謎多き荒井注
FirstUPDATE2023.7.8
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 たぶん、今まで一回も、まともに荒井注のことを書いたことがないはずで、何でないのか、というと、とにかくどういう人だったのかがまったく掴めないのです。

 そんなことを言ってても始まらないので、まずはパブリックイメージのようなものから書いていきます。
 たしか「植木等デラックス」だったと思うけど、いかりや長介がゲストの回の時に植木等がいかりや長介に「それしても荒井注は男前だったねぇ!」と、かなり脈略もなく言い放っていたのが印象的だった。(ま、脈略がないっーか、何をしても脈略なく見えるのが植木さんの特徴であり可笑しさなんだけど)
 正直言えば「荒井注=男前」という発想がまったくなくて、そこからわりと、しげしげと荒井注の顔を見るようにしたんだけど、本当に絶妙な顔で、加藤茶のように「よく見たら文句なしの男前」ではない。
 ただね、間違ってもブサイクとも言えず、そして一番強く感じたのは「色気があるなぁ。こりゃ、夜の店だとモテまくっただろうな」と。もっと言えば、そりゃあ、あんだけ若いカミさんもらえるわ、とね。

 実は志村けんも似たタイプで「文句なしの男前ではないけど、色気があって、夜の店でモテまくるタイプ」なんですよ。
 だからね、そこまで計算されたとは思わないんだけど、荒井注から志村けんへのメンバー交代は、少なくとも全体の印象を崩さなかった。
 当時、世間的には「荒井注の代わりの最右翼」と目されていたのは、すでに「8時だョ!全員集合」においてブルース・リーの真似で脚光を浴びつつあった「すわ親治(当時は<すわしんじ>名義)」でした。
 しかし、すわ親治では荒井注の代役というか、あくまで印象のバランスという意味で荒井注の代わりにはなれなかったと思う。すわ親治を蔑む気持ちはまったくないけど、どう見ても「色気があって、夜の店でモテまくる」っていうふうには見えないから。

 「色気があって夜の店でモテまく」りそうなタイプは、ドリフターズには荒井注しかいなかった。
 本当は加藤茶もそういうタイプなんだけど、あくまで「可愛さ」で売っていたし、高木ブーは「鈍重」、仲本工事は「思考停止してしまったインテリ」。
 そしていかりや長介はいい意味で、色気のなさが「ドリフターズは子供人気が高かった」要因だと思う。
 仲本工事についてココで「当代一の人気者の加藤茶の代わりがつとめられるほどの能力の持ち主」と書いたけど、謹慎したのが加藤茶ではなく荒井注だったとしたら代わりはつとめられなかったと思う。いやむしろ、だったらいかりや長介や高木ブーの方が出来たんじゃないか。

(前略)荒井注さんは大人からの圧倒的な支持を得ていたと聞く。家族全員がひとつのテレビでひとつの番組を見ていたあの時代、カトちゃんの下ネタに笑い転げる子供たちを見て、確かに親は眉をひそめた。しかしその一方で、親は子供より先に荒井注さんのシニカルな笑いに気づいていた。子供を注意しながらも、荒井注さんのギャグに笑っていたのだ。


 上記は漫才師の博多大吉著「年齢学序説」という書籍からの引用です。
 この話がどれほど普遍性のある話かはともかく、たしかに子供が荒井注で笑うイメージがない。
 「全員集合」でも松竹で撮られた主演映画でも、ドリフターズは必ず「見た目は大人だけど精神年齢はガキンチョのまま」として登場する。しかし例外が荒井注で、他の4人と一緒の時はガキンチョだけど、唯一「実は裏で普通にセックスしている」と思えるんです。
 子供はそういうのに敏感だから、加藤茶にたいして「自分たちの分身」になり得ても荒井注には「どちらかというと自分たちよりもお父さんに近い存在」というふうに受け取っていたのではないか。

 とはまあ、ちょっとダブスタ気味になってきたので軽く補足します。
 最初の方でアタシは、志村けんは荒井注と同じムードだった、というようなことを書きました。
 たしかに、他のメンバーに比べると、志村けんは<セックス>の匂いを感じる。実際、ドリフターズに加入当初の志村けんが人気を得られなかったのは(観客側に荒井注への強いリスペクトもあったにしろ)色気の問題だと思うんです。
 かといって志村けんには荒井注のような大人の男性感もない。というか色気を売りにするには若造すぎる。
 つまり「子供にも大人にも刺さらない」というか、さっきの例で言えば、子供にとって「間違いなく自分たちの分身じゃないし、かといってお父さんの分身でもない」という中途半端さにあったと思うのです。
 そこで、かはわかりませんが、「東村山音頭」で自信を得た志村けんは、メンバー内でもっともガキンチョ感が強かった加藤茶よりも、さらに強烈なガキンチョ感を出した。
 志村けんの地声はどちらかというとシブい落ち着いた声なのですが、コントではほぼ地声を使わず高音の変声(「怒っちゃやーよ!」の時や「アー!ミー!マー!」の時の声です)を基本にした。
 志村けんの声、と聞いて大多数の人が思い浮かべるのは変声の方のはずで、あの変声と変顔を徹底することでガキンチョ感=子供たちの分身になり得たのです。
(余談ですが、レッツゴーよしまさは「変声の志村けん」ではなく、あえて「地声の志村けん」を真似たのが画期的だった)


