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複眼単眼・テレビ
FirstUPDATE2019.8.5
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 結局ね、日本におけるテレビジョンを語るということは、カネ、と言っちゃうと一気にゲスい感じになってしまうけど、まァ大仰に言えば経済を語るのとほぼ同意ではないかと。

 冒頭でわざわざ「日本における」と念押ししたのは、こういうことを気づいたのがアタシがイギリスに滞在していた時だったからです。
 もしこれが旅行オンリーだったら絶対に気づかなかった。
 イギリスに<旅行>で行ったならば、まァ普通はホテルに泊まります。もちろんイギリスのホテルにも普通にテレビが備え付けられてあって、スイッチをひねるとって古いか、リモコンの電源ボタンを押せば問題なく映るし、何らかの問題が発生するわけでもない。つまり日本でテレビを見るのと何ら変わることはないわけです。
 ところがある程度の期間滞在して、ホテルではなくフラット(日本で言うところのアパート)なんかを自分で借りるとなると状況が一変する。
 向こうのフラットは家具やなんや、もちろんテレビを含めて備え付けられているケースが多いんだけど、備え付けのテレビのスイッチを付ければ普通に映る。日本のNHKに相当するBBCもスクランブルがかけられていないので、何も知らないとそのまま見てしまいます。

 しかし「受信料を払わずBBCを見る」というのは、何と違法なのです。いや違<法>かは知らないけど、とにかくNHKよりも圧倒的に強権的で、もし未許可でBBCを見てると最高1000ポンドの罰金を払うハメになるらしい。
 昨今「NHKの受信料徴収のやり方があまりにも酷い」と話題になることがありますが、言ってもNHKの場合「これから受信料を払え」ってスタンスです。逆に言えば受信料を払ってない期間があっても「これから払う」となればお咎めはない。
 そう考えれば遡って罰金まで払わなきゃいけないっつーBBCのやり方が如何に<えげつない>か理解出来ると思います。
 「んなもん、こっそり見てたってバレるわけないだろ」と思われるかもしれませんが、いったいどういう調査をしているのか、BBCを受像機に映すや否や、どこから聞いたか調査員がすっ飛んでくるらしい。
 んな馬鹿なとアタシも思ってたんだけど、実際に(さすがに「映すや否や」じゃなかったらしいけど)すぐにバレたという話をいくつか聞きましたからね。

 さてみなさんは、この話を聞いてどう思われるでしょうか。
 それだけ強制的なら税金やなんやと一緒に徴収すればいいのに、とか、未曾有の災害が起こったらどうなるの?とか、いろいろな感想があると思います。
 中には「テレビなんかたいして面白くないんだから、見れなくても何の問題もない」と考える層も一定数いるはずです。
 しかしね、そういう意見はマイノリティであることを留意しなければいけない。
 とくにネット上ではこういう声が大きいので、つい過大評価してしまいそうになりますが、当たり前だけどテレビを見る見ないは個人の勝手です。見たくないのなら見なくても良い。アタシだって本当にテレビを見なくなったし。

 しかし「だからなくなっても問題ない」というのは間違ってる。テレビの存在を楽しみにしている人がいる(それも相当な数)以上、テメエが興味ないからってなくしてもいいってのは、いくらなんでも違うわけです。んなこと言い出したら、つまり、俺は興味ない=廃止なんてことをやり出したら、この世から何もかもがなくなってしまいますから。
 ここまでテレビというものが浸透したからには、そう簡単にはなくせないし、なくす必要もない。
 もしテレビが完全になくなるとするなら、それはテレビが完全に廃れて、誰も見てない状態に、つまりは商売が成り立たなくなった時でしょう。
 でもそれは今ではないよね。どこのテレビ局もちゃんとやっていけてるんだから。

