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複眼単眼・ホンネ
FirstUPDATE2023.12.26
@Classic #複眼単眼 #テレビ #上方芸能 #水曜どうでしょう 毎日放送 朝日放送 #上岡龍太郎 イカにもスミにも 角淳一 ときめきタイムリー 桂ざこば 遥洋子 上岡龍太郎にはだまされないぞ 立川談志 大泉洋 腹を割って話そう 僕は一生どうでしょうします 月亭八方 インサルトギャグ ホンネ 全2ページ #某巨大掲示板 PostScript #兵庫 #1980年代 #1990年代 #X/Twitter #YouTube #人間関係 #嗜好品 #映画 画像アリ 動画アリ

 Page1ではテレビで<ホンネ>と称されるものは、<ホンネ>でもなんでもない、優れたタレントだけが使いこなせる技にすぎないと書いてきたわけですが、しかしこれは、実はテレビに限らないのです。

 YouTubeや、いやSNSでさえ、テクニックもなしに<ホンネ>を言えば、いろんなことが起こる。つまり炎上させるつもりはないのに炎上したりする。
 要するに、これは思い違いからこんなことになるわけですよ。実は誰も目立つところで「本当の<ホンネ>」なんか吐いてないのに、メディアで「<ホンネ>ふうの喋り」をやってる人は細かなテクニックを有してるから可能なだけなのに、テクニックも何もなく「本当の<ホンネ>」をYouTubeやSNSで吐けば、問題にならない方がおかしい。
 某女性eゲーマー、ま、名前を出してもいいか。<たぬかな>が罵詈雑言を吐いてスポンサー契約をすべて打ち切られたなんて事件がありましたが、これなんか<ホンネ>にたいする思い違いの典型的な例だと思う。
 ま、それでもさすがにこの件にかんしては浅はかすぎただけのように思うけど、たぬかなの場合、その後ちゃんと軌道修正に成功しています。
 というか契約打ち切り以降の彼女の言動は完全に<芸>の方に寄せており、つまり「ホンネ<風>のネタ」といった塩梅に方向転換している。
 そして、その「ホンネ<風>ネタ」にたいして今では「令和の上沼恵美子」という評まであるんだから、喋りの<力量>という面ではたいしたものだなと。

 さて、ここからはリアル人間関係、つまり身内であったり友人関係、はたまた上司や部下、クライアント先の人など、直に接触のある人との対話、ということを書いていこうかと。が、その前にちょっとだけ自分のことを書いてみます。
 アタシはね、現在においても過去においても、自分とかかわったすべての人が幸せになればいい、そう思っています。
 とか書くと「テメエ、メチャクチャ綺麗事を言うじゃねーか」と思われるかもしれませんが、これは紛れもなく本心、いや<ホンネ>、いや「タテマエ風のホンネ」です。
 これが、よしんば「自分にとって好ましい人が」ってなら一定の理解を得られると思う。しかしアタシの場合、好ましい好ましからざる問わず、つまりは心底嫌っている人間も含めて幸せになってくれ、と本気で思ってる。
 心底嫌っている、というのは、言い換えれば「自分にとって限りなく不都合な存在」とも言えるわけで、ただでさえ不都合な存在が不幸になれば、さらに良くない形で交わらなくてはならない可能性が出てくる。
 もっと言うのであれば、アタシは不都合な存在には、仮にどれだけ困ってようが一切手を差し伸べる気がない。

 例を挙げます。
 今まさに、心底嫌ってるヤツが、今まさに崖から落ちそうになってる、なんてシチュエーションならどうするか、です。
 アタシは間違っても手を差し伸べて助けたくなんか、ない。かといって、必死にすがりつく手を踏みつけようとも思わない。
 助けたら助けたで「何であの時助けたんだ」と後悔しそうだし、助けなかったら助けなかったで<人間>として自責の念にかられるに決まってる。
 だからね、不都合な存在を含めて幸せになって欲しい、と思うのは、自分の身を守るためだったり、そんなヤツには死んでも手助けしたくなければメンタルを揺さぶられたくもない、という薄情な考えがあるからなんですよ。
 だから不都合な存在の人は、自分とは何も関係のないところで、勝手に、幸せにやってくれた方が都合がいい、というか。
 要するに、ちゃんと説明すれば綺麗事でもなんでもない。むしろある意味冷徹な考えかもしれません。

 しかしこうした意見はあまりにもホンネっぽくない。やはり<ホンネ>なんて言うともっと過激というか暴言に近いようなものを想像しがちです。
 これはTwitterに書いたことですが、政治に嘆く暇があったら猫デレしていたい。これも紛れもなくホンネですが、これまたホンネに思われないけどホンネというね。
 しかし「ホンネ=暴言」と何の疑いもなく信じている人は多い。いやそれは勝手にすればいいんだけど、さらにごく少数の人の中には「暴言を強要してくる」なんてとんでもない人までいたりするのです。

