1/2
複眼単眼・ロリコン
FirstUPDATE2021.12.28
@Classic #複眼単眼 #性 #アニメ・漫画 #藤子不二雄 #1980年代 #事件 吾妻ひでお 全2ページ 宮崎勤 ロリコン ペドフェリア 倒錯 内山亜紀 おいた スタンリー・キューブリック ロリータ 清岡純子 プチトマト 涼宮ハルヒの憂鬱 背徳感 ジュニアアイドル

 人間というのは絶対に、モラルや<学>では自分自身をコントロール出来ないことがあります。
 アタシはね、その最たるものが<性癖>ではないかと思うわけで。

 アタシが思う、二大苦行性癖は「ペドフィリア」と「カニバリズム」です。
 ペドフィリアがどれほど一般的な言葉かわからないので説明しておけば、ま、ロリコンってことになると思う。厳密には違うんだけど、ざっくりとなると説明としては十分です。
 もうひとつのカニバリズムは、いわゆる<人食>で、実際問題、これが性癖の範疇に含まれるのかは微妙なところなんですが、それでも性癖として人食に異様な興味を持つ人もいるのはいるわけで。
 何故このふたつが苦行なのかの説明は不要でしょう。単純に「叶えられた」瞬間に即犯罪になるからで、アタシはね、さすがにカニバリズムはともかく、正直ペドフィリアの人に同情しているのです。
 何も望んでこんな性癖になったわけではないはずなのに、マスターベーション以外の性欲の解消は許されず、ほんの少しでも性癖が露呈するだけでも犯罪者扱いになってしまう。いやマスターベーションでさえ、その手の実写画像を所有していることは許されないことなので、結局はスレスレの<絵>を使うしかない。
 当然、中には<絵>には何の欲情もしない性癖もあるはずで、であればマジで八方塞がりもいいところです。

 もちろん、幼女を性行為に使うことは許されることではありません。そんなことは当たり前だし、ましてやレイプ紛いなどもってのほかです。
 ただ、どうも、他の犯罪とは毛色が違う気がしてしかたがない。
 何故なら「そんな<性癖>なのはテメエの責任だろ」とは言い難いからで、しつこいですが<性癖>というのは自分で決められることとは思えないし、後天的ではなく、かなり先天的なものだと思うから。
 ただこれも難しい問題でして、例えば宮崎勤事件などは「結果として幼女を襲った」だけであり、その実態は宮崎勤自身は別にペドフィリアではなく「大人の女性を襲えないから<代替>として力の弱い幼女を襲った」のです。

 事件当時は「宮崎勤=ロリコン」というのは決定事項のように言われていましたが、そうじゃなかった。ま、今でも誤解している人がいると思うけどさ。
 もし誤解されていたとするなら、これはむしろ「良い誤解」です。性善説とまでは言わないけど、そういう性癖だから性欲解消のために<仕方なく>幼女をターゲットにした、というのと、ただの代替、ではまるで違う。もちろん後者の方がはるかにタチが悪いわけで。

 というわけで、このエントリのテーマは「ロリコン」です。
 ここまで読んでいただいてね、「そもそもそんなこと議論の余地もなくね?まるでロリコンはしょうがないって言ってるみたいじゃん」というような違和感を感じている方もおられるでしょう。
 それはわかっています。しかしそれがわかった上でね、ロリコンについて考えるのは悪いことではないはずです。もちろんどのみち、どんな過程を経ようが「絶対にいけないこと」って結論になるのはわかってる。だから幼女への性犯罪の是非を問うものではありません。
 もちろんテーマそのものが気持ち悪いという方はお読みにならなくて結構です。しかしなるべくマジメに書いていく予定でいますし、あくまで「幼女への性犯罪=絶対に悪い」という姿勢は崩しません。それを承知でお読みいただければと思うわけで。

 ロリータ=幼女、となったのはそう古いことではありません。
 スタンリー・キューブリックによる「ロリータ」が日本で封切られたのが1962年ですが、この映画(および原作)でロリータというのは主人公の少女の名前(ミドルネーム?)であり、つまり幼女を英語で言うとロリータなのか、というと違うわけです。
 しかも現今「ロリータ」と言って想像する幼女とはあきらかに年齢が違う。原作では12歳前後、映画で<ロリータ>を演じたスー・リオンは撮影当時15歳だったらしく、どう考えても<幼女>という範疇から逸脱しています。