 では何故、我が国においてここまでテレビというものが普及、いや普及と言うよりは「欠かせない娯楽」にまでなり仰せたのかを考えなければいけません。
 となると、どうしてもテレビ、いや<テレビジョン>黎明期の説明が必要になる。アタシのような奇特な人間はともかく、大半の方々にとってはかったるいだけの話かもしれません。
 しかしここをすっ飛ばすと「テレビのサダメ」みたいなのが見えなくなる。冗談半分に<サダメ>なんて書いたけど、黎明期の時点で「将来テレビを取り巻く環境はこうなる」と運命付けられていたような気がするんです。

 ここで1930年代後半にまで遡ります。ま、アタシの大好きな戦前モダニズムの時代ですが、これから書くのはモダニズムはあんまり関係ない。
 あまりこの時代に詳しくない方からすれば「太平洋戦争突入直前」なんだろうし、近代史を把握しておられる方ならば「支那事変」の頃、とお答えになるはずです。
 たしかに「アジアの中の日本」という視点ならばそれで正解なのですが、「世界の中の日本」となると支那事変よりもさらに重要なことがあります。
 この頃の日本は、というか日本政府はとにかく全方位で<躍起>になっていたと言ってもいい。
 国内に目を向ければ国家転覆を狙ったテロ(例・1936年に起こった「二・二六事件」)に目を光らせなければいけないし、対外的には「日本は先進国である」ということを認めさせるのに必死でした。
 最近、というか数年前くらいから、やたら「日本アゲ」のテレビ番組が放送されていましたが、まァそれに似てなくもない。
 つまり「日本はかくも凄い国である」ということを確固たるものにして、それを国内外問わず広く報知しようとしていたんです。

 そこで1930年代に入ったくらいから着々と準備が始められた。十分な準備期間を設けて、絶対に失敗出来ない国家的プロジェクトを遂行しようとしたわけです。
 とにかく1940年にすべてのイベントを集中させて、大日本帝国を誇示しようとした。
 何故1940年なのか?それはこの年が「紀元2600年」にあたるからなのですが、もはやこの言葉に反応出来るのは、この時代に著しい興味がある方に限られるのではないでしょうか。1930年代後半、あれだけ政府も国民も紀元2600年(1940年)に向けて走っていたのに。
 しかも紀元2600年と戦争は関係ないってのが闇が深い。いやむしろ紀元2600年に計画されたイベントの数々にとって、戦争は敵でしかなかったんです。

 この年に予定されていた国家的プロジェクトは3つの柱となるイベントがありました。ま、アタシが勝手に三本柱と思ってるだけだけど、どれもイベントが遂行出来た暁には国民から、そして全世界から「日本という国は凄い。先進国に数えても問題ない」というほどの大イベントをやるつもりだったんです。

 まずひとつはオリンピック。2020年開催(ではなくなったけど)の東京オリンピックは実は三度目に開催が決定したオリンピックになるわけです。ま、これはわりと有名だけど。
 とにかく1936年のIOCの投票で東京が勝ち、正式に1940年のオリンピック開催が決定している。
 ふたつめは万国博覧会。1970年に大阪で行われた万博が一応国内初の万博になっていますが、1940年にもやる予定だった。もっとも開催地は大阪ではなく東京だったのですが。
 それにしてもオリンピックと万博の両方(ついでに言えば冬季オリンピックも)「同じ年」に開催しようとしていたのは無茶苦茶で、仮に戦争がなかったところで「滞りなく」開催出来たとは思えませんよね。

 さて、ここからが重要です。
 そしてもうひとつ、オリンピックを国内はもとより全世界に向けて配信するため、テレビジョンの本放送開始が予定されていたのです。
 しかしそこまでやる意味があるのか、と思われるかもしれませんが、むしろテレビジョンを始めないとオリンピックをやる意味がない、とさえ言える。
 だって目的はあくまで「日本アゲ」なんですよ。馬鹿みたいな予算をかけて、国民に全世界に広報せずにひっそりとオリンピックをやる意味なんかまるでない。ま、もちろんそれは暴論なんだけど、当時の日本政府は本気でそう考えていたんです。

