神戸が揺れた日、大阪が揺れなかった日
FirstUPDATE2008.9.22
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 1995年1月17日午前5時46分。何かの資料を見て書いたわけではありません。しかし正確に<分>まで脳裏に刻み込まれている。
 ただし、それは「その瞬間」のショックがそれほど大きかったからではないのです。

 この頃アタシは大阪の南部に住んでいました。
 何しろ生活の不規則さはアタシの根源みたいなものでして、その日も深夜番組を見たり、本を読んだりして、気がつけば朝方になっていた。1月だったのでまだ夜はあけてなかったけど、さすがにそろそろ寝るか、と。翌日はバイトの予定も入っていたし。ま、翌日っつーか当日だけど。
 さあ、と思った瞬間、軽く揺れた。その拍子に突っ張り棚が落ちた。上に積んであったトイレットペーパーやなんかがバサバサッと下に落ちました。
 あー、やっぱり突っ張り棚とか信用ならんなぁ。<この程度>の揺れで落ちるんやもんなぁ。
 繰り返します。1995年1月17日午前5時46分に起こった地震にたいして、大阪南部に住むアタシは<この程度>と感じた。これは誇張でもなんでもありません。

 地震が起これば、ま、今ならスマホを見るんだろうけど、当時だからテレビをつけた。極めて普通の行動です。そしてテレビでは当然のように地震速報をやっている。
 え?神戸ってそんな震度だったの?こっちはたいして揺れなかったのに。
 アタシは神戸に住む母親に慌てて電話した。
 「大丈夫や。キャスターのついたテレビ台が動いたくらいやし、電気も普通に使えるわ」
 何だ、やっぱりたいしたことなかったんだ。アタシはひと息つきました。
 ま、それでも、神戸の震度がそれだけあったってことは、何か起こったんじゃないか。アタシの野次馬根性がムクムクと動き出した。まァバイトは夕方からやし、ちょっくら神戸の様子でも見に行ったろかい!とクルマに乗り込んだわけでして。
 案の定、いつもの何も変わらない朝だった。たしかにいつもより渋滞が酷いように感じたけど、別段驚くほどではない。
 当時のアタシはAMラジオ、具体的には毎日放送ラジオにハマっており、いつものように聴いていたのですが、地震がどうこうというような話も少ない。たしか「ありがとう浜村淳です」だったと思うから8時すぎになってからなんだろうけど、神戸でひとり死傷者が出た、というニュースが飛び込んできた。
 うわっ、やっぱり、ひとりだけとはいえ亡くなった人がいるんだ。
 しかし続報はなく、あまりにも日常すぎる日常としてラジオは続いていたのです。

 それにしても、いくらなんでも渋滞が酷すぎるな、と感じた。たしかにわざと梅田経由の道を使ったんだけど、8時半になってやっと梅田を抜けたあたりというのは、如何にも遅すぎます。
 さすがにラッシュ時ってのはマズったな、と。アタシは時間潰しを兼ねて兵庫県に入ってすぐ、2号線沿いにあるマクドナルドで呑気にモーニングを食べています。
 さあ、朝のラッシュも終わっただろ。そろそろ行くかと再び2号線を西に走り出した。
 武庫川を越えて西宮に入ったあたりで異変に気がついた。渋滞どころの騒ぎではない。まったくクルマが動かない。それでもジリジリ進むと、目の前にとんでもないものが飛び込んできた。何と2号線を塞ぐようにビルが横たわっている、
 冗談でもなんでもなく、言葉を失った。というか何が起こっているのか咄嗟に理解出来なかった。
 ラジオは、というかこの場合はマスコミ全般に言えることなんだけど、まったく事態を把握出来ていないらしく、時折注意を促すくらいでタイムテーブル通りに進行されていた。
 おいおい、これ、絶対に「死傷者1人」なんてあり得ないぞ。見渡す限り、片っ端からビルが、普通の家屋がなぎ倒されているんだから。

 まだケータイのない頃だったので(いや、あるにはあったけど)、途中の公衆電話から再度実家に電話した。出ない。というかあきらかに繋がっていない。
 こうなっては一分一秒でも早く神戸の実家に辿り着かなければならないと思った。
 とはいえどんな裏道であっても渋滞が酷くて動かない。もしくは裏道自体が倒壊した家屋によって塞がれている。
 裏道を探す毎に南へ下っていった。気がつけば43号線の手前まで来ていた。
 チラリと43号線が見えた。あれ?わりと普通にクルマが走っている。ジワジワでもノロノロでもない。何だ、最初から43号線に出れば良かったんだ。
 ところが43号線に出た途端、アタシは再び言葉を失いました。関西にお住まいの方ならお判りでしょうが、43号線の上には阪神高速神戸線が通っています。
 その、阪神高速が、倒壊しかかっている。いやもう倒壊していると言っていい。何だこれは。あり得ない・・・。
 しかしもうこうなったら怖いだのなんだの言ってられない。アタシはいつ崩れ落ちるやもわからない、半分倒壊した阪神高速の下をくぐり抜けるように43号線を走ったのです。
 怖い?いや怖くない。アドレナリンが出まくっていたから。そんなもんなんですよ。

