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かんさいのマスコミは阪神一辺倒やさかい
FirstUPDATE2022.3.6
@Classic #さかい親子 #会話劇 #プロ野球 #1970年代 #関西論 #顔 全3ページ 1978年 阪神タイガース 讀賣巨人軍 阪急ブレーブス 南海ホークス 近鉄バファローズ オリックスバファローズ サンテレビ 王貞治 江川卓 江川問題 後藤次男 田淵幸一 江本孟紀 小林繁 真弓明信 若菜嘉晴 藤田平 掛布雅之

この年、つまり1978年は江川問題関係なしに阪神というチームも大きく変わろうとしとった。もう一回あらためて言うけど、1978年の阪神の監督はクマさんこと後藤次男や。クマさんは人がええことで有名で、1968年オフ、この年も監督候補やった鶴岡一人にフラれて、しゃあなしに人がええクマさんを監督にしとる。しかも1970年から村山実を監督にするために1年であっさりクビや


何や、人がええんにつけ込んで、上手いこと利用されてるだけやん


ただ1969年の時は2位とは言え首位巨人と6.5ゲーム差の2位やから「ちょっと成績が振るわなかった」程度やけど、1978年は球団史上初の最下位やからな。さすがにこらマズい、根本からチームを変えんとヤバい、となったんやと思う。そこで阪神は大変革を計画したんや


金本の超変革みたいなもんか?


金本のはチームの底上げやけど、どちらかというたら星野仙一の時に近いな。まず監督に球団史上初の外国人監督としてブレイザーを招聘した。ブレイザーは野村克也に「考える野球」を教えた人間やからチームの変革にはうってつけの人材や


阪神で外国人監督とかおったんやな


もうひとつ、それは進境著しい掛布雅之をチームの顔にすることやった。ところがや、この頃はチームの顔は別におったわけやな


田淵?


そう、田淵幸一。もうこの頃の田淵はバッティングはともかくキャッチャーとしてはかなりしんどい感じやった。デッドボールの影響で太って動きが鈍くなっとったし、これもデッドボールの影響らしいけど、方向感覚が掴めんようになってキャッチャーフライも落とすようになってた


ま、キャッチャーがそれではしんどいな


で、ここが時代のオモロいところやねんけど、福岡を本拠地にしてたクラウンライターライオンズが西武鉄道に身売りして西武ライオンズが誕生したわけや。クラウンライターには全国的に名前が知られた選手がおらんかったから、是非ともスター選手が欲しかった。そこで目をつけられたんが田淵や


パ・リーグやったらDHがあるからキャッチャーさせんでもええもんな


阪神にしてみたところで、ライオンズは交換要員の面でも魅力的やった


このトレードで真弓が来たんやろ?


でもホンマの狙いは若菜やったと思う


ワカナ?


若菜は変な形で阪神を辞めたから語られることはあんまりないんやけど、当時の若菜は次代のスーパーキャッチャー候補やったんや。この前の年、つまり1977年のオールスターでホームラン打ったりしてたし、強肩で、しかもあんまりキャッチャーらしくないスマートな体型なんも「次の世代のキャッチャー」っぽかった


まあたしかに、田淵が抜ける言うことはキャッチャーがおらんようになるねんからキャッチャーは必要やし、そんな期待の選手やったら、そら欲しいわな


この4、5年前までの阪神のスター選手と言えば、田淵、江夏、藤田平やった。江夏は1975年オフに南海にトレードされて残ったんが田淵と藤田平やったんやけど、藤田平は足の不調でもうショートは守られんようになってた。しかも地味やったから他球団かて、それこそ西武のような新生球団が欲しがるような人材やない。せやからトレードは免れたけど、もう藤田平が守られんショートも阪神は欲しがってた


ちょっと待って。阪神にキャッチャーとかショートって他におらんかったん?


