アタシが「自分はロリコンではないか」と疑うきっかけとなった漫画家、それは吾妻ひでおです。
吾妻ひでおにかんしてはココに「吾妻ひでおの人生を」「SF的観点から見た」エントリを置いていますが、今回のエントリの主題はロリコンなので、もちろん吾妻ひでおとロリコンというテーマで書きたい。
その前に、何故アタシが吾妻ひでおにハマったのか、そのきっかけを書いていきます。
アタシが初めて吾妻ひでおの名前を知ったのは中学3年生の時、「少年チャンピオン」に連載されていた(ってこの頃にはとっくに連載は終わってたけど)「ふたりと5人」、ではなく、とある同人誌でした。
っても当時吾妻ひでおが精力的に活動していたロリコン雑誌ではなくね、今でも忘れない1983年の8月15日、神戸在住のアタシは人生初の新幹線で、人生初の東京にやって来たのです。
目的は藤子不二雄公式ファンクラブ「ユートピア」が主催した藤子不二雄アニメ鑑賞会に参加するため。ここで生まれて初めてモノクロ版の「パーマン」「怪物くん」「ウメ星デンカ」を見たんです。
問題はその後。会場には今まで発刊した会報誌のバックナンバーが置いてあり、せっかく東京まで来たのだから、と一冊買い求めた。何冊かあるうち何でこの号にしたのかはまったく憶えてないけど。
とにかくね、その会報誌っつーか同人誌の中に何故か吾妻ひでおにかんするコラムが載っていたんですよ。藤子不二雄のファンクラブ会報誌なのに。
しかしこれはまったく理解出来ないことはない。
たしかに吾妻ひでおファンと藤子不二雄ファンには親和性みたいなものがあり、両者のフィールドはまったく違っているにもかかわらず、SFを徹底的に自己消化した作風、という意味において吾妻ひでおと藤子不二雄(とくに後の藤子・F・不二雄)には共通点めいたものを見い出すことは可能です。
最初に読んだ吾妻ひでお作品が何だったかは忘れた。「ふたりと5人」でなかったのはたしかだけど、マジで記憶がない。
とにかく強烈だったのはSF的な作風でもギャグでも不条理(では実際ないんだけど)でもなく、エロ、でした。
何しろ中学3年生ですよ。エロを嫌がるなんてあり得ない。だから、少なくともアタシは、吾妻ひでおへの「とっつき」はエロだった。
今では、いや当時からか、吾妻ひでおのロリコン文化の形成への貢献はきわめて高いとされています。
念の為Wikipediaから引用しておけば
また1979年から沖由佳雄、蛭児神建らとともに日本初のロリコン同人誌『シベール(無気力プロ)をコミックマーケットで販売。1980年からは川本耕次の依頼で自販機本『少女アリス(アリス出版)に「純文学シリーズ」と題してロリコン漫画を発表する。これを嚆矢として、コミックマーケットではロリコン同人誌が大人気となる。当時、メジャー誌出身の漫画家が同人誌やエロ本に描くことはきわめて異例であった。メジャー誌出身の漫画家がポルノ誌に進出したことは周囲に衝撃を与え、吾妻は商業誌・同人誌ともに1980年代のロリコンブームの立役者とみなされている。
ま、そうには違いないんだろうけど、アタシ的にはあくまで「ロリコンにウケる絵柄をストロングポイントにしただけで、吾妻ひでお自身はさして幼女には興味がなかったのではないか」と見ています。
おそらく「ミャアちゃん官能写真集」(もちろん<写真集>ではなくイラスト集)あたりのイメージも強いと思うんだけど、実際、この頃が「売れっ子漫画家」としての全盛期であり、かなり儲けを優先させたところがあったと思う。
またロリコン雑誌は「幼女のハダカ」さえ出しておけば内容が自由なところがあったので(この辺はポルノ映画と一緒)、SFを漫画内で表現する手段にもしていたはずです。
だいたい吾妻ひでおは普通に結婚しているし、1980年代前半というと長女がまさしく幼女と言える年齢だったわけで、タイミング的にはむしろロリコン文化に嫌悪感を示しても良いくらいなんです。
