本題に入る前に、軽くですが「江戸しぐさ」の話をしたいと思います。
アタシはノンフィクション関係の書籍が好きなのですが、正直ね、真実がどうかなんてどうでもいいんですよ。
ノンフィクションだろうがなんだろうが所詮はただの娯楽としか思ってないので、すべてが嘘で塗り固めてあろうが関係ないんです。
そんなだから偽書、もしくは偽書扱いのものも大好物で「江戸しぐさ」とかね、もう楽しくってしょうがない。何というか、根っからの悪人だから虚偽を書いたってより「もう引き返せない」みたいな心理状態が透けてみえるのが面白いんです。
まさかあんなオオゴトになるとはユメユメ思わずに、調子に乗ってたらエラいことになった、つーか。そういうのがね、何だか滑稽で楽しく、また哀しくなってしまう。
しかし世の中には江戸しぐさにたいしてマジメに怒る人もいる。ってマジメに怒る人がおかしいということではない。むしろ変なのは喜んでるアタシの方でして、怒る方が普通だと思う。ましてちゃんと江戸文化を研究している人ならなおさらです。
それでもアタシは結局、あの江戸しぐさってのは<仮託>以外の何物でもなかったと思う。自らの理想を江戸時代という名のファンタジーに託した、というか。
ここでの江戸時代とは、いわば<リアル江戸時代>ではない。時代劇の中でしか存在しない、悪代官が「お主もワルよのォ」と悪徳商人と密談する、あの<ファンタジー江戸時代>です。
<ファンタジー江戸時代>は何しろファンタジーなんだから辻褄とかは必要ない。<仮託>出来りゃ、んで<仮託>にたいして共感を寄せてもらえればそれで完結なんだから。
しかし時代がそれを許さなかった。それでも江戸しぐさの場合、あそこで「いやぁ、あれはファンタジーですよ」と言っちゃえば済む話だったんだけど、辻褄を合わそうとして江戸っ子大虐殺なんてトンデモワードを使ってしまったところにあの騒動の面白みと哀しみを感じるわけで。
では何でこんなことになったのか。
もちろん「辻褄の合わないことを許容しない」時代になったってのもゼロではない。しかしそれは本質ではない気がするんです。
もう一度活動写真黎明期の頃に話を戻しますが、この時代、一定の年齢以上であれば<リアル江戸時代>を知っていた。だから活動写真にたいしてわざわざ「あれは<ファンタジー江戸時代>です」と断る必要はなかったのです。そんなの「見りゃわかる」レベルでしかなかったと。
しかし、もう誰も<リアル江戸時代>を知らない時代になっても、依然として<ファンタジー江戸時代>は当たり前のように受け入れられていた。
これが当たり前でなくなった時代、すなわちそれは「時代劇がウケなくなった時代」なのですが、その説明の前に筒井康隆著「不良少年の映画史」から引用したい。
ぼくがこの映画を六、七回見たのは、華やかさと江戸情緒に郷愁のようなものを感じたからである。
『この映画』とは1936年公開の「エノケンの吾妻錦絵 江戸っ子三太」(P.C.L.)という時代劇喜劇ですが、まずきわめて簡単に筒井康隆の経歴を書いておきます。
って「1934年大阪生まれ」って書きゃ十分なんだけど、もうこれだけで矛盾を感じる向きがあるかもしれない。
もちろん筒井康隆が見たのは再上映時であり封切り時ではない。これは当然として、問題は何故「1934年生まれの、ついでに大阪生まれの筒井康隆が『江戸情緒』に郷愁をおぼえるのか」ということでしょう。
これは現今の令和を生きる人間にはなかなか飲み込みづらいのですが、じっくり精査していけば筒井康隆の年代の人でも「『江戸情緒』に郷愁をおぼえる」のが「まったくあり得ないことではない」というのがわかっていきます。
実際に作品も見てもらえればよくわかるのですが、この「江戸っ子三太」という映画もそうですし、同時期以前、もしくは以降でも戦前期までに作られた時代劇映画は非常にロケが多い。
しかし現今、ロケを多用した時代劇なんてまず無理で、可能だったとしても山間でのシーンなどに限られる。では街中、要するに民家や屋敷が立ち並ぶ地域はというと、京都太秦にあるような時代劇専用の撮影所など、とにかく「セットを組まないと不可能」です。
しかし戦前期までは「時代劇のロケで使える」場所が街中にも当たり前のようにあった、ということになる。
ここで日本の景観における近代化の話をしていこうとは思わない。それはさすがに門外漢すぎる。
それでもちょっと、文明の利器的な建物やモノを外して撮影してやれば、江戸時代のソレと寸分違わないレベルだった、というのはわかります。
都市部でそうしたことが不可能になった理由、これは言うまでもありません。戦争によって、もっと言えば焼夷弾によって江戸時代とさほど変わらない木造建屋の大半が焼き払われたからです。
言い方を変えるならば「戦前期の光景を記憶している者にとっては、時代劇の<光景>は戦前期まではどこにでもあった<光景>」つまり<郷愁>を誘うものだったと。
ここでアタシの祖父の話をします。
祖父は映画好きで、家族を連れだって毎週のように劇場を訪れていました。
