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前期ドリフターズ
FirstUPDATE2021.10.24
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 ここで、ドリフターズが当時所属した渡辺プロダクションのことから書いていきたいと思います。

 渡辺プロダクションの創業は一般には1955年4月と言われていますが、これは正確には「マネジメント業務をするための事務所を構えた時期」であり、有限会社渡辺プロダクションの設立が1957年6月、さらに株式会社渡辺プロダクションになったのが1959年4月です。
 てんぷら屋の2階の小さな事務所から始まった渡辺晋・美佐夫妻によるマネジメント業務は、1959年の株式組織化まで、すべてキチンとした企業になるべく動いていたといっていい。
 この間に地方での興行権をクリアにしたり、タレントを自宅に住まわせて一から育てたり(例・ザ・ピーナッツ)、全額出資でテレビ番組を始めたり(「ザ・ヒットパレード」)、後の帝国作りの基礎を作っていきました。
 いわば渡辺プロダクションというか渡辺晋にとってもっとも苦しい時期に苦楽を共にしたのがマネジメント業務開始と同時に結成されたハナ肇とクレージーキャッツ(当時キューバンキャッツ)で、バンド結成時よりのメンバーだったハナ肇と渡辺晋の絆は計り知れないものがあったのは間違いありません。


 ハナ肇とクレージーキャッツは渡辺プロダクションを業界トップレベルに成長させた大功労者です。もちろん渡辺晋の中にあった「クレージーキャッツは何がなんでも売る」という強烈な思い入れが人気の後押しになった。
 つまり渡辺プロダクションにとってクレージーキャッツは<特別なタレント>なのです。

 しかしドリフターズはそうではない。
 前リーダーだった桜井輝夫から託される形でドリフターズのマネジメントをやることになったわけですが、クレージーキャッツと同じコミックバンドだった取り柄を活かして「クレージーキャッツ向きの仕事だが、クレージーにやらせるにはもったいない小さい仕事をドリフターズにやらせりゃいいじゃないか」程度の扱いだったと思う。
 ドリフターズというグループを最初に世に知らしめたビートルズ日本公演の前座も最初はクレージーキャッツに依頼が来たと言われており(当時、人気バンドの前座としてコミックバンドが起用されることがよくあったらしい)、そうした「いくらビートルズだからといって天下のクレージーに前座をやらせるわけにはいかない=ならばドリフターズでいいじゃないか」くらいの感覚だったと思う。


 もちろん、自社の抱えるタレントなのだから、ドリフターズはドリフターズとして売れてくれるに越したことはありません。しかし渡辺プロダクションの金看板はどこまで行ってもクレージーキャッツであり、ドリフターズがその後に続く、という線を崩したくなかったんだと思う。
 整理すると
・苦楽を共にし、事務所発展の大功労者であるクレージーキャッツ
・桜井輝夫から預かる形でマネジメント業務を受け持ったドリフターズ
 渡辺晋の私情であろうがなんであろうが、扱いに<差>が出て当然です。というか渡辺晋はドリフターズにたいして何の思い入れもなかったと思う。あくまで「クレージーキャッツの穴埋め」レベルとしか考えてなかったと言うべきか。


 ドリフターズはまだ若かった井澤健が統括する班に配属された。
 井澤健は後にドリフターズが所属することになるイザワオフィスを設立し、のみならず渡辺プロダクションの社長まで兼任することになるのですが、ここでいかりや長介の文章を引用したい。

彼(筆者注・井澤健)こそは、私たちと一緒になって(中略)共に泥をかぶってやってきてくれた戦友であり、誰もが認めていたもう一人のドリフターズだった。彼は生まれついての黒衣役といったところがあって、わがままな私たちととことん付き合い、諦めず、見捨てず、少なくとも私の前で弱音を吐くこともなかった。
(いかりや長介著「だめだこりゃ」)


 井澤健は極端にメディアに露出することがなく、アタシが把握している「井澤健がドリフターズについて語った」のは、ダカーポ1999年10月6日号の「結成35周年・復活!ドリフターズ伝説」という記事だけです。
 この記事の中で井澤健は、渡辺プロダクションに所属し始めた当時のドリフターズについて

いかりやの頭には、笑わせるということが強烈にあったのでしょうね。だからメンバーもキャラクターのはっきりした者を選んだんだと思います。


 と語っています。
 他にも「8時だョ!全員集合」の開始当初のことなども語っているのですが、井澤健のナマの声を掲載したのは本当にこの記事くらいしかないと思う。
 だから「井澤健が何を考えてドリフターズをマネジメントしていたか、渡辺晋との関係はどのようなものだったのか」はすべて推測するしかありません。