 つまりペドフィリアではなく「エフェボフィリア」に近く、これは「結果として<たまたま>ロリータという言葉だけが流用された」ということになるはずです。

 実体としてのロリータ=幼女、が表舞台に現れたのは1970年代後半からです。
 アタシが中学生くらいまで、年代で言えば1980年代前半まで、小学生以下の幼女のヌード写真集がごく普通に販売されていました。
 とくによく見られたのが清岡純子による一連の写真集(「プチ・トマト」シリーズ)ですが、アタシはまだ、これは序章に過ぎないと思う。
 というのも当時は大人のフルヌード、いわゆるヘアヌード写真が解禁されておらず、その<代替>の意味合いが強かったのではないかと思われるからです。
 少女であれば、何故か、股間の<割れ目>まで写すことが許されたし、CMでさえ小学生くらいの女の子がお風呂に入っているもの(もちろん乳首も映っている)があったくらいです。
 「ドラえもん」においてしずちゃんの裸がやたら出てきますが、当時の風潮を考えるならむしろ「大人のハダカよりは子供のハダカの方がまだ健全」と考えられていたフシがあり、変な表現ですが「<本命>はあくまで大人のハダカだが、それが許されないので<代替>として子供のハダカを扱った」というニュアンスが濃厚だったと。

 大人のハダカは許されないけど子供のハダカは許される、というのは今とは真逆なので当時を知らない人には信じられないかもしれませんが、とにかく話を続けます。
 いや、実際、単純にハダカだけの問題ではない。
 個人的に一番強烈だったのが内山亜紀による「あんどろトリオ」です。
 これの何がすごいと言っても、当時隆盛をきわめていたロリコン雑誌ではなく、いわゆる一般漫画雑誌(週刊少年チャンピオン)に連載されたところで、少しWikipediaから引用しておきます。

表向きはSF・ファンタジー漫画の体裁を取っていたが、その実態はヒロインの10歳の少女・つかさをはじめとする少女・幼女が、毎回下着や裸体を晒したりオムツプレイを中心とした変態行為を受けるという、当時内山が成人漫画誌で描いていたロリコン漫画作品とほとんど変わらない内容である。ただし性器描写は無く、つかさや他の少女キャラの股間には「LOVE」の文字が描かれる処理が行われている。



 いくら性器描写や性行為描写がないとは言え、こんなものがごく普通の書店で堂々と売られていたわけですよ。
 しかしこの当時の感覚としてはこれでもかなりソフトな内容で、性器も性行為もないんじゃな、くらいだったと思う。
 もう少しだけWikipediaから引用を続ければ

なお内山は同時期に、『レモンピープルにてセルフパロディ作品「あんころトリオ」を連載していた。こちらは明確に性描写が行われている。


 アタシはね、ここに大きなヒントがある気がするんです。
 たしかに、先ほど書いたように、1980年代に入ったくらいからロリコンはブームと言っていいレベルになりました。そしてロリコン専門の漫画雑誌も多数創刊されています。
 ただしね、あくまで個人的にはですが、ロリコン専門誌で<挿入>を描写する作品がある時点で、これも<代替>ではなかったか、と思われるのです。
 ロリコン漫画雑誌が創刊されるかなり前からエロ漫画雑誌は存在していました。
 ただしこれらの雑誌に掲載されたのはリアルなもので、絵のタッチは劇画調だし、対象となる女性も、どちらかというと「熟れた大人の女性」が多かった。
 つまり「軽いタッチで若い女性を描いた」、これまた当時の流行だったラブコメ風タッチのエロ漫画はなかったんです。
 アタシはその<隙>をロリコン漫画雑誌が埋めたと考えている。
 この当時、軽いタッチでエロを描くというのは、少年誌にも掲載出来るような性行為とは無関係のエロか、それとも性行為をともなうロリコン雑誌かしかなかったんです。
 ということはやはり、これも<代替>と言えるんじゃないかと。

 それでもね、こうした一連の流れで、もしかしたら自分の性癖は<ロリコン>ではないか、と目覚める人がいなかったとは言わない。
 大多数の人にとっては<代替>かもしれないけど、自分は違う、むしろ大人の女性や大人に近い年齢の若い女性には何の欲情もしない。そうしたことを自覚するきっかけになったってことはあったと思う。
 現今においても、いくら過去に遡ったところで、ロリコンというのはマイナーな性癖です。そもそも性欲というのは「子孫を残していくために=種族を絶滅させないため」のものなんだから、子孫繁栄とは関係ない性癖は良い悪いは一切関係なく、いつの時代もマイノリティです。それは多様性を認めるか否かとは何の関係もない話です。
 正直、細かいところは別として、あきらかに<ノーマル寄り>だと自認しているアタシからすれば「子孫繁栄とは関係ない性癖」を持つ人の気持ちを本当に理解出来るかというと、やっぱり出来ないと思う。理解してあげたい、という気持ちは強いけど、結局はアタマでわかってるだけに過ぎないと自覚している。

 ただし、一度だけ、自分はロリコンではないか、と疑った時期があります。まさしくロリコンブームの真っ只中の1980年代前半、ちょうどアタシが中学生の頃の話です。
 もちろんロリコンブームが関係あるかないかで言えば関係あるのですが、もしかして、と思ったきっかけは先の内山亜紀ではない。いや正直、内山亜紀の漫画はロリコン漫画にしては劇画調だったこともあってあんまり受け付けなかったし。
 ではアタシが自分を疑うきっかけとなったのは、Page2に続く。