 志村けんの話が長くなってしまいましたが、本当はこの辺の話は単独で志村けん主役のエントリに振り分けたらいいんだけど、あえてこのまま行きます。

 荒井注はインテリでした。ま、インテリったって学歴は関係ないんだけど、いかりや長介の著書によると荒井注は楽屋でずっと芥川龍之介や太宰治などを読んでいたらしい。
 いかりや長介はそうした楽屋での振る舞い、そしてドリフターズを辞めたタイミングを含めて「文学をやるヤツ(筆者注・=インテリ)の考えてることはわからない」と記しています。
 メンバー内でもうひとりのインテリである仲本工事も不思議なほど「成り上がり精神」のようなものが薄く、ココに書いたように、経緯はともかく異様なまでに成功に執着したいかりや長介からすれば、メンバー内のうち大卒のふたり(=荒井注と仲本工事)だけがともに成功への執着心が薄い<変わり者>だったことで「インテリは何を考えているのかわからない」という考えに至ったのでしょう。

あんたもよっぽどエライというか変な人というか-カラッケツでドリフを始めて、 飛行機で言えば、離陸する大変な時にいてくれて、それから何とか先が見えてきて、 さあこれから楽になるぞ、お金も儲かるぞという時に辞めちゃった。


 これは荒井注の告別式でのいかりや長介の弔事ですが(厳密にはいかりや長介著「だめだこりゃ」からの孫引き)、重要なのは『さあこれから楽になるぞ、お金も儲かるぞ』という箇所です。
 ドリフターズとクレージーキャッツとの関係はココでも散々書いたのですが、おそらくいかりや長介は「人気のカーブの描き方」もクレージーキャッツに似たようなものになる、と踏んでいたのだと思う。
 東宝クレージー映画と言われるシリーズが約10年、「シャボン玉ホリデー」が約11年続いたのですが、言い方を変えれば10年で、11年で終わった、とも言える。
 つまり荒井注が脱退の意思を示したタイミングで言えば、いかりや長介は「ドリフターズの人気はもって後3、4年」と思っていたのではないか。
 だから「これから楽になる(仕事量は減っていく)、お金も儲かる(<格>が上がるのでギャラも上がる)」という言葉が出たんじゃないかと思うのです。
 しかしこの考えは覆された。若い志村けんがメンバーに入ったからで、もしいかりや長介が当初構想していた豊岡豊が荒井注の代わりだったなら、ドリフターズの人気はもっと早く萎んでいたように思う。
 ま、若い志村のためにも、もう一回ネジを巻き直す、といかりや長介が思えたから「全員集合」はさらに延命出来たと思うのですがね。

 それはともかく、荒井注独特の哲学はいかりや長介に相当な影響を与えたことは間違いないと思う。
 いやもし、いかりや長介ほどハングリー精神が強い人が、いくら「ドリフターズの人気は長くない」と観念していたとしても、実際に人気が凋落していけばショックで立ち上がれなかったのではないかと。
 荒井注の「ドリフターズだけが人生ではない」という哲学の影響があったからこそ、見事に俳優に転身し、しかも「踊る大捜査線」や「取調室」のような当たり役にも恵まれたのではないか。

 ただね、当たり前の話だけど、荒井注当人は別に「いかりや長介を導くために」ドリフターズを辞めたわけじゃないし、ああした生き方をしたわけでもない。


最初は自分でも気づかなかったんだけど、人を笑わせることが好きだったんだろうね。


 これは荒井注の言葉ですが、そもそも荒井注はバンドマンにも俳優にもコメディアンにもなりたいと思ったことがなく、脚本家、もしくは学校の教員になるつもりだったらしい。
 となると、いくら「実は笑わせることが好き」だと気づいたとしても、本来やりたかったことではないのだから無理して続けるほどでもない、という発想になるのは当然っちゃ当然なのです。
 様々な話を総合すると、荒井注が辞めた原因は「体力的にキツい」こと、「ギャラが均等ではない」こと、そしていかりや長介との確執、とまで行くかはともかく、ま、微妙な関係、ですね、があるようですが、どれもね、本当は辞めるまでもないことなのですよ。

