Page2は完全に「アフタースーパーマリオブラザーズ」、つまりファミコンが社会現象になった後の話になるのですが、アタシがファミコンを一番やってたのは「ビフォースーパーマリオブラザーズ」の時代なので知らないことの方がはるかに多いんですけどね。
ま、なんなと書いていきます。
◇ 機動戦士Ζガンダム・ホットスクランブル(バンダイ)
さっきのハドソンの話じゃないけど、リアルタイムでもすでに、あそこのメーカーは技術力が高いとか低いとか、そういうことを言ってた<一般人>はいたんですよ。
ところが当時は「実開発メーカー」の存在はほとんど知られてなかったと思う。つまり任天堂のソフトならすべて任天堂の開発室で作られたもの、くらいには思われていた、というか。あ、もちろん業界の中にいた人は知ってたと思うけど、あくまで<一般人>ってことね。
たぶん、現今、もっとも有名な「実開発メーカー」はトーセだと思う。
トーセは「自社ブランドで販売しない」のと「ごく一部の例外を除いて開発したソフト名を公表しない」ことを徹底しており、ですからいまだに「具体的に、ファミコンのどのソフトを開発したのか」にかんしては不明瞭な点が多い。
Wikipediaによれば「取引先を同業他社にしない」ために<裏>に徹しているというような記載がありますが、ではその逆、つまり「実開発メーカーがもっとも前面に出たケース」はアタシは「機動戦士Ζガンダム・ホットスクランブル」(以下、ホットスクランブル)だと思う。ま、厳密には<メーカー>ではなく<ゲームクリエイター>だけど。
これは「ホットスクランブル」のCMですが、どう公平に見ても扱いは「(開発者である)遠藤雅伸>>>>Zガンダム」で、アタシは遠藤雅伸を知ってたけど(何しろ「ゼビウス」と「ドルアーガの塔」の遠藤雅伸だし)、いや知ってたからこそ余計に異様に印象に残った。社会現象にまでなったガンダムの続編より目立つってどんな破格の扱いだよ、と。つかこのCMをリアルタイムで見た時のインパクトは今でも忘れません。
正直ゲームの出来は、遠藤雅伸のやりたいことにファミコンの性能が追い付いてなさすぎるって感じで、ま、ちょっと残念な出来だったけどね。
◇ドラゴンクエスト(エニックス)
もう、マイコンマニアなら一発で「ウルティマのアダプテーションだな」と気づくゲームデザインですから、ま、システム自体はそこまで画期的ではない。
アタシが初見時に「これは新しい」と思ったのは「ウインドウシステム」です。
この当時、すでにGUIを実現したコンシューマ向けのパソコンであるMacintoshは存在しており、つまりウインドウというGUIはそれなりに知られたものでした。
しかしゲームではほとんど採用例がなく、とくに8bitマイコンやファミコンのような性能の低いマシンでウインドウシステムを作るのは無理なんじゃないかとすら思われていたというか。
「ドラゴンクエスト」以前にもマイコンにはRPGはありました。中でも売れたのが先の「ウルティマ」、「ウルティマ」の永遠のライバルである「ウィザードリィ」、そして「ウィザードリィ」を日本向けにアダプテーションした「ブラックオニキス」などです。
これは「ブラックオニキス」のゲーム画面ですが、当時のRPGはだいたいこのような、似たりよったりのゲーム画面構成で、あらかじめマップとキャラクターのステータスが分割表示されていました。
この画面構成の欠点は「メインとなる画面が小さくなる」ことで、もちろん常にステータスが表示されててわかりやすいという長所もあるんだけど、やはり迫力に欠ける。
これがウインドウシステムなら必要に応じて出したり閉じたり出来るので画面を有効活用出来る。それはわかっていたのでしょうがマシンパワー的にどうしようもなかった。
しかしアタシはそれだけが理由ではないと思う。
これはもう流行り廃りの話なんだけど、画面にいろんなステータスがいっぱい表示されている方がサイバーっぽくてクール、という風潮があったんですよ。
一部グラフィカルな箇所もあるけど、走査線入りの8x8の粗いドットで作られた文字や数字で埋め尽くされた画面、というのはたしかに今の目で見てもクールで、当時の開発者は「必要に応じてステータスを出したり閉じたりする」ウインドウシステムはたしかに理にかなっているけど、文字と数字メインの画面はこれはこれでクールだからいいじゃない、という感じだったんじゃないか。
「ウルティマ」や「ウィザード」と「ドラゴンクエスト」の最大の違いはデザインコンセプトで、「ウルティマ」や「ウィザード」などが<クール>路線を目指したものならば「ドラゴンクエスト」は<ポップ>路線のグラフィックです。それは鳥山明をキャラクターデザイン及びパッケージデザインに招いたことからも明らかです。
