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「ニッポン無責任野郎」徹底深読み
FirstUPDATE2009.7.14
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 今回は東宝クレージー映画の中で一番好きな、いや、もしかしたら全映画の中で一番好きかもしれない「ニッポン無責任野郎」について徹底的に書いてみようかなと。

 ただしこれは「徹底解剖」とは若干趣旨が違います。
 「徹底解剖」は、何というか、自分なりにですが、非常にマジメに作品について切り込んだもので、結構調べて、そして時間をかけて書いています。
 が、今回はそういうもんじゃござんせん。タイトルが示す通り、解剖でも考察でもなく、単なる深読みです。
 何度もいうように「ニッポン無責任野郎」は本当に好きな作品で、いったい何度観返したかわかりません。
 今でも半年に一度は観ないと禁断症状が出る有様で、セリフなんかも独唱できるくらいです。(って独唱は変だな。歌ってるわけでもあるまいに)

 それだけ繰り返し観ると、一度二度観ただけではわからない、深い部分にまで気づくことができます。
 本当に脚本の裏の意図を指摘できているのか、単なる深読みにすぎないのか、それはアタシ自身には判断ができないので読んでくださるみなさんがしてください。
 当然推測が多いです。何しろ深読みですから。
 普通なら作品の成り立ちとか背景とかから始めるのですが、深読みが目的なのでそういうのはやらない。(現注・それはココでやりました)
 じゃあ何を書くつもりか?ですが。

 この作品の主人公は源等、みなもと・ひとし、と読みます。何しろタイトルが無責任「野郎」なわけで、タイトルからしてこの男が<無責任な男>と言明しているわけです。
 たしかにこの源等という男、無責任です。それは「日本一」シリーズの有言実行男とはあきらかに違う。
 が、実は前作の主人公・平均とも決定的に違うのですよ。
 平均は小林信彦氏が指摘したように、陽性の「悪意」を内包した男でありました。
 それはあの有名な、飛んできたバレーボールをはね飛ばすシーンを見ればよくわかります。

 では源等はどうか?
 無責任なのは同じだけど、悪意が露呈する場面はほとんど、いや、まったくないのです。
 彼は無責任というかデタラメの限りを尽くす。何をやるにしてもすべてその場限りの対処しかしない。また他人の悩みには面白半分で焚きつけたりもする。
 しかしこの「面白半分」というところがミソで、じゃあ後の半分の行動原理は何なんだということになる。
 少なくとも彼は自分のための行動は何一つしていないのです。
 こうやれば得があるとわかっていても、けしてその通りには動かない。しかも面白半分にしてはいろんなことに首を突っ込みすぎる。
 では翻って、彼の行動に善意が含まれているとすればどうでしょう。するとすべての行動原理の説明がつくのです。

 一番わかりやすいのが、中込家に引っ越した後でいきなり駐車場を作り始めるシーンです。
 よくよく考えてみると駐車場をつくったところで源等に何の得もないのですよ。
 どっちにしろそう長く中込家にいるつもりはなかっただろうし、アイデア料としてわずかなマージンを取ったとしても、たかがしれてる。
 しかしこれが中込うめのことを考慮にいれての行動だとすれば納得がいくのです。
 うめは善人だけれども、年齢なりの時代遅れの観念を持っており、やや今までの自分のやり方や生き方に固執している部分がありました。そしてひとり息子の晴夫にすべての希望を乗せすぎているきらいも、ある。
 そうしたことを源等は憂慮して、とは言わない。しかし頭の片隅にもなかった、ということでもないような気がするんです。
 実際、駐車場をつくったことで中込うめは

・過去を断ち切り、これからの自分の生き方を発見することができた

・晴夫(と死んだ主人)から精神的にも金銭的にも自立することができた

 のです。
 もちろんすべて源等の計算通りとまではいわない。しかしほんの少しでも善意がなければこうはいってなかっただろうとも思う。
 善意というフィルターを通してみれば、長谷川部長と静子、中込と厚子を、やや強引な手段を用いてもひっつけたり、厚子を静子の後釜としてバーの仕事を紹介したのも、「ま、うまくいかないよりうまくいくに越したことはない」程度の善意に基づいた行動のはずなんです。

 ここからは劇中の発言が本当だという前提で、源等の経歴を追ってみたいと思います。
 まず年齢ですが、当時の植木等の実年齢が36~37歳。もし植木本人と同年齢なら、つまり大正の終わりから昭和元年・二年生まれということになります。
 しかし「これだから大正生まれは古い」といっていることから、大正生まれでないのは確実だし、大正末期生まれとひとくくりにされる、いわゆる戦前派でもないと思う。
 かといって「日本一のホラ吹き男」の初等のように大学をでたばかりというのもありえない。それにしては女性の扱いが慣れすぎている。(ま、初等も手馴れているっちゃいるけどさ)

 となると昭和5年~6年生まれ、年齢でいえば植木本人より5歳ほど若い31~32歳くらいではないかと推測出来ます。
 学歴は中退かどうかまではわかりませんが、大学に入学していたのは間違いないはずです。これは「学生時分、税務署の差し押さえと手伝った」という発言から推測出来るわけで、さすがに「税務署の差し押さえ」は高校生のアルバイトではないだろう、と。
 両親・兄弟はいない。実はいる可能性もなきにしもあらずですが「死んだ母親」という発言から母親は亡くしているのは確実でしょう。
 大学を卒業なり中退なりした年齢はおそらく20~25歳。明音楽器に現れたのが31~32歳だとすると、この間約10年あることになります。

