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複眼単眼・テレビ
FirstUPDATE2019.8.5
@Classic #複眼単眼 @戦前 #テレビ #イギリス 全2ページ BBC 紀元2600年 高柳健次郎 正力松太郎 プロレス中継 スポーツ中継 野球中継 PostScript

 さあ、Page2に入ったところで正力松太郎にご登場を願います。
 正力松太郎は稀代の実業家、というよりは稀代のバクチ打ちといった方が相応しい人ですが、こんなに先見の明のあった、そして無謀とも思える事業に莫大な投資をした人もいないと思う。

 いくらなんでも正力松太郎の波乱に飛びすぎた人生を書いていく気はないけど、とにかく警視庁を懲戒免職になった正力は当時三流新聞だった読売新聞の買収に成功します。大正末期、1924年の話です。
 しかし所詮は三流新聞。当時一流と呼ばれていた東京朝日新聞(現・朝日新聞)や東京日日新聞(現・毎日新聞)にまったく歯が立たない。
 そこで正力は思い切ったバクチに打って出ます。莫大な予算を注ぎ込んで、1932年にメジャーリーグ選抜を招聘して日本代表と戦わせるという興行に打って出た。結果、このバクチは成功し、読売新聞は一躍朝日や毎日と並び称されるまでになったんだから大成功と言ってもいいでしょう。

 もちろんこの頃はプロ野球なんてものはまだないのでメジャーリーグ選抜の対戦相手を務めたのは六大学野球のスター選手(OBを含む)たちでした。
 しかし正力にはこの計画をさらに発展させて、この六大学野球選抜チームをゆくゆくは読売新聞がスポンサーになってプロ野球球団にし、各企業を誘ってリーグ戦を開催する計画まで立てていたのです。
 プロ野球リーグ構想は正力の思惑通り、1936年に職業野球(当時のプロ野球の呼称)として実現しますが興行としては失敗で、戦前期の時点ではとても収益をあげられる事業にはならなかった。つまりこの時点では職業野球はあくまで「将来への布石」でしかなかったわけです。

 戦後になると正力はGHQからパージをかけられ要職に付けなくなっていました。
 とはいっても動きを止めたわけではなく、裏で着々と「日本初の民間テレビジョン放送局の設立」を目指していたのです。
 正力がしたたかなところは、のちに「日本テレビ」となる放送局の設立にたいし、古巣の読売新聞だけでなく朝日新聞や毎日新聞からの出資まで取り付けていたことで、「日本テレビ=読売新聞」、「テレビ朝日=朝日新聞」「TBS=毎日新聞」という構図が当たり前の今現在を考えたら、この事実は驚きに値します。
 極端に言えば、あの「大正力」が動き出したからこそ、テレビジョンがカネのなる木に接近したことを意味するわけで。

 さて、今では当たり前すぎて何の違和感もありませんが、一民間企業の放送局を「<日本>テレビ」と名付けたのは様々な思惑があったからです。
 正力松太郎はいったいテレビジョンという未知の媒体を使って何をどうしたかったのか、そこらを踏み込んで書いてみたいと思います。

 日本テレビの開局準備は素早く、当初は日本初の<民間>テレビ局ではなく<日本初のテレビ局>にさえなる可能性があったんです。事実、放送予備免許にかんしてはNHKに先んじており、もちろん日本で最初に交付されたのが日本テレビだったという。
 しかし、戦前期よりテレビジョンにかんする様々な研究をおこない、二番手になることなど許されなかったNHKは慌てて準備を進め、かろうじて「日本初のテレビ局」の座をゲット出来た。しかし逆に言えば日本テレビの動きがなければNHKのテレビ本放送開始はもう少し遅れていたのではないか、とさえ感じます。
 そして日本テレビはNHK同様、全国での放送を目指していた。
 って日本テレビは全国ネットじゃん、と言われるかもしれませんが、あくまで全国<ネット>です。例えば関西地方ではよみうりテレビが日本テレビの番組をネット受けする、という形に留まっている。
 日本テレビが目指していたのは、日本テレビ一社が全国放送をし視聴出来る形にすることでした。つまりNHKと同じ形です。
 しかしこれは郵政省からダメ出しを食らった。要領を得ない理由ですが、そこまで壮大なビジョンを描いていたことは注目に値します。

