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前期ドリフターズ
FirstUPDATE2021.10.24
@ドリフターズ @いかりや長介 @高木ブー @仲本工事 @加藤茶 @荒井注 @植木等 @ハナ肇 @8時だョ!全員集合 映画ソング @渡辺晋 @なかにし礼 @川口真 @萩原哲晶 @青島幸男 渡辺祐介 @森崎東 #映画 @渡辺晋 @なかにし礼 @川口真 @萩原哲晶 @青島幸男 渡辺祐介 @森崎東 全4ページ 井澤健 ★Best 小林信彦 PostScript

 よく誤解されることですが、クレージーキャッツとドリフターズの間に師弟関係のようなものは一切ありません。
 あくまで事務所(渡辺プロダクション)の先輩後輩という間柄でしかなく、実は年齢もさほど変わらない。(加藤茶と仲本工事、後で加入した志村けんはだいぶ下だけど)

 それでもクレージーキャッツのリーダーだったハナ肇は同じコミックバンドのドリフターズに目をかけ「クレージーの持ちネタは好きなように使っていい」とネタを開放し、また後から加入した志村けんを除くメンバー全員の名付け親にもなりました。ま、半分酔ったハナ肇がその場でテキトーに考えただけですが。
 ドリフターズのメンバーは志村けんを含めて全員、クレージーキャッツに敬愛の念を持っていたとおぼしい。Page1で出したいかりや長介著「だめだこりゃ」では植木等への敬愛が滲み出ているし、加藤茶はインタビューなどで尊敬する人として必ず植木等の名前を出す。志村けんは直接的な関係こそなかったものの、後年クレージーキャッツの「ウンジャラゲ」をカバーするなど、この人も間違いなくクレージーキャッツに敬愛の念があったはずです。

 そこだけ取り出せば良い先輩後輩なのですが、あまりにもクレージーキャッツが人気面でもクオリティ面でも高次元だったため、ドリフターズの活動は最初の時点で大幅に制限されるものになってしまったのです。
 Page1で書いた通り、初期のドリフターズはクレージーキャッツの亜流扱いだったのですが、中でももっとも影響を受けたのが楽曲面です。
 クレージーキャッツはいろいろとツイており、デビューシングルの段階で「作詞 青島幸男、作編曲 萩原哲晶」という後々まで語り継がれるほどの超強力スタッフを得ることが出来ました。
 このコンビのすごいところは、コミックソングの<手立て>を片っ端から塗りつぶしていったところで、植木節ともクレージーソングとも言われる楽曲を次々と発表することでコミックソングというジャンルはまさにぺんぺん草も生えない状況になってしまったのです。

 ミュージシャン出身で音楽にうるさかった渡辺晋が「出来損ないのクレージーソングをドリフターズに歌わせる」など許すはずもなく、かといって青島幸男と萩原哲晶ほどの強力コンビなど他にいない。
 正直、冠番組よりも、映画よりも、一番頭を悩ませたのはレコードだったと思う。とりあえず編曲はコミックソングに手練れている、クレージーソングの最重要ブレーンの萩原哲晶に任せるとしても、歌詞は、というよりは「どういうコンセントでコミックソングを作るか」にかんしては難題すぎたはずなんです。


 どうやらそこで「カバー」というアイデアが出たらしい。
 B面の「いい湯だな」は言わずとしれたデューク・エイセスのカバーですが、A面の「ズッコケちゃん」も実はカバーなのです。
 「ズッコケちゃん」のクレジットは長年「作詞 なかにし礼、作曲 不詳、採譜 池すすむ、編曲 萩原哲晶」とされてきましたが、近年の資料では「作曲 佐々木俊一」になっています。
 佐々木俊一は戦前から戦後にかけて活躍したコンポーザーですが、何故今になって突然「ズッコケちゃん」の作曲者と判明したのかわからない。というか原曲がいつ作られたのかも判然としないのです。

 「ズッコケちゃん」の原曲は「ちんたら節」だと言われているのですが、これはいわゆる学生歌と呼ばれるもので正式なものはないはずなんです。全国各地の学校に「メロディは同じ、歌詞違い」バージョンが何種類もあり、たとえば早稲田大学バージョンなら

♪ ちんたらまんたら学校サボって市ヶ谷へゆけば
  法政のお兄さんが横目でにらむ
  法政かよ野球かよ 野球で早稲田が負けるかよ
  肩で風切るおいらは早稲田マン


