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懐かしさの正体
FirstUPDATE2021.7.11
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 さて、このサイトにもいろいろ「昔、こんなことがありました」的な個人的体験談を面白おかしく書いてきたのですが、あんなことあったなぁ、懐かしいなぁみたいな気持ちで書いてんじゃないんですよ。

 やっぱり、文章としてまとめて書くからには起承転結の<結>がない話は書きづらい。別にオチになってる必要はないんだけど、希少な読んでくれてる人が、いやはっきり言えば自分で読み返した時にモヤモヤする終わり方な出来事はあんまり書きたくないっつーか。
 それはさておき、仮に「個人的な体験談であるけど懐かしくはない」としてもね、もちろん、それが<思い出>になってることは否定しない。記憶に残っているからこそ振り返ることも出来れば文章にまとめることも可能なわけですから。

 と、ここまで読んでいただけたら理解してもらえると思いますが、思い出と懐かしいは違うんです。逆に言えば「思い出ではないけど懐かしい」なんてこともあると思うわけで。
 一番顕著なのは映画の「三丁目の夕日」を見たり、昭和の光景が写った写真を見て、平成以降に生まれた人が「懐かしい」と思う、ということがあります。
 これを馬鹿にする人がいるのもたしかで、自分が知らない時代を見せつけられて何が懐かしいのかと。んなもんただ周りに影響されているっつーか、懐かしいという人がいるから自分も懐かしいとか言ってるだけじゃねーかとね。
 しかしアタシはそれは違うと思ってる。自分が知らない時代のモノを見せられて懐かしいと思う感情はよく理解出来る。何故ならアタシがこよなく愛する戦前モダニズムに懐かしさをおぼえているから。
 当たり前だけど、この手のことに興味を持つ人は少ない。ましてや身近にはひとりもいない。だから「周りに流されている」というのはあり得ないんです。

 2018年の夏に日本橋三越で開催された「1980年代展」に行ったことがあります。
 1980年代はアタシにとってはいわば青春時代にあたる年代なんだけど、マジで、何でこんなに懐かしくないんだろうってくらい懐かしくなかった。
 つかね、これは1980年代に限った話ではなく、こうしたイベントや「1980年代オール百科」みたいな書籍類もそうだけど、網羅的にすべてのことを広く浅く見せようってので「懐かしい」と思ったことは一度もない。
 もちろんね、別の感情が動くことはあるんですよ。「1980年代展」でも面白いと思った展示物はあったわけで、しかし「懐かしい」から面白い、とはあきらかに違う。知識があるからこそ面白がれたのはたしかだけど、やっぱ、どう考えても懐かしいとは違うんです。

 とか書くと「何をゴタクを並べてるんだ、そういうのも全部含めて<懐かしい>というんだ」とおっしゃる御仁もおられるかもしれません。
 しかしさ、本当に一緒にしていいのか?例えば自分が写ってる昔の写真を見たら「懐かしい」と思うんですよ。この時の感情ってどう考えても「1980年代展」の時の感情とは違う。
 それを一緒にするって、何だか「腹を抱えて笑うことも、涙を流すほど悲しいことも、結局は同じ感情の時なんだよ」とかいう屁理屈めいたものを感じる。そこまで悟りをひらいたような話じゃない。
 じゃあ具体的に何が違うんだ?と言われるかもしれませんが、それをね、いろいろ考えていきたいんですよ。

 今回のネタを書くにあたって、キーとなるのはやはり映画の「三丁目の夕日」だと思うんです。極端に言えば「三丁目の夕日」を解いていくことこそ懐かしさの解明になるのかもしれない。
 わざわざ「映画の」としてあるように、今回は漫画は関係ない。漫画版は軸のようなストーリーはなく、また主人公もはっきりしておらず、時系列もバラバラだしね。ま、一種のオムニバスです。
 そして一番肝心なのは、漫画版は時代設定も曖昧なんですなこれが。
 しかし映画版はすべてを明確にした上で組み上げている。登場人物も鈴木家と茶川家を中心にし(茶川の年齢も大幅に変えている)、何より時代設定を(一番最初のは)1958年と定めています。
 何故1958年なのか、映画を見た方なら当然おわかりでしょうが、いわば高度経済成長期のシンボルと言える東京タワーの開業がこの年だからです。

 しかしそれはかなり表向きだと思う。もしかしたら本当に理由はそれだけだったかもしれないけど、もし偶然っつーか安直に「東京タワー開業の年だから1958年にしよう」と決めたのなら、これは奇跡といっていいレベルのラッキーパンチです。
 続編の想定まであったかどうかはともかく、「懐かしの」昭和を描くとするなら、もう1958年しかあり得ない。それほど絶妙な時代設定だったと改めて痛感してしまう。そして1958年にしたからこそ作品の出来とは無関係にヒットしたし、続編が作られるまでに至ったのではないかと。