 パージが解けた正力松太郎は日本テレビ初代社長に就任していましたが、本放送開始の翌日には早くもプロ野球中継を行っている。
 しかし当時の技術と技術者の力量では野球という広大なスタジアムで行われるゲームの魅力を余すことなく伝えるのは難しく、また日程を一テレビ局の都合で変えるのは無理なわけで、まだプロ野球をメインコンテンツにするには問題が多かった。
 そこで目をつけたのがプロレスです。
 NHKは<相撲>という、当時を考えれば特大のキラーコンテンツを抱えていた。それに変わる、もう少し融通が効いてテレビならではの派手さのあるもの、と言った理由でプロレスに白羽の矢が立ったのではないかと。(ちなみに日本テレビも開局当初から1966年まで大相撲の本場所中継をおこなってはいた)
 プロレスなら興行権さえ握れば自由自在に試合日程を組めるし、何よりリングのサイズを考えれば野球よりははるかに中継が簡単です。

 この頃の日本テレビの動きで特筆すべきことは街頭テレビを各地に設置したことでしょう。
 テレビを見るためにはテレビ受像機を買わなければいけない。しかし当時のテレビ受像機は価格が馬鹿高く、とてもじゃないけど一般庶民が買える値段ではなかった。
 それでも実際に見てもらわないとテレビの魅力は伝わらない。そこで街角にテレビ受像機を設置して、気軽にテレビというメディアに触れてもらう、という策は大当たりしたんです。
 これはNHKでは逆立ちしても出来ない。何故ならNHKの運営費は(タテマエもあるとはいえ)受信料を払ってもらうことで成り立っている。もし受信料なしでテレビが見れるとなったらNHKが立ち行かなくなってしまう。

 しかし民放である日本テレビなら関係ない。街頭テレビを見ている人だってテレビCMを見ることになるわけだし、街頭テレビに人が群がっている、となったら各企業も黙っていない。
 テレビ受像機の開発に拍車がかかるわ、一般庶民もテレビの魅力に気づけるわ、日本テレビだって街頭テレビ設置の費用はかかるもののスポンサーを集めることは出来るわで、誰も損しない。
 このあたりがアイデアマン・正力松太郎の面目躍如と言える箇所でしょう。
 しかしです。テレビ本放送の黎明期を支えたのは、やはりスポーツ中継でした。ま、今となってはプロレスをスポーツと言い切るのはためらいをおぼえるけど、プロ野球中継の技術が成熟するまでの間を繋いだのは間違いなくプロレスだったわけで。

 結果としてプロレス中継はテレビの生みの親、プロ野球は育ての親とも言える感じになった。
 そして途中途中にオリンピックやワールドカップのようなスポーツの大イベントはアンプル剤のような役割を果たした。
 極端に言ったら、この世にスポーツなるものがあったからこそテレビが不動の存在になれたのです。どんな時もスポーツ中継は各放送局の下支えになった。
 でも今は違う、と言いたいところですが、そんなことはない。たしかに全国ネットのスポーツ中継は極端に数が減りましたが、今でも地方局を支えているのはスポーツ中継であり、サンテレビなどは仮に阪神タイガースの試合の中継がなかったらとっくに潰れていた、は言い過ぎだけど、おそらくKBS京都と同じくらい埋没していたんじゃないか。

