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特撮に興味ゼロの人間が特撮を語る
FirstUPDATE2019.9.23
@Classic @山本嘉次郎 @植木等 @東宝クレージー映画 #東宝 #特撮 @戦前 #大正以前 興味ゼロ 全2ページ 円谷英二 @ハワイ・マレー沖海戰 @孫悟空 コメディアン エディ・カンター 成田亨 スクリーンプロセス ミニチュアセット 後楽園球場 @大冒険 ワイヤーアクション

 これ、最初に言っておきます。
 このエントリにおいてアタシが書きたいのは、間違っても「特撮<愛>」ではない。何故ならアタシは「特撮が売りの映画やテレビ番組に一切、何の興味もない」からです。
 興味がない=ネガティブな話なわけですから、本来ならこんなことを書く必要はないんです。だけれども、一回、ちゃんと書いた方がいいのではないか。でないと誤解が解けないのではないかと。

 さらに念押ししておきますが、アタシは特撮モノにたいして「興味がない」だけであり「嫌い」ではありません。
 しかしよく言われるように、好きの反対は嫌いではなく興味がない、なわけで、ある意味嫌いよりも下ってことになる。つか「そもそも好きか嫌いかを考えるほど見てもないんだから判断なんか出来るわけがない」んです。
 なのに何でこんな文章を書く気になったかというと、妙に「特撮好き」「特撮に詳しい」なんて勘違いされるケースが多いんですよ。
 これもまったく思い当たるフシがないわけじゃない。むしろ自分でも「ソコが好きなんだったら普通特撮に行き着かない方が変なんじゃない?」とさえ思ってしまうくらいで。

 いきなり種明かしをしますが、本当は「東宝」というテーマで書こうと思ったんです。
 でも止めた。もう散々似たようなことを書いてるし、たぶんあらためて書いても似たような内容になることは目に見えている。
 それに大上段に振りかぶって<東宝>について書くのなら特撮の話をオミット出来ないのは当然です。だけれども藪似(←アタシ)という男が書いている限り、特撮の話なんか「触れる」程度になることも間違いない。
 だったらいっそ、逆に「興味がない=よく知らない」ことにポイントを絞って書いてみるのもアリなんじゃないかと。んでそれが誤解への返答になるのかも、と。
 もちろんリアル付き合いのある誤解している人はこんな過疎サイトなんか読んでないけど、自分の中で簡潔に、そしてソフトな言い回しで説明するための整理になるんじゃないかとね。

 さてさて、アタシの場合、特撮について「よく知らない」けど「まったく知らない」わけじゃないのが事態をややこしくしている自覚があります。
 例えば「仮面ライダー」について長文を書いたし、円谷特撮の原点と言われる「孫悟空」についても長文を書いた。
 しかもアタシの年齢からして、幼少期に再放送で特撮モノを見てないわけがない。いやはっきり言えば浴びるように見たわけです。
 つまりは知識は完全にゼロではないんです。マニアの人からしたら限りなくゼロに近いんだろうけど、ゼロかゼロでないかで言えば、やっぱりゼロではない。そこはかなり大きい。
 ではどこが違うか、これは完璧なラインがある。それが「大人になって以降、一度たりとも特撮モノを能動的に見たことがない」んですよ。
 あ、ちょっと嘘を書いた。一度だけある。それが「シン・ゴジラ」を観に行った時で、あれが最初で最後(かはまだわかんないけど)です。
 しかしさ、大人になってから唯一能動的に見たのが「シン・ゴジラ」一本なんてマニアがどこにいる?普通に考えたら「ああ、この人ホントに特撮モノに興味がないんだな」ってことになりません?

