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ルックバック2011March
FirstUPDATE2021.11.7
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 さてさて、さすがに私的な話はこれくらいにして、震災直後の話で、やっぱりコレを外すわけにはいかない。


 何だか、トラウマ誘発映像扱いされてるけど(もちろんそれは理解出来る)、この映像抜きに震災直後の日本は語れない。
 こういうことは阪神大震災の時もあった。ちなみに映像がコレ。


 まァね、こういう未曾有の震災があれば、民放局のスポンサーは自粛するしかないわけで、となるとACのCMで埋め尽くされるのはしょうがないと思うのですよ。
 せっかくなので、この震災の時に流れていた他のCMも貼っておく。




 Twitterのタイムラインにしつこく「こだまでしょうか、いいえひかり(のぞみ)です」ってのが流れてきたのに閉口したこともよく憶えています。こんな誰でも思いつくダジャレとかボキャブラ天国でも不採用だわ。
 にしても、何ひとつ狙ったわけではないんだろうけど(つか狙うなんて不可能だし)、震災で多数の死傷者を出したタイミングで「友達が増える」挨拶をテーマにしたCMが流れてたってのはシュールすぎる。
 いやね、実際、この「あいさつの魔法。」(どうもモーニング娘。よろしく<。>があるのが正式名称らしい)と言えば「あの震災」だし、「あの震災」と言えば「あいさつの魔法。」だと思う。(一部界隈では、あの震災=ト◯ボ鉛筆の佐◯だろうけど)
 もうそれは、どれほど嫌がる人がいようが、製作者の本意でなかろうが変えようがない。
 さすがにこういうことになると、だまってないのがネット民で、MAD動画もずいぶん作られた。
 中でも有名なのがこれでしょう。


 いやぁ、何じゃこりゃ。この無駄クオリティは今の目で見た方が余計すごく感じる。
 というかね、これだけ見ても、何だか今よりもインターネットは良い意味で活況だったように思えてくる。つか、もしまた、こんな未曾有なことが起こってね、いや実際新型コロナパンデミックとかがあったんだけど、こんな無駄クオリティの動画とか作られてないもん。
 話が逸れるから手短に書くけど、時代を盛り上げるのが「いい意味での馬鹿」であり、時代を盛り下げるのは「悪い意味での賢者」ってのがよくわかる。
「そんなことして、何になるの?」
 これ、一見賢者っぽい発言だけど、実は本物の馬鹿の言いそうなことで、先のMAD動画で言えば「無駄クオリティだったからこそ、人の心を捕まえた」のです。人の心を捕まえるのは常にいい意味での馬鹿なんですよ。

 話を戻します。
 実際、直接の被災者でない人が「笑ってもいいんだ」という空気が流れ出したのは、こうしたMAD動画が作られ出した頃からだったように思う。
 当たり前ですが、被災者の方はまだそんな余裕はぜんぜんなかっただろうし、それはこのエントリの冒頭にも書いたように、もしかしたら今現在も、かもしれない。
 それは百も承知ですが、それでも「国民全員が喪に服した状態」がいつまでも続くのは、やっぱりおかしい。そんなことを言い出せば、今、こうしてる間にもどこかで誰かが命を落としているわけで、つまり「楽しいこと」も「笑えること」も一切止めなきゃいけなくなるからね。
 ある程度で区切りをつけて、直接の被災者でない人たちは元の生活に戻りましょうってなるのは当然だし、となると先のMAD動画は良い露払いになったんじゃないかと。

 とにかく、MAD動画、つまり「インターネット発」のものが露払いになったってのが如何にもこの時代らしい。
 というか、インターネットなんてものが世間に浸透してから、とかく<悪影響>ばかりが取り沙汰されていましたが、この時ばかりは「インターネットって、実はきわめて重要なメディアではないか」ってのがはっきりした。
 というのもね、既存の<日本の>メディアがあまりにも頼りなかったってのがこの震災で露呈したとも言えるんですよ。
 アタシがロンドンのホテルで、BBCのニュースをずっと見ていたってのはPage3に書きましたが、日本に帰ってきてニュースを見ると、あきらかに物足りないものを感じてしまったのです。
 というのもね、どうも、日本のテレビ局のニュースは肝心なところになると<はぐらかす>感じがありありとわかり、どう公平に見てもBBCのニュースの方が「丹念に取材をし、見せるべきところはしっかり見せる」ってのが徹底しているように感じた。だからアタシはスカパーでBBCのニュースを見ることが多くなったんです。