 こんな感じですが、「ズッコケちゃん」のメロディのまんまで歌えます。個人的には<ちんたら>の後に<まんたら>と来るところから想像するに、元は春歌のような気がする。
 ま、それはいいんだけど、いくら探しても「ちんたら節」の作曲者が佐々木俊一氏であるという資料が見つからないし、もし春歌という仮説が正しいのであれば作曲者なんかわかるわけがない。仮に「ちんたら節の作曲者は佐々木俊一」だったとしても、やっぱり<今になって急に>ってのがどうも引っかかる。

 話が逸れすぎるのでこれ以上の追求は止めますが、デューク・エイセス版「いい湯だな」のリリースは1966年、ということはドリフターズ版のわずか一年前であり、つまりデューク・エイセスバージョンはそこまでヒットした曲ではなかったのでしょう。ではないとカバーするにしても時期的に早すぎます。
 つまりこういうことです。
 「ズッコケちゃん」にしろ「いい湯だな」にしろ、「一部では有名だったレベル」であり、大半の人はカバーだなんて思わない。あたかも「ドリフターズのために作られた」と思い込む人がいても不思議じゃない、でも「本当はカバーである」という<逃げ>を用意してある。
 そこには「ドリフターズに合うか否か」でこの2曲が選ばれた感じが微塵もない。デビューシングルであるにもかかわらず、八方塞がりになってしまって、それでも無理矢理「商売上許される」妥協点を見つけてリリースしたとしか思えないのです。

 Page1に書いたように、このデビューシングルは最終的に40万枚を超えるヒットになったのですが、リリース直後は売れなかったのではないか、とアタシは見ています。
 何故ならセカンドシングル「ミヨちゃん/のってる音頭」で大胆な方向転換をはかっているからで、もし「ズッコケちゃん/いい湯だな」が最初から売れていたら、こんな方向転換はしていない。
 なるほど、たしかにセカンドシングルはA面B面ともにデビューシングル同様2曲ともカバーです。そこだけ取り出せばブレてる感じはしない。
 しかし同じカバーでも平尾昌晃が歌って大ヒットした「ミヨちゃん」と民謡「秋田音頭」のカバーである「のってる音頭」では知名度がぜんぜん違う。
 今の感覚だとわかりづらいのですが、当時は今よりずっと民謡は身近なもので、「秋田音頭」くらいになると秋田出身かどうか関係なく諳んじている人がいっぱいいた。
 要するに、デビューシングルがカバーになったのは八方塞がりが故の<逃げ>でしかなかったのが、セカンドシングルでは<戦略>に変わった。誰しもが知ってる、なおかつドリフターズというグループにマッチする楽曲をカバーする、というふうに。


 そしてアレンジャーも本来クレージーキャッツ側のブレーンだった萩原哲晶から川口真に変更されたのですが、これも相当思い切った転換です。
 この時点で萩原哲晶は数々のクレージーソングをヒットさせたことで、いわば「コミックソングの第一人者」にまでなっていました。
 ただしその分<手癖>も知れ渡っており、若干新鮮味に欠ける。実際「ズッコケちゃん」も「いい湯だな」もどちらも素晴らしいアレンジなのですが、ドリフターズのカラーが反映されたアレンジになっているかというとなっていない。
 まだ新進気鋭だった川口真は萩原哲晶とも、そしてもうひとりのクレージーソングの重要ブレーンだった宮川泰ともまったく違う手法を取り入れた。
 A面の「ミヨちゃん」はオーソドックスかつシンプルなアレンジなのですが、「のってる音頭」はある種破壊的なアレンジで、しかし「いい湯だな」の萩原哲晶流を踏襲してか疾走感もキープしている。
 何より素晴らしいのはドリフターズというグループの音楽面での最大の特徴である「全員が全員、抜群にリズム感がいい」というのを全面に活かしているのです。

 ドリフターズをバンドとして見た場合、ヴォーカルは仲本工事と高木ブーですが、クセは強いし下手ではないけど「歌声だけで売れる」というほどでもない。
 レコードでリードヴォーカルをとったのは一番の人気者である加藤茶ですが、この人も下手ではないけど、あくまで「加トちゃん」として歌っているのではじめから声楽的に評価される歌い方はしていない。
 そしていかりや長介と荒井注を含めてなのですが、素人レベルではなく<プロ>として見たら「本当に上手い人」は誰もいないんです。ま、公平に見るなら<歌唱力はプロとしては、せいぜい並>になってしまう。それこそ単純に歌唱力だけを比較すれば植木等の足元にも及ばない。

