阪神淡路大震災を知らない子供たち
FirstUPDATE2025.1.17
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 2025年で阪神淡路大震災から30年です。当然のことながら「周年」でも「記念」でもないんだけど、ま、30年なんでね、いろいろとやろうと思っていたんですよ。

 アタシは2019年から2023年6月までの約4年半、もっとも被害の大きかった、そして生まれ故郷でもある兵庫県神戸市に在住していました。
 ま、これも何かの縁だなと思ってね、せっかく神戸にいるのだから、神戸に住んでいればこそ出来ることっつーか、この震災について調べられることは全部調べようと思った。
 実際、とくに仮設住宅にかんしては相当頑張って調べたし、当時の新聞も総ざらいしたりもしました。
 だからそういう話は書こうと思えば書ける。書けるんだけど、自分でもまだまだ道半ばというか、もっと深く調べられると思ってて、だったらこんな状態で中途半端なことは書きたくないな、と。

 しかし、30年です。周年でも記念でもないけど、2025年は震災から30年なのです。このキリのいい30年目の1月17日に、Scribbleにサクッと、というのは嫌だった。
 ではどうするべきか。
 そもそもの話をします。アタシが何で阪神淡路大震災にこだわるのかと言うと、この震災を実体験しているからです。震災当日の様子はココでも書いたように、神戸市内に「いた」わけじゃないんだけど、それでもいろんな体験をしたのは事実で、これは書き残さなければならない、こういうことが現実であったんだ、というのを語り継いでいかなきゃな、とずっと思ってた。だからしつこく阪神淡路大震災にこだわったし今後もこだわる予定なのです。

 しかしこれは、きわめて一方的な考えで、語り継がれる側の気持ちをまったく考慮していない。
 ジローズの「戦争を知らない子供たち」じゃないけど「阪神淡路大震災を知らない子供たち」があの震災をどのように受け止めているか、いやどう認識しているか、それを無視して「体験した側の記憶」を押し付けるのはどうなのよ、と。
 となったらです。アタシはそこを知りたい。被害の大きかった阪神地区で生まれ育ったものの震災以降に生まれたので「実体験」としての震災を知らない、そんな人の意見を聞きたい。
 だからと言って、後年作られたドキュメンタリー番組や阪神淡路大震災を題材にしたフィクションを見てもらうのも違う。やっぱ、出来ることならもっと生の感情が浮き彫りになった、当時、つまりリアルタイムで作られたものの方が相応しい。

しかしそんな映像があるのか・・・

 いやね、たしかにYouTubeなんかには当時のニュース番組の映像なんかがあったりするのですが、こういうのはちょっと違うんですよ。何が?と聞かれても困るけど、記録としては貴重だけど「この時代に生まれてなかった人間が後年見返しても」という感じというか、何か結果がわかったスポーツの試合序盤を見せられるみたいになるんじゃないか、というか。
 というかね、こうしたニュース番組の映像はむしろ「阪神淡路大震災に積極的な興味がある人」が見るためのもので、生まれてもない、興味があるもないも、よくわかってない人が見て何か感じ取るようなものではないだろ、と。

 そこでアタシは一本の動画のことを思い付いた。
 それは当時放送中だった「鶴瓶上岡パペポTV」の、震災直後に放送された回で、この回は通称「怒りのパペポ」と呼ばれています。

 この番組については「複眼単眼・鶴瓶上岡パペポTV」にしっかり書いたのですが、ま、こんな文章が書きたくなるほどアタシはこの番組のファンだったし、毎週本当に心待ちにして見ていました。
 しかし、リアルタイムで「怒りのパペポ」の回はおろか「鶴瓶上岡パペポTV」という番組など見たことがない、どころか笑福亭鶴瓶はともかく上岡龍太郎という芸人の存在すら知らない世代の人が「怒りのパペポ」を見たらどう思うんだろ・・・。

じゃあ、お願いして「怒りのパペポ」を見てもらおう

 ただし、通常の「鶴瓶上岡パペポTV」を知らないと「怒りのパペポ」回とのギャップがわからないので、その一回前の1995年1月20日放送の通常回と、その翌週に放送された「怒りのパペポ」を見てもらって、どのような感想を持つか、それを記して行こうとね。

 まずは1995年1月20日放送回ですが、この回はいつもと比べて立ちトークが長めで、鶴瓶のグアムに行った話(とパトカーに捕まった話)と上岡龍太郎の沖縄に行った話が並行して行われたのですが、ちょっと長いな、と思ったのでこの回の視聴は立ちトークだけで切り上げました。
 アタシも久々にこの回を見たのですが、意外と面白かった。というのもです。この時期は「鶴瓶が上岡龍太郎の話をあんまり聞かないモード」期で、正直「この辺の回はあんまり面白くないんだよなぁ」って思ってたんですよ。
 でも実際見ると、そこまで酷くなかった。まだ開始直後、立ちトークってこともあったんだろうけど、ちゃんと掛け合いとして成立していました。

