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特撮に興味ゼロの人間が特撮を語る
FirstUPDATE2019.9.23
@Classic @山本嘉次郎 @植木等 @東宝クレージー映画 #東宝 #特撮 @戦前 #大正以前 興味ゼロ 全2ページ 円谷英二 @ハワイ・マレー沖海戰 @孫悟空 コメディアン エディ・カンター 成田亨 スクリーンプロセス ミニチュアセット 後楽園球場 @大冒険 ワイヤーアクション

 ここからは「ハワイ・マレー沖海戦」(1942年)の話からはじめます。

 山本嘉次郎 X 円谷英二コンビの前作「孫悟空」の特撮が<稚拙>だとするなら「ハワイ・マレー沖海戦」は完全に形になった<見事>な特撮で、とくにミニチュア撮影は飛躍的な進歩を遂げています。
 ミニチュアで飛行機を飛ばすシーンは飛行機を動かすのではなく壁を動かすなどのアイデアもそうだし、リアルに見える水柱のサイズをテストを重ねた末に決定したり、と言った話は円谷英二フリークであれば当然ご存知でしょう。
 しかしこの映画の特撮の凄さはミニチュアセットのスケールです。何しろ真珠湾をまるまる再現したセットを1/400スケールで組んだんだから。

 ミニチュアセットってのはカネがかかります。しかもまだその効果が懐疑的だった、いや先行例がほとんどない時代の話です。んなもん、小規模なものならともかく真珠湾全体を再現したミニチュアセット制作なんて普通なら却下されて当然です。
 しかし他に方法があるわけがない。何しろ爆撃した地にロケに行けるわけがない。しかもこの映画の制作は軍部からのお達しで、なのに資料らしい資料の提供もなかったらしい。だから真珠湾の全景だけでなく軍機の内部まで四方から資料を集めて無理矢理作り出したのです。
 にもかかわらず円谷英二と監督の山本嘉次郎は本物と見紛うばかりの映像を作り出した。それほどミニチュアセットの出来が良かったんですね。

 これはどの特撮にも言えることだけど、作品が完成すれば、如何にミニチュアセットが良く出来たものだとしても解体されます。アタシが行った2012年の「特撮博物館」で展示されたものも「奇跡的に」現存していたに過ぎない。
 「ハワイ・マレー沖海戦」のミニチュアセットも撮影が終われば解体される運命、のはずでした。しかしひょんなことから、ほんの少しだけだけど寿命が伸びたのです。

 このエントリはもともと「東宝」を分析する、として構想したものを、あえて<興味のない>特撮の話に絞ってやろうとしたものです。
 ってな経緯と関係あるわけでもないんだけど、ちょっとだけ戦前期の東宝にも触れておきます。

 東宝と言えば映画と舞台です。それは基本的に戦前期であろうが現今であろうが変わりがない。しかし戦前はもう少し多角的にいろんなことに手を出していたんです。
 例えば、正確にいつからいつまでってのは未調査なんだけど、戦前からの一時期、東宝は後楽園球場を傘下に入れていたことがあります。
 ってもはや後楽園球場の説明が必要な時代だけど、ごくごく簡単に言えば東京ドームの前身っつーか、後楽園球場の跡に出来たのが東京ドームです。(いや厳密には違うけど、それはいいでショ)
 とにかく野球場であることには違いない。あの天覧試合も後楽園球場だったわけで。
 後楽園球場ははじめから「プロ野球(当時で言えば職業野球)をやるために作られた球場」でした。この当時、東京内で唯一まともな球場だった神宮球場が「職業野球の使用は罷りならん」となった以上、別に球場を作るしかなかったわけで。

 何故東宝が後楽園球場を所有していたのか、その理由はつまびらかではありませんが(正直、東宝の創始者である小林一三が無類の野球好きだった、くらいの理由しか思い浮かばない)、おそらく東宝としても無駄にデカく、肝心の職業野球もまったく客が入らない状況で、持て余していたのは確実です。
 スタジアムコンサートツアー?んなもん日本で最初にやったのは西城秀樹ですよ。西城秀樹がいつの時代の人だと思ってるんですか。
  それはいいや。とにかく何かやるにもデカすぎて活用するコンテンツなどあるわけがなかった。
 そんな折、軍部から「ハワイ・マレー沖海戦」のアピールを大々的にやれ、というお達しがあった。と思う。実際は知らないけど東宝が自主的にやったとは思えないので、やっぱりお達しなんでしょう。