 家に着いたのは14時くらいだったと思う。母親は無事というか普通に元気そうでした。
 アタシはというと、近所を見て回ってくる、といって徒歩で出かけました。そしてそこで戦慄の光景を見ることになります。
 こういう未曾有の事態になって、人間というのは何と強いのだ、そして何と愚かなのだってことが痛いほどわかった。
 寒い中(何しろ1月です)、黙々と食料の買い出しのために並ぶ人、ここぞとばかり便乗値上げする商店(中を覗くと缶詰を1000円くらいで売ってるのにビビった)、行き場がなく毛布に包まってガタガタと震える老婆、意味もなく警官と言い争いをする男性・・・。
 そんな光景を目の当たりにして、正直気分が悪くなった。しかも何だか足元もフラフラする。ってか当たり前だよ。何しろ一睡もしてなかったんだから。
 1時間ほどウロウロして家に帰ると、とにもかくにも寝た。んで目が覚めたら19時すぎになっていた。4時間も寝たわけです。
 起きて居間にいくと真っ暗だった。地震の直後はおろか、アタシが実家に着いた時点ではまだ電気が来てたのに、この頃にはもう電気が止まっていたんです。
 母親はどこからかローソクとラジオを取ってきて、ローソクを灯だけでラジオを聴いていました。

 これ、マジで、今からどうすりゃいいんだ。しかもこの間も地震っつーか余震が続いている。しかもうちの実家は石垣の上に建っていて、もし次に強い余震があれば、もう確実に石垣が崩れて崩壊するだろう。
 もう、この場から離れるしかない。
 ただひとつ不安があった。ガソリンの残りがあんまりないのです。まさかこんな事態になるとは思ってなかったので満タンにしてなかった。
 ラジオの情報では北区の方は比較的被害が少ないという。いくらガソリンが少ないといっても北区くらいまでは行ける。ならば北区まで給油しに行くしかない。
 無事に北区に入りました。たしかに被害は少ないけど、ガソリンスタンドは片っ端から閉まっている。うわっ、もうヤバい。このままではガス欠になる寸前、というところでついに開いているガソリンスタンドを見つけた。あれだけホッとしたことなどそうはありません。

 家に戻ると、すでに母親は支度をしていた。アタシと母親、弟、そして犬が1匹がクルマに乗り込み、アタシたちは出発したのです。
 出発して何より驚いたのは、ほんのさっきまで、つまりガソリンを入れ終えて帰宅した時にはそんなことはなかったのに、家族全員を乗せて出発した頃には、恐ろしく空が綺麗だったんですよ。
 ちなみにもう夜ですよ。夕焼けじゃない。なのに空が真っ赤っかで本当に綺麗だった。
 つまり、あちこちで火災が発生したことで神戸中の空を染め抜いていたのです。
 アタシは震災の10年ほど前に亡くなった祖母の話を思い出した。
 祖母の家は三宮のほど近くにありましたが、空襲の時、みんな連れ立って見に行ったらしい。それほど空襲は綺麗だったと。その後見たどんな花火大会よりもはるかに綺麗だったと。
 アタシはこの話を嘘だと思っていた。そんな馬鹿な。空襲だよ?身の危険もあるわけですよ。んなもんいくら綺麗だって見に行くわけないし、そもそも花火大会より綺麗なんてあり得ない、と。
 けど、その瞬間、祖母の話が実感としてわかった。アタシはわざわざ見に行ったわけじゃないけど、ここまで綺麗なら身の危険も顧みず見にも行くわな、とね。

 あっという間に2週間が経ちました。
 結局アタシたちは京都経由というとんでもない大回りで大阪に行き、母親たちは堺市の親戚の家の厄介になっていました。今でもたまに母親は「あの時は本当によくしてくれた」と懐かしそうに振り返るほど嬉しかったらしい。
 だからといって、いつまでも厄介になってるわけにもいかない。幸い電気は復活したようだし(水道はちょっと後、ガスはだいぶ後だった)、家も無事なようで、ならば神戸に戻りたいと言い出した。
 アタシたちは行きと同じく、相当大回りで神戸に向かいました。
 途中、造成中の住宅予定地の横を通った。基礎が組まれ、これからまさに家が建てられんとしている。
 ああ、もう、これは「ポピュラス」そのものじゃないか。
 当時ね、そーゆーゲームがあったんですよ。プレイヤーは<神>となり、地震なんかの自然現象を駆使して人類を発展させていく。大まかに言えばそんな内容でした。
 たぶん、神戸は、何らかの不都合が生じたのか、それとも<神>の逆鱗に触れる何かをやらかしたのかで、「地震」というコマンドを使われてしまった。
 一方この辺は宅地の造成がなされている。まさに人類が発展しようとしている。

 もしかしたら、この「阪神淡路大震災」ってのはゲーム上の話なんじゃないか。たまたまアタシたちがそーゆープレイヤーが操作するゲームの中で生きているだけであって、別のプレイヤーのゲーム画面では、震災なんてなかった神戸が今も続いているんじゃないか。
 そんなことを、今でも思うことがあります。
 ま、もうプレイヤーの変更は出来ないからどうしようもないんだけど、もういいんじゃないかなぁ。つか、お前、「地震コマンド」使いすぎ。そんなことばっかりしてるとね、ぜんぜん人類は発展しない、つまりゲームは進まないよ。

阪神大震災の話ですが、まったく違った視点からこの災害について書く準備をしております。大変すぎるのでなかなか書けずじまいなのが悔しい。




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