オッサンの恋バナとか誰が興味あるんや |
まあまあ。そんなこと言うたらお父ちゃんも恋バナ喋りたがるやん |
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アホ、ワシの恋バナは興味あるやろ |
まあそうかもな。何しろハルウララ並みの恋愛成績やから。そらみんな注目もするわ |
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ハルウララと一緒にすな!もしハルウララみたいに1勝も出来んかったらお前生まれてへんやろ。というか何でお前のトシでハルウララ知ってるねん。もうWikipedia全頼りはやめとけ |
Wikipediaどっぷりのお父ちゃんには言われたないわ! |
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◇ 2003年7月
7月1日 | 【出勤】 |
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7月2日 | 【出勤?】 |
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7月3日 | 【出勤】 |
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7月4日 | 【出勤】 |
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7月5日 | 【出勤(15時迄)】ドカベン愛蔵版全巻セット(一巻欠品、2,000円)購入 |
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7月6日 | 【休み】昼過ぎまで寝る→有楽町(→ソフマップ→ビック)→日本橋(→おはら(おそらく現存せず、昼食))→人形町(→オリパ) |
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7月7日 | 【出勤】 |
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7月8日 | 【出勤】制作チームで飲み会(10,000円の出費) |
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7月9日 | 【出勤】 |
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7月20日 | 【休み】都営新宿線→京王線→芦花公園(→世田谷文学館)→新宿→神保町(フータくん購入)→海浜幕張駅(→マリンスタジアム)→八丁堀→帰宅 |
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7月26日 | 【休み】秋葉原(BSチューナー物色、あんまり記憶にないけど、たしか東京ラジオデパートには行った気がする) |
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7月28日 | 【出勤】 |
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まずは恋バナの顛末から書いていきます。
とにかくアタシは「H」という子に熱を上げていたわけなんですが、こう言ったらアレだけど、アタシも当時はわりとソッチ方面の自信はあったんですよ。
2003年から遡ること6年、当時アタシはクラブで働きながら音楽活動とやらをしていたのですが、この時に「遊び方」を覚えた。ま、「オトし方」を覚えたと言い換えてもいい。
もちろんハナから無理なこともあるんだけど、というかそっちが大半なんだけど、逆に「これはもらった!」となったらほぼ確実に仕留めることが出来る、そういう自信があったんです。
ってこれじゃ「熱い!ヤバい!間違いない!」でお馴染みのスーフリと一緒みたいだな。当たり前だけどあんな犯罪めいたことは一度もしたことはない。ま、でも、多少の畜生度はあったかな。当時の御婦人方、ごめぇんね!4千円も使っちゃった!
ただ、ことH(=この時狙っていた子)に限るなら、マジでイケるともダメともわからなかった。
会話の盛り上がり方とかは間違いなく「イケる」の<ソレ>なのですが、どうも本心が見えないというか、イジワルというか、もうちょっと後の言葉で言えばただの「ツンデレ」なのか、それともそこまでの<気>がないのか、なかなか掴めなかったのです。
一見普通の子なんだけど、今思えばHはかなり変わった子だったような気がする。それも相当深くまで探ってみないと変わってるのかどうかわからないというね。
結果から言うなら、イマイチ本心がわからないまま告って玉砕したのですが、正直こういうケースは初めてだった。
いやフラれたのが初めてじゃないですよ。んなもんいくらでもある。でもこれ以前はすべてダメ元で行っての玉砕だったので、そりゃハッピーなわけはないんだけど、わりと納得出来たんです。
しかし完全に五分五分、ということは「上手くいかないことも十分に想定出来る」とも言えるんだけど、アタシの中でショックだったのは「エラそうに言ってもぜんぜんオンナゴコロとか掴めないじゃん」というね、いわば自信が木っ端微塵に打ち砕かれたことが何よりショックだった。
この件以降、アタシはかなり女性にたいして臆病になったと思う。ま、まさかそのせいでこのトシまで独身とは夢にも思わなかったけどさ。
とにかく、日記の更新が途絶えた10日から19日の間に失恋してね、何だか恥ずかしくなってきて、もう日記も止めようとさえ思ったんです。
ほんで7月20日の日記です。
・前2週間分は空白のままとする
・さらにその前の2週間分も削除しない
この2点を実行するとのもとで。
ま、今となってはHとのことを書き記した日記を削除しなくて正解ですな。ただせっかくなら何日に告ったか記録して欲しかった。
あとは、そうだなぁ。20日かな。
世田谷文学館に行った話ではなく、この日発見した驚愕の資料についてはココに書きましたし、その後行ったマリンスタジアムの話はかなり掻い摘んでるとはいえココに書いたんでね。
ま、今さら補足はないかな。
え!?8月分ってマジこれだけなんか?何かメチャクチャ少なない? |
ようわからんけど日記が消えたらしいで |
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ホンマか?自分で消したんちゃうんか |
お父ちゃん<ギシンアンキ>でも飲んだんか? |
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キョトキョト・・・ |
の、の、・・・び太・・・? |
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◇ 2003年8月
8月9日 | 【出勤(15時迄)】帰宅→浅草(→浅草東宝(長さんがんばれ特集(後述))) |
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8月10日 | 【休み】秋葉原(昼過ぎ、→スーパーポテト(後述)) |
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おお、たった2日分しかない!