 <ホンネ>ときわめて似た意味として「腹を割って話す」というのがあります。
 要するに「お前が<ホンネ>を吐いてくれ」という意味で、正確には「俺はホンネを喋るつもりはないけど、お前はホンネを吐いてくれ」ということになる。
 つまりは<ホンネ>の強要なのですが、もちろんこの場合の<ホンネ>とは「不平不満を言え」という類いの、まァいや罵詈雑言を並べてくれ、という意味以外の何物でもない。逆に言えば「心の底から感謝している」みたいなポジティブなことは、仮に「本当の本当に<ホンネ>」であっても「そういうことじゃないんだよ」となってしまうわけで。
 これの最高のサンプルが「水曜どうでしょう」の「東北2泊3日生き地獄ツアー」の回です。


 最初は「とにかく早く寝たい」大泉洋も素直なホンネを言って「お引き取り願おう」とするのですが、カンの良い大泉洋はすぐに「求められているもの」に気づいた。
 しかし、だからと言って、ここで口車に乗せられて罵詈雑言を吐くのも違う。あくまでポジティブな範疇で、しかもインパクトのある言葉を吐かない限り、この場は収まらない。
 そこで絞り出したのが「僕は一生どうでしょうします」だったのですが、ここで安易に「だったら不平不満を言ってやるよ!」という方向に持っていかなかった大泉洋の機転には本当に感心するばかりです。


 もちろんね、「水曜どうでしょう」の場合はあくまでエンターテイメントとして、つまり番組を面白くするために「腹を割って話そう」とかメチャクチャな要求をしているわけですが、中にはこれを本気で要求される場合もリアルであったりする。そして、そのほとんどの場合は「酒席で」ということなってるわけで。
 何だかね、酒席になると、腹を割って話そうでもホンネでもいいんだけど、とにかく「罵詈雑言を引き出してやろう」とかするタチの悪い連中がいる。つかアタシ自身も何度もそういう目に合ってきた。
 アタシなんか間違っても口数が少ない方じゃない。どちらかと言えばよく喋る方です。で、これまたどちらかと言えば口数が多い人間はターゲットになりづらい。
 要するにです。本来ターゲットではない口数が多いアタシのような人間でさえ「罵詈雑言を吐け」という餌食になってるわけで、これが口数の少ない人になるとアタシなんかの何倍も被害にあってると思う。
 で、酒席で困るのが「罵詈雑言を吐かせるために酔わせよう」とかするタイプがいることなんだけど、これはココで書いたからいいや。

 とにかくね、何でそこまでして罵詈雑言を聞きたいのか本当に理解に苦しみます。
 というかアタシなら、もし誰かが酒席で罵詈雑言を吐き始めたら「やめとけ」と止める。それはソイツのためを思ってというよりも単純に聞いてるのが不快だからです。
 こうした<ホンネ>という名の罵詈雑言を喜ぶ神経がわからない、という話ですが、だからか、それこそ上沼恵美子ややしきたかじん、そして立川談志といった「罵詈雑言芸タレント」を好ましいと思ったことがない。
 これは本当に難しいのですが、罵詈雑言なんて基本的に<フリ>なんですよ。いや<フリ>以上になってしまうとただの悪口になってしまうというべきか。
 あくまで<フリ>とて罵詈雑言を並べる。そしてそうした<フリ>を最大限活かした<オチ>にまで持っていく、これが本当の罵詈雑言芸じゃないかと。

 アタシはね、オチなんてあろうがなかろうがどっちでもいいと考える人間です。しかし例外中の例外が罵詈雑言芸で、こうした芸だけは「如何に奇想天外なオチを用意出来るか」が重要と思ってる。
 まァ、上沼恵美子他は芸人なので常に奇想天外なオチが用意出来てるかはともかく、オチをつけようとはします。
 しかし素人の場合はまずそんなこと不可能で、というか「罵詈雑言が凄ければ凄いほどインパクトのあるオチを用意しなきゃいけない」なんて考えたこともないはずです。
 ましてや酒席なんかで強要された罵詈雑言にオチをつけるなんて100%不可能で、大泉洋ほどの機転の効いたオチに持っていけるわけがない。
 となるとです。罵詈雑言を強要したくなる心理ってのは、もう「オチなんか求めてない。ただただ罵詈雑言を並べてくれたら面白い」と思ってるとしか思えない。

 もちろんアタシからしたら1ミリも理解出来ないんだけど、たしかに「罵詈雑言そのものが面白い」と思ってる人間が一定数いるのは間違いないところです。
 それはリアルでもですが、某巨大掲示板やそのまとめサイトを見れば嫌でもわかる。いやSNSだけでもわかってしまう。何のユーモラスな表現も用いずにストレートに罵言を吐いて、それが面白いと感じている、というような、ね。
 よく、昔の某巨大掲示板はもっと洒落っ気があった、と言われますが、同じ揶揄するにしてもなるべくストレートな表現は避けて、如何に「柔らかい表現なのに、どんな罵詈雑言よりも痛烈な批判になってる」ということに心を砕いている人がいたように思う。
 アタシからすればそっちの方がどう考えても知的というかアタマを使ってるってのがわかるわけで、絶対にその方が面白いはずなんですよ。
 というかね、あきらかに昔の方がそういうことに長けている人が多かったように思う。これは能力の問題ではなく意識の問題です。
 それこそ酒席で罵詈雑言を求められてね、その期待に応えたとしてもストレートな表現や強い言葉を避けて、仮にそれが録音されてても「言い逃れが出来る」レベルに抑えていた、というか。