しかし祖父は徹底した洋画党で、母親も「家族で一度も邦画を観に行ったことはない」というくらいですし、邦画なんか歯牙にもかけてなかったというか、もっと言えば完全に邦画を莫迦にしていたと思う。
そのせいか、さすがに祖父ほどではなかったけど叔父たちや母親も徹底した洋画党で、邦画で観るのは黒澤明など限られた監督作品のみ。一方アタシは邦画党だけど洋画党一族で育ったせいか実は邦画と洋画で見た本数は同じくらいだし、いまだに「吹き替えはどうも。やっぱ字幕でないと」と思っている。
そんな後世に強烈な影響を与えた祖父ですが、召される前の数年間はずっと時代劇を見ていた。今でも部屋の隅で、自分専用の小型テレビでひたすら時代劇のテレビドラマを見る祖父の姿が目に焼き付いています。
あれだけモダンで、洋画党で、邦画を莫迦にしていたのに、と母親に聞いてみたことがある。
「懐かしかったからちゃう?」
最初は意味がわからなかったけど、調べれば調べるほど母の返答は納得いった。
ココにも書きましたが、トシをとればとるほど「懐かしさ」つまり郷愁を求めだすというの普遍の心理だと思うのですが、大正生まれの祖父にとって時代劇とは、内容として面白い面白くない関係なく、子供の頃から成人して、結婚して、子供が生まれて、そんな若かりし良い時代の街並みを映し出してくれる、いわば環境映像に近いものだったのではないかと。
受取手視点で、大衆が時代劇に関心がいかなくなったのは「戦前期の<光景>を記憶する世代が減ったから」です。
西部劇が実は「アメリカ人の郷愁を誘うように」作られていたのと同様、時代劇もそうで、しかしそういう世代がこの世からいなくなり、時代劇の<光景>=太秦映画村のようなある種のアトラクションに近いもの、となった現在ではもう時代劇から郷愁のニュアンスを読み取れなくなってしまった。
むしろアタシを含む現代人が郷愁をおぼえやすいのは映画版「三丁目の夕日」などに代表される昭和30年代の<光景>で、もちろんアタシは1968年生まれなのでリアルに昭和30年代の世界を知ってるわけではない。しかしアタシの子供の頃はもちろん、ある時期までは確実に「昭和30年代的光景」がごく普通に残っていたのです。
そもそもの話ですが、だいたい「時代劇」って名称そのものが曖昧で、今から50年以上前に存在した失われた世界、つまり活動写真黎明期にとっての江戸時代、というのは換算すれば現代の人間にとってみれば、それは昭和30年代、ということになる。
そんな単純計算で済ませてよいのかわかりませんが、個人的には必ずしも時代劇=<ファンタジー江戸時代>でなくても良いと思うのです。つか時代劇=<ファンタジー昭和30年代>も十分時代劇という名称にふさわしいのではないか。
そういえば映画版「三丁目の夕日」がヒットした頃、ビートたけしというか北野武が「監督・ばんざい!」という映画を撮りましたが、この中に三丁目の夕日的<ファンタジー昭和30年代>とは正反対の<リアル昭和30年代>を描いたシークエンスが入っています。
当時に実感があるたけしからすれば「三丁目の夕日」の<ファンタジー昭和30年代>は「吐き気をもよおすほど気持ちの悪いニセモノ」だったんだろうし、だから、かはわからないけど、だったらオイラは<リアル昭和30年代>を描いてやる、となったような気がする。
<リアル江戸時代>を描いたような映画はそもそも制作不可能で、「七人の侍」の初期構想は「侍の何でもない一日を徹底的にリアリティをもって描く」ことだったらしいけど、あまりにもわからないことが多すぎて黒澤明はこのアイデアを早々に放棄しています。
だからどのみち無理って言っちゃえばそれまでだけど、たぶん<リアル江戸時代>なんて大衆は求めてなかったと思うんですよ。
その点<リアル昭和30年代>は残存するものが多いのでいくらでも可能だけど、たけしがリキを入れて作った「監督・ばんざい!」の<リアル昭和30年代>的な一編も(たけし映画のわりには)とくに取り沙汰されることもない。
ま、<リアル時代劇>が求められてなかったように<リアル昭和30年代>も求められてなかったってことでしょう。
正直、この辺はたけしの思い違いだと思う。
この話は推測が過ぎるのでこの辺にしますが、たけしに限らず製作者側と受取手側のズレなんてない方がおかしいわけですが、時代劇はとくにそれが起こりやすいような気がする。
時代劇の場合、完成されたものに近づけば近づくほど、様式美に寄ったような<つくり>になったり、はたまた<クサい>ものになる。
Page2で何人か全盛期の時代劇スターの名前を挙げましたが、ここで色川武大の「なつかしい芸人たち」より引用します。
先日、旅先の四国高松で、無声映画のころからの映画狂だという古老にお目にかかった。
いろいろおもしろい話をきいたが、その終わりごろに、原健作の話も出てきた。(中略)