つまり「ドラゴンクエスト」のシステムは画期的でも何でもないけど「<ポップ>なRPG」というコンセプトは本当に画期的だったし、鳥山明のグラフィックデザイン力と堀井雄二による独特のダイヤログで、きわめて高いレベルで<ポップ>さを実現出来ているのがすごいのです。
◇ プロ野球ファミリースタジアム(ナムコ)
ファミスタの話はココに散々書いたから内容にかんしては割愛するけど、ゲームの出来云々の前にひとつすごいことがあって、このソフト、何と3,900円なのですよ。
たぶんファミコンソフト初のハードケース入りで、マニュアルも全ページカラーで、大々的には謳ってないけど実はメガROMで、だいたい4,900~5,500円くらいが相場だった時代に3,900円は安すぎる。
かなり戦略的な価格設定なんだろうけど、いったいどういう<からくり>だったんだろ。
◇ パックランド/源平討魔伝
このふたつはセットで語らさせていただきたい。というかセットでないと意味がないというか。
これはもう、完全に「当時の感覚」なのですが、ソフトウェアメーカーにたいしてユーザーが一律に思っていたわけではなく、あきらかに<差>があったんです。
しかもこれ、ソフトウェアとしての出来不出来というか「どれだけ面白いファミコンソフトを出しているか」ではなくて、何というか<格>のようなものが確実に存在していたと。
もっとも<格>があると思われていたのが「アーケードゲームの開発メーカー」です。
そして次が「パソコンソフトの開発メーカー」、さらに次が「ゲーム会社ではない玩具会社」、んで最後が「その他」、みたいな感じです。
何しろ当時は「アーケードゲームからの移植」というのはとんでもない<惹き>であり、今の言い方で言えば「アーケードゲームのIPを持ってるだけで圧倒的なアドバンテージ」だったんです。
しかし、言うまでもなく、アーケードゲーム筐体とファミコンでは性能が違いすぎる。当時基準でも古いIP=アーケード筐体自体がたいした性能ではないゲームの移植は「画面が縦長から横長になった」とか「敵のアルゴリズムが違う」とか「マップが一部違うor割愛されている」程度の、いわば「準完全移植」が可能でしたが、ゲームセンターに並んでまだ一年も経ってないような新しめのアーケードゲーム筐体からファミコンへの移植は困難を極めました。
当たり前の話だけど、アーケードゲーム筐体の性能は日進月歩であり、一方ファミコンの性能はずっと据え置き。だから時代を経る毎に「アーケードゲーム筐体からファミコンへの移植」が困難になっていったんです。
Page1にてアタシは「スーパーマリオブラザーズ」について「パックランドをファミコン向けに上手くアダプテーションしたなという感想を持った」というようなことを書きましたが、これは要するにスプライトの問題です。
ファミコンが普及していく段階でもっとも開発の壁というか、とくにアーケードゲームからの移植の壁になったのはスプライト制限でした。
ファミコンは「16x16ドットのキャラクターを横方向に4つまでしかスプライトが並べられない」という制限があった。スプライトの説明をしていくとキリがないんだけど、スプライトには優先順位があり、もし横ラインに5個目のスプライトを置けば一番優先順位が低いスプライトが消えてしまう。
この制限を掻い潜るために編み出された方法が「一見5個以上表示しているように見えるが実は交互に高速で切り替える=スプライトを点滅させているだけ」という方法です。
たしかにこの方法ならいくらでもスプライトを表示出来るんだけど(いくらでもは嘘だな。ま、性能内であれば、ですね)、キャラクターが点滅してるように見えて非常に見づらい。「エグゼドエグゼス」なんか、この現象をまるで<わざと>と言わんばかりに「フラッシュ攻撃」と名付けてゴマかしていました。(もちろんいくら上手く名称を付けようが単純に「見づらい」だけなのでファミコン版「エグゼドエグゼス」は当時から評判が悪かった)
で、です。これを見ていただきたい。
「スーパーマリオブラザーズ」のキャラはたしかに大きいのですが、大きいのは<縦方向>に限定されている。縦方向ならスプライト総数制限にさえ引っかからなければ「横4個まで」は関係ない。
しかしアーケード版のパックランドは、というと
こんな感じで、すでにパックマンだけで2つも使っているのです。