 この頃すでにラジオの本放送は始まっていた。だけれどもスポーツのラジオ中継はよほどアナウンサーが手練ていても、何がなんだかわからなくなる。例の「前畑ガンバレ」だって、冷静に考えれば状況をまったく伝えきれていないと思う。「ガンバレ」とかただの声援だし。
 いや、そこまで古い事例を持ち出さなくても、ほとんどのスポーツ中継はラジオでやるには向いていないと大概の人はわかっている。比較的何とかなるのが野球と相撲くらいで、アタシもワールドカップの時にラジオ中継を聴いたけど、まったく状況の把握が出来なかった。
 つか野球と相撲だってラジオよりテレビの方が圧倒的にわかりやすいわけだしね。

 テレビジョンの本放送開始計画は、まァいや国策です。しかしオリンピック=スポーツの中継をするために、との目的を据えたのはまことに慧眼だったと思う。
 結局テレビが存在価値が増す重要コンテンツがスポーツ中継なんです。はっきり言いますがスポーツ中継はことテレビで放送することに限れば一般ニュースより上、とさえ言えるんです。
 テレビジョンというメディアの特徴は<映像><音声><即時性>です。ま、即時性にかんしてはだいぶインターネットにお株を奪われたけど、同じく映像と音声を用いた映画よりは圧倒的に即時性があるわけです。

 しかしね、ニュースって実は、この3つが必ずしも必要ではないんです。つかニュースのタイプによって向く向かないがある。
 実際ね、新聞やネットニュースを読んでて、これの映像ってないのかな、と思う記事は意外とない。即時性という面でも、事件・事故の全容がわかってから詳しく知りたい、なんてことも結構ある。そういうニュースは週刊誌かなんかで総括して書いてくれたものを読んだ方が把握しやすい。
 映像での説明と文章での説明、どちらが必要なケースが多いかと言えば、むしろ文章なんですよ。さすがに具体的には書かないけど、ほとんどは「映像があるにこしたことはないけど、文字(文章)でのちゃんとした説明がない方が困る」って感じじゃないかね。
 いや、それでもニュースがテレビに向いてないってことじゃないんです。あまりにもテレビとスポーツとの相性が良すぎるだけなんですよ。

 それにしてもです。
 たしかに1940年のオリンピックに合わせてテレビジョンの本放送を開始しようとはしたわけですが、技術的には困難を極めました。
 おそらく多くの方が「黎明期のテレビジョン」として記憶されているのが、不鮮明きわまるブラウン管に、イロハの「イ」の字が映し出された画像でしょう。
 これが昭和2年。西暦なら1926年の話です。紀元2600年は1940年ですからたった14年しかない。しかも14年の間に克服すべき課題は山積みで、受像機の製造、テレビジョン用カメラの開発、そして如何にして電波を飛ばすか、などなど、普通に考えれば無理に決まってる。何しろ1926年の時点で至近距離から電波を飛ばして「イ」が映せた程度ですからね。

 そんな絶望的な状況で奮闘したのが「テレビジョンの父」と呼ばれる高柳健次郎で、この人の功績は計り知れない。ましてやこれは果てしなく国策に近いものであり(しかも軍国主義がまかり通っていた時代の)、民間が勝手にやるのとはプレッシャーがぜんぜん違う。
 しかし高柳健次郎の尽力があって、1940年の直前には本放送が開始出来るレベルまで技術を成熟させていたのです。
 もちろんテレビの本放送が始まったのは1953年です。1940年本放送がキャンセルされたのはオリンピックの自国開催が中止になったことに加えて軍事体制に突き進んでいたからなのですが、少なくとも技術的には1940年の時点でほぼ解消されていた、というね。