 そういえばこんなことがありました。
 とある人と喋っててね、その人はいろんな関係で何度も東宝の砧スタジオに出入りしたことがあったらしいんだけど、アタシが「(改修工事の前に)一度行っておきたかったです」みたいなことを言うと「ああ、でも特撮の小道具とか、もう何もなかったよ」と。
 アタシはその人に一度たりとも「特撮が好きで」みたいな話をしたことがない。つか好きじゃないんだからそんなことを喋るわけがない。
 その後何故かソフビの話になってね、そしたら向こうは当たり前のように「ブルマァクが・・・」みたいな話をするんですよ。もう「アンタだったらブルマァクくらい知ってて当然だよね」みたいな感じで。
 幸いにもアタシはギリギリ、ブルマァクは知ってた。ウルトラマン関連のソフビを作っていたこと、そしてすでに倒産したこと、くらいは。だから何とか会話を続けることは出来たんだけど、これも完全に「浅いとは言え知識としてはあるけど興味はない」典型です。例えば中野のまんだらけに行ってもブルマァクのソフビなんか一度も買おうと思ったことないもん。

 そんなアタシですが、本エントリにおいて「何で特撮モノに興味がないか」みたいな分析はさすがにしない。結果としてあぶり出される可能性はあるけど能動的にはやらない。
 んなもんね、無理矢理分析なんてしても後付けの屁理屈にしかならないもん。興味のあるなしなんて所詮感性の話だから絶対に理由なんかない。いや仮に理由はあっても理論立てたものでないのは間違いありません。
 じゃあ何を書くのかですが、目いっぱい、自分の知識をフル動員して、特撮のことを正面から書いていきます。
 たぶんマニアからすれば「何だその浅い話」にしかならないと思うし、一般の人からしても中途半端な知識だけはあるから、やっぱり面白くないと思う。

 でもそれでいい。少なくともこのエントリを読んでくださってる方だけでも「コイツ、本当に特撮に興味がないんだな」とわかってもらえれば、んで 自分の中で特撮に興味がないことへの説明」が整理されればいいと。
 んな感じでやってみます。

 まずは手元にある特撮関連の書籍のことを書いていきます。
 と言ってもたった2冊しかない。「仮面ライダー」のヤツを含めると5冊あるけど、「仮面ライダー」は特撮云々ではなくノスタルジーの要素が強いので、どうも特撮関連本と思えないんですよ。
 で、その2冊のタイトルを挙げてみます。

特撮博物館
 これ、もはや書籍ですらない。まァ製本されたものなので本っちゃ本だけど、正確にはパンフレットです。
 2012年に東京都現代美術博物館で開催された同タイトルの図録なのですが、当然このイベントに行ったからこそこんなのが手元にあるわけで。

成田亨の特撮美術
 成田亨と言えばウルトラマンのデザインで有名ですが、特撮全般の専門家でもあり、特撮の実制作に絞って書いた、まァいや専門書と言っても差し支えないでしょう。

 この2冊。って正直「あれあれ?」と思いません?
 たしかに<たった>2冊です。しかしその2冊が実に濃い。ま、特撮博物館のパンフは別に濃くはないけど、普通は特撮に興味がなければこんなイベントには行きませんし、成田亨の本なんて、これを手に取るのは、ま、手に取るまではいっても購入するのは相当な特撮マニアだけだと思う(結構高いからね)。つか本当に特撮に興味がなければ確実にスルーする類いの本です。
 「おい、本当はやっぱり興味ありまくりなんじゃねーの?」と思われて当然なのですが、まァね、これには理由があるんです。

 今はやってないんだけど、過去に仕事でジオラマ関係のことをやってたことがあるんですよ。
 ところがジオラマ関係ので良い書籍がない。あるのはあるけど、写真集的なものが多く、実制作を解説したのもないこともないけど、アタシがやってたジオラマとの関連が薄くて。
 んでいろいろ調べていくと、実は特撮のミニチュアセットがアタシがやってたジオラマ制作の参考になるとわかった。だから特撮博物館に行ったし、成田亨の本も買って研究はしていたんです。
 いわば<仕事>のためなんですよ。んでその仕事から外れた今は完全に元に戻って、もはや特撮のミニチュアセットにも何の関心もなくなった。<趣味>ではなく<仕事>なんだったら、それは当然だとも思うし。
 ただ仕事としてやってた頃の特撮に関する知識はまだ残存している。興味がないからもうだいぶ忘れちゃったけど、それでも全部、綺麗さっぱり忘れたなんてあり得ないわけで。
 さらに言えば某特撮映画のスタッフの人とつながりもあるし、2015年に開催された「東宝スタジオ展」にも行ってる。もちろん特撮映画目当てではないけど、そこには大量の特撮関連の展示物もあったわけで、せっかく行ったんだから目を通していないわけがない。