 先述の通り「ハワイ・マレー沖海戦」は円谷英二の手によって超特大のミニチュアセットが組まれました。
 要はこれを一般の人にナマで見せようってことなのですが、何しろ馬鹿デカいもので、東宝が所有していた日劇や帝劇といった大劇場でも無理。なモンが展示出来る自前の施設など・・・あるじゃないか。そう後楽園球場ってのが。
 何だか妙に芝居がかった文章になってしまいましたがマジメにやります。
 とにかく1942年12月5日より10日間にわたり、後楽園球場で「ハワイ・マレー沖海戦」で使用されたミニチュアセットが展示された。って簡単に書いたけど、たぶんこんなことは空前絶後のはずで、これだけ特撮マニアがいる現在ですら「公開直後(映画の公開は12月3日)の特撮映画のミニチュアセットを球場を借りて展示する」なんてことは不可能だと思う。ま、ある意味それだけ軍部のお達しが絶対的だったとも言えるんだけど。

 このイベントのタイトルがすごい。「大東亞戰争一周年記念『映畫報国米英撃滅展』」。いやはや、まァたしかにこの時代、この手のタイトルのイベントをデパートなんかでよくやってたから突出して強烈なわけじゃないけど、言ってもこれはミニチュアセットの展示ですからね。
 それよりすごいのは内容です。
 数枚の写真が現存していますが、後楽園球場の内野部がほぼ埋まるくらいの大きさで、ま、真珠湾全景ならこのくらいの大きさになるのかもしれないけど、これだけの規模のミニチュアセットが展示されたのは有史以来この時だけだと思う。

 マジで特撮ファンっつーか円谷英二フリークならヨダレが出そうなイベントじゃないかね。もしこれが見られるならタイムスリップも厭わない、なんて人がかなりいそうな。
 つかどうやって砧の撮影所から後楽園球場まで運んだんだろ。さすがにそれは軍部も協力したのかね。

 にしてもです。円谷英二の仕事ぶりがすごい。それは特撮に興味のないアタシでもわかります。
 「孫悟空」の頃までは円谷英二チーム、つまり特撮担当のスタッフは2、3人しかいなかったと言われており、さすがに「ハワイ・マレー沖海戦」ではもう少し増えたと思うけど、たいした人数ではなかったと思う。
 しかも今より圧倒的に物資不足の世の中で、資料もほとんどなく、それでもGHQが本物の真珠湾で撮影したと勘違いしたレベルのミニチュアセットを作った円谷英二には感服します。

 だからこそ思うんです。戦後の「ゴジラ」など、少なくともその苦労度合いにおいては問題にならないくらい容易いことだったんじゃないかと。
 たしかに、もし「ゴジラ」がコケたらもう特撮映画は作れないかもしれない、みたいなプレッシャーはあったかもしれない。けど、そんなもん「ハワイ・マレー沖海戦」で味わった「軍部のお達し」に比べたら屁でもなかったはずで、だって「ハワイ・マレー沖海戦」は失敗でもしようものなら首を差し出さなきゃいけないレベルだったんだから。

 化学というか科学の進歩は戦争の時により発展する、と言われています。
 それを考えるなら、円谷英二の特撮技術が飛躍的に向上したのは、戦争のおかげなのかもしれません。
 山本嘉次郎と円谷英二は終戦までに戦争三部作として「加藤隼戦闘隊」「雷撃隊出動」を制作していますが、一作毎にあきらかに技術が向上している。もちろん終戦が近づくにつれ極端な物資不足になり、「ハワイ・マレー沖海戦」の時のような大スケールのミニチュアセットを組めるわけじゃなくなっていたけど、それをアイデアでカバーした。つまりこの時期に円谷英二の「入手しやすい手近なモノを活用して特殊効果を出す」という特撮脳は完成したのではないかと。
 んなことを書いたら怒り出しそうな人もいるんだろうけど、戦争があったから円谷英二が成長し、のちの「ゴジラ」や円谷英二が一切関わってない特撮作品が花を開いたってのは認めなきゃ。ね。

