プロレスに興味ゼロの人間がプロレスを語る
FirstUPDATE2022.5.1
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 興味のないことをあえて書く、「特撮に興味ゼロの人間が特撮を語る」に続く第二弾です。
 あ、前回も今回のコレも、特撮やプロレスが好きな人を怒らせるために書いているわけではありませんし、当然のことながら罵倒するために書いてるんじゃない。
 ただただ「プロレスに興味のない人はプロレスをこういうふうに見ているのか」と思って読んで貰えれば、と思っております。

 えと、2018年でしたか、に増田俊也著「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」を読了したのですが、いやぁ、これは面白かった!
 本当、丹念すぎるくらい丹念に調べ上げているのが痛いほどわかり、とにかく奥行きがすごい。
 これだけの奥行きを出してくれると、いくら興味のない事象でも関係ない。つか勝手にグイグイ引っ張ってくれますからね。


 序盤は「如何にして木村政彦が最強柔道家になったか」にページが割かれているのですが、上から課せられた猛練習だけでは物足りず、自らに試練を与え続ける姿は強烈で、そりゃあこれだけやれば、しかも要所要所に「壁となるライバル」が現れて、木村政彦の才能に心底惚れ込みとことん特訓に付き合ってくれる指導者までいれば、強くもなるわな、と。もちろん生まれ育った環境や持って生まれた身体の強さ抜きには出来ないけどね。
 今さっき「猛練習」なんて書いたけど、正直こんなアマッチョロイ言葉では表現出来ない。もし今の人が、それも現役柔道家でもね、体験入学しようものなら1日も経たないうちに卒倒するでしょう。しかもそれは「やらされる」練習であって、木村政彦はさらにプラスして倍以上の自主練習をしてたんだから。

 何故そこまで、木村政彦は柔道に打ち込めたのか、それは当時(戦前まで)の柔道が今とはまるで性質の違うものだったからです。
 この頃の柔道はスポーツではありません。かといって当然花相撲でもない。では何なんだと聞かれれば、簡単に言えば「ルールのある殺し合い」です。だから選手ではなく<選士>と書いたし、スポーツではなく武道、つまり本物の決闘に果てしなく近いものだったのですね。
 木村政彦はそんな時代に柔道の頂点を目指した。彼の資質からして頂点を目指すのは当たり前なのですが、彼は常に<死>を意識し、もし負けたらいつでも腹を切る覚悟を決めていたそうです。だから枕元には短刀を常に置いていたと。
 もしスポーツと考えるなら「負けたら死ぬ?何と大仰な」となりますが、当時の柔道=武道=ルールのある殺し合い、と考えたら、木村政彦が常に死を覚悟していたのも当然とも言えるわけで。

 その後の木村政彦がどうなったか、ま、書籍のタイトルにもあるように、とくにアタシのように本質的にプロレスそのものに興味がない人間にとって木村政彦は「プロレスの人」であり「力道山とセットという形で記憶しているだけ」であり、いやもっとぶっちゃけて言えば「力道山の良い<やられ役>」ってイメージしかなかった。ま、プロレスに興味がないに加えてリアルタイムに間に合ってない人間なんてそんなもんです。
 たぶんアタシと同世代で、アタシ同様にプロレスに興味がない人には、極端に言えば
・力道山→テレビ黎明期の大ヒーロー
・木村政彦→力道山の金魚のフン
 こんなことを書くと怒られるかもしれないけど、少なくとも上記書籍を読むまでは本当にそんなふうに思っていたんです。

 それにしても、です。常に<死>をも覚悟して、壮絶な練習に打ち込んだ戦前柔道界で最強レベルにあった木村政彦が、何故後年こんなイメージになってしまったか。
 もちろんその過程は「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」に書いてあるのですが、アタシはね、どうもここにヒントがあるんじゃないかと思うのですよ。
 つまり、何故、アタシはプロレスという<興行>に惹かれないのか、という。

 これからアタシがやりたいのは「プロレスという<興行>」と「自分自身の<好み>」の話です。
 ま、要するに、今更、プロレスが花相撲だとか、ブックがどうとかについて書くつもりがないし、そもそもアタシはそのことにたいして否定的ではありません。
 昨今は何でもかんでも「台本」と言えばいいと思ってる連中がいますが、んなもん、<興行>である限り、最低限の台本なんかあって当たり前だもん。
 結局ね、プロレスというものが「一見、スポーツっぽい」ってのが、もしかしたらアタシという人間の興味から外れる一番の理由ではないかと思うんです。

