さすがにね、これはやるつもりがなかったんです。
アタシはファミコンの研究者でもなければコレクターでもない。リアルタイムでならそりゃあいろいろやったけど、発売されるソフトを片っ端から買ったのかというと買ってない。
そんな人間に、ま、別に「やぶにら大全」だからいいっちゃいいけど、それでも書くことがなさすぎる、と。
気持ちが反転したのはアタシが好きなブログ「ファミコンのネタ!!」で、管理人のオロチさんが『完全無料、加工OK、連絡不要、ロゴなし、商用OK』という形でフリー画像を公開してくれたからです。
あ、クレジット表記は要ってことなので入れておきます。
カバー画像元画像提供:©ファミコンのネタ!!
この「やぶにら大全」は実質一番最初の「やぶにらのコマソン大全」にて「古いCM画像を並べたものをバックグラウンドにして、谷啓がマイクを握って歌ってる」カバー画像にしたのです。
別にこれをフォーマット化しようという気持ちはなく、CMを題材にした「喜劇・負けてたまるか!」(1970年)という映画から画像を抜き出してそれっぽく合成したに過ぎません。
しかし、これ、何となくいいな、と思ってね、以降、テーマに関係のある画像を格子に並べて、中心の人物がマイクを握ってる、というふうに統一した。もちろんマイクを握ってるのもテーマと関係のある人物にする、と。(「やぶにらの変な夢大全」はマイクを持ってないけど<夢>がテーマなら「あの人」しかいないから。ま、歌ってるっぽいポーズを選んだつもりですが)
で、ファミコンがテーマとなると、マイクを持つ人は高橋名人以外あり得ないんだけど、バックグラウンドのファミコンのカセットを並べたってのが難しいと思ってたんですよ。
でもそれが解決したんでね。本当にありがたい話で。
ただ、いくら<やぶにら大全>だとしても、<所有していたゲーム>とか<やり込んだゲーム>では面白くもなんともない。
そこで今回は個人的に「エポックメイキング」と思えるゲームを集める、みたいな感じでやろうと。
ファミコンの性能自体オーパーツと言われがちですが、時期も良かった。ココでも書いたけど、1980年代はゲームそのものが未成熟な時代で、ちょうどファミコンが発売された1983年くらいから「ゲームで遊ぶとはどういうことか」を考えた、様々なソフトが発売され出したんです。
ビデオゲーム=シューティング、という時代から進んで、RPGやアドベンチャーゲームの登場と発展、そしてシューティングではないアクションゲームも、いわゆるウォールゲームからジャンプゲームへ発展した。
というか、1980年代初頭まではシューティングだろうがアクションだろうがパズルだろうが「上から見下ろした」ものばかりだった。それこそ「パックマン」や「平安京エイリアン」もだし、「倉庫番」や「ローグ」なんかもそう。
それが「ディグダグ」や「ドンキーコング」や「ロードランナー」あたりからサイドビューのゲームが飛躍的に増えた。
サイドビューになった最大のメリットは「ジャンプ」という要素が加わったことです。ジャンプも最初は、それこそ「ドンキーコング」ではただたんに「敵を避ける」ためのものでしかなかったのが、「高いところにあるアイテムを取る」だったり「敵を攻撃する」というふうに使われるようになって、どんどんゲーム性が高くなったのです。
となると、このエントリも、当然そこから始めないといけない。てなわけで、ゲームスタート!