さらに言えば、アタシは吾妻ひでおからロリコンっぽさを感じたことは一度もない。
アイドル時代の堀ちえみが好きだとか、ロリコンというには年齢が高すぎる女性については度々言及しているけど、幼女を性的な目で見ている感じは一切なかった。
つまり吾妻ひでおのロリコン推しはあくまで「商売上のキャラクター」というか、ま、小倉優子のこりん星と同じなんじゃないかと。
あんまり回りくどく書いてもアレなのでぶっちゃけて書きますが、何しろアタシが吾妻ひでおを認識したのは中学3年生の時です。当然、エロさもエロし、の吾妻ひでおの漫画をマスターベーションの<おかず>にしてきた。
その吾妻ひでおは「ロリコン漫画家」だと言われていた。ロリコン漫画家の描く漫画でマスターベーションをする、ということは、自分もロリコンということではないか、と疑ったのです。
しかし、先ほども書いたように、実は吾妻ひでおの描く女性にはたいしてロリコンぽさはない。それこそ「やけくそ天使」のようにあきからに大人の「淫乱」の女性とかをあっけらかんとした作風で描くような人なので、ロリコン漫画に不可欠のはずの「おいた」感がまったくない。
というかね、ペドフィリアを連想させるような「おいた」な感じなロリコン漫画って当時も今もほとんどないんです。いやそりゃあるところにはあるんだろうけど、アタシは知らない。
そもそもロリコンと言いながら<挿入>行為をしたり、胸があるどころか奇乳レベルの女の子のどこがロリコンなのかと。
現在の「萌え系」コンテンツの絵は、人物の基本的な描き方が決まっているんです。(中略)原作小説やアニメ版「ハルヒ」(筆者注「涼宮ハルヒの憂鬱」)のキャラクターの絵は、まさにその最新モデル(筆者注・2000年代当時)ですね。でも、普通に考えると、高校生の女の子で、ここまで目が大きくて童顔な人はいません。思春期の身体の上に3~4歳の未就学児の顔を乗せているんですね。(安藤健二著「封印作品の憂鬱」から更科修一郎の発言より)
この発言を見れば、吾妻ひでおから綿々と連なってきたロリコンタッチの<仕組み>が一目瞭然です。
吾妻ひでおはまだ遠慮して胸も小さめに描いてたけど、萌え文化が成熟するにしたがってそんな遠慮もなくなってきた。結果、顔は果てしなく幼く、身体は成熟し切ってる、という、ぜんぜん知らない人から見たらイビツにしか見えないものになったのです。
萌えキャラクターを使った同人漫画を見ればよくわかりますが、結局は、最後は<挿入>にまで至っている。もちろん登場人物の年齢関係なく「おいた」なムードは微塵もない。
ということは、これも、またしても「大人の女性」の<代替>でしかない、ということになる。
そうなんです。いくらロリコンブームから萌えブームまで検証しても、そのほとんどはただの代替でしかなかった。
本当は大人の女性の肉体を征したい、でも大人の女性はコワい。馬鹿にされるんじゃないか。抵抗されたらどうしよう。しかし幼女であれば最悪力づくでも「何とかなる」んじゃないかと。
つまりロリコンにしろ萌えにしろ、軒並み童顔すぎるほど童顔なのは、抵抗してこない、馬鹿にしてこない「アイコン」なのです。また、あくまで設定上の話とは言え「処女である」ことも、馬鹿にしてこない、抵抗してこない証の設定です。
とにかくこうしたアイコンがあれば安心して女性というかキャラクターにたいして性欲を向けられる、という。
だからもう、結局戻っちゃうんだけど、いや同一視はよくないとわかっていながら、宮崎勤との共通点を感じてしまう。
もちろん実際に性犯罪をやるとやらないとでは大違いだし、そもそも宮崎勤の場合は性犯罪に留まらず殺害までしているわけで一緒くたにしていいわけがないんだけど、少なくとも「大人の女性が怖い」という根本はかなり似ていると言わざるを得ない。