 かつて、太ってる人を「恰幅の良い」、背の低い人を「小作りな」みたいな「言い換え文化」が存在しました。
 つまり身体的特徴を「デブ」や「チビ」といった罵倒になりかねない言葉を巧みに避けるテクニックを用いる人がいたのです。
 ところがこうした文化は急速に衰退していった。SNSが「生活の一部」に限りなく近づき、バズるため、というよりは「目立つため」に、極端に「ストレート」で「強い」言葉を使いたがる人が増えたのです。
 それこそ昔は、こうしたストレートだったり強い言葉を使う人は「学がない」「品がない」と言われたものですが、令和の今、極端に言えば「馬鹿という強い言葉を使わないヤツは馬鹿」といったふうに、かつての風潮すら飲み込もうとしています。
 そうした風潮の是非はこのエントリの趣旨から離れるので、とりあえず今回はどうでもいい。ただね、もし、争い事を好まないのであれば「巧みなかわし方」を知っておく方がなにかと便利とは思うのです。

 さすがにド素人にオチまで求めるのはハードルが高すぎるので、せめてストレートな表現だったり強い言葉を使わない形を心掛ける。
 先ほど挙げた「恰幅の良い」とか「小作り」よような言い換えを多用するとか、あとあえてよくわからない例え話を持ち出してみるとか。
 上司が酒席で「お前ホントは会社に不満があるんだろ?腹を割って話してみろよ」とか言われたら

「ウチの会社って結局、漁場みたいなもんなんですよね」

 とかね。ま、会社を漁場に例える意味がわからないし、もし「だからどういう意味だよ」と詰められても「それも例えるなら日本の映画動員減少に近い話というか・・・」みたいな感じで返答をすべて例え話に持っていく、みたいな。しかも実は何の意味もない例え話。

 そういやかつて、アタシはこんなことを書いたことがある。
 今では月亭方正や月亭八光の師匠というイメージの方が強い月亭八方ですが、話の「ケムの巻き方」は天下一品で、それこそ罵詈雑言を求められるような場面でも「さあ、そこやがな」という言葉を用いて話のコシを折るわけです。
 一見「さあ、そこやがな」というのは、さも「これから詳しくお話ししますよ」という前置き<風>でありながら、実はただたんに話を逸らすためのテクニックであり、とにかく相手に「あれ?オレはコイツに何を言わせたかったんだ?」と思わせたら成功です。
 「会社に不満があるんだろ?」と言われたら「そこなんですよ。実は・・・」みたいな感じでどうでもいいプライベートの悩みを話し始めて「てな感じで悩んでるんですがどうすればいいですかね?」と相手に投げてしまう。
 ここまて来たらどうやっても成功で、その上司が真剣に悩みを聞いてくれても、逆に「知らねーよ!」と突き放されても「罵詈雑言を言わなきゃいけない」ということからは逃れられる。
 こう言っちゃナンだけど、罵詈雑言を求める、罵詈雑言が面白いなんて人間は程度の低い人間なんですよ。だからどれだけ誤魔化しても構わない。失礼なのは向こうなんだから。

 要するに、優れた<ホンネ>売りのタレントがやってることってこういうことなんですよ。
 とにかく一聴では「荒っぽい口調だし、世間(会社)に物申してる<風>なんだけど、その実ストレートな表現とか強い言葉は使っておらず、批判の内容もまったくたいしたことがない」みたいな。
 これってテクニック云々よりも「意識」の問題が大きいと思うんです。
 口調は荒っぽいんだけど、絶対、何があってもストレートな表現だったり強い言葉は使わない、という意識。
 もう今さら「常にそういう会話を心掛けろ」というつもりもない。しかし、本当にいざという時、それこそ「ホンネを喋れ、腹を割れ」とか言われた時に「あ、今はそういうことを意識するタイミングだ」と気付けたら、かなりの確率でピンチを脱することが出来るんじゃないかと。

 長々書いてきたけど、結局、何が言いたいかと言えば、本当のホンネなんて、たとえ誰であっても聞かせるべきじゃないし、口にすべきこっちゃない。
 つかそもそも、どこの国だろうが、ナニ時代だろうが、言いたいことが言える世の中なんて存在しないんだから。ね、ポイズゥンッ!

この「複眼単眼」というカテゴリは「本気で事象を精査して結論を導き出す」というよりは「成人前のアタシが「あれってどういうことなんだろ」と感じていた疑問に答えていく」というエントリ群でしてね。
そういう意味では今回の「複眼単眼・ホンネ」はまさしく、ずっと「どういうことだろ」と思っていたことで、結果としてインサルトギャグ(≒罵倒芸、悪口芸)を含む話になってしまいましたが、ま、それなりに<ホンネ>と呼ばれるのもの本質に近づけたのではないかね。
どうかね?若き日のアタシ。納得いった?




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