これは10月になって当時使っていた、というか日記を執筆していたJornada568というPDAが突然のハードリセットがかかり全データが消えたためで、バックアップを取ってなかった8月11日から8月31日まで(と9月22日から30日まで)の日記が消えてしまったのです。
だから所長に辞意を伝えたと思われる8月20日前後の記録がない。ま、これは「何気ない日常」を書くエントリなんで別にいいんだけど。
だからたしかにたった2日間なんですが、どちらも補足したいと思える行動をしています。
まずは浅草東宝のオールナイトなんですが、もしかしたら「長さんがんばれ」という言葉に引っ掛かりがあるかもしれません。
2003年5月、いかりや長介は頸部リンパ節癌で入院し、7月に退院はしたものの療養中だったんです。だからこういうタイトルを付けたんだろうな、という。
少し時間が飛びますが、いかりや長介の病状について、アタシはこんなことを書いている。
当時、いかりや長介は伊藤蘭(言うまでもなく元キャンディーズ)とのコンビで「人生の楽園」という番組のナレーターをやっており、しかし入院及び療養中は当然のことながら代役を立てて収録されていました。
正確に何月何日の放送分から、というのは憶えてないのですが、とにかく療養を終えた(と思われた)いかりや長介はこの頃に番組に復帰したのです。
正直、病気になる以前からいかりや長介の喋り方や声は全盛期とはちょっと違っていたんだけど、もうこの時点においては「ちょっと」というレベルではなかった。というか容易に「重篤な<何か>がある」と思わされた。
そりゃ悲しくなるのも当然というか。
話を戻しますが、この日浅草東宝で上映されたのは
・起きて転んでまた起きて(渡辺プロ・東宝配給、1971年12月31日公開、前田陽一監督、堺正章・なべおさみ主演)
・喜劇 右むけェ左!(渡辺プロ・東宝配給、1970年12月31日公開、前田陽一監督、犬塚弘・堺正章・なべおさみ主演)
・喜劇 昨日の敵は今日も敵(渡辺プロ・東宝配給、1971年4月29日公開、前田陽一監督、堺正章・なべおさみ主演)
・ドリフターズですよ!冒険冒険また冒険(東宝・渡辺プロ、1968年9月21日公開、和田嘉訓監督、ザ・ドリフターズ主演)
ただ通例、浅草東宝は5本立てなので、もしかしたらもう一本あったのかもしれない。というのもココで書いた通り、当時のアタシは浅草東宝のオールナイトの5本目は<あえて>見ずに帰る、とかよくわからないことをしていたからね。
というかこれまた偶然にも怪我で療養中で出番が少なかった「冒険冒険」を含めて、あんまりいかりや長介特集って感じじゃないな。最初の3本なんか完全なコメディリリーフだし。
つかこれ、前田陽一特集だよな。アタシはこの回のオールナイトに行ったことで前田陽一にハマったわけで。あ、前田陽一の話はココに書いてます。
もうひとつ、スーパーポテトは今でもちゃんと現存してます。せっかくなんで興奮冷めやらぬ日記の引用をば。
かなりの<マイコン用ソフト>がパッケージ有状態で販売されている。「デゼニランド」だ!(X1版だが、当然持っていたのはMZ-1500版)「ロードランナー」だ!(このPC版の小ぶりなパッケージにあこがれたんだよな。ちなみにシステムソフトの住所は渡辺通り(現注・福岡の地名)になっていた)「ヴォルガード」だ!(あたまに<合体>とあったのはMSX版だからか?)