 さて、2016年に実に面白い視点の書籍が発売されました。タイトルは「紀元2600年のテレビドラマ」。ま、インパクトをつけるためか、あえてタイトルに「ドラマ」と入っていますが、内容は紀元2600年をめぐる動きとテレビジョン開発の裏側が克明に記された好著です。
 アタシも今回の拙文を書くにあたって、かなり参考にさせてもらったわけでして。

 もちろんタイトルにあるように、テレビドラマについての詳細な記載もあるのですが、紀元2600年、つまり1940年には日本初のテレビドラマが制作、放映されたわけで。
 って、ここまで注意深く読んでいただいた方なら矛盾を感じるかもしれません。たしかにアタシは「テレビジョンの本放送開始は1953年」「1940年本放送はオリンピック中止などの理由でキャンセルされた」と書きました。
 1940年の本放送がキャンセルされたのは本当ですが、実は実験放送は実施された。そして実験の一環としてドラマも制作されたという。
 あんまり意味がないけどタイトルだけ挙げておけば、第一弾が「夕餉前」、第二弾が「謡と代用品」です。ちなみに「謡と代用品」には子役時代の中村メイコが出演していたそうです。当然両方とも映像は残っていません。

 さらにここでもう一冊の書籍を紹介したい。広瀬正が書いたホワットイフ小説の傑作「エロス」でして、タイトルで誤解されそうですが別にエロ小説じゃない。じゃあ何なんだ、と言われないために内容を書こうと思ったけど、楽しみを奪うだけなんで止めておきます。
 いやマジでメチャクチャ面白いので是非読んでいただきたいと思うわけでして、てな理由で本エントリに関係があるところだけを書きます。
 主人公は戦前期のテレビジョン開発チームの一員であるのですが、実験放送に立ち会うシーンが出てくる。内容的にはデパートでジャズや落語を行って、それをテレビで中継する、という。
 っても「小説なんだから創作なんじゃね?」と疑うむきもあると思うけど、広瀬正は膨大な資料を用いて創作しているので、というか他の箇所があきらかに創作であるとわかること以外はすべて事実に基づいているので、これも少なくとも<作り話>ではないと思われます。(もちろん調査ミスで事実と異なる可能性も皆無ではないけど)

 では他にどんな番組が実験放送時に制作されていたか、となると判らないことが多すぎるのですが、判っているのが「(中止されたとはいえ)スポーツ中継」「テレビドラマ」「ジャズや落語などの芸の中継」というのは実に示唆的です。
 黎明期、なんていうと手当たり次第というイメージがあるのは当然だし、実際手当たり次第が普通だと思う。
 だけれども、ことテレビにかんしては、制作陣は黎明期の段階で「テレビというメディアの向き不向き」を掌握していたのではないか、とさえ思えてしまうんです。
 スポーツ中継にかんしては制作陣の発想ではなくあきらかに国策だけど、政治家でさえ「スポーツ中継にはテレビが向く」と考えられるくらいのマッチングであり、そしてその次、としてドラマと「芸そのものを見せるというよりは<中継>という形で、ある種のドキュメンタリーとして見せる」という番組を用意したというのは完全に制作陣の発想だと思う。
 つまりテレビなるメディアにおいて、主となるのはスポーツ中継であり、従がドラマや芸の中継である。そしてその他の番組は、たとえニュースであろうと枝葉に近いのではないか。

 もちろん暴論に近い。しかしこれは今でも変わってないと思う。いくらインターネットが普及してストリーミング配信が盛んになろうとも、この3つにかんしてだけはテレビの優位性は揺るがないと思うんです。
 ところがある時期を境にテレビは「本当にテレビというメディアに向くもの」を見失い始めた。インターネットが出てきてもテレビの優位性をまったくアピール出来ず、どんどん古臭いメディアになっていっているってのが正直な感想です。

 何でこんなことになったんだ、と結論を書く前に、さらに歴史を紐解きたい。今度は本放送が開始されて以降の話が中心になります。







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