1/4
ルックバック2011March
FirstUPDATE2021.11.7
@Classic #ルックバック #震災 #イギリス #神奈川 #旅 #2010年代 @クレージーキャッツ #X/Twitter #インターネット 全4ページ 虚無 ロンドン 姪っ子 ヒースロー空港 キングスクロス セントパンクラス 現地での報道 募金 帰国 岡本太郎 TAROの塔 横浜 ぽぽぽーん #某巨大掲示板 PostScript #東北地方 #他九州地方 #国会図書館 #2000年代 #2020年代 #iPhone #クリスマス #公共交通機関 #嗜好品 #戦争 #施設 #映画 #本 #東京 #正月 #物理メディア #病院 #神戸 #福岡 #食べ物 画像アリ 動画アリ

 えと、エントリタイトルを見ていただければ察しがつくように、今回のルックバックは2011年3月にスポットを当てたいと思います。

 2011年3月と言えば、言うまでもなく東日本大震災が起こった時ですが、アタシがこれからやりたいのは「景気は底で、何となく重い感じだった3月10日まで」と「地震が発生した日とその翌日」、さらにムードが徐々に柔らかくなっていくまで、ま、<まで>ったって3月いっぱいまでなんだけど、その落差について書きたいのです。
 まァね、ムードが柔らかくなったって、今も、というか二度と元の生活には戻れない人がたくさんいるのは重々承知しておるのですが、すべてが片付くまで待ってたら、その間にアタシの方がくたばってしまう。
 つか70年以上も前の太平洋戦争だって、まだ完全に片付いたかというと片付いてはいないわけで、でも「おい、太平洋戦争について語るなんて早すぎる」なんてならないでしょ。

 てなわけで始めたいのですが、Yabuniraでやる意味として、アタシ個人の当時の状況を絡ませて書いていきたい。具体的には「2010年の夏」から3月10日までのアタシと、震災から一週間のアタシ、そしてその後の、3月の終わりまでのアタシ、みたいな感じでね。
 多少は遡るにしても、何故前年の夏にまで遡るのかというと、2010年の夏から秋にかけて、忘れようにも忘れられないDVD「植木等スーダラBOX」と書籍「植木等ショー!クレージーTV大全」の調査を手伝ったからです。


 マジで仕事そっちのけで、国会図書館と神奈川県立図書館に日参し、たった3ヶ月という本当に短い調査期間で「植木等およびクレージーキャッツが出演していたテレビ番組をすべて調べる」という途方もないことをやったんです。
 さらに調査だけではなく巻末のリストのDTPオペレーションも全部やった。
 ミニコミ誌ならともかくちゃんとした出版社から発売された書籍で、巻末リストだけとは言え<調査><リスト化(細かい文章まですべて)><ページレイアウト><DTPオペレーション>まで完全に全部ひとりでやった人間なんてそうはいないはずです。

 ただ・・・
 この時の疲労と虚脱感はハンパじゃなかった。
 何かひとつだけでもいいから、敬愛する植木等さんに恩返しがしたい。その一念だけで、どれだけ辛い作業にも耐え抜いた。もっとも作業量があまりにも多すぎて、というか抱え込みすぎて、佐藤利明さんにも洋泉社さんにもご迷惑をかけたのは反省しきりですが、それでもあれだけのリストをたった3ヶ月で調べ上げたってのは誇りに思っている。
 だからもうね、限界を超えて全力を出し切って、んで、いろんな感情が綯い交ぜになりすぎて、すべてが終わった後で強烈な虚無感と閉塞感が襲ってきたのです。

何かもう、何もかも、嫌になった

 とにかく2010年中は本当に、何もヤル気が起こらず、ただ空虚な気持ちだけを抱えたまま2011年を迎えたのです。
 2011年の正月、というと、まずはバードカフェのおせち騒動が浮かびます。何だか関係者の古傷を抉るようですが、この騒動はインパクトがあった。というか被害に遭われた方には非常に申し訳ないけど、絵面が面白すぎた、というか。