 では約10年、彼は何をしていたのか、です。
 実際にそのような行為をしているシーンはないもののセリフで競輪競馬に麻雀をたしなむとあるので、相当なギャンブル三昧だったのではないかと思う。
 かなりの浮き沈みがあり、調子がいい時はそれなりのお金を持っていたはずです。それは一流と呼ばれるクラブや料亭での立ち振る舞いを見ればわかります。
 が、ほんの一時期にしろ、多少のサラリーマン経験もあるはずで、でないと「盆暮れの付け届け」なんて発想はでてこない。(もっとも父親がサラリーマンだった可能性もあるけど)

 異様な立ち振る舞いとギャグの連打で気づき辛いのですが、何しろ登場時、彼はほとんど無一文、たばこも買えないほど切迫していたのです。おそらく「家賃をためて追い出された」というのも本当でしょう。
 1962年といえば今とは比べものにならない好景気であり、また彼の性格からしても、家でじっとしていて仕事をしないというのも変です。
 普通に考えればここまで金銭に汲々としているのはギャンブルしかありえない。おそらく借金も相当あったのではないか。
 そこまでいくと、そもそも「源等」という名前も本名かどうか疑問です。借金に追われ、身を隠すための偽名、とも考えられるけど、これは銀行で通帳をつくった時、米穀通帳に記載された名前が「源」だったので(行員に「源さーん」と呼ばれるシーンがある)、まあ本名で間違いないでしょう。ただし住所は「家賃ためて追い出され」たアパートのものなんでしょうけどね。(さすがに米穀通帳が本物かどうか疑いだしたらキリがないのでやめておく)

 さてここからは源等の性格について書いていきたい。
 ちょっと意外っぽいことを言いますが、源等には計算がないんです。ものすごくありそうに見えて、事実「日本一」シリーズの主人公はみなスパイ大作戦真っ青の計算をして行動している。が、源等にはそれがないんです。
 すべて行き当たりばったり。社長御用達のクラブや料亭を使ったり、その支払いを何とかするためにインチキな提携話をでっち上げたり、後先のことなんか微塵も考えずに行動している。
 なぜこんなことを繰り返すのか、マジメに考えたらまったく説明がつかない。
 もしひとつだけあるとすれば、源等は「こういう風にしか生きられない」のではないか、と思うのです。

 先程書いたように、彼には空白の10年間があると思われます。おそらくギャンブルが生活の中心であったのだろうけど「こういう風にしか生きられない」男だとするなら、過去にも劇中にあったようなことを繰り返していた可能性も否定できない。
 それは詐欺すれすれの行為であったり、結婚だってそうです。
 丸山英子と結婚式のシーン(厳密にいえば披露宴の直前)こそありますが、本当に籍を入れたのだろうか、かなり疑わしい。いわば重婚の可能性もある、とすら、思う。

 そもそもなぜ源等は英子に近づいたのかです。
 劇中では英子の50万円の貯金が決め手だったようにいっていますが、これがどうにも疑わしいんですよ。
 いや、もちろん50万円という貯金があるから近づいたのは間違いない。しかしそれはそのお金の自分のものにするためではない。だからこそ財布も別々にしてある。
 彼にとって結婚もまたその場しのぎの行為でしかない。住居の確保と、そして性欲が満たされるわけで「結婚」という「その場しのぎ」を思いついたのでしょう。
 が、もうひとつ忘れてはならないことがあります。そう、彼にはほのかな善意があることを。
 いくらその場しのぎといえど、家庭に入るタイプの人をその場しのぎの道具に使うのはマズい。少なくともそれくらいの善意があると見るのが妥当でしょう。
 そうなってくると彼の「その場しのぎのための結婚」の相手の像が見えてきます。
 簡単にいえば「自立している女」です。仮にふと自分がいなくなっても、すがらないような女。現に「しばらく消える」と宣言しても、英子はまるで動じなかった。まさに「見込み通り」の女性だったわけです。
 はっきりいえば源等は英子に「女性としての魅力を感じて」結婚したのではないんです。

 ある意味で強い女性
 ある意味で執着しない女性
 そして多少愛情は薄いかもしれないが、けして嫉妬しない女性

 きっと英子は源等が浮気しようがしよまいが、さして気にとめないタイプなのでしょう。いくら金銭的に自立しあった夫婦といえど浮気は別だと思うのですが、源等が旅立つ宣言をしたシーンでも心配したのは(というか気にしていたのは)お金のことだけで、旦那の浮気云々といった部分には「関心がない」といった方が正しいのかもしれない。
 昨今では珍しくないけど、この当時のモラリズムを考えたら、相当男性的な、女性らしくない女性、それが英子だった、と言えます。
 これほど「その場しのぎのための結婚」にふさわしい女性はいないでしょう。

 そしてこれは英子にとっても源等はけして悪い選択ではありません。
 彼は英子の自由を奪うことは一切しないし、基本的には金銭的な負担も一切かけない。逆に金銭的に助けられることもないけど、英子のようなタイプはその方が気が楽だと思うし。
 そして独身時とまったく同じように振る舞えれば、妻という座も得ることもできる。
 英子という、女性らしくない女性にとっても源等は理想のパートナーなのかもしれません。しかも源等のようにその場しのぎではないだけ、将来的にもベストパートナーといえるのではないでしょうか。

 ではそんな源等の本心はどこにあったのか、Page2はその辺を探っていきたいと思います。







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