一応はおったで。キャッチャーやったら片岡新之介とか、ショートやったら榊原良行とか。でもどっちも小粒やし、そもそも片岡はトレードで来た選手やし、キャッチャーとかショートといった花形ポジションをやらせるほどの魅力はなかったな


ほんで、真弓、か


そうや。真弓も期待のショートやった。バッティングは中途半端やったけど足は速かったし。何より男前やったさかいな


結局は顔かいな


アホ!プロ野球も興行やねんから顔は大事やぞ。実際、真弓が阪神に入ってから若い女性ファンがめちゃめちゃ増えた。それまで球場に来る言うたらオッサンばっかりやったのに、真弓が来てあきらかにファン層が変わったからな


たしかに今見たらギリシャ彫刻みたいな顔してるなぁ。そら人気も出るわ


もうひとり忘れたらアカンのが小林繁や


それって江川問題の


その通り。江川問題は結局、江川と小林繁をトレードさせるってことで決着したんやけど、この小林繁がまた男前やった


前から思てたけど、この小林繁って人、ちょっとも野球選手らしないな。スーツ姿の写真とか「この人野球選手です」言われても信用されへんレベルやで


まァな、でもこれで、つまり真弓と小林が阪神に来たことで球場の雰囲気が変わったんやな


それまで阪神に男前はおらんかったん?


そんなことないで。江夏とトレードで来た江本孟紀なんかめちゃめちゃ男前やったし、そもそも田淵自体が男前やったし


それやったら男前放出して男前獲っただけやん


男前言うても二通りのタイプがあるねん。田淵や江本は夜の店、つまりお酒を飲むような場所でモテるタイプや。でも真弓や小林は若い女の子にキャーキャー言われるタイプ。江本も「若い子は全部真弓が持っていった」って言うてるくらいやし


そうかなぁ。僕から見たら真弓も小林も夜の店でモテそうなタイプに見えるけどなぁ


そら時代が違うもん。あくまでタイプの話やけど、真弓と小林が平野紫耀とか岸優太とするなら田淵とか江本は阿部寛とか竹野内豊、というか


まさかお父ちゃんの口から平野紫耀が出てくるとは思わんかった


とにかくやな、1979年から阪神はまったく別のチームとして生まれ変わった。監督は外国人やし、チームの顔は掛布やし、真弓や小林みたいな若い女性が球場に来たがる男前も入ったし、キャッチャーも鈍重なイメージになりつつあった田淵からスマートな若菜になったし


うーん、たしかに変わった感じはするな


んで、ついでに言うたら1980年になって、さらに変わった


ちょっと待って。あ、どんでんが入ってきたんやな。おーん


どんでん言うん止めぇ。ついでに「おーん」も止めぇ。なんJに毒されすぎやで。でもそれよりもや、たしかに岡田彰布の入団は戦力的にはめちゃめちゃ大きいんやけど、この年球場の雰囲気が変わる出来事があったんや


何?


ちょっと記憶があやふややねんけど、たしかこの年からトランペットによる応援、つまりヒッティングマーチの演奏が始まった


ああ、この頃か


ヒッティングマーチについてはYabuniraっていう老舗サイトでちゃんと説明してくれてるエントリがあるから、それ読んどき


お父ちゃんも言うことコロコロ変わるなぁ。前は「あんなんダラダラ続けてるだけの過疎サイトや。阪神の選手で言うたら、あら・・・」とか言うてたやん


あら・・・って誰や


ほれ、ユーティリティで明治出身の


荒木やろ


実名出すな!


まァ荒木は引退したし、今のところ代わりになる選手もおらんからな。話を戻すっちゅうか、ここで一回整理する。阪神が日本一になったんは何年や


1985年やろ


そう。1985年の時点ではもう個別のヒッティングマーチもあったし、外野席まで客が埋まってたし、つまり今とほとんど変わらん。ではその10年前の1975年はというと、例の江夏のノーヒットノーランの試合とあんまり変わらんかったわけでな。あとこれは調査したわけやないけど、おそらく関西で阪神が巨人の人気に追いついたんは1985年やったと思う


つまり、たった10年でまったく甲子園の雰囲気も人気も変わったわけか


スポーツ新聞も、正確にいつかは憶えてないけど、日刊スポーツやろうがスポニチやろうがサンスポやろうが関西版の一面が阪神に固定されたんも1980年代前半やったはずや


いや、待ってくれ。もし、もしやけど、1978年に阪神が最下位になってなかったら、ほんでもし江川問題に阪神が絡んでなかったとしたら


もう一個、もし1978年の日本シリーズで阪急がヤクルトに勝ってたら、いや、大杉の打球がファールって判定されてたら、も追加やな


補足ありがとう。で、やな、もしそうやったら阪神の人気はずっと中途半端なままで、関西でも巨人の人気が圧倒的で、阪急も南海も身売りしてなかったんやないかなって


そうかもしれんな。まさしく歴史のアヤで、つまり阪神が何で今みたいな扱いになったかは必然がほとんどなくて、ほぼ全部、偶然や。その偶然が重なった結果、関西のマスコミは異様なほど阪神推しになったという


