吾妻ひでおは存在そのものがSFだった
FirstUPDATE2018.3.8
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他の調べ物をしてた時に偶然吾妻ひでおを研究されている方のサイトに辿りついてね。

この方は作品リストだけでなく、連載作品においてもほぼ各話詳細な解説まで書いておられて、実に読み甲斐がありました。
んで、あらためて吾妻ひでおについて思ったんだけど、「読んだことがあるかないかでいえば相当読んでいる、けど内容はほとんど忘れてしまってる」ってのがわかった、みたいな。
吾妻ひでおはアタシの高校時代を彩ったかなり重要な漫画家なのですが、先ほども書いたように内容にかんしての記憶がほぼなく、しかも大学に入って以降完全に離れたので、何かしらの論評めいたものが書けずにいます。
ま、まったく書いたことがないわけじゃないけど。

かつてアタシは吾妻ひでおはSF漫画家でもロリコン漫画家でもなく「倒錯」漫画家だと書きました。
この人の作風は「不条理」という言葉で語られることが多いのですが、それは「不条理日記」という代表作があるからだけの話で、不条理とは違うと思うんですね。つか、むしろ条理的というか、よくよく読むとかなり理にかなった展開になってることが多いんです。
それこそ藤子不二雄Aはアドリブで物語を作っていったらしいけど、ま、どう考えてもアドリブで作った方が不条理な展開になりやすい。
けど、吾妻ひでおの場合、どうも、どれもオチから逆算して描いているような気がするんですよ。事実はまったく知らないけど。

ま、それはいいんです。
それより上記の吾妻ひでおファンのサイトを読んでてね、正直「あれ?」と思った。
各作品、各話がいつ描かれたのかのデータも付随してあるのですが、どれもこれも、アタシの「たぶんこの時代に描かれたんじゃないか」と想像する年と見事にズレているのです。
具体的には5年ほどズレてる。さらに正確に書けば想像より5年早く描かれている、というか。

感覚的なものでしかないんだけど、初期の代表作である「ふたりと5人」なんか何となく1970年代後半から連載スタートしたイメージだったんだけど、実は1972年からだとか、「チョコレート・デリンジャー」とか「魔ジョニアいぶ」とかはてっきり1980年代後半から90年代にかけて描かれたと思っていたんだけど、本当は1980年代前半、といった具合に、見事に5年ほどズレているんです。

アタシは1968年生まれですから、1970年代とか1980年代の空気は当然憶えているわけですが、当時の空気と吾妻ひでおの作品というか作風を照らし合わせて、作風がこんな感じなんだから当然この時代に描かれたものっしょ、みたいに決めつけてしまっていた。
これは吾妻ひでおって人が時代の先を、具体的には5年は先を行ってたってことに他ならないんじゃないでしょうか。
つかこの「時代の先取り感」はすごい。つかもうこれは、ある意味科学的なことを超えてるわけで、実は吾妻ひでお本人こそ誰よりもSF的存在だった、と。

1980年代末に入ってからの吾妻ひでおは何度も失踪を繰り返し、挙句重度のアルコール中毒になってしまったのは今では有名ですが、実はこれも「時代」と関係があるのかもしれない。
昭和期までの日本は如何にも未成熟な時代で、今の視点ならダサいってことになるんだけど、逆に言えば新しいモノがどんどん生み出された時代でもありました。

ところが平成に入ったくらいから、突然急ブレーキがかかったかのように、新しいモノを生み出す力が急激に衰えた。それでも1990年代までは1980年代までの遺産で、まだ何とかそれなりに新しいモノを生み出せていたけど、2000年代に入ったら本当に何にも生み出せなくなってしまった。
そして、いよいよどん詰まり、逆立ちしようが何も出ないよ、となった2005年以降になって吾妻ひでおが復活の兆しを見せ始めたってのは、これはもう偶然ではないんじゃないかと。

最初の失踪をした1989年、つまり平成になった頃になって、吾妻ひでおは先読みが出来なくなったみたいな感覚に襲われたんじゃないか。
そしてそれが失踪(=漫画家としてのドロップアウト)の遠因ではないかと邪推してしまうのです。

実際は吾妻ひでおの先読み能力が突然衰えたわけではなく、本当に何も生み出せない時代になっただけだった。本当は見えていたんだけど、あまりにも何も見えないから己の能力が衰えたみたいに感じたんではないかと、ね。
もちろん、鬱屈を抱えだしたのは1980年代なかばらしいし、大局的に見れば「ロリコンブームに心底うんざりして」って可能性の方が高いと思う。
それでも、センシティブな吾妻ひでおにとって、時代がわからなくなったのは閉塞感が強くなる原因だった、くらいは言えると思うんです。

ただ、もうこれはしょうがないんだけど、加齢や長期に渡って実質廃業状態だったこともあって、復帰後はだいぶ絵が劣化してしまった。得意の女の子を描いても、どうも、硬い。手塚治虫が言うところの今にもメタモルフォーゼしそうな、まるで軟体動物のようなフォルムからは程遠くなってしまいました。

あの徹底的に丸っこいタッチこそ吾妻ひでおって人のすべてで、肉感的でどうにでも変形しそうなあのタッチがあったからこそ、吾妻ひでお作品はSFであり、エロであり、そしてギャグであることが出来たんだとつくづく思う。
SFとかエロとかは本能的なところに訴えかけないと成立しないジャンルなので、ということは吾妻ひでおの作風はあくまであのタッチとセットだった、ということになるっつーか。

だからこそ心から思う。本来なら漫画家として一番脂が乗り切った年齢の1990年代にほとんど作品を発表出来なかったのは痛すぎる。
加齢はしょうがないとしても、ずっと永続的に描いてたら、もうちょっとだけでも丸っこくて柔らかいタッチを維持出来たんじゃないかと思うから。
つか吾妻ひでおは文句なしの天才だけど、一部のマニアだけが熱狂的に支持する程度のタマじゃない。本当はもっともっと、さらにマニアック且つ大衆性をも身につけた作品が描けるだけの才能を有した人だったと思う。

ま、創造性とメンタルの強い弱いは別だし、もし編集者から「SFチックな、でもそのSF要素を誰にでもわかる形で描いてください」なんて要望があっても、この人のメンタルを考えたらそれも途中で放り投げそうではあるんだけど。
もちろん影響ってことだけを言えば、こんな作り手側にも受取手側にも影響を与えた人はいない。この人がいなければ今の萌え文化があったのかどうかすら定かではないとは、思う。
でも残念ながら、逝去されたからといって突然神格化されるわけでもなく、相変わらず「かつての」マニアのための人であって、間違っても「今の」マニア相手には君臨どころかその存在すらほとんど知られていないですからね。

別に本人は君臨なんかしたかなかっただろうけど、それでも本当はそれくらいの<才人>だってことはもっと周知されてもいいんじゃないかねぇ。

ま、にしてもさ、やっぱ、吾妻ひでおは「もったいない」と思ってしまう。嫌々描いていたっていう実質デビュー作の「ふたりと5人」が嫌々さを微塵も感じさせず、他の作品同様、実に「あっけらかん」としているなんざ、むしろ相当手練っぽいんですよ。
ま、何にしろ、アレです。合掌。
↑ここまでは、2023年3月まで本サイトの「無縁仏」というカテゴリにアップしていた時のPostScriptですが、いろいろサイトの構成が変わったので現在はこのようにScribbleに置いてます。
ま、本サイトに置くタイミングで若干「盛った」のでScribbleというほど走り書き感はないけど、まァいいでしょ。




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