 いかりや長介は「ドリフターズの人気は後3、4年」と踏んでたと思われるわけで、ならば、これからは「身体を張らないコントにシフトしていく」でも良かったわけだし、残りのふたつもいくらでも解決法はある。
 それでも荒井注は「ドリフターズのスタイルを変える」ことはやろうとはせずに「自分だけが抜ける」という道を選んだ。結局自身が辞めたらドリフターズのスタイルも変えざるを得ないんだから結果としては一緒なんだけど、忙しいのはごめん、と言い切る荒井注にとって「自分が望むドリフターズに変えるために、いかりや長介との交渉事を重ねる」ことは耐え難いことだったろうし、もちろん辞めるとなったらいかりや長介からの説得が待ってるんだけど「これが最後」という気持ちでやってたんだと思うわけで。

 荒井注が辞めるまでの半年間の働きぶり(=面白さ)をいかりや長介も大絶賛していますが、これも荒井注としたら「最後だから」という気持ちで相当頑張ったんだと思う。
 もしかしたらですが、荒井注が人生で一番頑張ったのは「脱退の意思をいかりや長介に伝えて説得されている期間」と「完全に辞めるまでの半年間の「全員集合」」の、ほぼ一年だったのではないか。
 ただひとつ、荒井注の計算違いだったのは「自身が類い稀なコメディアンとしての素養があった」ことでしょう。
 荒井注からすれば「ドリフターズはいかりや長介と加藤茶さえいればなんとかなる。オレが抜けても、どおってことない」と思ってたのかもしれないけど、皮肉にも<最後>という覚悟で挑んだ「全員集合」でその才能を開花させてしまった。
 結果、その才能に惚れ込んだ久世光彦に引っ張り出され芸能界引退を撤回せざるを得なくなり、ひいてはドリフターズのメンバーとの関係も悪化してしまった。
 人間関係でモメるのが何より嫌いな荒井注からしたらすべて想定外のことだったんじゃないか。本人はもっと気楽に、遊軍のような感じで芸能界ともドリフターズとも関係を保てたらいいな、くらいにしか思ってなかったのかもしれない。

 そう考えれば荒井注って人は実に「可愛げのあるインテリ」なんですよ。
 例のカラオケ事件とか最たるものだけど、インテリにありがちな「すべて<算盤ずく>でないと気が済まない」というタイプではない。むしろ、人生、算盤ずくでないからいいんだ、みたいな達観が見える。でも達観してようがまた計算外のことが起きる。その繰り返しだったんじゃないか。
 あまり波に抗うこともなく、飄々と生きようとした。そしてただ一度、抗ったのがドリフターズ脱退だったと。
 もしかしたら荒井注はドリフターズの体現者だったのかもしれない。いわずもがな、ドリフターズとは「漂流者たち」という意味だけど、船頭のいかりや長介以外まさしく漂流者の集まりだった中で、途中で集団からも抜ける、という漂流者中の漂流者、という行動をしてみせたんだから。

 ま、荒井注からしたら「そこまで計算してるわけあるかよバカヤロ」って感じだろうし、そんなことより「オレは30歳以上年下の嫁さんをもらったんだ。しかも2回も!」ということの方が重要だったのかもしれないけどね。

思えばドリフターズのメンバーで唯一、主題としては書いたことがないな、と思っていたのが荒井注で、何でそうなったかと言えば本文中にあるように「どういう人だったのか、さっぱりわからない」からでした。
とくにドリフソングにおいて、荒井注は必ず肉体労働者のような役回りだったわけですが、実際の荒井注はメンバーでもっとも肉体労働からほど遠い「青っちろいインテリ」だったのです。
しかしそれは内面だけの話で、見た目とのギャップがありすぎるのであまりそうは思えない。ただ実際に喋ると知性があるわけで、ギャップに加えて色気もハンパない、となると、そんなのモテないわけがないのです。というか下手したら加トちゃんよりモテたかもしれない。
ハゲでチンチクリンで最年長のオッサンがメンバー内で一番モテかもしれない、というのは、夢がある。
そうなるとハゲでもチンチクリンでもない、同じくオッサンのアタシがモテないって、いったいどれほど色気がないのだろう。悲しくなってくるわ。




@ドリフターズ @荒井注 @植木等 @いかりや長介 @志村けん @8時だョ!全員集合 #1970年代 色気 植木等デラックス すわ親治 博多大吉 インテリ ガキンチョ 漂流者 単ページ #漫才 PostScript #人間関係 #公共交通機関 #映画 #本 #東宝/P.C.L. #松竹 #福岡 画像アリ







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