さて、Page3にて『1987年4月、大学に通うためにアタシは大阪でひとり暮らしをはじめることになった』と書いたわけですが、ここからはそれ以降、つまりリアルタイムで見ていたわけではない星電社&三宮のことを書いていきます。
もちろん、何しろ自分の目で見たわけではないし、これまた当然のことながら思い入れも何もない。だからどうしても詳細な調査をしようという気が起こらないのです。
そういう理由で話は一気に1995年に飛びます。
1995年になると、もはや「マイコン」という呼び名は過去のものになっており、すべて「パソコン」で統一されていました。
国産メーカーが次々にパソコン事業から撤退した、もしくはDOS/V機市場に参入し、日本のパソコン事情は「PC-9801シリーズ」(以下、98シリーズ)か「DOS/V機」に集約されつつありました。
もちろん1995年くらいになると、アタシの青春時代を彩った8bitマイコンなど完全に淘汰されており、あまりゲーム向きの性能ではない98シリーズのみシミュレーション系RPG系などの非リアルタイムゲームか、もしくはエロ系のゲームが発売されている、という感じだったと記憶しています。
というか時代は「ゲームはコンシューマゲーム機で遊ぶ」というのが主流になっていた。
爆発的なファミコンブーム、そのファミコンブームを受け継いだスーパーファミコン、さらに次世代機としてプレイステーションとセガサターンも前年の1994年に発売されており、ポリゴンを使った3Dゲームが席巻していたのです。
つまり、一部の好事家を除いて「ゲームはゲーム機で遊ぶ。パソコンは仕事やプログラミングなどの趣味として使う」という振り分けが出来てきた頃、と言えるのかもしれない。(最近はまたSteamの影響で<揺り戻し>があるけど)
しかしアタシは、大学に行くようになったくらいから著しくマイコン→パソコンへの興味を失っていた。だからこの時代、つまり1987~1994年のパソコン事情を詳しく知らないのです。
もう、ホント、どこで聞いたか「何となく」知ってるレベルで、そういやインターネットってもんがあるらしい、とは聞いたことがあったけど、インターネットなるものがパソコン通信(は1980年代なかばから存在した)とどこがどう違うのか、何もわかってなかったのです。
1980年代の終わりくらいまでは、神戸に帰省するとたまに星電社のパソコン売り場=C-SPACEに行ってたのが、1990年代に入る頃にはそんなこともしなくなった。もう自分とはぜんぜん関係のない店、としか思えなかった。言い方を変えれば1990年代になったタイミングで星電社との縁が切れていたのです。
そして、それから5年ほど経ったある冬の日、ま、この書き方は空々しいか。
とにかく、1995年1月17日午前5時46分、未曾有の大地震が神戸を襲った。
震災当日のことはココに書いたから割愛しますが、その3日ほど後にひとりで三宮を回ったことを書きたい。
書きたいっても、ビデオカメラを手にただ、ガレキだらけの三宮の街を歩き回っていただけだけど、一番ショックを受けたのが「そごう神戸店」(現・神戸阪急)の倒壊した姿で、あれはもう、忘れようにも忘れられない。
では星電社はどうだったか、というと、店舗の前にすら行ってない。
この頃センター街が立ち入り禁止だったかどうか記憶が定かじゃないんだけど、一本裏の路地、つまりかつて日星デンキや星電マイコンジムがあった通りにすら行ってない。
たしか5、6時間は歩き回って、行けなかったというよりは「星電社はどうなったか」とすら思わなかったんです。
遡ることわずか10年ほど前、あれだけ、マジで毎日のように足を運んでいた、もしかしたら三宮で一番多く訪れた場所かもしれない、思い出がいっぱい詰まった星電社本館。そしてその6階にあったC-SPACE・・・。
そごうの崩落にショックを受けたのは、幼少時より通っていた記憶があったからです。つまり「思い入れ」の問題です。
一方、同じくらい思い入れがあったはずの星電社は崩壊した現場を見ようとすらしなかった。
別に悔いが残るとかではないんですよ。あの時もしアタシが崩壊した星電社を見に行ったところで何が出来るわけでもない。
ただ、もう、行かなかった自分が不思議なだけなんです。
それにしてもです。
「ラジオパーツの卸と小売」から商いを始めた星電社は、その流れを汲むマイコンの販売に力を入れた。いや入れまくったと言っていい。
そして、マイコン→パソコンが生活必需品ではないけど「ビジネスの必需品」になろうとしていたのが1995年なんです。
この年の11月23日、インターネットに標準で接続出来る新世代のOS「Windows95」が発売された。つまり阪神淡路大震災はインターネット前夜に起こったわけです。
星電社が本館の再建を果たしたのは1998年3月です。言い方を変えれば「世がもっともパソコンで盛り上がった時期が、まるまる旗艦店(=三宮本館)の再建期間になってしまった」んです。
