A「はい、たしかに書きましたし事実です。つか今もって苦手です」
これがエントリタイトルのアンサーになるのですが、じゃあね、だったらテメエのやってるYouTubeは何なんだ、と言われてもしょうがない。
「何で映画評が苦手なのか」はココにしっかり書いたので割愛するとして、苦手なのに何でYouTubeで映画評めいたことをやり始めたのかを書いてみようと。
(前略)Yabuniraの最大のストロングポイントは「更新頻度が比較的高い」ことと「長期にわたってやってる」ことなんです。
だったらもう、そこを第一優先に考えよう。こんなことしたら面白い、というのはもちろんあるけど、それは一旦横っちょに置いておこうと。
とりあえず、アタシ自身メチャクチャにノッてる企画じゃなくても、ま、そこそこ面白いと思える程度であれば、しかも頻繁に動画を上げられるのであれば、もうそれでいいんじゃないかと思った。(2024年5月25日更新「最終的にはbrタグが一番扱いやすい、という前フリ」)
YouTubeを始めるにあたって、まず考えたのがこのふたつ、つまり「ある程度の更新頻度」ってのと「長期間可能」ということでした。
Scribbleとは違い、いろんな題材を取り上げていくのはYouTubeには向かない。少なくとも何らかの統一性は不可避だと判断してね、じゃあ、どんなのであれば同一テーマでネタ切れを起こすことなく続けられるのかを考えたら、もう「邦画」そして「喜劇」しか思い浮かばなかったんです。
実際には「喜劇」に限ってしまうとネタ切れまでは行かなくても似た題材が続きすぎるという懸念があったので、ではとりあえず「基本的には邦画チャンネル、それも古めの」にしようとね。
これならウケるウケないは別にして、ネタが枯渇する心配がまったくない。そもそもですが、始める前の段階では、優先順位は先ほどの「ある程度の更新頻度」と「長期間可能」だけで、登録者数とか再生回数などはマジでどうでも良かった。
となると「ネタの枯渇の心配がない」というのは一番重要だったとも言え、よし、これでイケる、となった。
ま、今は違うけどね。いや先のふたつが重要なのには変わりないけど、登録者数も再生回数もメチャクチャ大事だと思ってるんだけどさ。
ただし唯一、とんでもない不安があった。それが「映画評が苦手」というアタシの資質です。
もう一度、先ほどの後半部を引用しておきます。
とりあえず、アタシ自身メチャクチャにノッてる企画じゃなくても、ま、そこそこ面白いと思える程度であれば、しかも頻繁に動画を上げられるのであれば、もうそれでいいんじゃないかと思った。
たしかに「それでいい」んですよ。少なくとも「YouTubeを始める」ことへのモチベーションとしては十分すぎる。
しかし「苦手なことを続けていく」ことほど辛いことはない。
というのもね、結局、アタシは動画作りというものを甘く考えていたんです。<コツ>を掴むまでは大変かもしれないけど、一旦掴んでしまえばこっちのもの。あとは惰性で出来る、くらいに思っていた。これがとんでもない間違いだと気づくわけですが。
もしね、アタシがやってる題材が「メチャクチャやりたい」とか「ノッてる」とか「やりたいやりたくないは置いといて得意だと自認してる」ならそれでモチベーションを保てたかもしれない。
でも実際は「もうそれでいい」程度であり、しかも「苦手」だと自認している映画評です。これ、本当に続けていけるのか?ネタ切れの心配はなけれどもモチベーションの持続という面で大丈夫なのか?と。
もうこうなったら、少しでも得意な方向に寄せるしかない。いや得意ってよりは「興味を持てる方向」という方が正確か。
そこで思い付いたのが「とにかく主題から可能な限り脱線する」という<やり方>です。
先日の動画だけど、純粋な映画評はほぼ喋っていない。その前の前の前の「スオミの話をしよう」の時はあんまり逃げ道がなかったので感想めいたことをわりと喋ってるんだけど、それでも三谷幸喜が絶対に影響を受けてないと言い切れる小国英雄の話を挟み込んで、さらに「ロッパ歌の都へ行く」なんて主題とぜんぜん関係ない映画について結構喋っています。
「日本一の裏切り男」の動画なんかもっと極端で、映画の話なんかほとんどせずに、映画が出来るまでの成り立ちと、あとSPレコードとパチンコの話ばかり、といった有り様。
つまりね、これは上岡龍太郎が言うことと同じで「知ってることを喋ってるだけ、知らないことは黙る=黙殺する」ということです。
こうした「逃げ」がなければ到底動画なんて作れない。
だからね、もっと映画のことをガッツリやって欲しい、評論が聞きたい、なんて人からしたらすげぇつまんない動画だと思うし、それはもう、わかっている。
わかっているのに何故改善しないのか、それは簡単に改善出来るこっちゃないから。
人間誰しも得手不得手がある。んで不得手を克服するのがどれほど大変か、どれほど時間がかかるか、そんなことは痛すぎるほどわかっています。
つかさ、もう20年もこんな駄文を書いてるんですよ。もちろん「いずれちゃんと映画評を書けるようになりたい」と願っていたけど、いまだに苦手のままで、まったく克服出来ていない。
そこで「ならばやらない」というよりは「似たようなことをやるけど、本当に苦手なことからは逃げまくる」という方針で行くしかない。
あと、やっぱ、好みもあってさ、アタシは「ざっくりとあらすじを連ねて、合間に豆知識を挟んでいく」みたいな映画評が嫌いなんですよ。
んで、私見がないのも嫌い。つか本当は映画評って私見なんかない方がいいんです。百点満点の映画なんか存在しないし、私見を挟むとなるとどれだけ出来の良い作品でも「基本的には称賛だけど、一部は否定」みたいになってしまう。
実際「スオミの話をしよう」の動画でも、感想が長くなった分だけ否定的な話も増えちゃったし。
つかさ、双葉十三郎みたいに褒めとケナしを自在に操れないよ。アタシにそんな技量はない。技量もないのにやっちゃうととんでもないことになる。ましてや<嫌い>と自覚する「私見なし」にはしたくない、となったら、もう何も喋れることなんかないのよ。
だから逃げる。脱線しまくる。ただせめて、その脱線が面白い方向に脱線にしなきゃな、と。でないと取り柄がなくなってしまうから。
ただねぇ、やっぱり「脱線が面白くなる」ってのも才能なのよ。正直アタシにはその才能はないと思ってるけど、だったら「ちょっとでも脱線が面白くなるように、仮に脱線してようがそのことについて調べまくる」しかないんだよなぁ。だから時間がかかるんだけど、もうそれはしょうがないわ。