 アタシはプロ野球が大好きです。
 だからどうしても贔屓目というか強いバイアスがかかってることは否定しないけど、ホント、プロ野球って奇跡的なバランスの上に成り立ってると思う。
 プロ野球は<スポーツ>としての側面と<興行>としての側面が見事に50:50なんです。つまりどちらにも寄ってない。
 ここまで完璧なバランス、いや完璧というよりは危ういバランスを数十年に渡って保っているスポーツ系イベントは他にない。
 しかし黎明期のプロ野球は、当時は職業野球という呼び方をされていましたが、あきらかに<興行>としての要素の方が上回っていた。

 ひとつ例を挙げます。
 戦前までの職業野球は試合開始前の練習時間に「シャドウプレイ」というものを行なっていました。って何のことかこれではわからないでしょうが、要するに「まるでボールがあるかの如く(つまりボールを実際には使わない形で)、捕る、投げる、などの動作を内野手が行なう」のです。
 って書けば「それ、何か意味があるか?」と思われるかもしれませんが、少なくとも<練習>としてはまったく意味がない。つか<慣らし>にすらならないレベルです。
 しかしシャドウプレイを観に、試合開始前から観客がつめかけた。つめかけたったってぜんぜんたいした数ではない。でも確実に「試合そのものよりもシャドウプレイを楽しみに球場に足を運ぶファンも多かった」という事実は見逃せません。
 と書けばわかるように、シャドウプレイは練習でも試合前の準備でもなんでもない。ただのファンサービスでしかなかったのです。

 冗談抜きに戦前の職業野球はまったく観客を集められない興行でした。隣の神宮球場で行われている東京六大学の、とくに早慶戦は五万を超える観客が溢れかえっているのに、後楽園球場にはさっぱり客がこない。
 それでもまだ後楽園は客が入った方で、同じ東京の球場でも洲崎球場や上井草球場(どちらも現存せず)なんかだと観客より選手の数の方が多いことがザラだったと言います。
 プロ野球に限らず、興行というのは客が入ってナンボです。でないと選手も、いくら活躍しても給料は上がらない。
 だからはからずもファンサービスに協力せざるを得なかった。そしてそのひとつが試合前のシャドウプレイだったということです。
 そんな場末の興行だった職業野球改メプロ野球は戦後になって一気に華が開いた。
 もう、シャドウプレイなどのファンサービスをしなくても人々は球場につめかけるようになったわけで。

 正直、戦前の職業野球は興行70、スポーツ30くらいだったと思う。
 でも戦後のプロ野球ブームでフィフティーフィフティーにまで盛り返したわけですが、だからと言ってスポーツとしての要素が興行としての要素を大きく上回ることもなかった。
 詳しくはココを参照していただきたいのですが、プロ野球はテレビジョンなるニューメディアと結び付くことでさらに人気を盤石にしていったのです。
 テレビジョンは「もっとも手軽な娯楽の王様」にまで成長したわけですが、その関係もあって完全に興行としての要素を捨て切れなかったんです。
 その結果、もはやテレビが娯楽の王様という立場が怪しくなった令和の時代になっても、プロ野球は相変わらずフィフティーフィフティーのバランスを保っている。
 いやこれはプロ野球だけではなく、建前上では「あくまで教育の一環」としている高校野球でさえ興行としての要素があるわけで、そもそも野球というスポーツ自体、興行的要素を完全に排除するのが難しい、とも言えるかもしれません。
 かといって団体スポーツという性質上、スポーツとしての要素をゼロにすることも難しいわけで。

 そこへ行くと個人スポーツであるプロレスはいくらでもスポーツ的要素を排除することが可能です。
 というか、かなり<そもそも>の話をしますが、レスリングのプロ選手=プロレスラーではないのですよね。
 他のプロスポーツの場合、まずアマチュアで実績を残して、次のステップとしてプロを目指す。最終的にはプロ選手として活躍することを目標とする。これはサッカーであろうがボクシングであろうがテニスであろうがゴルフであろうが一緒です。
 しかしプロレスの場合、アマチュアのレスリングチャンピオンが「次のステップとして」プロレス入りをすることが非常に珍しい。いやもっと言えば「同じ格闘技という大雑把な括りで言えばレスリングもプロレスも同一線上にはあるけど、ルールを含めてほとんど共通点がない」ように見えるんです。

 Wikipediaによると、アマチュアレスリングとプロレスでは先に誕生したのはプロレス、とあります。
 プロレスの興りはサーカスのショウと言われており、つまり、最初から「興行ありき」だったと。
 そして、ショウでしかなかったプロレスをスポーツ化したのがアマチュアレスリングとも言え、こうなるとアマチュアレスリングとプロレスの関係性は「サッカーとラグビー」や「ベースボール(野球)とクリケット」くらい距離があるもの、と見做しうります。
 つまり、アマチュアレスリングとプロレスは「大昔まで遡れば同じところから出発しているが、それぞれ別の形で発展していき、現在はほほ無関係なもの」とも言える。
 ただ、それでも、今もって両方とも「レスリング」という看板を使い続けているわけですが、それこそ高校野球とプロ野球のような関係性は一切ありません。