※現注・たぶん「◯◯だ!△△だ!□□だ!」ってのは「ヤンマだアゲハだマメゾウだ」(「ミクロイドS」の主題歌)のパロディなんでしょうな
そしてあの「タイニーゼビウス」まで!何!?いったい何なのよ!あまりの凄さに(はっきりいってここに書ききれないくらいの思い出の一品揃い)店外へでてもしばらくは放心状態。ひとりだから無理矢理我慢したが、連れがいたら歓喜の声を何度もあげていただろう。
ついこないだもこのエントリを書くために久々に行ったんだけど、もう8ビットマイコン関連のソフトはほとんどないね。秋葉原だったらBeepとかの方が圧倒的に多いし、何だか外国人の姿ばかり目について、かなりイメージが変わってた。
2003年9月言うたら「阪神タイガース18年ぶりの優勝」やろ?楽しみなぁ |
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いやそれは「星の去る音」っちゅうエントリで書いてるからオミットや |
そんなん多少重複しても構へんやん!野球の話書けや! |
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ほんならワシが野球オモシロ小咄したろ |
だいたい自分で<オモシロ>とか言う話で面白かった試しないんやけどな。まあええわ。聞いたるわ |
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偉そうにいいないな。とにかくやな、この年の阪神は優勝間際でかなり足踏みしとってな、とにかく打線が繋がらんようになってもうたんや。そこで特命コーチやったオマリーが田淵チーフ打撃コーチに打順の変更を打診したんや |
ふんふん |
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これが驚きの打順で、何と4番を打ってた桧山進次郎をトップバッターにしよう、というな。正直田淵はあんまり乗り気やなかったけど、そこまでオマリーが言うなら、とほんならコーチ会議の時に言うてみい、ということになったわけや |
それからそれから? |
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ところがや、コーチ会議が始まってもオマリーは何も言わん。田淵もオマリーから話があるように持っていこうとするんやけどオマリーは口を閉ざしたままや。そこで星野仙一監督が業を煮やして「何やオマリー、話があるんやったら言わんか」と言い出した。そこで意を決したオマリーがスクッと立ち上がり、こう叫んだ |
うん! |
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・・・アカン、このオチは言われへん |
いやオチってホンマの話なんやろ? |
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そんなわけあるか。最初に言うたやろ。これはオモシロ<小咄>やって |
◇ 2003年9月
9月1日 | 【出勤?】新宿(→TSUTAYA) |
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9月2日 | 【出勤?】 |
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9月3日 | 【出勤?】 |
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9月4日 | 【休み(体調不良のため)】 |
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9月5日 | 【出勤】 |
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9月7日 | 【休み】部屋でダラダラ |
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9月8日 | 【出勤】新宿(→ビックカメラ) |
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9月9日 | 【出勤】 |
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9月10日 | 【出勤】新宿(→TSUTAYA) |
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9月11日 | 【出勤?】スカパー開通 |
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9月12日 | 【出勤】予算達成会(場所不明) |
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9月14日 | 【休み】秋葉原(BSチューナー物色、→石丸CD館)→人形町(→ピスモ?で「南の島に住みたい!」1500円購入) |
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9月15日 | 【敬老の日(休み)】阪神タイガース18年ぶりのリーグ優勝(後述) |