 もっとズバッと書きましょう。「三丁目の夕日」が成功した理由、それは
 「昭和30年代だが1960年代ではない、ご成婚の年でも経済白書に『もはや戦後ではない』とまで書かれた1956年以前でもない1958年をCGを使って再現した」
 それだけです。マジで。脚本が演出が出演者が、すべて一切関係ない。とにかく「時代設定を1958年にした」ことがすべてなのです。

 正直、この映画の制作プロセスとかは知らないんだけど、とにかく「郷愁を呼び起こすことが出来れば、それでいい。それさえ出来れば映画として成功」と捉えていたのではないかと感じる。
 これがすべての目的であり、逆に言えば映画としての面白さとか、原作へのリスペクトはほとんど感じない。つかこの監督の映画って「ドラえもん」や「ドラゴンクエスト」でもわかるように原作への愛情とか微塵も感じないからね。しかも「付加したアイデア」が陳腐かつ原作の根本がわかってないんだから。そりゃあ、原作ファンからの評判が悪いのはしょうがないわ。
 それはともかく、<昭和>という題材を使って<郷愁>を誘う。それを成し遂げるには「時代設定」はもっとも重要であり、時代設定を間違うと興行として失敗する、正解だと興行としても成功する、というくらいのレベルなのです。

 さて、ここで戦後から1960年代くらいまでの、何となくのイメージを書いていきます。もちろんアタシ個人のイメージではなく世間一般的なイメージです。
 あ、さすがに10年スパンでは長すぎるので5年ごとにやります。

・1945~1949年 超絶カオス、超絶貧しい
・1950~1954年 復興、カオス、貧しい
・1955~1959年 景気回復、貧しい
・1960~1964年 イケイケドンドンその1
・1965~1969年 イケイケドンドンその2

 ま、こんな感じかね。当たってるか外れているかは置いといて、だいたいこんなふうに思っている人が多いと思うわけで。
 というか今はアタシも昔のことを調べるのが好きで、もっと具体的なイメージを持ってるけど、当たり前だけど昔はそうじゃなかった。つかこの程度しかイメージ出来なかった。
 その頃を思い出してみるに、たしかに昭和20年代にたいして、ものすごく暗いイメージを持ってた。フシギと焼け跡云々は浮かばずに、狭いエリアにものすごい数の人がいて、グチャグチャになってモノが売ってて、みたいな。
 たぶん闇市の印象からなんだろうけど、そこまで闇市のことなんか知らなかったのに、何でかそういうふうに思ってたんですよ。
 1960年代がイケイケドンドンってのは完全に東宝映画からの印象ですね。もうこの頃はほとんどの映画がカラーだったし、逆に暗い印象があるわけがないっつーか。

 話を「三丁目の夕日」に戻しますが、郷愁をかきたてようってくらいだから、イケイケドンドンな時代は相応しくない。だから高度経済成長期に入っていた1960年代っつーか1960年以降ではダメなんですよ。と同時に<暗い>かつカオス=怖いイメージがある昭和20年代もやっぱりダメ。郷愁と恐怖は相性が悪いからね。
 となると、もう1950年代後半、年号で言えば昭和30年代前半しかあり得ない。
 戦後のカオスな空気を完全に消すためには「もはや戦後ではない」という言葉が生まれた1956年以降の方がいいし、皇太子ご成婚という国民的記念行事がない年の方がフィクションの舞台としては相応しい。
 そうなるともう、1957年か1958年のどちらかしかないのです。
 そこまで絞り込んで、ならば東京タワーが竣工した1958年にしようってことなら、まァわかる。しかしこうした絞り込みをせずに東京タワーの云々と感じてしまうのでアタシはラッキーパンチと思ってしまうんです。

 1958年と言えばもうひとつ、興味のない方からすれば「それって重要なの?」と思われるかもしれませんが、日本の文化を変えた出来事がありました。
 それが「長嶋茂雄が巨人軍に入団」の年ということです。ま、厳密には入団は前年だけど、1958年度シーズンで長嶋茂雄がデビューしたんだからこれでいいでしょ。
 それって野球ファン、もっと言えば巨人ファン以外関係ないんじゃないの?と言われるかもしれないけど、とてもそんなことは言えない。
 長嶋茂雄の存在があったから巨人の人気が寡占状態になったし、巨人の人気が寡占状態だったからテレビというニューメディアにおいてプロ野球中継が重要な位置を占めるようになった。
 マネーメイキングスターという形容がありますが、まさしく長嶋茂雄ほどのマネーメイキングスターはいなかったと思う。いちレコード会社やいち映画会社を潤しただけの美空ひばり、石原裕次郎、高倉健などとは格が違う。
 阪神贔屓のアタシですら、もし長嶋茂雄が存在しなければプロ野球という興行(スポーツ、ではなく)はこんな規模にはならなかったと思うわけで、彼が基点になって生まれた額がいくらかなど、もはや計ることが不可能なほど天文学的な数字なのです。