大人の女性は怖いけど、性的対象は間違いなく大人の女性である。こういう人は100%ペドフィリアよりも数が多い、それも桁違いに多いと思うわけで、これはこれで非常に難しい問題です。
さらに言えば背徳感の問題もある。性というものは背徳感があれば、より欲情する、という人が多いのも事実であり、だから近親相姦物や「寝取られ」というジャンルも人気が根強いわけです。
もちろん背徳の中には、小学生や中学生と性行為をおこなう、というのも含まれるわけで、ロリコンでもなければ大人の女性への恐怖心もないけど、小学生や中学生への性的行為に強い関心を持つ、ということも十分にあり得るというか。
漫画界であれほど小学生や中学生への性的関心を向けたものが多いにもかかわらず、年齢的には小学生や中学生であるのにあきらかに性的アピールを施したビデオソフトを販売していた、いわゆる「ジュニアアイドル」が一向に盛り上がらなかったのは、彼らは何も本当の小学生や中学生に興味があるわけではないのです。
漫画というか<絵>が便利なのは、<顔>は幼女、<思考>も幼女、しかし身体は大人の女性、というイビツなことが可能なことで、これがジュニアアイドルなる生身の人間になると、全部が小学生、全部が中学生なわけで、そういうことじゃないんだよなぁ、って感じなんじゃないでしょうか。
そろそろ<まとめ>に入りますが、本当の意味でロリコンがいるのかというと、Page1でも書いたようにマイノリティとしてはいるとは思う。
一方、一般にロリコン扱いされている人の大半は「大人の女性が怖い」であったり「背徳感を求めている」だったり理由は様々とはいえ、あくまで<代替>として中学生以下の女性を性的対象としているだけの人です。
ただ、本物のロリコンと決定的に違うのは、あくまで<本命>は大人の女性だというところです。こういう人をロリコンということにしていいのか、やはり、アタシはためらいをおぼえる。いくらなんでも<ざっくり>しすぎじゃないかと。
まァね、別に大人の女性なんて怖かないよ、と言うのは簡単だけど、それこそ吾妻ひでおの漫画でマスターベーションをしていた頃の自分にそれを言って理解出来るか、というと、そんなの無理に決まってる。
だから短期間はロリコンや萌えといった<代替>に逃げるのはアリだとは思うんです。そりゃしかたないわ。
ただしハタチを越えてそれってのは、さすがに、そろそろ何とかしなきゃマズいな、とも思う。言いたかないけど「十万人の宮崎勤」のひとりになってもしょうがないでしょうが。ねぇ。
もちろんね、ま、最低限の検索くらいはしながらいろいろ書いていったのですが、内山亜紀とか吾妻ひでおは画像検索すれば当時の漫画の一部分はいくらでも引っかかる。 ところが「清岡純子 プチ・トマト」は当時の画像がほとんど出てこないのです。 ま、表紙はギリギリ引っかかるけど、中身の写真はスキャンしたものどころか、背景込みで本をカメラで撮影したものさえ出てこない。モノが希少すぎる場合はともかく、普通は少々ヤバめなヤツでもメルカリやヤフオク用に撮影した「背景込み画像」は出てくるんだけどね。 ま、つまり、こういうことです。現今、これほどまでに「幼女・少女のヌード写真」は世界的に「なかったこと」にされている。もしかしたらスナッフ物よりもないことにされているのかもしれないなと。 だからといって「解禁しろ!」とは死んでも思わない。それとこれとは別です。こんなの出回らないに越したことはない。 しかしそれこそ、それとこれとは別で、あくまで過去の功績として、内山亜紀や吾妻ひでお、そして何より清岡純子の功績はちゃんとさせるべきじゃないかと思ったり。もちろん<中身>は一切表に出さないやり方で。 |
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