一騎梶原のやるせない話
FirstUPDATE2009.5.25
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 2003年、と言えば阪神タイガースが18年ぶりに優勝した年なのですが、日本シリーズが始まる直前に星野仙一の勇退が発表されたことで阪神贔屓は「ただならぬ思い」で日本シリーズを迎える、という事態になりました。

 結果としては、3勝3敗で迎えた第7戦に阪神は敗れたわけですが、この時アタシが受けたショックはひと言では表せない。
 アタシは当時書いていた日記に「大人のブラックファンタジー」とさえ書いてますが、どんな事情があれ、スポーツの結果ってのはどう足掻いても思い通りにはならない、というのを嫌というほど、あらためて思い知った。
 スポーツ観戦ってのはどうしても「爽快感」とか「カタルシス」という言葉で面白さが語られるけど、それらと同じくらいの比重で「やるせなさ」ってのがあるんですよ。
 大辞林によれば「やるせない」とは『思いを晴らすことができずせつない。つらく悲しい。』とありますが、実はこの「やるせない」気持ちをもっとも愚直に表現出来たのは梶原一騎だったのではないか、と思うわけです。

 「巨人の星」でも「あしたのジョー」でもそうだけど、主人公の進む先にあるのは破滅であり、極めれば極めるほど破滅へと近づく。それでも主人公は歩みを緩めることは許されず、最後はボロボロになった挙句にすべてが終わるわけです。
 こう書くとものすごい残酷物語みたいだけど、スポーツ選手の一生を圧縮したら誰でもこうなる。永遠に栄光が続くスポーツ選手なんて存在するわけがなく、始めた時点で終焉に向かって進むしかないのがスポーツ選手なのです。
 ただひとつ許されることがあるとするなら「納得することが出来たか否か」だけなのですが、星飛雄馬にしろ矢吹ジョーにしろ「納得」までは到達出来ているわけで、そう考えるなら残酷どころかむしろ最高のスポーツ選手人生だった、とも言えるわけで。

 ただし、それだけじゃ辛いばっかりで、漫画としては面白くない。
 だからかどうかは知らないけど、ある意味徹底的にリアルな「やるせなさ」を裏に回して、表面上はこれまた徹底的に荒唐無稽にしてある。コートームケー過ぎてギャグ漫画になったり空想科学漫画になったりするほどで、でもそれが面白いんだから文句が言えない。
 阪神タイガースが惜しくも日本一を逃した2003年の次の年、つまり2004年の話ですが、「巨人の星」の劇場用の中篇映画(「巨人の星 大リーグボール(以下「大リーグボール」)」と「巨人の星 宿命の対決(以下「宿命の対決」)」。ともに1970年の「東宝チャンピオンまつり」で封切られた)が2本続けて関西ローカルの深夜に放送されたことがありました。
 これがね、アホほどすごかった。感動的なまでにすごかったんですよ。とにかくコートームケーぶりがハンパじゃなくてね、マジでギャグアニメじゃないかと思えるほど笑えたんですね。

 もちろん原作は読んだことはあるのですよ。しかしずいぶん昔の話だし、詳細は忘れていたんだけど、あらためてアニメという形で見ると、とんでもないとしかいいようがなくて。
 「大リーグボール」の冒頭で、星がデビュー戦で左門にホームランを打たれるんだけど、そこでいきなり失踪ですよ。
 1990年に河野博文という日本ハム所属の投手が失踪して騒動になったことがありますが、わりとマイナーな日ハムという球団に所属していたゲンちゃん(河野投手のニックネーム)でもあれだけ騒ぎになったんだから、大巨人軍の期待のルーキー(高校を中退して入団、しかも開幕一軍)が失踪してごらんなさい。某夕刊紙のE記者あたりがよろこんで飛びつくは確実です。
 しかもどこに行ってたと思います?禅寺ですよ禅寺。お前いったいいくつやねん。

 とにかくね、この星とかいう男、まったく融通がきかない。ピッチングにしてもコンビネーションというもんがぜんぜんない。
 如何に球が軽い、変化球がないとはいえ、コントロールは抜群、スピードもそこそこ、しかも魔球まで投げられる。十分じゃないですか。
 たかだか1月そこそこ特訓しただけで魔球が投げられるんだから、チェンジアップのひとつでもお手軽におぼえて緩急がつけれるようになれば、20勝は出来ますよ。余裕で。でもしない。偏屈だから。いやもう偏屈云々ではなくキャラクター設定がコートームケーと言った方がいいか。

 またライバルの花形ってのも相当なコートームケー野郎でね。「宿命の対決」で花形が大リーグボールを打つために特訓するんだけど、この特訓がまたとんでもない。だって鉄球を鉄バットで打つんだから。
 おいおいおいおい、ちょっと待てよ。手首を鍛えるとかいう以前に、そんなことしたら一発で手首がパーになりますぜダンナ。
 で、結局花形はこの魔球を打つんだけど、これを打ったがために身体がダメになる(理由は不明)。
 ちゃうやん。星から打てんでもええから他のヤツから打てや。ひとつの魔球を打つために大スランプになったり、身体がボロボロになって戦線離脱したり、どれだけチームに迷惑かけんねん。
 ホンマ、たっかい年俸もらっとるクセして・・・。知らんけど。