もちろんアーケードなら問題にはならないけど、ファミコンに移植するとなると「横4個中2個に操作キャラのパックマンが占める」というのはさすがに無理で、もし強引に、なるべくアーケードのムードを損なわないグラフィックで移植すれば、それこそ「エグゼドエグゼス」真っ青の「延々チラついたグラフィック」になってしまってゲームにならない。
それでも人気作だった「パックランド」をファミコンに、という要望は強く、結局ナムコは移植することになるのですが、その結果がこんな感じでした。
念のためにもう一度アーケード版のスクショを。
当時でさえファミコン版は「ショボッ!」って感じで、しかもよく見ればアーケード版ってトゥーンシェーディングじゃないけど一般的なアニメのように「黒縁付き」なんですよね。となるとキャラクターはもちろんバックグラウンドもファミコンの性能ではとても「パックランド独特の<ポップさ>」を表現出来ない。
さらに言えばアーケード版「パックランド」は操作系も独特で、これもファミコンでは再現し辛い仕様で、さらに言えば「スーパーマリオブラザーズ」の後で発売されたわけで、何が悲しゅうてアーケード版の劣化移植、並びに「スーパーマリオブラザーズ」をショボくしたのを遊ばにゃならんのだ、という気持ちにさせられた。
これ以降、ナムコはあまりアーケード版の<無茶移植>をしなくなった。
もちろんスプライト制限がなさそうな、というかアーケード版からしてキャラクターが「縦にデカい」ゲームはなるべく忠実に、という気持ちはあったんだろうけど(例「ドラゴンバスター」等)、それこそ「スーパーマリオブラザーズ」ような横スクロールアクションゲームを作るにしても、アーケードゲームからの移植ではなく、はじめからファミコンの性能を換算に入れたオリジナル作品(例「ワギャンランド」)に力を注ぐようになっていきます。
それでも「パックランド」同様、人気の高いアーケードゲームをファミコンで、という要望が強い場合は「アーケード版とは違う形で」というふうになった。
ひとつが1989年に発売された「スプラッターハウス わんぱくグラフィティ」で、アーケード版「スプラッターハウス」のデカキャラをSD化っつーかコミカル化し、大幅にスプラッター表現を抑えた作品に仕上げたのです。
そしてもうひとつが「源平討魔伝」です。
アーケード版は完全なアクションゲームでしたが、こっちは何とボードゲームにした、という。もっともボードゲーム要素はサブで、実際はかなりRPGに近いものでしたが、どっちにしろデカキャラが剣を振り回すアーケード版とは180度方向性が違う。
ただし極力アーケード版の「源平討魔伝」に近い、というか、かなり意識して作ったな、という作品がコナミから発売された。もちろんこれが「月風魔伝」です。
個人的にこれはパクりではないと思う。たしかに「源平討魔伝」をファミコンでも遊びたいという層を取り込もうとしたのは間違いないけど、むしろコナミからナムコへの挑戦状というか、ここまでファミコンでやれるんだ、というのを見せつけた、というかね。
「月風魔伝」はファミコン版「源平討魔伝」の一年以上前に発売されており、もしかしたらナムコ側に「負けた。ウチが「源平討魔伝」を移植しても「月風魔伝」以下にしかならない」と思わせたのかもね。事実は知らないけど。
こんな感じですかね。
というか、しつこいけどアタシはファミコンマニアじゃないので書けるのはこれくらいなんで勘弁してくださいませませ。
あらためて念を押しておきますが、今回取り上げたファミコンソフトは間違っても「熱中したソフト」でも「大好きなソフト」でもなんでもない。あくまで「個人的に画期的だと思ったソフト」です。 ソフト名を挙げた中でも、たとえば「ドラゴンクエスト(Ⅰ)」は買ってはみたもののわりと最初の方で放り投げたし、「チャレンジャー」なんかはつまらなすぎてやっぱり放り投げてる。 「パックランド」はクリアしようとはしてたんだけど、PCエンジンを手に入れたことでPCエンジン版「パックランド」の方が圧倒的にアーケード版に近かったのでそっちしかやらなくなった。 アタシは当時も今も、ファミコン原理主義者でもなんでもない。ファミコンは好きだけどPCエンジンもメガドライブも、どころかマスターシステムも好きでしたからね。 どうもアタシは原理主義者にはなれない傾向があって、Appleは好きなんだけど今は普通にAndroidとWindowsを使ってるし、阪神タイガースが好きでも他のチームにも好きな選手がいる。 だからアタシはファミコン愛がないのかもしれない。<好き>とは言えるけど<愛>まではいかないというか。ま、ただの言葉遊びですが。 |
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