 そして、もうひとつはUstreamです。
 Ustreamはいろいろあった末にサービスが終了してしまいましたが、間違いなくライブストリーミング配信の可能性を知らしめたサービスだったと思う。
 おそらくは被災者の方なのでしょうが、このUstreamを使って「被災地のナマの状況」を配信している方が何人かおられた。そしてそこに映る<現実>は日本のテレビ局の報道とは「似て非なるもの」だというのが嫌ってほどわかった。
 ここから再び、過去に書いたエントリを転載したい。っても全体の半分くらいですが。タイトルは「終わりの始まり」。2011年の年末に書いたものです。

テレビの存在意義、なんてもんは、もう何十年も前からいわれていることですが、はっきりと存在意義を示せるのは未曾有の災害が起こった時なんです。ところがせっかくのチャンス(被災地の方すいません、あくまでテレビの話です)ですらテレビはまったくというくらい存在感を示せませんでした。

テレビ局は存在感を示せる千載一遇のチャンス(繰り返しますがテレビ局にとっては、ですよ)を、ネットなんていうどこぞの馬の骨かもわからんメディアにお株を奪われたわけです。
その後、夏から秋にかけてフジテレビへのデモが行われましたが、あんなもんオマケみたいなもので、もしネットでいわれている通り、どこそこの国の息がかかっていて、どこそこの国に都合のいいことしか放送しない、だったとしても、いや、テレビにはテレビの価値があるんだ、となれば存在意義は出たんです。
報道、特に国の存亡に関わるような大災害が起これば別だったはずなんです。でもそれすらもネットにとって代わられた。

まったく皮肉なものです。今年は地上アナログ放送が終了し、デジタル元年になるはずだったんです。それがね、はっきり言い切りますが、「終わりの始まり」の年になるとは誰が予想したでしょう。


 結局、日本国民は2011年を境にして、テレビや新聞などの既存のメディアに頼っていてもしかたがない、ある意味インターネットの方が、いくらノイズが多くても上手く活用すれば、まだマシなんじゃないか、という考えが強くなった気がする。
 そしてたんなるメディアの置き換えではなく、既存のメディアでは到底カバー出来ないこともインターネットなら可能だ、というのを知らしめたのもこの年だったんです。
 それがTwitterなのですが、Twitter自体はもう少し前からあり、日本語版のサービス開始は2008年らしい。ちなみにアタシがTwitterのアカウントを作ったのはその翌年の2009年です。
 ところがね、アカウントを作ってはみたものの、とにかく活用のノウハウというか<活かし方>みたいなのがわからなかったんです。
 初期のTwitterは「なう」という言葉に代表されるように「今、こんなことをしてますよ!」という利用方法を想定していたと思う。
 ところが、諸外国はどうか知らないけど、この利用法は如何にも日本人に合わない。当時似たようなことを書いたけど、いろんなことが完了した後で「こんなことをしました!」ってのは日本人の性に合ってるけど、現在進行形のことを書くのに馴染まない人が圧倒的に多かったと思うんです。

 ところが震災が起こったことでTwitterに別の利用法が生まれた。いや生まれたわけではなくスタンダードになったというべきか。
 昔からある5ちゃんねるなどのBBS(まとめサイトのコメント欄を含む)は「掲示板」ということになってるけど、正確には掲示板というよりは「不特定多数が参加出来る匿名のチャット」に近いものです。つまり掲示板の本来の意味である「情報を広く報知する」ことにはまるで向いていません。
 そこで、かはわからないけど、その役割をTwitterが担うことになった。つまり言葉本来の意味での掲示板にTwitterが収まったのです。
 実際、ハッシュタグの検索を活用すれば「街の掲示板」的機能を十分に担えたし、都市機能が麻痺した震災直後のような状況ではTwitterというツールは実に頼りになりました。