 東京タワーは言うまでもなくブロードキャストタワーです。つまりテレビジョンにとってハードウェアと言える。
 そして長嶋茂雄はテレビにとって最大のソフトウェアであり、つまり1958年という年は「テレビというメディアのハードウェアとソフトウェアの両方で戦える体勢が整った」年と言えるんです。
 その後テレビは、まァ今現在となると異論がある人も多いと思うけど、少なくとも日本において50年近くは「文化の担い手」にまでなり仰せた。
 いわば1958年はその後の日本文化のスタートラインなんです。だからアタシは「郷愁の昭和を映画という形でやるのなら、それは1958年しかない」と思うわけでして。

 何というかね、アタシはここが重要だと思うんですよ。その、つまりは「スタートライン」ってのが。
 さてアタシは2003年という年に異様なまでにこだわっています。そのため常軌を逸した超長文を書いたほどです。(別の形にはなったけど、とにかくココに書いたようなこと)
 それはあくまでアタシにとって非常に重要な年だと思ってるからこだわっているだけで、別にこの年がスタートともゴールとも思ってないというか。

 たまたまいろんなことが重なったのが2003年ってだけで、もしこの時代のスタートを探るとなったら、たぶん1999年ってことになると思う。しかし前年の1998年が旧時代だ、ということでないのがこの時代のユニークなところで、旧時代最後の年も新時代最初の年も同じ1999年だと。
 今はまだ近すぎて懐古の対象にはならないけど、将来的にはきっと1999年は特別な年になると思う。もちろんそうなるには世の中がいろいろ一変しなきゃいけないんだけど、もうあきらかに時代の変化のスピードが遅くなってるもんね。
 最初はトシのせいかと思ってたけど、どうもそうじゃない。もう20年も前なのにせいぜい5年ほど前くらいしか変わっていない。
 それはアタシが時代についていけてないだけかと思ったけど、1980年代以前なんて5年も違ったらまったく別の時代だもん。
 いやむしろね、正直、アタシだってイッパシのオッサンらしく「最近の若者とか流行は理解出来ないよな」とか言いたいんですよ。そんな繰り言親爺になるのも悪くないとさえ思ってるのに、ネットなんかとくにだけど、ずっとおんなじところをグルグル回ってるだけだからねぇ。

 ま、それはさておき、人々が懐かしいと思う時代って、その時代の最初の年なんですよ。つまりは先ほど書いたスタートラインの年。
 と書けば何となくはわかってもらえるかもしれないけど、今の時代に繋がらなかったものをいくら見せられても実は「懐かしい」という感情は湧いてこないんじゃないかと思うんです。
 1980年代、レトロ、なんて言葉が流布して1960年代がやたら持て囃されたりしたことがあります。
 たった20年ほど前のことなので当時をおぼえている人は山のようにいたわけですが、このブーム当初はやたら「紙芝居」がフィーチャーされていてね。
 「今はもうないけど、昔、紙芝居とかあったよね。懐かしいよね」みたいな感じで。
 ところがあっという間に紙芝居はフィーチャーされなくなった。それよりも懐かしテレビ番組とかに比重が移っていったのです。

 「今はないけど、昔あったでしょ?」ってのはすごく限定的なんですよ。んで意外と広がらない。
 ブームになるには、その時代を知ってる人だけに興味を持ってもらってもダメなんです。極端に言えばその時代に生まれてなかった人にまで波及しないとブームにはならない。
 アタシは当時まだ子供(ま、正確には子供と大人の間か)でしたが、実によく「懐かしのテレビ番組大集合」みたいな特番をやっててね。さすがに「月光仮面」とか「ウルトラマン」は知ってたけど、もう少しマイナーめな「まぼろし探偵」とか「少年ジェット」あたりは毎回取り上げられていたことにより知識として入ってきたのです。
 んで、そうした番組をアタシは面白がっていた。とくに実写版の「鉄人28号」とか「鉄腕アトム」あたりは腹を抱えて笑った記憶があります。

 被り物丸出しの「鉄腕アトム」もだけど、「鉄人28号」の初回は強烈だった。
 これは何年か前にスカパーで放送されたので、その時に録画した映像を持ってますが、もう失笑シーンの連続でかなり笑える。出演者はみんなマジメに演技してるのに、あまりにもチャチすぎて可笑しくてたまらないのです。
 まず「鉄人28号」でありながらサイズが人間サイズ(つまり巨大ヒーローではない)のが変で、たいしてデカくない鉄の塊に十人以上の警官が対峙するのは何を考えてるのやらです。
 その後「なぜ<28>なのか」の説明があって、1号から27号までのポンコツぶりを見せるんです(予算の都合か25号まではナレーションベースだけど)。これがインチキなクルマみたいな壊れ方でね、つかいちいちロボットのデザインを変えてるのが可笑しい。とくに27号の顔とか、マジメな研究所で作ったとは思えないほどフザけてるのは何を考えてたんだろ。
 でもね、そういうチャチな感じは逆に「未完成な魅力」を与えてくれたのはたしかでね、それがたった6年で今見てもほとんどチャチさを感じない「ウルトラマン」になったって歴史的事実が楽しかったんです。

 もちろん制作会社諸々が違うとは言え、最初はあんな感じだったんだ、と言うのが興味を惹かれるポイントになったんですね。
 てなわけでPage2に続く。







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