こんなタイミングが悪い話があるか・・・
Windows95はおそらく日本で初めて「購入するために深夜から行列が出来た」ソフトです。いやソフトではなくOSだけど、とにかくファミコンではなくパソコン関係で言えば間違いなく「過去最大級に盛り上がった」出来事だった。
しかし、そのWindows95が発売されるわずか10ヶ月前に起きた震災で、相当早い時期から神戸っ子のパソコン熱を煽っていた星電社が何の恩恵も受けられなかった。
もう一度念を押しておきますが、あくまで推測とはいえ、星電社は「株式会社星電社」ではなく分離された「日星デンキ株式会社」として家電の扱いを始めたと思われる。これはつまり「パーツ販売の星電社」としての誇りだと思う。
実際、パーツ販売にさほど旨みがなくなってからも星電社は細々とはいえパーツ販売を続けた。儲かるのは家電でもパーツ販売は止めない、という強い意思を感じる。
そして、あきらかにパーツ販売の流れを汲むマイコン→パソコンが商売になってきた。これは星電社の本願だったのではないか、と。
そして、いよいよ、パソコンが売上面でも家電を凌ぐようになるかもしれない、というタイミングで震災が起きたというのは、関係者のショックは計り知れない。しかもタイミングが悪いことに再建中の1996年に創業者である後藤博雅が逝去している。
後藤博雅がどれほどの無念を抱えて旅立ったのか、アタシ如きでは到底、想像すら出来ません。
以降のことは書く必要がないでしょう。
ま、何も書かないのはあまりにも不親切なので年表だけ載せておきます。
1998年 |
・三宮本店オープン |
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2002年 |
・1月、民事再生申立 ・6月、カルチュア・コンビニエンス・クラブ(株)と包括支援の合意 ・7月、(株)マツヤデンキによる再建支援の合意 ・12月、債権者集会にて再建計画承認 |
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2006年 |
・3月、民事再生手続き終結決定。星電社、マツヤデンキ、サトームセン事業パートナーとして関係強化 ・10月、星電社 ・マツヤデンキ・サトームセン 「ぷれっそグループ」として三社業務統合 |
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2007年 |
・5月、株式会社ぷれっそホ−ルディングスがヤマダ電機の100%子会社となり、ヤマダ電機グル−プ入り |
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2009年 |
・7月、ヤマダ電機LABI・ヤマダ電機テックランドとしてオープン |
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2011年 |
・4月、LABI三宮が改装・増床し、リニューアルオープン。看板やチラシには引き続き「せいでん」のロゴマークを使うものの、店舗名称としての「せいでん」は消滅 |
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2021年 |
・7月、ヤマダホールディングスの事業再編に伴い、グループ内の他6社と共にヤマダデンキへ吸収合併され、法人としての星電社も消滅 |
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正直、コピペするのも痛々しい事実が並んでいます。
星電社が世間に「ヤバい状態」があきらかになったのは21世紀になってからで、凄まじい、としか形容しようがない<崩れ方>ですが、もちろん、その発端は1995年の阪神淡路大震災に他ならない。
ついでに書いておくなら、だいぶ差はあったとはいえ一応三宮のマイコン販売において二番手グループだったニノミヤも、壮絶としか言いようがない<崩れ方>で倒産している。ニノミヤが危ないという話が本格化したのは2005年ですが、その後ものすごい勢いで崩壊していき、3年も経たない2008年1月には法人の解散まで到達した。
それを考えるなら、「ことの発端」である1995年から「株式会社星電社」の法人格が消滅した2021年まで26年も持ちこたえたと考えたら、んで星電社三宮本店もヤマダデンキブランドの「LABI三宮」となり往時の面影はゼロに近い(2023年現在、一応<せいでん>のマークも掲げられている)とは言え現存していることを思えば本当によく頑張ったのかもしれない。
しかし、やっぱ、それでいいのか、という気持ちが消えないんです。
最後に、ちょっとだけ、個人的な話をします。