◇ ドンキーコング(任天堂)
まだ「ファミコン」なる略称が一般的ではなく、当たり前のように「ファミリーコンピュータ」と呼ばれていた発売直後のキラータイトルは間違いなく「ドンキーコング」でした。
そりゃあ今の目から見たらアーケード版のサブセットなんだけど、当時の感覚で言えば「ゲームセンターにあるドンキーコングそのもの」に見えたんですよ。
それまで「家で遊べる」パソコンやコンシューマーゲーム機に移植されたものは「ぱっと見」からして違うもので、グラフィックも動きも「同じに出来なくて当たり前」だったのがファミコン版「ドンキーコング」は「もうこれ、ゲームセンターだろ」と思わせたんだから凄い。
もちろんファミコンの性能があればこそ、というかそもそもファミコンは「ドンキーコングが再現出来る性能」を基準に構成されたのですが、あの衝撃は当時を生きてないと、いや当時のマイコンやコンシューマーゲーム機事情がわかってないと想像すら出来ないと思う。
◇ ギャラクシアン(ナムコット)
たしかにね、サードパーティ第一号はハドソンなんですよ。でも、こう言っちゃナンだけど、パソコンソフトで頭角を表し始めてたハドソンとアーケードゲーム界の雄、ナムコでは意味合いがまったく違う。
というかパソコンユーザーの間では「ファミリーベーシックはHuBASIC(ハドソンが開発したシャープ機種向けのBASIC言語)のサブセット」というのは有名だったし、たぶんハドソンはファミコン開発時から相当食い込んでるんだろ、だから特別にハドソンブランドで発売出来たんだ、くらいに思っていたわけで。
しかしアーケードゲーム分野において任天堂のライバルであるナムコがファミコン開発に食い込んでるなんて、当時の常識ではあり得なかった。
それまでもセガブランドや電波新聞ブランドでナムコのゲームは出てたけど、まさかファミコンにナムコブランド(厳密にはナムコットブランドだけど)で、と本気で驚いたんです。
今思えば「ファミリーコンピュータ、欲しいな」となったのは「ギャラクシアン」のチラシを見た段階だったな、と。
◇ ゼビウス(ナムコット)
これも当時のパソコン事情と切っても切り離せない話でして、ココでも書いたようにこの頃は「如何にしてゼビウスをパソコンに移植するか」みたいなところがあって、しかし当時のパソコンはとてもじゃないけど<まとも>な「ゼビウス」の移植は不可能だったんです。
「ぱっと見」からしてぜんぜん違うPC-6001版やFM-7版(PC-6001版は<タイニー>ゼビウス、だけど)、「ぱっと見」はわりと近いけど一面毎にロードが必要なX1版、そして移植ではないけど限りなく「ゼビウス」に似せた「アルフォス」(PC-8801版)もありましたが、見た目を度外視しても<動き>も<挙動>も10万円超のマイコンで再現不可能なものが、1万ちょっとのファミコンで<ほぼ>再現されたのは、極端に言えば常識がひっくり返された気分だったんです。
そりゃあナスカの地上絵がないとか、アンドアジェネシスが動かないとか、そもそもアーケード版では<縦長画面>がファミコン版で<横長画面>になったりとか、違いはありますよ。でもそれこそ当時基準なら「欲張りすぎ」な話で、マジで「RPGとかアドベンチャーとかシミュレーション以外の、それこそアクションやシューティングをマイコンで作ろうとすることがナンセンス」にさえ思えたんだから。
たぶんファミコン版「ゼビウス」を見て、かなりのマイコンユーザーはフニャフニャと力が抜けたと思う。オレたちは今まで何を頑張ってたんだ、と。
◇ バンゲリングベイ(ハドソン)
バンゲリングベイ、と言えばクソゲー認識の人が多いと思うし、実際「全方向スクロールのシューティングゲーム」、つまり当時パソコンであった「サンダーフォース」のようなゲームと思って買った人には間違いなくクソゲーだったと思う。
この時代はマッシュアップ的なゲームはあまりなく、もちろんパソコンでは「ハイドライド」のようなアクションRPGはあったんだけど、今の目で見ると「ハイドライド」はアクションRPGというよりはリアルタイムRPGに近い。つまり「アクション」というほどの反射神経は必要とされない、というか。
この「バンゲリングベイ」も同じで、シューティング要素は「ほんの味付け」程度で、じゃあジャンルは何なんだ、となったら、アタシはシミュレーションゲーム、もっと厳密に言えばリアルタイムシミュレーションゲームだと思う。
そしてさらにややこしいのは、実は「戦略シミュレーション」と「ヘリ操縦シミュレーション」の掛け合わせでもある、というところです。
どちらもシミュレーションには属するんだけど、こういう「無理矢理分類すれば同タイプだけど、実はまるで別のジャンル」同士のマッシュアップゲームは今でさえほとんどないと思う。