 ま、無粋なツッコミはこれくらいにして。さんざん書いた後ですが。
 今観るとね、現実とのリンク具合も面白かったりするんですよ。
 さきに書いた、花形が大リーグボールを打つ試合ね、これって有名なバッキー・荒川乱闘事件のあった試合なんですよ。(ただしアニメではバッキーと荒川は殴り合わない)
 この試合、現実ではバッキーが王にブツけた直後、長嶋が怒りのホームランを打つんですが(たぶん本当は怒ってない)、それがちゃんと伏線になっていて、大リーグボールは危険球に近い球だから、<球場(甲子園)は異様な雰囲気>、<星は当然大リーグボールが投げにくい>という状況が生まれるのです。
 このへんは正直うまいなぁと思いました。というか、こういう発想は「スポーツ選手の<業>というリアルを描いてるんだから、ストーリーそのものはリアルではいけない」みたいな信念が梶原一騎にあったんだと思う。もちろん梶原一騎が野球も格闘技の一種としかみなしていないってのもあるんだろうけど。

 しかしアタシにとって、梶原一騎といえばコレと思えるのが「タイガーマスク」なんです。
 何しろ幼少時に一番ハマったのが「タイガーマスク」でして、時期はややズレるけどハマり度からすれば「仮面ライダー」よりもハマってたとも言えるわけでね、ええ。
 でも冷静になって考えてみると、何でそこまで「タイガーマスク」にハマったのかよくわかんないんですよ。
 たしかに「タイガーマスク」は「巨人の星」や「あしたのジョー」に比べるとやや年少者向きなのでコートームケーさも「巨人の星」以上のところはあるんだけど、1960年代後半特有の暗さが強調されたもので、それはオープニングテーマ曲とエンディング曲を聴くだけで、よーくわかります。

♪ しるォいィ ムァットぬォ ジャーングゥルゥにィ
 きよもォ 嵐がァ 吹きあァれェる~


 新田洋(現・森本英世)の粘っこい歌唱による、血湧き肉躍るオープニング曲と、見事に一対となった「圭子の夢は夜ひらく」ばりのエンディング曲の凄さ。というか凄まじさ。

♪ あたたかいィ人のォなさけェもォ
 胸を打つゥ熱いィ涙ァもォ
 知らないでェそだあたボクは みなしィごさ~


 暗い。暗すぎる。いやもう暗すぎるどころじゃない。陰々滅々としてる。
 しかしこの2曲で「タイガーマスク」という作品のすべてを表現出来ているのは見事という他はなく、徹底的にダイナミックでコートームケーな試合シーンと、孤児院「ちびっこハウス」では明るくノーテンキに振る舞いながら、実はタイガーマスクとして重い十字架を背負って戦う主人公の伊達直人のギャップっつーか振り幅をね、主題歌と副主題歌で表現しようという発想がエゲツない。あまりにも梶原一騎でありすぎる、というか。
 アニメ版「タイガーマスク」と言えば何と言ってもあの最終回でしょう。
 原作とはまったく違う展開というか結末でありながら、伊達直人(タイガーマスクではなく)というひとりのレスラーの「死に様(生き様ではなく)」を完璧に表現しており、原作のよくわからない死亡エンドよりもはるかに素晴らしい。梶原一騎が原作からかけ離れたこの最終回を、怒るどころか大絶賛したのもわかります。

 ただね、よくわからないこともあって。といっても作品に関することではない。
 幼少時のアタシはこれほどまでに「タイガーマスク」を熱く見ていたのですが、どういうことか今のアタシに残る影響が皆無なんですよ。
 「タイガーマスク」は言うまでもなくプロレスがテーマの作品ですが、それ以降、ただの一度もプロレスに興味を持ったことがないのです。
 これにかんしては2009年に前田日明が三沢光晴(2代目タイガーマスクをしていた時期がある)の追悼として語ったネット記事に、その答えがありました。
 前田日明曰く、要するにプロレスというものは己の肉体を使ったショーだと。さらにそれにプラスする形でプロレスラー自らが考えたストーリー(アングル)が持ち込まれて奥行きを出している、というね。

 つまりプロレスを花相撲だなんだということ自体が無意味であり、極端に言えば、ストーリー性のある「サーカス」とか「びっくり人間大集合」に近い、というふうに解釈したわけで。(実際、プロレスの興りはサーカスの一アトラクションだったという説がある)
 こうなるとアタシが何故プロレスに興味を持てないのかがはっきりする。うだうだ書いてもしょうがないので簡潔に書くなら、アタシはサーカスだのびっくり人間大集合といった類いのエンターテイメントには心を惹かれないのです。それも何故と訊かれるならもう答えようもないんだけど、どうしてもそこで終わるものに満足出来ないっつーか。
 そんなことを言えば「タイガーマスク」のような、あまりにも振り幅の大きな物語も現今あんまり好きじゃない。いや、映画くらいの長さでバシッとやってくれるならいいけど、漫画とかアニメでやるようなことじゃなくね?みたいな。

 「タイガーマスク」のテーマであるプロレスと振り幅はまったく今の自分に影響を与えてないってことになるんだけど、「スポーツというのはやるせないものだ」という梶原一騎の根幹の主張と、コートームケー好きっつーかコートームケーなものでもあっさり受け入れることが出来るのは、どう考えても「タイガーマスク」の影響だよなぁ。つか梶原一騎の影響だわ。

これ、今にして思えば2018年ではなく、もう少し後で改稿した方が良かった。
というのも2019年の1月に「ザ・ドキュメンタリー・昭和の劇画王 梶原一騎」って番組を見たからでして、今ならあと少しだけ踏み込んで書けたのに、と若干後悔しています。




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