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複眼単眼・東京オリンピック2020開会式
FirstUPDATE2021.12.30
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 やっぱ人間には「性に合う合わない」ってのがあるもので、とくに「複眼単眼」などはまさにそうなのですが、何について書くにしても「ホメもケナしもせずに事実だけを淡々と書いていく」、もしくは「必要に応じてホメもケナしもする」というのがアタシの性に合ってると思うんです。

 つまり、歯が浮くような絶賛のみや、逆に辛辣に書きゃそれだけで面白いだろ、みたいなのは自分で書きたくないのはもちろん、読むのさえあんまり好きではない、ということになる。
 マジメに書くなら書くで、良い面も悪い面も両方書かなきゃいけないし、ホメもケナしも絶対に感情的になって書き殴ってはいけない。
 それは肝に銘じているのですが、けしてそれはバランスを取ろうって発想からじゃないんですよ。
 とくにケナしは殊更留意が必要で、失敗したらとてつもなく、書いた自分でさえ不快な文章になる。それが嫌なんです。アタシは自分で書いた文章を読み返すのが好きな奇人なんでね、んなもん、自分の書いた文章で不快な気分になるなんて最悪ですよ。

 だから、これ、書くかどうか迷った。ましてや複眼単眼らしくないある種の時事ネタです。
 でももし書くのであれば、絶対に複眼単眼しかないと思っていた。ここならばマジメに書かなきゃいけないってブレーキがかかるし、多角的にいろいろ書けば、まァ、罵詈雑言にはならないだろうと。
 と書けばご理解していただけると思いますが、今回の主題である「東京オリンピック2020開会式」のことを、基本的には、いや基本的どころか頭から尻尾まで、まったく評価していない。
 ひと言で言うなら、どうやったらあそこまで失敗出来るんだろ、どれだけテキトーにやってもあれよりマシになっちゃうんじゃないの?というレベルの失敗だった。つまりアタシはアレを「針がマイナスの方に完全に振り切ったレベルの世紀の失敗」だと思っているのです。
 ケナすのもホメるのも細心の注意が必要なのには変わりありませんが、それでもまだ、ホメる方が若干気が楽です。
 ところがアレにかんしては、正直、ホメどころがひとつもない。普通、どれだけの失敗作でも、それこそ世紀の凡作・駄作と言われるような映画でも、ひとつやふたつくらいは「良い点」を見つけられるものです。
 でもアレはそれもない。だからブレーキをかけないととんでもないことになってしまうのです。
 
 そこで少し作戦を考えた。
 書きたいことを割愛っつーか間引いたりするわけではないけど、否定的なことはなるべく短く済ませてしまおうと。んで、その後に何を書くかは、とりあえず否定的なことを書き終わってから考えようとね。
 つまり、ま、ノープランです。こうした長文を書く上でノープランなんて普通は絶対にしないんだけど、今回は場合が場合なのでアウトサイダーなことをやってみます。
 成功するかどうかは、何の自信もないけど。

 ノープランだから失敗するとは限ってないように、しっかりと綿密に、時間をかけてプランを練ったからといって必ずしも成功するとは限らない。当たり前ですが、おそらく開会式にかんしては時間をたっぷりかけて、また言うまでもないけど、カネもジャブジャブ使ったんだろうな、という想像は出来ます。
 直前になって演出担当の元お笑い芸人が解任されましたが、だからといって時間的余裕を鑑みてもプランを白紙にするなど当然あり得ないことで、何しろ実際は<直前>どころか開会式の<前日>ですからね。名目上は解任だけど、元芸人の演出プラン通りに進行されたのは間違いありません。
 もちろん、だからといって、元芸人にすべての責任をおっ被せるのは間違ってる。いや、「成功か失敗かでいえば、まァ失敗」ってレベルなら演出の問題が大きいかもしれないけど、しつこいけどアレにかんしては「何もかもが全部ダメ」だったわけで、元芸人も失敗の一端を担ってたかもしれないけど、氷山の一角、と言う感じです。
 とにかくこんなトラブル続きなこともなく、さらにもう少し前になるけど、開会式の4ヶ月前には演出を統括するクリエイティブディレクターも辞任している。
 あまりにも腹立たしすぎて、逆に可哀想なんで名前は出さないけど、このクリエイティブディレクターの手掛けた作品というかCMのリストを見て、アタシは戦慄した。

・ソフトバンク「白戸家シリーズ」
・トヨタ自動車 「ReBORN」、「ドラえもん」
・江崎グリコ 「OTONA GLICO」


 もう、いったい、TwitterでもTumblrでも、これらのCMのことをどれほど批判しただろうか忘れるほど、腹立たしいCMが並んでいる。
 念の為に書いておけば、まァソフトバンクのは省くけど、トヨタの「ReBORN」はビートたけしと木村拓哉が秀吉と信長の生まれ変わりってヤツで、ドラえもんはジャン・レノがドラえもんに扮したヤツ。グリコのは25年後の磯野家(もちろん「サザエさん」の)ってヤツです。
 さらに言えばトヨタのドラえもんが終わったら今度はソフトバンクでまたドラえもんをやりだしたのですが、すべてこのクリエイティブディレクター氏の仕事です。