 ここまで黎明期の特撮について書いてきましたが、アタシの知識は以上です。戦後のことを書くったって、昔のラミネートチューブになる前の練り歯磨きをペンチで絞り出すようなものです。
 ただこれで終わるのはあまりにも不親切なので、無理矢理ですがもうちょっとだけ書きます。
 おーい山田くん、ペンチ持ってきて!

 ま、戦後ってのは広すぎるんだけど、正直、CGの登場まで特撮は戦前からほとんど進化してなかったように思う。
 こう書くと特撮関係者に失礼な気もするんだけど、そりゃあ幾多の人が特撮にかかわるようになって<手立て>は飛躍的に増えたけど、結局は円谷英二の特撮脳からはみ出すものではなかった気がするんです。
 戦前の時点にはなくて戦後になって使われた技術としてワイヤーアクションってのがあります。どうも歌舞伎が起源という説があるそうだけど、アタシもその説が正しい気がする。それを映画に取り入れたのは面白いんだけど、まァ発明ってほどでもない。つかこれも円谷英二が導入したわけで、やっぱり円谷英二の前に円谷英二なし、円谷英二の後に(以下略)なだけじゃないかと。

 日本で初めて本格的なワイヤーアクションを導入した映画は「大冒険」(1965年)と言われています。
 「大冒険」?それ、クレージーキャッツの映画じゃん。それならちょっとはわかる。やったね!
 しかしぶっちゃけ言えばこの映画、特撮に視点を絞ってもあんまり面白くない。ワイヤーアクションも「如何にも吊られてます」って感じだし、爆撃シーンはライブフィルムで誤魔化している。要塞っつーか敵のアジトも例の金属っぽい感じで、正直手練で作られている感が強いんです。
 この映画の監督の古澤憲吾と円谷英二は前々年に作られた「青島要塞爆撃命令」でもタッグを組んでいますが、この時大喧嘩に発展したらしい。にもかかわらず「大冒険」で再び一緒にやることになったのですが、どうもそのせいか、円谷英二に身が入ってない感じがしてしょうがないってのは穿ち過ぎか。

 しかし円谷英二に「喜劇だからテキトーでいい」みたいな考えは微塵もなかったと思われます。
 何しろ大々的に特撮を導入した最初の作品はレビュウ喜劇の「孫悟空」だし、フィルモグラフィーを見てもわかるように円谷英二は意外と喜劇映画も担当しているんですよ。
 だからこそ、ワイヤーアクションというあまり実績がないことにもチャレンジしようとしたんだと思うしね。
 そうは言っても、円谷英二には「自分の技術で積極的に笑いを生み出そう」みたいな発想もなかったはずで、あくまで自分は特撮の技術屋だと自負していたはずです。
 円谷英二が自分のプロダクションを立ち上げ東宝を退社した後、東宝の特撮を支えたひとりに中野昭慶という人がいますが、この人は円谷英二と違って「特撮は笑わせることも出来る」という考えを持っていた。だから同じくクレージーキャッツ主演映画で中野昭慶の特技監督デビュー作になった「クレージーの大爆発」は「特撮があったからこそ笑える」シーンがいくつもあり、私見では「大冒険」よりも(特撮に絞っても)上です。