 どうです?これだけで<ややこしさ>がわかってもらえるはずです。
 「ゴジラ」をはじめとする特撮映画にも「仮面ライダー」(1号2号編)を除く特撮ヒーローモノにも何の興味もないのに、そのわりには専門的な知識を得てきた経験があるし、もちろん幼少期に見た特撮ヒーローモノの記憶も残っているわけです。また先ほども書いたように、戦前モダニズムが好きなばかりに円谷英二が初めて本格的に特撮にチャレンジした「孫悟空」なんて映画を愛好しているし、その流れで同じ山本嘉次郎監督、円谷英二特技監督の「ハワイ・マレー沖海戦」も当然見てるわけでして。

 そう考えると、黎明期の特撮から比較的新しい特撮まで、技術的なことを含めての知識はそれなりにあるってことになってしまう。だから、あくまで「それなり」にですが、特撮の話になってもそこそこついていける。もちろん「ウルトラセブンの何話の・・・」なんて話になったらまるっきりだけど。
 というか本来ならまずは「唯一、本気でハマった特撮ヒーロー番組」の話から始めるのが筋です。
 でも<唯一、本気でハマった>「仮面ライダー」のことは過去に長文として書いたので、もう書くことがない。幼少期に見ていた他の特撮ヒーロー番組も、あまりにも記憶が薄すぎて文章になんて出来るわけがない。何しろ大人になってから一度も追体験ってものをしてないからね。

 しょうがない。出来ることをやります。
 アタシが出来るのは特撮黎明期の話と成田亨の受け売りだけです。しかしさすがに成田亨の話を書くのははばかられる。つか成田亨の書籍からはみ出したことが書けるわけではないので、それなら当該書籍を読んでもらった方が良いに決まってます。
 だから、もう、黎明期の話に絞る。それしか書けそうにないからさ。

 さてさて、今では<特撮>、つまり特殊撮影技術と言う言葉が一般的ですが、かつてはトリック撮影、みたいな言い方をしていました。
 トリック撮影自体はサイレント期からあり、極端に言えばサイレントのスラップスティックコメディによくあるコマ落としもトリック撮影っちゃトリック撮影です。
 いや実際、パントマイム芸とコマ落とし撮影は本当に相性が良く、黎明期の人気コメディアンがパントマイム芸人出身だったってのは偶然ではない気がします。つか何たってサイレントなんだから、日本で言えば落語のような話芸はフィルムに焼き付けるのはそもそも不可能だからね。

 次によく使われたのはスクリーンプロセスという技術です。
 ま、簡単に言えば簡易合成で、はっきり言って合成まるわかりレベルなんだけど、それでもスクリーンプロセスのおかげで実現出来る映像の幅が広がったことは間違いない。それこそチャップリンのようなパントマイム芸人しか不可能だったような派手なアクションが普通の役者にも可能になったんだから。
 その頃、つまり日本で言えば戦前期に活躍したアチラのコメディアンと言えば、先に挙げたチャップリンをはじめ、キートン、ロイド、マルクス兄弟、ローレル&ハーディー、アボット&コステロ、といったあたりでしょうか。

 しかし今ではほとんど名前は消えているものの、当時は彼らと同格、は言い過ぎだけど、彼らに近い人気を誇ったコメディアンは他にもいました。
 例えばモンティ・バンクス。サイレント期のコメディアンだけど、トーキーの時代になる頃には消えていたし、あまりにも古すぎてアタシも見たことがありません。
 もうひとり、トーキー黎明期に活躍したエディ・カンター(キャンターとも表記するが今回はカンターで統一する)も今は名前が消えていますが、かつてはチャップリンやキートンの次のランクのコメディアンだったんです。
 エディ・カンターの<売り>は歌であり、しかし歌手とは違う。あくまでヴォードビリアンとしての歌芸を得意とした人です。だからサイレント映画では活躍しようがなく、サウンドが使えるようになったトーキーの時代に入って映画でも本格的に活躍するようになったわけで。
 大作といっても差し支えないシネミュージカルコメディに何本も主演しているし、とくにパートカラーの「百萬弗小僧」のエンディングは圧巻です。