 ここで少し話を変えます。
 かつてアタシはSMAP解散時に「ドリフターズと同じ<やり方>をしなければならなかったのに、結果空中分解してしまった」と書きました。(SMAP解散時の話はココ
 ジャニー喜多川は早くから「SMAPを平成のドリフターズにしたい」と語っていたと言われていますが、アタシが見るに、どうも井澤健とSMAPの元マネージャーのI氏が似ているのでは、と思ったのです。
 I氏はまったく売れないSMAPを見るに見かねて、志願してSMAPのマネージャーになったと言われていますが、それまでの事務所の<やり方>とはあきらかに違う方法でSMAPの売り出しに成功した。
 このことでI氏は事務所の大功労者になるのですが、事務所の<やり方>を否定したからこそ成功したことは疑えず、排除される運命にあったのかもしれない。
 とにかく、I氏は、何がなんでもSMAPを売ろうとした。SMAPが売れたら事務所の重鎮タレントがどうなろうが知ったこっちゃなかったと思う。そこまでの覚悟があったからこそ売れたのです。

 井澤健も同じだったと思う。
 クレージーと同じようなこと(というか後追い)をやっていても先はない。何とかドリフターズのカラーを活かした仕事をやらせて、やがてドリフターズをクレージーキャッツに代わる金看板にしよう。
 これは「あくまで金看板はクレージーキャッツ」と考える渡辺晋にとって許容出来ることではない。
 そういえば、どうも腑に落ちない、奇妙にしか思えないことがあります。
 1970年秋、やっとのことで軌道に乗り完全に人気番組になった「8時だョ!全員集合」を一時的に終了させて、クレージーキャッツ主演番組(「8時だョ!出発進行」)に切り替えよう、と渡辺晋が行動したことです。
 このことについてアタシは「完全に商売度外視の、クレージーキャッツにたいする渡辺晋の情愛」と書いたことがありますが、クレージーキャッツ主演番組を「8時だョ!全員集合」のプロデューサーである居作昌果にプレゼンを行ったのは渡辺晋自らです。
 この席に井澤健が同席していたかはさだかではない。しかし井澤健からしたら面目を潰されたも同然で、というか「渡辺晋はドリフターズを潰そうとしている」と考えても、何ら不思議ではない。

ーいくらクレージーキャッツの功績が称えても称え足りないものだったとしても、年齢的にも今後大きな発展が見込めないクレージーに代わってドリフターズが金看板の位置になることの何が問題なのか。

 言葉は悪いですが、渡辺晋によるドリフターズへの介入はことごとく上手くいかなかった。
 映画でいってもPage3で書いたように、渡辺晋のお気に入りだった和田嘉訓の能力不足が露呈したため東宝で主演映画を作る意味を見失い、ならばスタッフ的にも堂々と「ドリフターズのカラーを活かした泥臭い喜劇」が書ける森崎東のいる松竹で作った方が絶対に良いものが出来る。
(余談ですが「ドリフターズですよ!特訓特訓また特訓」は東宝の製作でありながら松竹の社員であるはずの森崎東が変名(東盛作)で書いている。だから松竹を主戦場にする=堂々と、なのです)
 渡邉祐介はフリーなので、まァ、東宝でも松竹でもいいのかもしれないけど、各社をまたいで撮っていた渡邉祐介の良さがもっとも発揮されたのが松竹なのも事実です。

 こうして見れば、タレントの売れる売れないはマネージャーの情熱が如何に大きいかがまざまざとわかります。
 クレージーキャッツを売ることに情熱を注いだ渡辺晋と、ドリフターズを売ることに情熱を注いだ井澤健。言い方を変えれば、井澤健がクレージーキャッツにどのような思いがあったのかはわからないけど、渡辺晋にとってドリフターズは「クレージーのサブ、換えの効くスペア」でしかなかったと思う。
 それを身を挺して阻止した(=社長に歯向かった)井澤健は実に優秀なマネージャーであり、同時に(渡辺プロダクション全額出資の暖簾分けとはいえ)イザワオフィスに<分離>されたのも、また致し方ないことだったはずです。