 もう少し具体的に書きます。
 ここまで何度も書いているように、この頃アタシは横浜に在住していたのですが、ま、さすがに「♯横浜」では範囲が広すぎるけど、もう少し狭いエリア、例えば「♯新横浜」とか「♯大豆戸」とかでハッシュタグ検索をすれば「どこそこの店は営業中」だとか「○○というスーパーに行けば△△が置いてある」なんてことがわかった。
 ここまで詳細かつニッチかつリアルタイムな情報の発信は既存のメディアでは絶対に不可能なことですが、逆に言えばインターネットがあるおかげで、どこか「心の余裕」にも繋がったと思うのですよ。
 既存のメディアが「不安を煽る」か「実体のない楽観」をたれ流すしかなかったのに比べ、Twitterから得られる情報は「即、自分に役に立つ」ものです。この差はとてつもなく大きい。

 インターネットってのはずーっとイメージが悪かった。悪の温床のように言われ続けた。もちろんそれは既存のメディアによるネガティブキャンペーンもあったのだろうけど、実際も「そんなことはない!」とはとても言い難かったのも事実です。
 それがこの年以降変わった。もちろん悪いイメージがなくなったわけではないけど、「活用次第で人命さえ救える」ツールだってのがわかった。

「インターネットなんてロクなもんじゃない?それはアンタが見ているサイトがロクなもんじゃないだけだよ」

 そんな<返し>が出来るようになったんです。

 Page3にて「2011年はアタシにとってのターニングポイントになった年」と書きましたが、同時に「インターネットのターニングポイント」でもあったと思う。
 もし、あの、未曾有の災害が起こってなかったら、人々はインターネットに今ほどポジティブなイメージを持っていたかと言うと、甚だ怪しい。
 さらに言えばこれもPage3で書いたように、政府がオリンピックにこだわったのも、それによって様々な矛盾が露呈したのも、2011年という年があったからではないか。
 もうひとつ、アタシは政治のことは書かないと決めてるので簡単に書くけど「多数の日本人が自民党に<こだわりだした>(正確には自民党以外に拒絶反応が出た)」のも、やっぱりこの年からなんじゃないか。

 良かったか悪かったか、それは言わない。もしこの年を境に悪くなっていってたとしても、んでそれが上記に挙げた理由だったとしても、そんなことはどうでもいい。
 ただアタシは、あの時、ウエイターから言われたひと言を信じるだけです。

 絶対に元に戻るから

厳密にはこれ、完全な新規エントリというよりは「ルックバック2010s」のリニューアル版です。なのでこのテキストのエントリをもちまして「ルックバック2010s」は削除させていただきました。ま、今読み返すといろいろと時流に合わない話も多いんでね。
ですからベースは「ルックバック2010s」なのですが、それ以外にも2017年に書いた「決別に花束を」の元文章からもネタを引っ張ってきてますし、2011年頃に書いたエントリを引用の形で内包させました。
こういう私的な話と世間の動きの話の融合は失敗しやすいんだけど、今回にかんしてはまあまあ上手くいった方じゃないかと思っていますがどうでしょう。
あ、あともうひとつ。今回は<震災>の話を軸に据えていながら被災地であったり津波や原発の画像は使いませんでした。何か、それは違う、と。
とは言えまったく何もなしじゃあ、というかカバー画像くらいはせめて<連想させる>ものでないとマズいなと思っていて、最初は「ぽぽぽぽーん」でもいいかな、と思ったのですが、このエントリ同様震災を扱っていながら一切ニュース映像の類いを使わず、伏線として張ってあったジオラマを使って震災のすべてを表現した「あまちゃん」の1シーンを使わせてもらいました。
しかし「あまちゃん」のこのシーンはすごすぎる。このワンアイデアだけでも「あまちゃん」が如何に、あ、この話はまたの機会に。
あ、最後にひとつ。ギリギリのタイミングで震災を伝える当時のイブニングスタンダードが発見出来たので、無事差し替えることが出来ました。いやテキトーに引っ張ってきた画像と、保管してあったモノホンの紙面ではまるで迫力が違いますからね。うん、これでかなり<濃い>感じになったんじゃないかね。




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