そもそもヘリ操縦シミュレーションにシューティング要素を付加すること自体が結構ムチャで、もしシューティングとして見做したら「異様に操作性の悪いゲーム」ってことになってしまう。それに加えて戦略シミュレーションの要素まである、となったら、まったく意味のわからんクソゲー、という評価は妥当な気がする。
これが仮に、1面はヘリ操縦の訓練に特化したチュートリアル的な感じに徹して、2面はヘリを操縦しながら敵機を迎撃するシューティングのチュートリアルに特化、んで次の面では敵機はほぼ出てこず戦略シミュレーションのチュートリアルに特化させて、んでその次のステージから史実通りの「バンゲリングベイ」がはじまる、とかなら、もうちょっと評価は変わったと思うし、もし今発売されてたらそうなってたろうな、と思う。
そうは言っても結局時代は戦略シミュレーションでもヘリ操縦シミュレーションでもなく「ゼビウス的なシューティング」が求められてたんだから、やっぱクソゲー扱いになったかもしれないけどね。
◇ スーパーマリオブラザーズ(任天堂)
宮本茂は何度も「パックランド」への言及を行なってますが、アタシも最初、それこそCMで見た時は「パックランド」のイメージがダブった。
いや、もっと正直に言えば「ファミコンのスプライトの制限をかいくぐるために上手くアダプテーションしたな」と思ったんです。つまり「任天堂風パックランド」くらいにしか思ってなかったっつーか。
アタシはね、このゲームが成功した一番の要因は「ゲームスタート時、マリオが小さい」ことだったと思うんです。
とはいえゲームスタート時のマリオ(以下、小マリオ)は当時基準からしたらけして小さいとは言えない。つかそれこそ「ドンキーコング」や「マリオブラザーズ」でよく見たサイズです。
それがゲームスタートしてすぐに、ブロックに頭をブツけたと思ったらキノコが出てきて、そのキノコを取ると巨大化(以下、大マリオ)する。
もし「最初の段階から大マリオ」だったとしたらニュアンスとしては「魔界村」に近くなる。つまり鎧を着ているのがデフォで裸になるのは弱体化だと。マリオも大マリオからスタートならミスして小マリオになるのは弱体化でしかない。
大→小なら弱体化(ただたんにミスが二段階になっただけ)だけど、小→大なら「パワーアップ」ってことになる。
これはゲーム性云々ではなく<演出>です。いきなり、プレイヤーキャラがパワーアップした!というのはとんでもない<引き>で、これ以降もここまで鮮やかな演出を施したゲームはないんじゃないかね。
◇ チャレンジャー(ハドソン)
先ほど書いたように、ファミコンのサードパーティ第一号はハドソンなのですが、アタシのようにマイコンからファミコンに入ったような人間が初期のハドソンのラインナップを見ると、どうにも苦笑いしてしまいます。
マイコンのゲームの開発を始めた黎明期のハドソンは「当時としても小ぶりな、悪く言えばボリューム不足の」ゲームをいっぱい出すメーカーでした。
それがどう方針転換したのか知らないけど、小ぶりなゲーム開発を止め、「デゼニランド」や「サラダの国のトマト姫」のような大作アドベンチャーゲーム、「野球狂」や「ジャン狂」といった「◯◯狂」と題した他の娯楽をコンピュータゲームに置き換えたもの、そして「マリオブラザーズSPECIAL」のような任天堂作品の移植、という具合にラインナップを大きく変えたのです。
何しろハドソンはBASICのような言語が開発出来るほど技術に優れたメーカーだったけど、技術力に比して企画力が弱く、ファミコンに参入したからといって急に企画力が上がるわけでもなく、「ロードランナー」、「バンゲリングベイ」、「スターフォース」など、すべて他社が開発したマイコンゲーム及びアーケードゲームからの移植です。
もちろん自社でマイコン用に開発したゲームもファミコンに移植している。任天堂から発売された「四人打ち麻雀」はハドソン開発というか「ジャン狂」の移植で、実際、発売直前まで「ジャン狂」というタイトルだったそうです。
しかも<小ぶり>ゲーム時代の作品も奥せず移植しており、「バイナリィランド」も「ボンバーマン(マイコン時代は「爆弾男」)」も「ナッツ&ミルク」(内容はかなり違うけど)もすべて<小ぶり>時代作品の移植です。
この「チャレンジャー」も「暴走特急SOS」の移植なのですが、移植部分はあくまで1面扱いで、2面以降は完全なオリジナルになってるのがミソなんです。
「短い作品を大幅に引き伸ばして大作にする」ということで言えば「大長編ドラえもん・のび太の恐竜」っぽい、と言えるのかもしれないけど、ま、それで言えば「やぶにら大全」そのものですね。何というか、昔の作品を引っ張り出してお茶を濁そうとしたら、結局イチから作る方がよほどラクだったって感じっぽいし。
てな親近感を感じたので、正直エポックメイキングとはほど遠いんだけど、例外として今回取り上げたわけで。
んな感じでPage2に続く。