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懐かしさの正体
FirstUPDATE2021.7.11
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 スタートラインが重要なのは「今あるアレの最初はこんな感じだった」ってのを見せることに他ならない、というようなことをPage1で書いていきましたが、もう少し掘り下げてみます。

 1999年はインターネット最初の年ではないけど、iモード最初の年ではあるわけです。ま、これは誰がなんといおうとiモードの存在がインターネットを身近にしたと思うし、それまで「名前は聞いたことはあるけど、触ったこともない」という普通の人が初めてインターネットの利便性に気づいたってことで言えば、アタシはインターネット最初の年と言い切ってもいいような気がするんです。
 iモードってメールはたった250文字しか送受信出来なかったし、コンテンツもまだまだ少なかった。パソコンでのネット環境も当時はまだナローバンド、というかモデムのあの「ピー!バリバリバリ!」っていう音に郷愁をおぼえるのは当然なんです。

 ここまで懐かしさをおぼえる重要ポイントとして「それ自体は今はないけど、その進化形は世の中を席巻している、その黎明期の姿を見せる」ことだと書いてきました。
 それだけではまだ不十分です。その程度ではまだ対象が狭すぎる。しかし下手に広げてしまうと今度は個人的体験からどんどん外れてしまうっつージレンマが出てしまう。
 ま、ここからはより慎重に話を進めます。

 「大ヒットした曲よりも、仮に売上はそこそこあってもその第二弾第三弾の方が懐かしい」というのがアタシの考えですが、大ヒットした曲って、意外とっつーか実はぜんぜん懐かしくないんですよ。
 例えばトム・ジョーンズの「恋はメキメキ」なんかをいったいどれくらいの人が懐かしいと思うかって話です。
 この楽曲、幾度となくCMで使われてるし、そうでなくても普通にテレビを見てるだけでも聴く機会が頻繁にある。そうなるとどんどん「いつ、どんな状況の時に聴いてたか」っていうのが曖昧になって、初めて聴いた時の記憶と合致しなくなっていくんです。
 アタシにとってはね、本来ならタイマーズの(モンキーズの、ではなく)「デイ・ドリーム・ビリバー」とか大学時代に初めて聴いたので懐かしい音楽になってもおかしくなかったのです。
 でもさすがにそれはもう無理。セブンイレブンのCMソングになって、あれだけ頻繁に聴かされちゃあ、懐かしいもクソもなくなる。
 「恋はメキメキ」にしろ「デイ・ドリーム・ビリバー」にしろ、言い方を変えれば「時代を超えた名曲」と言えるのかもしれません。しかし時代を超えられると懐かしさからどんどん外れてしまう。
 いわば時代超えは懐かしさの天敵である、とさえ言えるっつーか。

 いやね、仮に時代を超えたものでなくても、んで音楽でなくても、大ヒットしたものって後々鑑みられるケースが多い。つまり記憶の上書きがなされるチャンスが頻繁にあるってことであり、アレ=あの時代、となりづらいんですよ。
 まァ書かないでもわかると思ったからあえて書かなかったけど、どれだけ記憶を喚起させてくれるかです。もちろん人によってまったく違うものであり、同じモノを見ても同じことが思い出されるなんてあり得ない。
 音楽とかは、まァいや<きっかけ>に過ぎない。その<きっかけ>で何を思い出すのかではなく、個人的な、記憶の片隅にあるようなことが引っ張り出される。それが重要なんです。
 となると如何に記憶の上塗りがなされなかったか、つまり追体験の機会がなかったかを重点的に考える必要がある。
 もちろんね、本当に気に入ったものは誰しも積極的な追体験を試みる。同じ映画を繰り返し見たり、音楽アルバムをエンドレスでリピート再生したり。んなことは当たり前です。
 それを考えると、懐かしさを呼び起こすためには「そんなに気に入ってたわけじゃない」ってのが必要なファクターだということになる。少なくとも長期に渡って追体験しようと思わないレベルには。

