「スーダラ伝説」はドリフターズが繋いでくれたが故
FirstUPDATE2023.9.8
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 重箱の隅をつつくようなことを言うようだけど、アタシは基本的にザ・ドリフターズを<ドリフ>と略するのが嫌いです。つかそれを言えばクレージーキャッツもなるべく<クレージー>と略したくない。
 そもそもドリフターズだって<ザ>を略しているんだから、これ以上略する必要がないんじゃないかと。

 さてアタシは1990年からの数年にわたる植木等復活劇にものすごくこだわっています。
 もちろんアタシが唯一、リアルタイムで体験したクレージーキャッツの足跡ということもあるのですが、それよりも、何度も試みられながら成功しなかったクレージーキャッツ再始動が何故この時は上手くいったのか、どうしても<そこ>の解明がしたいんです。
 過去、アタシはそのひとつに「レンタルビデオ屋の普及」を挙げました。(その話はココ)街のあちこちにレンタルビデオ屋が出来たことで、一部の地域かつごくごく一部のマニア以外関係ない存在だったクレージーキャッツが、レンタルビデオとレンタルCDのおかげで、何となく興味がある程度の人たちまで広く体験出来るようになったことは本当に大きかったと思う。
 ただ、それをすべての理由にするには、ためらいをおぼえる。極めて大きなことだったとは思うけど、全部ではない、と。わかりますかね。

 ここでちょっと関係なさそうな話をします。
 日本において、もはやショウ番組はほぼ消滅したといっていい。「24時間テレビ・愛は地球を救う」だってどんどんショウ番組としての要素がなくなってるし、「紅白歌合戦」や「思い出のメロディ」(は終わったらしいけど)もね、ああいうのも「歌番組」である以前にショウ番組なんですよ。つか単に、カメラの向こう側にいる視聴者に歌を聴かせるだけならあんな感じでやる必要はどこにもないわけで、昨今「紅白歌合戦」が迷走しているのは「歌番組ではなくショウ番組」という当たり前のことがわかる人がスタッフにいなくなってるからなんじゃないかと。

 実はショウ番組を作るには、バラエティ番組や歌番組を作るのとは違う知識と経験と才能が必要なんです。というような話は「複眼単眼・東京オリンピック2020開会式」で書いたので是非読んでみてください。
 とにかく1960年代まではクレージーキャッツに限らず様々なタレントが当たり前のようにショウ番組でホスト・ホステスをやっていました。
 というか歴史を紐解けば、まずショウ番組というものが誕生し、そこからバラエティ番組と歌番組に分裂したと言っていい。悪く言えばふたつに引き裂かれたってことになるけど、ま、それはしょうがない。
 そうしたショウ番組→バラエティ番組の流れは「今一度、ジャニー喜多川とSMAP解散について考える」てなエントリに書いたので参照していただけるとありがたいです。

 植木等をはじめとするクレージーキャッツは文句なしに「ショウ番組世代」です。
 「シャボン玉ホリデー」は一般にはバラエティ番組ってことになってるけど、現存しているVTRを見る限りは紛れもないショウ番組であり、「スタジオで収録するショウ番組」は「シャボン玉ホリデー」が頂点であると同時に最後の番組でもあるんです。
 実際、「シャボン玉」以降、スタジオで収録するショウ番組はほぼ完全に消滅した(エッセンスはNHK教育テレビ=現・Eテレの番組でわずかばかり残存した)。これはクレージーキャッツがグループ活動をほぼ終了させたのと同時期です。
 つまりメンバー個々はともかく、クレージーキャッツというグループとしてはショウ番組しか知らないグループと言えてしまうわけで。
 クレージーキャッツはショウ番組しかやってこなかった、しかしショウ番組の感覚がいるスタッフはもう隠居しており現場にはいない。となると1980年代に何度も試みられたクレージーキャッツ再始動が上手くいかなくて当然なのです。

 マニア的視点ならどちらも面白いとはいえ、「アッと驚く!無責任」(1985年放送・フジテレビ)と「シャボン玉ホリデースペシャル」(1986年放送・日本テレビ)を見れば「バラエティ番組でのクレージーキャッツが如何に<しんどい>か、かといってショウ番組ノリなら何でもないいいわけでもない」というのが嫌でもわかります。

 「アッと驚く!無責任」は当時の潮流というか「オレたちひょうきん族」に代表される「1980年代的フジテレビのバラエティ番組」のノリかというと違う。全体のムードで言えば「ドリフ大爆笑」に近い。というかクレージーキャッツとドリフターズとの合同コントなど空気感(ラフSEが入ったりするのも含めて)は完全に「ドリフ大爆笑」の<それ>で、つまり相当クレージーキャッツに遠慮しているというか「バラエティノリとショウノリの折衷」にはなっているんです。