 そして、結果的にってことになるんだろうけど、スポーツにベクトルを振ったアマチュアレスリングがある以上、プロレスはスポーツとして発展しようがなかったのではないかと思っています。
 プロレスはスポーツではない、というのはずいぶん前から言われていることですが、こういう成り立ちがある以上、完全なるまでに興行に針を振り切るしかない。つまりスポーツとしての要素は極力排除して、肉体を限界まで使ったショウに徹するしかなかったのではないかと。

 アタシはね、野球に限らず基本的にはスポーツが好きな人間です。って見る専門だけど。
 一方、ショウも大好きで、いつか一ヶ月ほどブロードウェイに籠もってショウを見まくりたいとさえ思っている。
 プロレスは良くも悪くもショウであり、そしてほぼゼロに近いながらもわずかにスポーツとしての要素も残存している。
 つまりアタシが好きなものが両方内包されていると言える。言い方を変えれば「メチャクチャプロレスが好きでもおかしくない」とも言えるのかもしれない。

 しかし現実はそうはなりませんでした。
 アタシが子供の頃は金曜日の20時から新日本プロレスの試合が毎週放送されており(「ワールドプロレスリング」(テレビ朝日系))、さすがに一回も見たことがない、ということはなかった。
 でも、ハマったかどうかで言えば、まったくハマらなかった、としか言いようがない。プロ野球はあれほどハマったのに、プロレスについてはせいぜい「猪木が面白い」と思っていたくらいです。
 この場合の「面白い」とは笑えるという意味ではありません。そして「(猪木の試合は)面白い」という意味でもない。
 アタシがアントニオ猪木という人を面白がったのは、あくまでタレントとしてであり、当時盛んに流れていた「猪木のリズムタッチ」というCMのフレーズを真似してひとりでゲラゲラ笑っていただけです。
 要するにアタシが好きだったのは「タレント・アントニオ猪木」であって、どこまで行っても「プロレスラー・アントニオ猪木」には最後まで何の興味も惹かれなかった。


 好きになるのに実はたいした理由がいらないように、興味がないことにも理由なんてありません。
 ただ、もう純粋に「感性が合わなかった」としか言いようがないんですが、アタシにとってで言えばプロレスもだし、前回のテーマである特撮、あと歌舞伎、宝塚歌劇、小説、キャンプあたりは「好きになれるだけの要素が山盛りなのに、<感性>だけが合わずに興味がないまま」のものチームなんです。
 このチームの中で一番惜しいと思ってるのが実はプロレスでして、ココでも書いたように生まれて初めてハマったフィクションが「タイガーマスク」なんですよね。
 格闘技は嫌いじゃないし、エンタメ自体が好きなのでブックだセメントだはぜんぜん気にしない。ましてやバックボーン的な面白さも濃厚です。
 だからプロレスを好きになる人の気持ちはよくわかる。わかるんだけど、アタシ自身はまるで興味がないし、おそらく今後もプロレスを見ることはないんだろうな、とは思う。

 アタシはね、プロレス界って「優秀なタレントの製造工場」だと思ってるフシがあって、アントニオ猪木なんか言うに及ばず、テレビのバラエティ番組に出てくるプロレスラーってみな、本当に空気が読める優秀なタレントなんですよ。だからプロレスの試合には興味ないけど「プロレスラータレント」は好きなんです。
 そう考えると木村政彦がプロレスの世界で<ヒーロー>でも<ヒール>でもなく、ただの<やられ役>だったのは、タレント性皆無の木村政彦にとって、演れるのがやられ役くらいだったんだろうな、と思う。
 結局ね、そこが一番引っかかるところなんです。
 いくらタレント性が薄くても、木村政彦と同格レベルのプロ野球選手なら、もうそれだけでスーパースターになれるんです。でも「セメントで強いかどうかなんて、プロレス界でスターになる下駄にもならない」てのが悲しい。

 ま、木村政彦にもうちょい人間的な<したたかさ>があれば良かっただけなんだろうけどね。つか木村政彦ほど<自己プロデュース力>って言葉が似合わない、超ストロングスタイルの人はいないもんなぁ。

プロレスにかんしては特撮よりも知識がないので正直書き上げる自信がなかったのですが、それなりに軸がブレない感じで仕上がったんじゃないでしょうか、と自画自賛しておきます。
本文中に挙げた「感性が合わなかったチーム」の他のものも、いずれ何か書きたいとは思うんだけど、これらはプロレスよりさらに知識皆無なので無理そうだなぁ。ま、興味があることを熱く書くよりも興味のないことを無理矢理書く方が書いてて面白いのですがね。




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