 完全に井澤健の<線>で製作された「いい湯だな全員集合!!」以降のドリフターズ主演映画は、末期を除いて「ドリフターズと相性が良かった」(高木ブー談)渡邉祐介に固定された。
 渡邉祐介としてもドリフターズとしてももっとも<ノリ>が良い時代に製作された第3作から第6作、具体的には「瞼の母」の高度なパロディである「いい湯だな全員集合!!」、「ミヨちゃん」の歌詞の世界観を落とし込んだ「ミヨちゃんのためなら全員集合!!」、全編に渡り徹底的にギャグを詰め込んだ「ズンドコズンドコ全員集合!!」、完全にいかりや長介をフィーチャーしてラストにはカースラップスティックまで用意した「誰かさんと誰かさんが全員集合!!」の4本はシリーズ中屈指の出来で、ここで人気が凋落していたクレージーキャッツに代わってドリフターズが完全に金看板になったのです。

 ドリフターズが幸運だったのはクレージーキャッツのメンバーがみな<大人>だったことです。
 渡辺晋の肝入りで始まった、「8時だョ!全員集合」を休止してまでも製作されたクレージーキャッツ主演の「8時だョ!出発進行」は(後年<失敗>と言われるほど視聴率は悪くなかったとはいえ)「全員集合」には遠く及ばず、つまりは後輩に恥をかかされたことになったのです。
 映画も加藤茶の人気を借りなければシリーズが続けられないほど観客動員が落ち込んでいた。
 普通なら、嫉妬して当然なんですよ。
 話が逸れるので手短に書きますが、クレージーキャッツほど<嫉妬>という感情と無縁だった人たちはいないと思う。
 グループで植木等の人気が突出した時も犬塚弘は「大変そうだなぁ。でもありがたいなぁ」という感じだったらしい。
 おそらく、クレージーのメンバー全員、ドリフターズが売れた(結果として自分たちを追い落とした)ことにたいして「良かったなぁ。長兵衛(いかりや長介のニックネーム)、頑張ってたもんなぁ。報われたなぁ」くらいだったはずです。

 クレージーキャッツがこんな感じだからこそ、ドリフターズは終生、彼らへの敬愛の念を失わなかった。

 志村けんがクレージーキャッツの持ち歌だった(というかほぼ植木等が作った)「ウンジャラゲ」をリバイバルヒットさせた時、「夜のヒットスタジオ」で対面を果たし、植木等はバラエティ的に「(挨拶にこなかったことに)許さないよ!」と怒ったフリをしていましたが、志村けんらが歌い踊る様を見つめる植木等の表情が実にあったかくて、言わず語らず「良い後輩をもったな」ってのが滲み出ていました。


 もしかしたら、ドリフターズはものすごくツイていたのかもしれない。
 映画にしろレコードにしろ、クレージーキャッツの壁はかなり高く、後追いめいたことをしていたら到底追い越せなかったと思う。しかしドリフターズ、いやいかりや長介は自分たちのカラーを徹底的に分析し、クレージーキャッツとはまったく違う方向で勝負をかけた。そしてこれが結果的に迂回になり、気がつけばクレージーキャッツというハードルを飛び越えることが出来たのです。
 もしハードルが低ければ、ドリフターズはこんなに大きなコメディグループになれなかったのかもしれない。
 後輩に追い抜かされることに寛容な(というか関心がないというか嫉妬心がない)クレージーキャッツが先輩というのもツイていたし、井澤健のように辛抱強く、しかも反骨精神のある人がマネージャーだったのも良かった。
 そして、これこそ結果論ですが、渡辺晋の中でドリフターズへの評価が高くなく、だからこそ井澤健の負けん気が発揮されてクレージーとはまったく違う売り方をしたのが<吉>となったと思う。

 このエントリはあくまで「前期ドリフターズ」の話なので、志村けん加入後の映画とレコードの話は、また、いずれ。

資料の精査をキチンとやったので、久々に「複眼単眼」らしい、ちゃんとした内容になったと思います。ま、リニューアル時に「DRIF BEATS」用エントリとしたので「複眼単眼」カテゴリからは外しましたが。
個人的には井澤健のインタビューを引用出来たのが良かった。というか写真もあったのでカバー画像も作れた。いやあのカバー画像、最初ドリフターズの左にクレージーキャッツを配置してたんだけど絵面的にイマイチで、井澤健に差し替えたら一気にニュアンスが出ました。
まァね、井澤健の写真を使うのは迷ったんだけどさ。アタシも一応はウラの話もいろいろ知ってるからね。当然書けないこともいっぱいあるんだけど「そのものズバリは書かないけど、嘘はつかない=真実からは逸れていない」ようにするのが大変だった。とくにPage4はかなり気をつけて書いています。
ひとつ残念なのは和田嘉訓の良い写真が見つからなかったこと。ま、ないよりマシだけど。




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