 ところがひとつだけ、図抜けたところがあった。それがリズム感です。
 リズム感にかんしてだけはクレージーキャッツの誰よりも上で、というかここまでリズム感に長けたグループを、少なくとも日本人ではみたことがない。そのレベルです。
 そうした彼らの武器を最初に活かしたケースが「のってる音頭」だと思う。
 メロディは紛れもなく「秋田音頭」と同一なんだけど、大胆きわまるブリッジを挿入し、合いの手も半拍で入れさせたり、こんな複雑で、なのに自由奔放な楽曲も珍しい。
 ここにきて「ドリフターズが歌わないと意味がないし、まともに歌えるのはドリフターズしかない」楽曲と巡り会えたんです。
 ただし「のってる音頭」は音楽性が高く先鋭的だけど、その分大衆性が薄い。となると、次は「のってる音頭」での長所はそのままに、あとは全体的に水割りして大衆化させた楽曲を作ればいい。
 もちろんそれが「ドリフのズンドコ節」ですが、もうちょっと具体的に書きます。

1.ドリフターズで突出した歌唱力のメンバーはいない。同時に極端に劣るメンバーもいない
2.声質が見事にバラバラで、各人のソロがあった方が面白い
3.メンバー全員、図抜けたリズム感がある


 これらの要素はクレージーキャッツとはまったく違う。
 クレージーキャッツは偶然にも人気トップの植木等がヴォーカルで、歌唱力も突出していました。だから持ち歌では植木等をリードヴォーカルに据え、あとはバックコーラスというパターンが多かったのです。(ちなみにクレージーキャッツでメンバー全員のソロがある楽曲は「悲しきわがこころ」と未発売に終わった「笑って笑って幸せに」の2曲のみ)
 しかしここにきて、というか「のってる音頭」を歌うことでドリフターズのカラーがはっきりした。と同時に大衆化させるために整理整頓が必要になった。
 まず、グループ内で植木等と同等の立場というか、もっとも人気の高い加藤茶をどうするかですが、全員にソロパートを持たせるなら加藤茶が目立たなくなる。それを「ワンコーラス目は必ず加藤茶が歌う」ということで(やや強引だけど)解決した。
 その結果、基本フォーマットはこうなった。

加藤茶→仲本工事→高木ブー→荒井注→いかりや長介→全員ユニゾン

 高木ブーと荒井注の順番が前後したり、ラストコーラスの全員ユニゾンがなかったりの差異はありましたが、この形に落ち着いた。ま、「のってる音頭」のやや入り組んだ順よりはかなりシンプルになったわけで。
 もうひとつの原曲の選別もよりわかりやすくなった。

・ドリフのズンドコ節(軍歌)/大変歌い込み(民謡)
・ドリフのほんとにほんとにご苦労さん(軍歌)/冗談炭坑節(民謡)
・誰かさんと誰かさん(スコットランド民謡)/ドリフのおこさ節(民謡)
・ドリフのツンツン節(伝承歌)/ドリフ音頭(民謡)
・ドリフのツーレロ節(伝承歌もしくは春歌)/ドリフのラバさん(明治演説歌※)
・ドリフの真っ赤な封筒(ハワイ民謡)/ドリフのピンポンパン(童謡)
・ちょっとだけョ!全員集合(民謡)/ドリフのビバノン音頭(民謡)
・ドリフのバイのバイのバイ(「ジョージア行進曲」および明治演説歌※)/ドリフの英語塾(オリジナル)

 ※明治演説歌にかんしてはココを参照

 「ちょっとだけョ!全員集合/ドリフのビバノン音頭」はいわば企画盤なのでちょっと除外しますが、それなりに知名度のある楽曲が選ばれていることがよくわかります。
 それにしてもレコードデビューから9年目で初めてカバーではなくオリジナルソング(「ドリフの英語塾」作詞作曲 森雪之丞)というのはすごい。ここにきてようやく「クレージーキャッツからの呪縛」から逃れた、ということか。
 ただし宣伝盤(正式なシングルレコード扱いではない)としては「ドリフのほろ酔い小唄」(作編曲 萩原哲晶)がオリジナルですし、映画の挿入歌としては何曲か(「ドリフターズ行進曲」、「ビバ・ノンノン」、「寂しいな」など)オリジナルソングはあり、まったく作られなかったわけでないことを特記しておきます。

 さて、このエントリはあくまで「前期」、つまり荒井注在籍時までに特化したエントリなので、これ以降の楽曲についてはオミットして、Page3では映画について書いていきます。