 つい筆を滑らせて、潰れる潰れないなんて安易に書いてしまいましたが、民間放送局、いわゆる民放と呼ばれるテレビ局はスポンサーなしでは存在出来ません。そこがNHKとはまるで違う。
 となるとどうやってスポンサーを集めることが出来るか、いやもっと言うなら「儲かるか潰れるか」のどちらかしかないのが民放なのです。ま、普通の民間企業と一緒。
 潰れるよりは儲かる方がいいに決まってる。当たり前の話ですが、となるとどうしても「どうやったら番組内容を良く出来るか」ではなく「どうやったらスポンサー様に喜んでいただけるか、納得していただけるか」に傾いてしまう。
 それでも最初は単純に「番組内容を見て良否をスポンサーが判断する」という形だったのが、1970年前後を境に視聴率なんてものが表に出てきた。つまり「何万人の人がこの番組を見てますよ、何万人の人がおたくのCMを見てますよ」といった具合になったわけで。

 こう書くとまるで視聴率至上主義が悪いみたいだけど、アタシはそうは思わない。結局「数は正義」であり、たくさんの人が見ているイコール視聴者のニーズに合致しているってことだから、それは当たり前だと思う。
 だけれども各民放局は、あまりにも現状に流されすぎたのではないかと思うんです。
 たしかに視聴率が取れる番組を作ることは悪いことではない。しかし一方で、現時点だけではなく、それこそ将来の布石をもっと積極的に打っていくべきだったのではないと。

 先程アタシは「戦前期の職業野球(プロ野球)は<将来への布石>でしかない存在だった」と書きましたが、この布石はプロ野球のリーグ戦が始まって10年以上経ってから花開く。そしてテレビで大々的にプロ野球中継をやるようになって大輪の花を咲かせることになるわけです。
 目先を追うのは悪いことじゃないけど、あまりにも目先ばっかりになってしまったんじゃないか。現時点では商売(商材、か)としては弱いのかもしれないけど、もっとコンテンツを育てるべきだったのではないかと。

 もちろん指先を咥えていたわけじゃないのはわかっています。それこそJリーグとか、発足直後は何とかプロ野球と並ぶ新しいキラーコンテンツに育てたいと各民放が思っていたと思う。
 しかし結局、視聴率が上がらないとなるや否や中継を止めてしまう。
 昨今はただでさえゴリ押しだのなんだのとうるさい時代なので、新しいコンテンツを作るのはかつてないほど難しくなってるのはわかるんです。
 それでもスポーツ中継こそがテレビというメディアの<体現>である、とわかっていたら、そう簡単に撤退すべきではなかったはずなんです。

 アタシはね、日本のテレビの功労者が日本テレビだと思っている一方、戦犯でもあるのが日本テレビだと思う。
 何故、日本テレビは巨人戦の地上波での中継を止めたのか。いや完全には止めてないけど、巨人戦だけは現時点でどれだけ視聴率が悪くても、スポンサーがつかなくても続ける、という姿勢を打ち出せなかったのか。つかね、今みたいな感じでスポット的に散発で中継しても視聴率なんか絶対取れないのに、ね。
 たしかに野球に興味ない人たちからは野球中継は評判が悪かった。放送延長のあおりで録画予約が失敗したとか。
 でもこんなことこそ今の時代なら簡単に解決出来た。日本テレビはBSやCSもやってるわけです。BSでの放送はいわば黎明期の日本テレビが標榜した「一社で全国放送をやる」というスタイルそのものです。ならば何故<従>であるドラマや枝葉でしかないニュースをBSやCSに振り分けないのか。
 ましてや今はインターネット時代です。放送延長なんてやらなくても「続きはインターネットのストリーミング配信で」なんて出来るんですよ。

 今のテレビはインターネットに到底勝てっこないところでばかり勝負している。これを今の作り手はどう考えているのか本当に不思議でならないんです。
 しつこいですが、ニュースはインターネットの方が向いている。映像音声と文章の両方が使える、即時性もあればアーカイブも簡単に閲覧出来るインターネットの方が強いのは当たり前です。
 音楽番組もそう。いずれは今のようなバラエティもインターネットの方が優位に立つと思う。ユーチューバーの動画なんて「バラエティの新しいカタチ」だと思うし。
 しかし、テレビジョン構想にあった、また戦前の実験放送で制作された「スポーツ中継」「ドラマ」「芸をドキュメンタリー的に見せる番組」はテレビに一日の長があるし、簡単にインターネットにとって変わられるとは思えない。たしかにダゾーンとかスポーツのストリーミング配信サービスもあるけど、それでも、もしテレビでやってたらテレビで見た方が見やすいし。