 うん、やっぱ、今見てもインパクトがあるわ。
 「すかすかおせちに入ってたのは6Pチーズか8Pチーズか」のどうでもよすぎる論争があったのも憶えている。
 ま、アタシとしては、そんなことで笑ってるしかなかったんですよ。別に年が開けたからと言って突然虚無感や閉塞感が消えるわけでもなく、マジで、これからどうすりゃいいんだ、という気持ちが残存し続けていたのです。
 ちょうどその頃、母親からブチ切れの電話がかかってきた。

「いったいいつになったら行くんや!」

 説明します。
 アタシの妹夫婦は仕事の都合でイギリスに在住していた。というか今もしています。
 その妹夫婦に子供が生まれた。2009年の年末のことです。ま、アタシにとっては初姪ってことになる。
 でも、それがどうしたって感じで、だいたいアタシと妹は仲が良くない。喧嘩をしてるわけでもないけど、そもそも喧嘩するほど接触がない。姪っ子が生まれたってのだって母親から聞いたくらいだし。
 母親は、せっかく「叔父さん」になったんだからイギリスに行け、と言う。でもアタシは断り続けていたのです。冗談じゃない。何でイギリスなんかに行かなきゃいけないんだよ、と。
 行きたくない理由は3つ。まずカネがかかる。次にアタシは英語が喋れない。最後が「根本的にイギリスという国に興味がない」。もう、十二分すぎる理由です。この3つの理由を覆してまでわざわざ姪っ子に会おうとは思わなかったっていうか。

 ただし、まったくの偶然から、あれ?もしかしてイギリスに行ってもいいかな、と思い始める<きっかけ>はあったんです。
 姪っ子が生まれてしばらく経った、2010年かな。いや2010年しか考えられないか。
 とにかくスカパーでやってた「裸のシェフ」という番組にドハマリしたんです。
 「裸のシェフ」は料理ドキュメンタルバラエティで、主役はイギリス人のイタリアンシェフのジェイミー・オリヴァー。今は太っちゃって関西弁で言うなら<ワヤ>(≒台無し)だけど、「裸のシェフ」が放送された当時はまさに紅顔の美青年という感じで、そういうイケてる兄ちゃんが実に軽いノリでペチャクチャ喋りながら料理を作っていくわけです。


 吹き替えを担当したのは川島得愛(「ガラピコぷ~」のガラピコの声)ですが、これが如何にも軽薄そうで、でもその独特の言い回しがジェイミーのルックスにピッタリで、メチャクチャハマったんです。
 ま、ジェイミーの地声というか本当の声は低くてこもり気味なんだけど、小池朝雄の声の方がピーター・フォーク本人の声よりピーター・フォークっぽい、のと同じです。

 もちろんね、ジェイミーが料理で使うのは「イギリスのスーパーで手に入りやすい食材」です。そしてそれは必ずしも日本のスーパーに売ってるわけではない。

あれ、いったい、どんな味なんだろ

 番組を見ていくほどに、そういう興味が出てきた。さらに調べるとイギリスにはジェイミー・オリヴァーがオーナーをつとめるイタリアンレストランがあるらしかった。
 でもですよ、さすがに「それだけの理由」でイギリス行きを決めるわけがない。もちろんかなり大きなテコになったとは思いますがね。
 とにかくアタシは

・母親がうるさい

・姪っ子にまったく会いたくないわけじゃない

・ジェイミー・オリヴァーのレストランに行ってみたい

 そして何より

・この虚無感、閉塞感から抜け出したい

 結局、これが一番大きかった。このまま苦しい思いを抱えたまま生きていくのは嫌だ。何とかして、次のステップに行きたい。ならば、イギリス行きは人生を変えるきっかけになるんじゃないか?