・・・まァ、こんなところかなぁ。これ以上は本当に書くことがない。マジでこれで、絞りカスすらなくなった。
 けどここまで書いてきたことによってわかったことがある。それは円谷英二の偉大さです。
 Page1にてアタシは「純粋な特撮関係の書籍は2冊しか持ってない」と書いたけど、特撮に特化されたものではないのですが特撮絡みを扱ったものとして「封印作品の憂鬱」(安藤健二著)という本が手元にあります。
 この中に「ウルトラ6兄弟VS怪獣軍団」を扱った章があり、この映画の製作者でもあるソンポートのインタビューが収録されている。
 この映画の版権にかんしてかなり長い間係争が続き、まァ結果がどうだったかは個人的にどうでもいいんで割愛しますが、とにかくソンポートは若い頃に円谷英二の元で特撮技術の勉強したのは間違いない。もちろんインタビューでもそのことに触れている。
 このインタビューでソンポートは円谷英二から「如何にお金を使わないで特撮を作るのか」を学んだとしているのですが、この意見に著者(インタビュアー)の安藤健二は違和感を抱いている。たしかに円谷英二は莫大な予算を使っていたことは事実だし。

 アタシはね、今回あらためて円谷英二のことを書いてみて初めてわかったけど、結局はどっちも本当なんですよ。
 ソンポートの言う「お金を使わない」ってのは、つまり「ハワイ・マレー沖海戦」からの戦争三部作の時に学習した「出来るだけ入手しやすい手近なモノで表現する」ことの成果だと思う。つまり単純な材料費自体は低く抑えられているわけで、そこだけ取り出せばソンポートの話は正解なのです。
 かと言って円谷英二は材料にこだわらなかっただけでクオリティにはこだわりまくってたことも間違いない。だから予算超過も厭わずリテイクを繰り返した。
 しかしこれも「ハワイ・マレー沖海戦」の影響と言えまいか。酷いモノを作ろうものなら自分の首を差し出さなきゃいけない、そんな極度のプレッシャーの中でやってきた円谷英二にとって、戦争が終わろうがなんだろうが「何があろうと、全力で、その時点での最高のクオリティを実現する」ことにこだわったんだと思うし。

 いずれにせよ、もう円谷英二のような人は出てこないと思う。それは単に円谷英二のような才があるかないかはあまり関係ない。
 戦争があったから円谷英二という特撮の巨匠が生まれた。そして戦争が終わっても特撮にこだわったことによって特撮映画は花が開いたし、現在でも脈々と特撮を有効活用した映画やテレビ番組が作られているんだと思う。
 アタシは散々「特撮には一切興味がない」と書いてきたけど、そんな興味のないアタシでも、自分の知識をつなぎ合わせただけで凄さがわかるって、本当に円谷英二は偉大だったんだなと。

 興味があることで凄さがわかるのは当たり前かもしれないけど、興味がないにもかかわらず凄さがわかるなんて、ほんのひと握りの人だけだからね。

面白さがわからない人間に面白さのカンドコロを伝えるのはほとんど無理だと思うわけで、アタシのような人間にいくら特撮の魅力を熱く語ろうとも、特撮に興味がないことを覆すのは絶対に無理だと思うんです。
これだけ生きてきて、んで距離をとってたわけでもなくそれなりに接近して、それでも興味を持てなかったってことは、もう死ぬまで興味がないままなんだろうなと思う。本文でも書いたけど「興味を持たない方がおかしいレベルで接近していた」のに、だからね。
あと最近、だんだん思い出してきたけど、特撮への興味を削がれた一番の理由はSF、とくにスペースオペラ系の話がまったく肌に合わなかったからだったように思う。というかさ、特撮好き=必ずしもSF好きじゃないんですよね。あれがわからない。特撮好きの興味の行き着く先はSFじゃないの?
いやさ、これも最近つくづく思うけど、同じ<サイエンスフィクション>の範疇とはいえタイムスリップ物とか未来の話と、宇宙を舞台にした物とかヒロイック物はまたぜんぜんジャンルが違うような気がする。しかもその距離は相当遠い。
アタシは筒井康隆とか星新一とか、もちろん藤子不二雄も吾妻ひでおも好きだけど、正直これらの人の描く作品の何がSFなのかいまだにわからないんですよ。ただ特撮物ってこの系統じゃないでしょ。特撮物の多くはやっぱヒロイック系に入ると思うし。
ま、結局アタシは戦記物とか三国志とかも含めてね、何か武力的な争いをメインにした物があんまり好きじゃないんだろうなあと思う。どうも血湧き肉躍らない、というか。それはもう、本質的なことだから変えようがないよねぇ。




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