 にもかかわらず、メンバー全員、年始の「かくし芸大会」などの例外を除いてほとんどこうした番組に出演してなかったせいか、各自、自分の役割をコナすのに必死で、クレージーキャッツの魅力である「ワンチーム感」が薄いんですよ。
 とくにタモリとの絡みなんか完全にタモリが遠慮しているように見えて、ギクシャク感がすごい。

 一方「シャボン玉ホリデースペシャル」の方は、かつてのスタッフがそのままあたったのでショウ番組にはなってたけど、包装紙が古臭すぎて、チェッカーズとかが出ていたにもかかわらず、とても現代の番組とは思えなかった。
 「植木等と藤山寛美」(後に「喜劇人に花束」に改題)などの著者として知られ、「植木等ショー」では作家のひとりでもあった小林信彦はこの番組について

二時間、まったく飽きさせなかったし、谷啓の神父が「東京音頭」を踊るコントと落ちのあざやかさは、絶賛されてしかるべきなのだが、ぼくは一つとして批評を見かけなかった。


 と記していますが、メチャクチャ正直に言えば、アタシにはそこまでのものとは思えなかった。この感想はリアルタイムで見た時も、近年再見しても変わりませんでした。
 そんなことよりも「クレージーキャッツのメンバーも老けたなぁ」と悲しい現実だけが浮き彫りになっていた、というのが一番の感想になってしまうわけで。
 

 ショウ番組に限らずショウってね、何だか旧態依然としたもの、というイメージをお持ちの方もおられるのかもしれないけど、実はショウほどアップトゥデイトが必要なものもないんですよ。
 ショウの感覚がわからなくてもダメ、旧態依然としたショウでもダメ。あくまで今の時代の息吹が感じられるショウの作り手が必要なんです。

 実はこれ、作り手だけの問題ではない。作られていなければ受け取り手はショウに馴染みようがない。つまり年月が経つほどに「ショウの楽しみ方」がわかる人が減るということに他ならない。
 そんな中、コツコツとショウの灯を絶やさないようにやってきたグループがあった。ま、エントリタイトルでネタバレしてるけどさ。

 ここまでアタシは「クレージーキャッツは完全にショウ番組世代」と書いたのですが、ではドリフターズはというと実に微妙なんですよ。
 ドリフターズが結成時期(ドリフターズの場合、本当は<結成>という言葉ではなく<メンバー再編成>とした方が正確なんだけど、とにかく1960年代半ばの、志村けん以外の現メンバーが揃った時期を指す)はまだまだショウ番組の全盛期で、ということはドリフターズとしてショウ番組の経験があるかないかで言えば「ある」わけです。
 しかし純粋ショウ番組に出演したドリフターズの映像はほとんど残っていない。そんな中、ただ一本、ドリフターズが「植木等ショー」に出演した時の映像が残存しています。ただしいかりや長介は怪我のため未出演ですが。

 「植木等ショー」のこの回を演出した砂田実は「ドリフ本来の笑いじゃなくて、僕の悪いくせでミュージカル趣味が出ちゃった」と語っているように、非常に貴重な「ショウ番組でのドリフターズ」を見ることが出来ます。

 たしかに砂田実の言う通り「ドリフ本来の笑い」ではないのですが、さほど違和感がない程度にはコナしています。
 ドリフターズは「モダンな方向を切り捨てる」ことによってクレージーキャッツとの差別化に成功したわけですが、では完全にモダンと決別したのかというとそうではないのです。
 第一期「8時だョ!全員集合」、「日曜日だョ!ドリフターズ!!」、荒井注在席時までの第二期「8時だョ!全員集合」の頃まではまだモダンテイストを残しており、歌ったり楽器を使ったコントも結構あったんです。
 じゃあそれ以降、志村けん加入後は完全にモダンテイストがなくなったか、というと、正直相当薄くはなったのは事実です。

 だけれども、ドリフターズは最後までオールドスタイルを貫いた。内容はバラエティに限りなく近くても構成はショウであり続けたんです。
 これは日劇の正月公演を見れば嫌でもわかる。そのうちの数回は「ドリフ大爆笑」の番外編として映像で残されていますが、構成が完璧にショウなんですよ。
 高らかに音楽が響く中ドリフターズのメンバーが登場して、いかりや長介が挨拶と説明をする。その後はコントとゲストの歌なんかがあり、さらに途中は音楽コントも挟んでいる。
 エンディングはもちろん全員で歌って終了っていうね。つかエンディングじゃない。完全にショウのフィナーレになってるんですよ。
 中身的には現代でありながら、構成はショウそのもので、もっとはっきり言えばダンスを全割愛して、歌を大幅に減らしたショウなんです。
 