「うん、白粉ののりの悪い役者だったなァ。精悍な、いい顔をしてるがね。白粉がひったたないんだ。それでセリフもね、スターのセリフじゃない。節がついてないんだ。スターならもっと泥臭く抑揚をつけて、眼ン玉ひんむいて見得を切らなくちゃね、誰も憶えない。活弁だって、原健作は説明しにくかったと思うなァ」(「超一流にはなれないが」)
松原千明の父でもある原健作(後年になって原健策に改名)は戦前から戦後にかけて長期間重宝された典型的な<ワキ>(脇役)でしたが、比較的リアリティのあるセリフ廻しと堅実な演技で芝居を固める存在だったのです。
しかしこういう、今の視点からすれば「巧い役者」は主役にはなれなかった。
当時の時代劇スターは、誰でも容易にモノマネ出来るような、独特のエロキューション(発声)と、まるで歌うが如くセリフに<節>(メロディとまでは言えないけど、会話であることを逸脱するレベルで抑揚をつける、という意味)が求めた。
つまり、そうしたエロキューションや<節>や、見得を切る、というのは、今の人が見たら要するに「クサい芝居」と表現されるようなものです。
ココでも書いたように、本来<クサい>というのは悪いことではないのですが、だからと言って受取手のせいにしても始まらないのも事実です。
いやね、アタシが思うに、映画会社やテレビ局が江戸時代を舞台にした時代劇を作りたがらなくなったのは、単純にウケなくなったことに加えて制作費が馬鹿にならなくなったからだと思う。
かつてはロケで済んでいた撮影が大規模なセットを組まないと撮影出来なくなった。これは前述の通り時代劇のロケで使える江戸時代に近しい街並みが消えたからです。
さらに言えば、もう「畳の上での着物の所作」なんて役者は知らない。だからイチから撮影毎に教え込まなければいけないわけで(言うまでもないけど短期間訓練したところで、私生活からして畳の上で着物を着て生活していた戦前の時代劇役者に敵うわけがない)、当然役者を拘束する時間が長くなる=制作費にはね返る。
つまり、商売上、何もメリットがない。手間暇がかかるし、当然制作費もかかるし、古い時代劇作品に比べるとどうしてもリアリティに欠けるし、辻褄の合わないことにうるさいネット民はいるし、何より時代劇ってだけで下手したら敬遠されてしまう。
しかしPage2で書いたように、たしかに現今の東映が作る現代劇や子供向けのアクションヒーロー物は「時代劇の発展系」という捉え方も可能です。
それでも、それこそ悪代官がはびこるような、江戸時代を舞台とした、つまり<純時代劇>は今後ますます作りづらい状況になるだろうし、Page2で「水戸黄門」のことに触れましたが、放送が開始された1969年の時点で東映京都撮影所の協力なしにちゃんとした時代劇を作るのは不可能」という判断から東映が関与(実制作)することになったらしい。
1969年と言えばアタシが生まれた次の年、というのはどうでもいいけど、もう50年以上前の話です。つまり50年以上前の時点ですでにこんな状況だった、ということを考えれば、むしろ、本数はきわめて限られているとは言え、新作時代劇が作られる現今は奇跡なのかもしれない。またスカパーで時代劇専門チャンネルなんてのが存在していることもすごいのかもしれない。
アタシ個人の考えで締めたいと思いますが、時代劇をひと言で言い表すなら「よく保った」ってことなります。
ロウソクの火が消えかかってから、そこから粘りに粘ってン十年保つなんて、つまりそれは時代劇の底力なんじゃないかと思うのですがね。
当初の構想では、主題こそ時代劇であるもののもっと斜め上の着地点になる、つまり最終的に話が時代劇から逸れて<仮託>が中心になる予定だったんです。というか最初は具体的な作品名や時代劇スターの名前をひとつも出さない予定だった。 それが結果的に、かなり真っ正面からの時代劇論になってしまったわけで。 時代劇に通じているわけでも淫しているわけでもないアタシが時代劇論なんか書けるわけがない、つか書いて良いわけがない、と思いながら書いていったんだけど、書いてる最中にいろんな、想定外の後押しがあってね。 とくに「とりあえず書き終わったけど、どうも、あまりにもイマイチだ。しかしどこをどう直していいのかもわからない」一番行き詰まっていたタイミングで、具体的には2022年9月にスカパーの東映チャンネルと東映時代劇YouTubeで公開された「水戸黄門のお年寄りの交通安全」という啓蒙ビデオはこのエントリを完成させる大きな原動力になりました。 まァ正直、困難をきわめたのは事実で、最後の最後でPage2とPage3を入れ替えたりとかね。もちろんただ入れ替えるだけでは話がつながらないのでかなり書き直したりもした。 でもまあ、アタシの知識ベースではこれが限界です。それなりに調査も精査もしたけど、何しろ根本的な興味が薄いので、たぶんこれ以上はやらないし、やる必要もないでしょう。 さらに深く時代劇を愛でたいという方なんか、いくら数は減ったとは言え、まだまだいくらでもおられるんだからさ。 |
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