で、その結果、阪急はオリックスに、南海はダイエーに身売りされて福岡に行ってしもた、という


オモロいんがな、Page2でも言うたけど、阪急は関西テレビと、南海は毎日放送と関係が強かったわけや。ところが身売りしてしもたから関係の強いプロ野球チームがなくなってしもた


ああ、それで関テレも毎日も阪神を推しやすなったんか


ところが朝日放送と関係の強い近鉄は残った。しかも阪急も南海もなくなった1980年代後半から1990年代は近鉄が強い頃やったんや。せやから、さすがにもうこの頃は阪神の人気は無視出来んレベルになってたから、せめて阪神と近鉄を同等に扱おうと思って、22時前に野球速報のミニ番組「阪神近鉄情報」って番組を始めた


へぇ!


ところがもう、そんな扱いさえ近鉄には無理やった。それほど阪神の人気は決定的やった。言うても当時の阪神は暗黒時代やで。せやのに黄金時代やった近鉄でも、同等扱いにすら出来んほど人気の差がついてしもたんや


暗黒時代は甲子園もガラガラやったって聞いたことあるけど、そんなことなかったんやな


1970年代に比べたらぜんぜん入ってたよ。それはそうと、ようわからん連中が「何で関西のマスコミはオリックスを取り上げんねん!」とか「オリックスが人気がないんは関西のマスコミのせいやろ!」とか言うけど、それは無理やで。それまでに散々、会社同士の関係もあって必死でパ・リーグをもり立てていこうとしたんや。でもどうやっても人気なんか出えへん。言うたらトラウマや。時代が変わってもそうそうトラウマは消えん。偶然が重なっただけとはいえ阪神の人気が絶対的になって、つまり視聴率的に絶対安心ブランドの阪神と同等に扱えって、そら無理やわ


まあでも、もうちょっとオリックスの試合も中継したったらええのにな。2021年には優勝もしたんやし、吉田正尚とかラオウとか山本由伸とかスターもおるんやし


はっきり言うたるわ。1970年代、阪急とか近鉄の試合を中継しとったんは会社同士の関係だけやないねん。阪急の試合やったら阪急東宝グループが、近鉄の試合は近鉄グループがCMスポンサーやってん


つまり、自分でカネ出して中継してもろてたってこと?それって言うたらジャガーさんと一緒やん


そういうこっちゃ。しかもそれ、まだ阪神の人気が今みたいになる前やで。なる前でそのレベルや。せやからせめて1970年代くらい程度の試合数を中継して欲しかったらオリックスがCMスポンサーになって番組枠を買い取るしかないし、関西マスコミのトラウマを考えたらそれさえも断られるかもしれんな


つまり、ぜんぜんアカンってことやん


阪神には今みたいな人気球団になるだけの歴史の積み重ねがあるように、オリックスというか在阪パ・リーグのチームにはマスコミに相手にされづらい歴史の積み重ねがあるねん。それを在阪マスコミのせいだけにしても何にも始まらん


でもそう考えたら余計サンテレビはすごいな。結局、ずっと変わってないんはサンテレビだけやん


阪神球団もそれをわかってるから、こんだけ人気球団になってもサンテレビにだけは格安で放送権売ってるし、ホンマにサンテレビは大リスペクトやで


な?僕が言いたいこともわかるやろ?せやからサンテレビで見たいねん。サンテレビが一番中継とか実況が上手いとかだけやない。サンテレビが大好きやから、サンテレビに感謝の意味も込めてサンテレビで見たいんや


その結果、思いついたんが違法視聴か。こら久しぶりに、これは教育やなぁ。おーん
原点回帰ではないけど、わりと初期の頃の「さかい親子」に立ち返る気持ちで書いたので、近作の妙にキャラが立ってきた父と子のキャラを一旦後退させられたのではないかと思います。
ま、これもなかなかアップ出来なかったんですよ。途中が上手く書けなくて。んなことをしてる間にオリックスが優勝したりして、また書き直したりしてる間にえらい時間が経ってしまいました。
ま、本当はもっとデータ寄りのエントリとしてもやりたいのですがね。ちょっと時間がかかるので今回はこんな感じでご勘弁を。




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