 「怒りのパペポ」の直前の回を若い人に見せたのは、あくまで「通常回はこんな感じだったよ」とわかってもらうためです。だから立ちトークだけで切り上げても問題はないし、別に面白がってもらおうとか、ましてや笑ってもらおうなんて考えていない。
 しかし、その若い人は想像以上に笑っており、ごく普通に楽しんでいました。
 ただね、あ、実はこの番組って、思ってたよりも知識がいるな、とも思った。
 例えば上岡龍太郎がサイパンにあるバンザイクリフの話をするのですが、もちろんバンザイクリフについての簡単な説明はあるとは言え、やっぱりピンと来てなかったようで、後から「バンザイクリフって何?」と聞かれた。

 番組での鶴瓶の立ち位置は「無教養」でしたが、けして本当に無教養というわけでもなく、あくまで上岡龍太郎に比して、の話です。だから(年齢的なこともあるとは言え)バンザイクリフの話にスッと付いていける。
 何かここだけ取り出しても、今のテレビでっつーか今の時代にやるのはしんどいのかもな、とは思ってしまいました。

 で、「怒りのパペポ」回です。
 巻頭からいきなり若い人が「重い・・・」と呟いたように、とにかく異様な雰囲気で始まる。これは前回との比較だけでなく、こんな重い空気で始まるバラエティ番組はほとんどありません。

 正直、今見てもご両人による政府やテレビへの怒りはピンとこない。というかテレビにかんしては、これはアタシの感想ですが「あまりにも変わってなさすぎる」と苦笑してしまったほどです。
 上岡龍太郎は、活断層がどうとかは後でええやろ、今は緊急事態に何をすべきなのか具体的に伝えないのが一番ダメ、と主張していましたが、これは東日本大震災の時もコロナパンデミックの時も、あまりにも<同じ>で、今、何をすべきなのか、をまったく伝えないのはテレビの本質だと思う。
 東日本大震災の時だって活断層がとか、メルトダウンが起こる仕組みとか、そんなのを延々やってたし、とにかく「見てる人の役に立とう」なんて発想は微塵もない。上岡龍太郎の言う通り「テレビは芸能」でしかなく、昨今テレビを指して「オールドメディア」なんて揶揄があるけど、正直「メディア」というのもおこがましい。いくら報道番組であると息巻いても、目の前で起こることを野次馬的にしか捉えられないものを本当に報道、ひいてはメディアと言えるのかどうなのか。

 それよりも「これはリアルタイムならではだ」と思ったというか、この話があるから若い人に「怒りのパペポ」回を見てもらおうと思った話がいくつかあります。

・上岡龍太郎の息子(おそらく現・映画監督の小林聖太郎)がボランティアから帰ってきたら顔つきが変わっていた
・瓦礫に埋もれた人のかすかな声がまったく聞き取れないほど、報道のヘリコプターの音があまりにもうるさかった
・鶴瓶がコンビニで生理用品を買おうとしてたら当時の若い人が「僕も何か買わせてください」と駆け寄ってきた
・便乗値上げの話
・「不眠不休で頑張る」という美徳にたいする疑問

 だいたいこの辺りですか。
 この辺の話はあまり語り継がれていない。とくに、アタシも鮮明に記憶がある「報道のヘリコプターの騒音」にかんしては、後年、ただの一度も、テレビは当然のこととしてインターネットであっても言及されてるのを見たことがない。
 便乗値上げにかんしても、被災したコンビニから人々が商品を盗んでいくと言った話は度々聞くけど、その反対、商店が便乗値上げで顰蹙を買ったという話はあまりない。(NHKで放送された阪神淡路大震災を主題にしたドラマ「その街のこども」(主演・森山未來/佐藤江梨子)でわずかに取り上げていたくらい)

 他は、まァ、これまた東日本大震災やコロナパンデミックの時と同じですな。
 そういやコロナパンデミックの時に「#吉村寝ろ」なんてハッシュタグが流行りましたが、令和の時代になっても、まだ、不眠不休で頑張る人への考えは変わっていない。
 もちろんのことながら不眠不休で頑張る人を蔑む気持ちは1ミリもない。しかし「この人たちが眠れるように、休めるようにするには、何をどうしなきゃいけないのか」という考えが決定的に足りない。
 たいていの人はそうした事態になったことにたいして批判はする。でも「ならば、どうすればいいのか」を、私見でしかなくても述べる人が本当にいないのです。
「批判はすれど提案はしない」
 もうインターネットの時代になって、こうしたことが可視化される世の中になった。つまり今は可視化されてるだけで、阪神淡路大震災の時もまったく一緒です。
 少なくとも「鶴瓶上岡パペポTV」という<バラエティ>番組では提案は行われていた。その提案が本当に実現可能なことなのか、それはどうでもいい。でもいろんな人がいろんな提案をする、それが震災について考えるってことだから。