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9月16日 | 【出勤?】 |
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9月17日 | 【出勤】阪神優勝記念雑誌800円購入 |
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9月18日 | 【出勤】サイト名を「やぶにらみJAPAN」に決定 |
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9月19日 | 【出勤?】 |
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9月20日 | 【休み】秋葉原 |
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9月21日 | 【休み】永田町→千川(→モスバーガー)→帰宅 |
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正直9月以降の日記は「何気ない日常」とは言い難い。
会社を辞めるのが決定しているし、奄美大島に移住を希望していたので日記もそんな話ばっかりです。あ、奄美大島移住計画の話はココね。
ついでに言えば阪神タイガース18年ぶりの優勝の話はココ。それからさらに20年後の2023年、再び阪神が優勝した2023年版はココに置いてますが、わざわざリンクを飛んでもらうのも忍びないので、「自分はこんな状況の時に優勝したんだよ」ってのを書いたところだけを引用しておく。
・東京都中央区在住
・株式会社△△制作部デザイン室室長。但し1ヶ月後に退社が決定している
・彼女なし歴もうすぐ1年
・ここんとこずっとハマっているもの=PDA、笠置シズ子、山口瞳
・極最近ハマっているもの=川畑文子、前田陽一、初芝(千葉ロッテ)
・パソコン=なし(一応4400というボロMacあり、会社ではPowerMacG4)+hpジョルナダ568
・好きなドリンク=DAKARA(サントリー)
・携帯電話=SO505i+PinFree1P(CFタイプPHS)
・タバコ=ハイライト(270円)
2023年版
・東京都◯◯区(東の方、とだけ言っておきます)在住
・仕事=フリーランスのグラフィックデザイナー&副業でチョロチョロ
・虎テレに最近加入した
・ここんところずっとハマッてるもの=戦前モダニズム、街歩き
・ごく最近ハマってるもの=ゲーム老人チャンネルとカコ鉄のYouTubeを見ること、犬系彼女の真似(ごめぇんね)
・一番脳内を占めるもの=SurfaceProを買い替えるかどうか、・どのタイミングで神戸に一時帰省するか
・パソコン=2013年に作った自作パソコン、VAIO、MacBookAir、SurfacePro4
・モバイル機器=Xperia10III、Pixel3
・好きなアイス=パピコホワイトサワー味、チョコバッキー(2023年現在とくに好んで飲んでるドリンクがないのでアイスに変えた)
・タバコ=CAMEL CRAFT14(430円)、HERO RED(500円)
まァね、2003年9月となると結局は阪神優勝がメインになるんだけど、じゃあ他に何も書くことがないのか、というと、そんなことはない。
具体的には
・デジもの、野球、サブカルチュアといったジャンル別のコラム
・BBS類は設置しない(フリーのメールアドレス掲載)
・一切宣伝しない。知り合いと偶然知った人が見てくれればよい
・あんまり凝ったことはしない
・会社在籍中に骨子だけでも完成させたい
とにかく根がめんどくさがりなので、PDAからでも更新できるくらい簡素なもんにしておかないと絶対続かないに決まってる。(2003年9月18日の日記より)
何しろこのエントリは「Yabunira20周年記念」エントリなんだから、サイトの<興り>とでもいうのでしょうか、それは書かないと何のためのエントリだって話ですからね。
てなわけで、ここからは「何気ない日常」からはかなり逸れるけど、とにかく「サイト開設までの道のり」をしっかり書いていきます。
そもそもアタシが、当時の言い方で言えばホームページを作ろうと思い始めたのはたしか2001年とかだったと思う。
ただし当時は、まァここまでの日々の行動を見ていただけたらわかる通り、とにかくメチャクチャに忙しい会社で働いており、とてもじゃないけどそんなことをする余裕がなかったのです。
さらにいえば、アタシはHTMLのイロハすらわかってなかった。
これは説明がいるのかもしれませんが、2003年くらいから徐々に「ブログサービス」なるものが登場し、やがてミクシィなどのSNSも出てくることになる、というような時代です。
要するに、ホームページなんてものを作りたければ、もうそれは「HTMLをマスターして、サーバーを用意して、つまり自分で1から10までやんなきゃいけなかった」のです。
ただ文章を書き連ねるだけなら何とかなるかもしれないけど、自分で全部お膳立てしなきゃいけないとか、どう考えても時間的に不可能だな、とペンディングしておったわけで。
ある時名案、いやアタシだけが名案だと思ってるレベルだけど、ふと閃いた。
ここまで何度か名前を出した友人のEがやってるホームページを「間借り」できないだろうか、という、実に図々しい「やり方」です。