 ただし今の時代、そんなに気に入ってなかった、しかも頭の片隅にある程度のことで懐かしさを喚起させるのが難しくなってるとは思うんです。
 言うまでもないけど、インターネットで検索が出来るからで、そうなると例えばたいして面白いと思ってなかったけど何となく見ていたドラマ、とかでも、たちどころにキャストや役名、サブタイトルなんかが一気にわかる。
 昔だと「おれは男だ!の志垣太郎、面白かったよね!」なんて話で盛り上がれたけど、今なら検索してWikipediaを見るだけで「志垣太郎が出ていたのは28話から31話までだな」とわかってしまう。これでは懐かし話で盛り上がるなんて不可能に近い。
 それってそういう会話が不可能になっただけじゃ、と思われるかもしれないけど、やがて「志垣太郎で盛り上がった」ってのも思い出になるんです。となると思い出のチャンスをひとつ失うことになる。
 インターネットなんてものが出来たばっかりに、全部が自己完結になりすぎて、懐かしさが限定的になりすぎたんじゃないかと。

 もうひとつ、懐かしさの正体は「曖昧さ」なんです。
 正確に、データとしておぼえていることは懐かしの対象にはならない。ボヤーっと、ギリギリおぼえていることを呼び起こされるからこそ懐かしいって思える。
 アタシが最初に「水曜どうでしょう」を見たのは2004年だけど、その後何度となく繰り返し見ているから、もう「水曜どうでしょう」に懐かしさなんて微塵もない。
 何度も追体験をすれば、当たり前だけど細かなシーンまで脳にインプットされる。「次のサイコロの目はアレで、んで○○に乗って△△に行くハメになる」とかわかっている。
 わかってて面白いか面白くなくなるかはこの際問題ではない。しかしそれこそ田鎖レベルで(←ってどうでしょうを知らない人からすればイミフだろうけど)詳細まで記憶していれば、いくら映像を見せられても懐かしいなんてなるわけがないんです。
 たぶん歌が一番わかりやすいと思うけど、懐かしいと思える楽曲って軒並みメロディも歌詞も<あやふや>なはずです。

 ってここまで読んでいただいて、さっきから何を当たり前のことばかり書いてるんだ、と思われる方も多いと思います。つかアタシ自身も心配になってる。こんなんでいいのか、と。
 ただここまでは長い長い前フリ。どれだけ前フリが長いんだって話ですが、いよいよ核心に触れていきます。

 記憶が喚起されるには必ず<トリガー>ってものがあります。それが特定の音楽だったり映画だったり、はたまたブツだったりするわけで、実はここまで書いてきたのは全部<トリガー>の話です。

 アタシは「時代のスタートラインとも言える年のことの方が懐かしさをおぼえやすい」と書いてきましたが、実はこっちは本当は「懐かしさ」とはちょっと違う気がするんですよ。
 いや、これこそ極めて混同しやすいものだと思うんだけど、どっちかって言うと「知的好奇心」の方が近いんじゃないかと。
 「今ある○○の黎明期の姿」って、非常に面白いんです。つかアタシはそっちの話の方が好きです。
 それこそパソコン黎明期の話(はココ)、スマホ(モバイルガジェット)黎明期の話(はココ)、テレビ黎明期の話(はココ)、プロ野球黎明期の話(はココ)、日本における音楽喜劇の黎明期の話(はココ)など、思い起こせばそんなことばっかり書いてきたのも、それほど個人的に興味を惹かれたからです。

 ただこれは、現今良い呼称がない。知的好奇心では曖昧すぎるし、実は懐かしさとも違うんだけど、ま、懐かしいの範疇に入れていいんじゃね?みたいになってるっつーか。
 いやね、ブームとして成立させるためには、「今ある○○の黎明期の姿を見せる」ってのはメチャクチャ重要なんです。つまり「当時のことを詳細におぼえている人」だけではあまりにもパイが小さい。それでは絶対にブームと呼べるほどの規模にはなりっこないんです。
 だから「今ある○○の黎明期の姿」を見せて知的好奇心をかきたてる。映画「三丁目の夕日」はハードウェアとソフトウェアの両面からテレビジョン快進撃の最初の年である1958年を時代設定にすることで成功した。