 最終的にイギリス行きを決めたのは1月半ばです。でも、いざ行くことが決まると、もう、嫌で嫌で仕方がなかった。
 それまでアタシは一度しか海外に行ったことはない。しかも<日本人が行きやすい>グアムで、たった3泊しかしてないし、英語が喋れる連れ合いもいた。(てな話の詳細は「グアムの道なき道を歩く」に書きました)
 ところが今度は完全なひとり旅。ま、現地にさえつけば妹夫婦のところに泊めてもらうんだけど、移動にかんしては全部ひとりでやらなきゃいけない。

どうやって?まったく英語なんか喋れないんだよ!?

 すっごい重い気持ちのまま、アタシは成田空港から飛行機に乗ってロンドンはヒースロー空港に降り立ったのです。これが2月中旬。
 着陸寸前の時のことは今でも憶えている。何だか海外って感じがしない。あれだけ長時間のフライトだったのに、まるでっつーか、もしかしたらここは福岡空港なんじゃね?とさえ思ったくらいです。
 えっちらおっちら入国審査も済ませてゲートを出た。まずは、とりあえず一服だ、と喫煙所を探した。


 煙をくゆらせて、落ち着いたのは落ち着いたんだけど、これからどうすりゃいいんだ。とにかく今いるのはロンドンのヒースロー空港、そして妹宅に行くには・・・アタシはスマホっつーかこの旅行のために買ったiPhone4で調べた。
 ふむ、ここから地下鉄のピカデリーラインでキングスクロスまで行って、そこから鉄道に乗り換えるのか・・・。

 地下鉄の切符の買い方もかなり手間取ったけど、これは券売機が日本語表示にも対応してたので、何とかなった。
 地下鉄に乗って約1時間で、キングスクロス駅に着いた。この間、特段高揚感もなく、メチャクチャ緊張してるってわけでもなく、ツイートしたり「こっちの地下鉄は車両が狭いな」と思ったくらいです。
 しかしキングスクロス駅に着いてとんでもない事態が発生した。何と鉄道の乗り場っつーか妹宅へ行くための電車のプラットフォームがわからないのです。

 とにかく、探しても探してもそれらしきプラットフォームっつーか乗り場がない。やっと見つけた、と思ったらそこはユーロスター、つまりパリやなんやに行く路線だった。
 しゃあない。悔しいけど妹に電話して聞くか・・・。

出ない・・・

 お、案内所があるじゃないか。たしかにアタシは英語が喋れないけど、Google翻訳があるからね。これを使えば・・・

通じない・・・

 アタシはしゃがみ込んでしまった。案内所で通じないんだから誰かに聞くことも出来ない。もう、どうすることも出来ない・・・。




・・・パリン・・・



 ふと、目の前が開けた。あれ?これって、もしかしたら、メチャクチャ面白いことじゃね?
 海外で、たったひとり、どうすることも出来ないなんて経験、少なくとも人生で初だぞ。たしかに切羽詰まってるけど、今の自分には、日本でずっと感じていた虚無感も閉塞感も、ない。

あ、絶対、こっちだ

 閃いた、としか言いようがない。ただ、その閃きを信じて、ずんずん進むと、見事、プラットフォームが見つかったのです。

これだ。これをずっと求めていたんだ!!

 このイギリス行きはまさにアタシの人生を変えた。
 スタンフォードブリッジのスタジアムツアーに行ったことも大きかったし、何より大英博物館に行ったことで何かが大きく拓けたのを感じた。
 あ、もちろんジェイミー・オリヴァーのレストランにも行きましたよ。はっきり言って想像よりはるかに美味しかった。とくにオリーブの美味さは忘れ難い。
 でも、閉塞感を打ち破るには、無理、と思うことにチャレンジしていく以外に方法がない、というのがわかったのが一番大きかった。んでそれはイギリス行きがなければ絶対に気付けなかったことであり、もう、それだけでカネに代えがたい体験を得た、と言えるのです。

 てなわけで、一週間の旅は充実を超えたものになったのですが、マジで人生ってのは本当にわからない。何故なら帰国して一ヶ月も経たないうちに、またアタシはイギリスに行くことになるのです。

 2011年2月の1ヶ月後。それはもちろん、Page2に続きます。