これならウェブにかんする知識や実制作はEに丸投げできる。アタシはただ単に文章さえ書けば良い、というムシの良さ。
これ、意外にもEはあっさり了承してくれた。それはそれで面白いんじゃないの?と。
しかし結局アタシはこの案を実現させることはありませんでした。理由?これが憶えてないんだよね。意見の相違とかじゃなかったと思うけど、たぶんアタシがあまりにも忙しすぎて、文章すら書く暇がなかったんだと思う。
いや、もっと正直にいえば、この頃はまだ文章を書くことに慣れてなかった。
今のようにちゃっちゃと書く、みたいなね、何といえばいいのか、多少雑でも素早く文章を仕上げるみたいなのに慣れてなかったんです。
どっちにしろ、間借りってのはそこまで良いことじゃない。向こうからしても邪魔だろうし、アタシからしても自分の好きなようには出来ない。たかが趣味で思うように出来ないって、こんな辛いことはありませんから。
しかしここで転機がおとずれます。
たしか2002年の秋くらいだったと思うけど、所長から「会社のホームページを作れ」と命令されたのです。
しかしここまで書いた通り、当時のアタシはウェブの「仕組み」すらわかってないレベルで、しかもグラフィックデザイナーという日々の業務をこなしながら、です。いくらなんでも、それは無理すぎるよ。
しかしいつまで経ってもホームページが出来ないことに業を煮やした所長は「通常業務は他の人間に全部任せろ。お前はホームページが完成するまでウェブだけをやれ」とのお達しがきた。
こうなってはしょうがない。もうやるしかない
そうは言っても自分の仕事を簡単に部下に振れるわけもなく、「このクライアントはこういう傾向があって」とか「こういうデザインならオッケーをもらいやすい」とか、いちいち指示&指導をしていかなきゃいけないわけで、仮に自分が手を下さなくても相当の時間を取られる。いや自分でやった方がよっぽど速い。
しかもせっかく仕込んだ部下が辞めたりして、なかなか目論見通りには進みまない。
何とか自分のやってた仕事のうち実制作のみを部下に振ることが出来たのは、年が明けてから、つまり2003年に入ってからです。
ま、こうなればこっちのものというか、会社から給料をもらいながらウェブの勉強が出来るようになった。
教本なんかは会社の経費で買えるし、トライ&エラーも、もちろん業務時間中に出来る。気持ち的にはラクにはなったんだけど、周りからは何故か大変そうだと思われたみたいで。いやいや、こんなありがたいことはないのに。
そんな感じだったにもかかわらず、どうしてもウェブの仕組みがわからない。
ところが不思議なもので、ある日、突然理解出来た。理由はさっぱりわからないし、たしか業務時間以外だったと思うけど、あ、そういうことね、と。
こうなりゃシメたものです。後は作るだけ。しかも極めて簡素とはいえ、何とFLASHまで使った。HTMLどころかウェブの仕組みすらわからなかった人間が、「きっかけ」だけで一足跳びにFLASHまで行ってしまうのは、これこそ昔取った杵柄ってヤツですかね。
ああ、マイコン少年で良かった。←半年くらいぜんぜんわからなかったクセに
社内の評判はおおむね好意的だったと思う。まぁ所詮は素人仕事ですが、努力を買ってくれたんですかね。実際頑張ったし。(2003年2月5日の日記より)
公開日が2月5日になったのは、所長から「どうしてもこの日に出す求人誌に間に合わせてくれ」とのお達しがあったので、無理に完成させたのです。
お世辞にも良い出来とはいえないまでも、そこまで恥ずかしいものにはならなかった記憶がある。ま、一応デザイナーだったんでね。見た目のゴマカシのテクニックはありましたから。
とにもかくにも、曲がりなりにも会社のホームページを作ることによって、アタシはウェブ制作の初歩的な知識を手に入れることが出来た。こうなりゃ、いつでも個人のホームページくらい出来るぞ!
・・・そんなわけはなかった。会社のホームページが完成した以上、アタシの業務も通常通りに戻るわけで、あいも変わらず自分のホームページとか、作っている時間なんかない。
時間がないだけじゃなくて、心境の変化もあった。
そもそもアタシが自分のホームページを作りたいと思ったきっかけは、カネにはならなくても自分の書いた文章を見知らぬ人たちに読んでもらいたい、というのが出発点でした。
ところが会社のホームページを作るうちに、デザインチック且つヘンテコなホームページを作りたくなってしまった。
2003年といえば、まだかすかにインターネット黎明期の匂いを残しており、ヘンテコで面白いサイトがいろいろあってね。
マネーパワーでどうこうではなく、とにかくアイデアと手を凝らして、何とか奇抜なページを作ろうと躍起になってるサイトが結構あったんです。
↑な感じで、参考のためにいろいろ見て回ったんだけど、これ、会社のホームページにはふさわしくないけど、個人のホームページとしてならアリ、みたいな。さらに自分ならこういうやり方をするな、みたいなアイデアもいろいろ浮かんでね。
じゃあ、それを形にしてみたいと。つまりこの時点で「不特定多数の人に自分の文章を読んでもらいたい」というのはどっかにすっ飛んでしまっていたんです。
そんな感じでPage4に続く。
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