたような人なんだけど、女性側にそこそこキャリアの長い池上季実子がいるおかげで自身は自由に動けた。
 男性側でいえば奥田瑛二のおかげでさんまと鶴太郎が安心してコント紛いのシーンを演じることができたんです。

 「秋物語」ではこの図式が崩れている。
 山下真司も奥田瑛二と変わらないキャリアがあるのですが、山下真司演じる高木自身が無茶苦茶に引っ掻き回す役なので「芝居を回す」ことは出来ないし、女性側でいえば演技にかんしては素人同然の岩崎宏美と岡安由美子を引っ張るのはプロである(といってもキャリアは浅い)手塚理美しかあり得ない。が、これまた徹底的な引っ掻き回し役なので、どうすることも出来ない。
 そう考えると「秋物語」には、奥田瑛二に相当する役者は役どころまで考慮すると誰もおらず、池上季実子に相当する役を素人同然の岩崎宏美が担わなければならないというのは、いくらなんでも荷が重すぎる。

 素人同然の人を役者として使うなとは言わない。アタシはどちらかといえば賛成派です。
 昨今朝ドラでさえそうではなくなってきてるけど、オーディションで主役を選ぶのはかつては通例だった。でも普通はドラマ出演経験がほとんどない女優を主役にさせるなんて難しいと思われているはずです。
 それでもちゃんと、終わってみればほとんどの場合、キチンとコナした、という印象になるのは周りの役者をガチガチすぎるくらい固めているからなんです。
 いやね、むしろどこかに素人を当てはめるなら脇役や端役よりも主役の方がいいんです。
 一番難しいのが「劇中の中心人物を支える脇役」で、これは経験豊富なプロでないと到底務まらない。
 「秋物語」はその一番難しい役回りを岩崎宏美に任せようとした。岩崎宏美は器用な人で本業の歌手以外にもコントもトークも出来る人なんだけど、さすがに「同じく素人の岡安由美子をフォローしながら引っ掻き回し役の手塚理美を諌め、なおかつ(直接的ではないにしろ)大竹しのぶと敵対する」なんて無理に決まっている。

 その点「夏物語」の池上季実子はそういうことが出来るだけの能力も経験もあったわけですが、もうひとつ、岩崎宏美が逆立ちしても池上季実子に敵わないことがあるのですが、ここでPage2に続く。