 あの映画は本当はソフトウェア側、つまりもっと長嶋茂雄にスポットを当てるべきだった。でも逆に言えばそれが出来なかった、またはそこまで思いを馳せていなかったから、アタシは意識的に1958年にしたわけではない、と判断したんです。
 映画「三丁目の夕日」は残念ながら知的好奇心をくすぐる材料はほとんど入っていない。かといって<トリガー>もなかった。正直東京タワーとか駄菓子屋ではトリガーにはなれない。
 だからこそあの映画は1958年と設定したこと以外全部が中途半端なんだけど、ヒットさせたってのはプロデューサーの読みが正しかったんだろうと思う。上手く時代を読み切ったというべきか。

 さてアタシはPage1に「網羅的に時代を振り返ったもので懐かしさを覚えたことは一度もない」と書きました。
 網羅的ってことはひとつひとつを深く掘り下げでいるわけではない。いわば大ヒットしたものの羅列です。
 しかし大ヒットしたものは記憶の上書きがなされるケースが多く、また自己で追体験した可能性も高い。そうなるとどうしてもトリガーにはなり得ないんです。
 時代と完璧に引っ付いた、その後鑑みられることもなく、多くの人が追体験するわけでもない。大多数の人にとって記憶が曖昧になってることこそトリガーになれるのですが、実はここにもうひとつのヒントがあると思うわけで。

 記憶が曖昧になる理由として、時間の経過が語られがちだけど、もうひとつ、脳の劣化も大きく作用しているはずです。
 老人と呼ばれる年齢の人にとって、50年、60年も前のモノって「時間が経ったから記憶が曖昧になった」というよりは「脳の劣化で詳細を忘れてしまった」ことの方が多いように思うんですよ。
 もちろん頭脳明晰な老人なんていくらでもいるし、別にアタシは老人を馬鹿にしてるわけじゃない。つかアタシ自身どっちかっていうと老人寄りの年齢だし。
 でも本当に強烈なことや本当に好きなこと以外、つまり「たいして興味があるわけじゃないけど、何故か詳細におぼえている」という若者にとっては当たり前のことがトシを取ると難しくなっていく。
 そうなるとどうなるか。ま、書かなくてもわかると思うけど、どんどん<トリガー>が増えていくんです。

 いわば曖昧になることが増えるにつれトリガーも増える。すると「懐かしい」と思うシーンがやたらに増えるってことになる。
 よく「年寄りは昔の話ばかりをしたがる」と言いますが、トリガーがあまりにも多いから=昔のことをどんどん思い出すから、吐き出さないとキツくなるんだと思う。
 嫌な言い方をすれば「幼児がおぼえたての言葉をやたら口にしたがる」のに似てるのかもしれない。けど幼児はそうやってその言葉を記憶を定着させていくように、老人もまた、思い出を確認することによって「走馬燈の粗編集をしている」かもしれないんです。

 そうこう考えると、もしかしたら「懐かしい」って感情は死への準備運動なのかもしれない。
 若い頃はまだ死まで時間があるからそこまで準備は必要ない。まァせいぜい予行演習くらいの感じで十分だし、そもそもトリガーが少ないのだから準備しようにも出来ないわけです。
 いやもっと言えば、他人の懐かし話=自分にとって興味のない昔の話にものすごい嫌悪感をおぼえる若い人の感情は正常のような気がする。それは「老人の繰り言」みたいな単純な話ではなく、自分にとっては遠い未来のはずである<死>の準備運動を見せられることへの恐怖心から異様な嫌悪感が生まれるんじゃないかと。

 当然それは意識的なものじゃないですよ。でも、何しろ若ければ若いほど「理由はないけど好きとか嫌い」みたいな直感が強いもん。んでそれは素晴らしいことでもあるんだから。ね。

何しろ題材が題材なもので、明確な答えなどあるわけがなく、どう書いても「風が吹けば桶屋が儲かる」式のにしかならないのはわかっていました。
ま、それでも、それなりにはまとめられたんじゃないかね。どう?
個人的には今まで書いたことのない実写版「鉄人28号」とか「おれは男だ!」の話が書けたのが面白かった。
本当はもうちょっと実写版「鉄腕アトム」のことを書きたかったんだけどね。大半の人にとってはどうでもいいことかもしれないけど、あの主題歌、歌唱が中島そのみで伴奏がブルーコーツってのがすごいんですよ。ってかクレジットされてるブルーコーツってあのジャズバンドのブルーコーツだよね?
何でこんな仕事したんだろ。うーん、マジでそっちのがよっぽど気になるわ。




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