 さてアタシはPage1の最初に「テレビを語るということは経済を語ると同意だ」と書きました。
 商売である以上、目先の利益を優先させるのは当たり前のことでありますが、そこばっかり追いかけていたらその商売は確実に先細りになります。
 そりゃあ、常に少数精鋭部隊が作れるならいいですよ。しかし人材というのは<縁>であり、どうやっても良い人材が集まらない時期もある。
 プロ野球のドラフトに例えるとわかりやすいけど、とくにスカウティングが悪いわけでもないのに良い選手が獲得出来ない時期ってのは、多かれ少なかれどの球団にもあることです。
 一般の民間企業だって同じで、優秀な社員を確保出来ない時はあります。そんな時期に「次の手」を用意出来ていない企業は一気に凋落してしまう。

 だからこそ、目先の利益と同じくらいのウエイトで<将来への布石>を打つ必要があるんです。
 どんな状況になっても、最悪手詰まりになることはない、という布石があるかないか、これはかなり大きいことなんです。
 悪名も高かった正力松太郎がそれでも突出した実業家になれたのは、これは布石になると見るや否や莫大な投資を厭わなかったことです。しばらく利益が出ないどころか赤字を垂れ流す存在になるのは百も承知の上で布石を打ちまくった。だからこそ曲がりなりにもテレビがメディアの王様として君臨することが出来たわけで。

 テレビの本放送開始時は、当たり前だけどどこのテレビ局にも「その道のプロ」はひとりもいなかった。カツドウ屋崩れとか楽隊崩れが集う、いわば吹き溜まりのような人材しか集まらなかった。
 しかし彼らは「その道のプロ」がいないのをいいことに、自分たち流のテレビ番組の作り方を次々に発明していった。
 これはいわゆるサラリーマンとして就職した連中には絶対不可能なことだと思う。彼らの無頼漢精神があったからこそ、テレビを成立させることが出来たんです。
 というか、どんな業種にも言えることだけど、保守的になっていい事なんて何もないんです。
 現状を維持することを意識しだした途端、まず仕事がつまらなくなる。これではクリエイティブな発想なんか出てくるわけがない。
 しかしもし、同時進行で<将来への布石>にもチャレンジしていけば、俄然仕事として面白くなる。となると社員のモチベーション維持の役にも立つわけです。

 誰しもが正力松太郎のような<眼>を持ってるわけではない。しかしこの50年以上の間にテレビ業界に数多の人材が流入してきて、ひとりも、そしてひとつもテレビの未来像が思い描けない人材しかいなかったとは到底思えない。
 今からでも遅くはありません。「何でもいいから視聴率を稼げる番組」ってのはもちろん、インターネット対策なんてのも実は目先のことでしかない。
 そうではなくて、本当にテレビの未来像とはどんなものなのか、もう一度真剣に考える必要がある。
 そしてその中のひとつに「スポーツ中継」というワードが浮上しなければ嘘です。何故、仮に視聴率を稼げなくても、スポンサーがつかなくてもスポーツ中継をやらなきゃいけないのか。

 本エントリにおいて、アタシがスポーツ好きだというのは一切関係ない。しかし冷静にテレビジョンというメディアを見つめ直した時に「スポーツ中継こそテレビというメディアの体現である」と気づかないわけがないと思うのですが。

タイトル的には「テレビ」なのですが、実は「テレビジョン」と言った方が正しい内容だったと思います。
でもテレビって変な略し方だな。「テル」と「ビジョン」を合わせてテレビジョンなんだろうから、えらく中途半端なところで切ったなと。




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