 氏が辞任したのが2021年の3月。ということは元芸人が解任されたよりははるかに時間があり(それでもたった4ヶ月だけど)、氏のプランが実際どれだけ本番で活かされたかは不明ですが、何かもう、さもありなん、というふうに思えてしかたがない。
 氏の手掛けたCMってね、ぶっちゃけただの「安直」なんですよ。クリエイティブディレクターなんて名乗ってるわりにはまるでクリエイティブ精神がない。とにかく「誰でも知ってるキャラクターを有名人に演じてもらう」それだけ。当人は「どうだ、意外なキャスティングだろ」と鼻高々かもしれないけど、別に意外でもないし、そもそも誰に向けてなのかもさっぱりわからない。トヨタで言えば自家用車の購買者層を狙ってるってのも一切感じないし。
 というか元キャラクターのファン(アタシで言えばドラえもんの藤子・F・不二雄)が怒るようなものを平気で作る無神経さがわからない。
 たぶん、氏は何でファンが怒ってるのかわかってないんだろうけど、その無神経さに怒ってるんです。つまりは「元の作品にたいして愛情もなく、ただ利用しているだけ」という無神経さに。

 アタシは当サイトでも、いやTwitterであろうがどこであろうが、あまり批判めいたことを書いてません。根本的に怒りの感情が薄く、もし、腹が立ったとしても「目の前に本人がいたとして、どれだけ屈強なボディーガードがいたとしても同じことが言える」ことしか書かないようにしている。
 だからもし、このクリエイティブディレクター氏が目の前にいても同じことを言う。というかもっとはっきり言ってやりたいわ。アタシよりもずいぶん年上だけど、そんなことは関係ない。

あんたもう、根本的に間違ってるよ、と
あんたがCMをダメにしてるよ、と


 しかしね、元を正せば、元芸人にしろ某クリエイティブディレクター氏にしろ、こんな人に開会式のプランを練らせる方が間違ってる。もっと言えばこんな人たちに関わらせた人間が一番の問題です。
 じゃあテメエは誰に任せればよかったと思うんだ、と言われても困るのですが、ふと、2013年の大晦日の糸井重里のツイートを思い出した。

もう、やっぱり、 オリンピックも「大人計画(松尾スズキ・宮藤官九郎)」と「みうらじゅん」でやっていいんじゃないか。調整をNHKがやればいい。


 さすがに年月が経っているので少しだけ補足しておきます。
 2013年と言えばオリンピックの東京開催が決定した年でありますが、もうひとつ、この年に「あまちゃん」という朝ドラが大ヒットしました。
 視聴率的にはそこまで突出したものではなかったものの、とにかくSNS上での盛り上がりが凄まじく、アタシ自身もかなり熱心な視聴者でしたが、糸井重里もまた、熱心な視聴者でした。
 「あまちゃん」の脚本を手掛けたのが宮藤官九郎で、だからクドカン(とNHK)の名前が出てきたのでしょうが、もうひとりのみうらじゅんは糸井重里にとって愛弟子といっていい存在であり、みうらじゅんの能力を誰よりも把握しているのが糸井重里である、と言える。
 同じ大人計画の松尾スズキ(この人も「あまちゃん」に出演していたし、2011年には岡本太郎の伝記ドラマ「TAROの塔」(NHK)で主演している)と合わせて、この3人にオリンピックを任せろ、と指摘しているのは慧眼を通り越して千里眼とさえ言えるんじゃないか。とにかく糸井重里は「コトの本質」を完璧に見抜いていたと思うんです。


 クドカンは一見ヒネた作風の人みたいだけど、実はきわめて基本に忠実で、今の時代に、それ、やる?みたいなことを「てらいもなく」出来る人なんです。だから創作する上で一番大切な取材や調査を丹念にやって、キチンと物語に落とし込んでいる。そこまでちゃんとやってるからこそ、今の脚本家がテレて出来ないことでも「だって、そこは、こうでないと」という絶対の自信をもって、てらいなく出来る。
 一方、「サブカルの人」扱いされることが多いみうらじゅんもね、本当は「王道中の王道」の考え方を持っているんです。これにかんしてはみうらじゅんの数々の著作を読み、テレビ・ラジオ問わずみうらじゅんの番組を見たり聞いたりして、彼の考え方の<クセ>に接してきたアタシを信じていただきたい。
 そしてみうらじゅんもまた、クドカン同様徹底的な「てらいのない」人で、むしろ「テレが一番の敵」と思ってるフシすら感じるんです。
 ま、再び松尾スズキは置いておきますが、とにかくオリンピックの開会式のようなイベントはクドカンやみうらじゅんのような「てらいのない」人を中心に据えないとダメなのです。

 同じ広告を手掛ける人間でありながら、すべてがわかっていた糸井重里と、安直で幼稚な発想しか出来ないクリエイティブディレクター氏の差にあ然とするばかりですが、何より一番サイアクなのは、まァ、もういいか。
 では何故、「てらいのない」ことがそれほどまでに重要なのか、ですが、Page2に続きます。