 もちろんこれは日劇の公演だけど、「8時だョ!全員集合」も結局最後までフォーマットは崩さなかった。末期はかなりおざなりだったには違いないけど、オープニングとフィナーレは出演者総出の<歌>だった。いや、それを言えばショウ番組ではなく完全なバラエティ番組だった「ドリフ大爆笑」すら、オープニングとフィナーレは<歌>だったんだから。
 これは完全にいかりや長介の感性の問題だと思う。
 おそらくいかりや長介の中に「歌ではじまって歌で終わらないと、どうも全体がしまらない」と感じていたのではのないかと。如何に泥臭い面白さを標榜していたドリフターズというかいかりや長介と言えど、いかりや長介のショウ感覚は骨の髄まで染みていたような気がするんです。

 何故、いかりや長介は骨の髄までショウ感覚が染み渡っていたのか。ココにも書いたのですが、いかりや長介は幼少時に、父親に連れられてシミキンこと清水金一の舞台を浅草で見ている。
 シミキンは令和の今、名前が消えたコメディアンですが、全盛期は戦中で、エノケンや古川ロッパが消えた浅草をひとりで盛り立てていた存在でした。
 ただしシミキンは歌が苦手だった。にもかかわらず、というかそれまでの浅草のフォーマットに則ってショウの要素が強かったと言われています。
 そうしたショウを見ていたいかりや長介は、きっと幼心にこう感じたに違いない。

内容はアチャラカでも、上手い下手にかかわらず<歌>で締めるものなんだ

 とね。

 こうやっていかりや長介、ひいてはドリフターズが「大衆的なショウの<灯>」をギリギリ絶やさないようにしていてくれたから、制作スタッフ側はともかく、受け取り手側はショウスタイルにたいして「これが<王道>なんだ」という感覚が残存した。
 「8時だョ!全員集合」が終了したのが1985年10月です。で、植木等復活劇のきっかけとなった「スーダラ伝説」の発売が1990年11月。つまり、ほぼまる5年。
 正直、これがギリギリのタイミングだった。これ以上後だったら受け取り手が「ショウって何?王道って何?」ってなってた可能性が高い。
 つまり、ドリフターズが第一線で超人気番組をやってくれてなければ植木等復活劇はなかったと思う。

 これは現今も同じです。
 さすがにもうショウ番組は無理だけど、コントはいまだにドリフターズがお手本になっている。
 晩年、仲本工事は「いかりや長介に「Mr.ビーンを見ろ」と言われたけど「見たけどドリフのコントの方が面白い」って言ったら何も言われなくなった」と語っていましたが、私見でもドリフターズのコントはMr.ビーンはもちろん、モンティ・パイソンなんかのコントよりもレベルが高い。
 世界中どこに出しても恥ずかしくない、いわば世界トップレベルのコントをやってたのがドリフターズとも言えるわけで、そんな最高のお手本がある、というのは必ず日本の笑いのレベルの向上に貢献しているはずです。

 直属の先輩の復活劇にも貢献して、今なお若手の<笑い>を作る人たちにも貢献している、と聞けば天国のいかりや長介は何と言うだろうか。

「な?だから言っただろ?オレたちがやってきたことは・・・」

 と言いかけたところでハナ肇が

「長さんさぁ、ちょっといい?イイカゲンニシロ!」

 と言いながら洗面器で頭叩きそうだな。で、ハナ肇の頭にタライが落ちてくるっていう。

ま、実際、主題はクレージーキャッツでもドリフターズでもなく<ショウ>ってことになるのですが、令和の今になってみれば芸能というものにおいてショウというものが如何に異端なのか嫌でもわかります。
基本的にショウはステージだけで、たしかに本文中にあるように「シャボン玉ホリデー」はショウ番組だったんだけど、メチャクチャ正確に書けば「ショウ<風>番組」ってことになるしね。
それでも「シャボン玉ホリデー」の時代ならまだしも、今の時代、ショウ畑で育った人材はツブシが効かない。他の芸能と違いすぎるというか、それこそ宝塚でも退団後は、同じ<芸能>という括りなだけの、歌劇団としてやってたこととまったく関係ないことをやらなきゃいけないわけで。
だからね、ショウタレントとしてドリフターズの後継は未来永劫、出てくることはない。もしかしたらコミックバンドの、とか、コントタレント、コメディアンとしてのクレージーキャッツやドリフターズの後継者、後継グループは登場するかもしれないけど、ちゃんとしたショウがコナせる<笑い>の人は出てこれる土壌がなさすぎる。
<笑い>っての抜けばSMAPは確実になりかけたんだけどね。というか本当、関ジャニ∞をそっちで育てなきゃいけなかったのにさ。ま、もういいけど。




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