 しかしエディ・カンターはパントマイム芸人ではなかった。だからチャップリンやキートンのような動きはハナから無理で、かと言ってマルクス兄弟のようなアナーキーさもない。だから顧みられることがなくなってしまった。事実、エディ・カンター主演映画は一本たりともDVDになっていません。(本国では数本発売されてるみたいだけど、本国でさえ全主演映画がってわけじゃないのが哀しい)
 だからといってアクション的なシーンが皆無なのかと言うとそんなことはないんだけど、何しろカンターはアクロバティックな動きは出来ない。
 じゃあどうしたか。そう、スクリーンプロセスです。
 「当たり屋カンター」のクライマックスはジェットコースターのシーンで、カンターはジェットコースターに捕まったりいろいろするんだけど、ほぼスクリーンプロセスを使って撮られている。だからまァ、実に安っぽい。
 アタシはそれが好きなんだけどね。

 この頃日本で、エディ・カンターを、正確にはカンター映画をお手本にした映画が作られている。
 エノケンこと榎本健一は、少なくとも映画においてはあきらかにエディ・カンターをお手本にしており、映画でカンターが歌った歌をさらに自身の映画でカバーする、なんてことも頻繁にやっています。
 しかしエノケンがカンターを手本にしたのは正解で、小柄で歌が得意で、動き回るのは得意だけどパントマイム芸人ではない、など相当な共通点があるからです。
 エノケン主演第2作は「エノケンの魔術師」という映画で、何しろエノケンが魔術師に扮するんだから当然トリック撮影が必要になります。
 それこそ消えたり、瞬間移動したりはトリック撮影の初歩の初歩であるカット割りで実現しているし、いくつかのシーンでスクリーンプロセスも使われているんです。

 ただし当時としてはスピード感のあるカーチェイスシーンは一部コマ落としは使っているものの、実際に街中を走らせての撮影で、かなり良く出来ています。
 またトリック撮影とは違いますが、エンディングにはアニメーションまで使われてるのが面白い。もちろん技術的にはあまりにも旧態依然としたものですが、実写が突然アニメーションに変わる極めて初期の例だと思う。
 「エノケンの魔術師」が作られたのは1934年ですが、これだけ最新の技術を詰め込んだ邦画は珍しい。映画としての出来もそこそこ良いので一見の価値があります。

 しかしこれ以降、トリック撮影を上手く使った邦画はあまりない。実は日本初のSF映画じゃないかと言われる「續清水港」もトリック撮影がどうこうという類いの作品じゃないし。
 となると一気に、円谷英二が特撮を担当した「孫悟空」(1940年)になってしまいます。
 「孫悟空」のことは以前長々書いたし、トリック撮影についても触れた。その時も書いたけど、トリック撮影としては稚拙で、当時としては非常に珍しいミニチュアを使った撮影もやってるんだけど、お粗末すぎて今となれば逆に円谷英二の名前に傷がつくのではないかとさえ思います。
 それよりも「孫悟空」の翌年に制作された「エノケンの爆弾児」における多重露光撮影の方が良く出来ているくらいです。
 この映画でエノケンはひとり二役(厳密には三役だけど)で 、ふたりが同時に出てくるシーンで多重露光が使われている。これが意外にも自然で、それまでの映画にも多重露光を使ったものはあったけど、1941年の、つまりギリギリ戦前の時点ですでに多重露光を使った合成が使い物になるレベルだったってのは注目に値します。

 その次、となると、もう「ハワイ・マレー沖海戦」になる。これの公開が1942年の12月。「孫悟空」から2年後の話です。続く。







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