あれだけ星電社のマイコン売り場、つまりC-SPACEに通っておきながら、ここで一度もマイコン本体を買ったことがないのです。
日立ベーシックマスターレベル3とNECのPC-9801Fは叔父からのお下がりだし、シャープMZ-1500は大阪の日本橋で、富士通FM-Xはニノミヤで、シャープX1Dもたしか日本橋の中古屋で買ったと思う。
コンシューマゲーム機まで含めるなら「Atari 2800」の展示品を買ったことがあるし、セガのマスターシステムも星電社だったように思う。ハードに限定しないなら、つまりソフトなら星電社でかなり買っています。はっきりと「星電社で」という記憶があるのはMSX用「バルダーダッシュ」とMZ-1500用「ロードランナー」くらいだけど、他にもいっぱい買ったはずです。
そう考えるなら、アタシは星電社の売り上げにはまったく、は言い過ぎにしても、ほとんど貢献してないってことになる。
本当にマイコンに淫していた高校の頃はカネがなかったので、数ヶ月に一度ソフトを買うのと、あとは毎月数冊のマイコン雑誌、たとえば「I/O」、たとえば「ログイン」を買えば小遣いは尽きますから。
つまり、アタシは1980年代の星電社に強い思い入れを抱いているけど、星電社にとってアタシは「ほとんどカネを落とさない、買うにしてもレンタルマイコン代とか雑誌とか、たまにソフトを買うだけの、その癖マイコンのパンフレットだけはちゃっかり持って行く、半分ヒヤカシの客」でしかなかったことになる。
そうはいっても、星電社が今も元気で存在していればアタシの罪の意識も薄らぐし、星電社としても笑ってられるんでしょうが、そうではないですから。
だけれども高校時代のアタシの支えが星電社だったことには変わりない。
志望校でさえない高校に通っていたアタシは、友達も少なく、というよりは級友を見下していた。もちろん自我を守るための、いわば防御のための、何の根拠もない見下しなんだけど、そうしなければ自分のプライドが保てなかったんです。
そんな鬱屈した高校時代の唯一の癒しが星電社のC-SPACEだった。
高校の帰り、三宮で途中下車して星電社に行く。もちろん何も買わず、ただフロアを何周もするだけ。
時にはレンタルマイコンで「アルフォス」をやって感激しもしたし、その作者である森田和郎に強い憧れを抱いたりもした。
しかし、それだけっちゃそれだけです。少なくとも星電社が潤うようなことは何もしていない。
何度も書くように、アタシにとって1980年代なんて嫌なだけの時代なので、思い入れはまるでない。だから当時のモノなんか何も取り置いていない。
けど、せめてマイコンのパンフレットだけはちゃんと取っておけば良かったな、と思う。これだけはヤフオクでかき集めても意味がないから。
あの頃のパンフレットの裏面には、星電社の、正確には「せいでん」の印が押してあったはずだから。もう、それだけで、同じパンフレットでも意味合いがまるで違うからね、アタシにとっては。
もうとっくの昔にゴミ扱いされて捨てられた、あのパンフレット。星電社でほとんど何も買わなかったアタシが、紛れもなくあの頃の星電社に通っていた唯一の証しなんだから。
2018年に「星電社に花束を」というエントリを書いた時は「私的な思い出話8割、歴史的な話2割」くらいの感じで書いたのですが、今回は比率を完全に逆転させて「歴史的な話8割、私的な思い出話2割」で書き上げました。ですからリメイクではなく完全な新規エントリになってます。 私的な思い出話を後退させたのはアタシ自身の興味の問題で、もし次に星電社のことを書くならどこに出しても恥ずかしくない、ちゃんとしたエントリにしようと決めていた。だから資料を徹底的に精査して、本当に自分が知りたいことを調べて、本当に書きたいことを書く。そして読み返した時に本当に自分が面白いと思えるものにしたい、と。 となったら思い出話なんかよりも「星電社の成り立ち」だったり、本館6階にあったC-SPACEのことを可能な限り<形>に出来れば、と思って書きました。 星電社には社史のようなものがなく、だからこそ調査が本当に大変で、本文にも書きましたが社史はおろか何しろ写真すらあまり現存していないのです。 そんな中、神戸から転居するギリギリのタイミングで、限られた時間の中で時間を見つけて神戸市立中央図書館に通い、何とか書き上げた。ま、これ以上、となると「日星デンキの実体をあきらかにする」ことくらいしかない。これはいずれ出来ればと思います。 ただし、まったく、何の私的な話も書かないのもアレなので、最後の「個人的な話」だけは「星電社に花束を」から転載しました。(細かいセンテンツは変えてますが) 私的な話はこれだけでいい。これが一番言いたいことだし、そもそも調査の範囲そのものが私的な範囲なんだから。 |
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