 さて、若い人の感想です。
 一番ショックを受けていたのは、あまりにも冷たい大阪府の態度で、この人は大阪出身ではないものの大阪の学校に通っていたこともあって大阪への思い入れは深い。
 大阪は人情の街だなんだと言われるわりには、隣接する県で大災害が発生してるのに、軽い揺れで済んだこともあって完全に他人事で、みんな「ちょっと西に行けば凄惨なことになってる」ことなど気にかけずに、あまりにも普通に生活していました。
 ただし、震災を二度ほど経験したアタシから言えば、これはある意味「正しい態度」なのです。
 被災地以外の人たちはなるべく普通の生活をしましょう、というのはものすごく大事なことで、国全体が喪に服す必要はないし、普通に生活する=それだけ経済が回るわけで、これは東日本大震災の時も同じことを思った。
 にしても、この一例だけをとっても「大阪は人情の街」なんてとても言えない。もちろん人情に厚いというか共感性の高い人は大阪にもいっぱいいるし、アタシも何人も知ってるけど、それは個人単位の話でね、別に街単位で人情に厚いなんて到底思えないわ。アタシは。

 もうひとつ、若い人が引っ掛かっていたのは、やはり便乗値上げです。
 これ、先ほど書いたように東日本大震災の時はあまり問題になってなかったので、リアルタイムで経験していてももう忘れてる人が多いかもしれないのですが、便乗値上げは本当に酷かった。
 アタシは神戸出身です。あまり正確な場所は書きたくないけど、ま、神戸の東の方、ということになる。つまり「まあまあ被害が大きかった地域」です。
 この地域にも便乗値上げをする商店はあった。たしか缶詰1個1000円くらいで売ってたはずですが、案の定というか、一段落した頃には潰れた。そりゃそうだよ。こんなことする店なんか絶対行きたくないし、そもそも個人商店なわけで、商店と同じ敷地内に店主も住んでるわけですよ。
 マジでよーやるわ、と思った。こんなことしたら、いろいろ片付いた後、店がやれるかやれないか以前に、もうこの場所に住めなくなるだろ、と。

 個人的にものすごく悲しかったのは、ここまで書いてきたように「何も変わっていない」ことなんです。
 だからね、番組を見終わって、若い人といろいろ喋ったのですが、アタシが言いたかったのは「見てな。たぶん、次に大きな震災が起こってテレビをつけたら、「今何をするべきなのか」みたいな情報は一切やらずに、また延々「活断層が」とか言ってるから」と。
 アタシはね、過去の事象が大好きな人間ですが、同時に「過去より今の方が良くなってて当たり前」だとも思っている。その歩みはどれだけノロくても、半歩ずつでも確実に進化している、そう思いたいのです。
 でもさ、「怒りのパペポ」を見てたら、そんな空々しいことを言う気もなくなった。「怒りのパペポ」の<怒り>はあくまで阪神淡路大震災にかんして向けられたものだけど、この回が東日本大震災の時も「まんま」通用して、たぶん次に起こるであろう大震災にも「まんま」通じるんだろうな、と思うと悲しくてしかたがない。
 いったいいつになったら「怒りのパペポ」を見た人が「ははは、さすが二十世紀だな。今は政府もテレビもメディアも圧倒的にちゃんとしてるもんな。当時はこんなことも出来なかったのか」と思うようになるのか。
 少なくとも、今回アタシと一緒に「怒りのパペポ」を見た若い人は、そういう感想を持たなかった。インターネットが発達しようが、SNSがどれだけ当たり前になろうが、一緒じゃん、と。

 そもそもアタシがこうした、つまり「若い人と一緒に「怒りのパペポ」を見よう」と思ったのは、これが語り継ぐということだ、と思ったからです。
 これは戦争の話とかでもそうなんだけど、戦争の話の語り部の人たちって「空襲で家が焼かれた」とか「家族と死に別れた」とか「食べ物がなくて大変だった」とか、そういう話ばっかりなんですよ。
 でもね、この手の話で伝わるのは「敗戦国の悲惨さ」だけで、具体的にどうやって生き延びたか、具体的に身の回りの諸問題で何が一番大変だったか、それを語らないことには語り部失格だと思う。
 さすがに戦争の頃の、リアルタイムで収録された生の声はほとんどない。だから具体的にわからないことが多すぎる。でも阪神淡路大震災の頃なら、そして東日本大震災の頃なら、いくらでもリアルタイムの声が残ってるわけで、そこを伝えないでどうする、と。

 上岡龍太郎の言うように、どれだけ悲惨か、どれだけ大変か、科学的見地から見てこの地震は、この津波は、とか、そんなことは本当はどうでも良すぎる話なのです。
 それよりも「助けられる命を助ける」ことの方が何百倍も重要なことで、その時自分は何をすべきなのか、テレビをはじめとするマスコミは「まず、最低限、邪魔をしない」ということをちゃんと念頭に置いているのか、そこだと思うんですよね。

これ、本当はもうちょい早くというか、なるべく早い段階で「怒りのパペポ」を若い人に見てもらって、ゆっくり構成を考えようと思っていたのですが、なかなか時間が合わなくて、マジでギリギリの2025年1月16日に見てもらえて、あわてて書いてます。
だから出たとこ勝負というか、かなり変な箇所も散見出来ると思いますがご了承ください。つかその分、ある意味、アタシの意見も精査されていない生々しい意見になってると思うので、そこは「いってこい」ってことで。




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