ま、基本的には電子機器の話なのですが、その前にちょっとだけ黒澤明のことを書きたいと思います。
黒澤明は途中まで、ほとんどの映画が総天然色、つまりカラー映画になってもモノクロにこだわったというのは有名です。
このことにかんしてはココに詳しく書いたので割愛しますが、しかし黒澤明が「必ずしもカラーの方が優れているわけではない」と考えていたのは注目に値します。
モノクロ映画にはモノクロ映画のメリットがある、と考えたのは黒澤明だけではない。たとえば1998年に公開された「SF サムライフィクション」という映画はモノクロで撮られています。
何のことかアタシはこの映画の共同記者会見に参加している。だからちょっとだけ思い入れもあるのです。
監督はミュージックビデオ出身の中野裕之ですが、何故カラーではないのか、という質問に「時代劇をカラーで撮ると水戸黄門みたいになっちゃう」と冗談めかして答えていましたが、黒澤明が作り上げた「モノクロの時代劇=スタイリッシュ」というイメージを上手く借りたんだと思う。
モノクロも突きつめれば、カラーとはまったく違った独自の路線が出来る、その独自路線を作ったのは間違いなく黒澤明なわけで。
電子機器、というか黎明期のパソコンや黎明期の液晶ディスプレイの「とりあえずの目標」はカラー化でした。逆に言えば、黎明期のパソコンや液晶ディスプレイはモノクロしか表現出来なかった。今回はパソコンにかんしてはオミットしますが、各社、液晶のカラー化にかんしては我先にと開発を競っていたのです。
アタシが初めてカラー液晶を見たのは1980年代前半のエレクトロニクスショーだったと思う。
この頃はすでにモノクロ液晶は実用段階を超えていて、とくに電卓では当たり前のように採用されていました。
しかし進化のスピードは遅かった。液晶はその方式上、どうしてもカラー化と大画面化が難しく、電卓と腕時計以外にはなかなか用途が広がらなかった。
液晶にかんして業界をリードする立場だったシャープは液晶の生産管理が悩みだった。歩留まりの問題もあり、どうしても供給不足か、逆に在庫過多になってしまいやすい。
そこに目をつけたのが任天堂、というか横井軍平です。つまり、シャープの液晶を使ってゲームが作れないか、と。もちろんこれが「ゲーム&ウォッチ」になるわけです。
横井軍平と言えば「枯れた技術の水平思考」という言葉で知られますが、すでにモノクロ液晶ならば十分成熟した技術である、だから安価なゲーム機が作れるのではないか、と考えたのはまことに慧眼だったと思うのです。
ゲーム&ウォッチの登場を機に、もう、どれだけあるんだ、というほどのメーカーが参入して電子ゲーム市場はにわかに活況になった。
しかし、それでも液晶の、というか電子ゲームのカラー化はなかなか叶わなかった。
電子ゲームでもカラー表示のものはありましたがすべてFL管か豆球を使ったものでした。
おそらく初の液晶カラー表示電子ゲームは任天堂のパノラマスクリーンで、発売は1983年。1983年と言えばファミリーコンピュータ、つまりファミコンが発売された年であり、さすがに遅すぎた。しかも価格も高く、パノラマスクリーン2台でファミコンが買えるのだから売れるはずもありませんでした。
つまりカラー液晶=価格が高く低品質、というのが一般的で、パノラマスクリーンでカラーに挑戦した任天堂も懲りたのか、カセット交換式携帯ゲーム機「ゲームボーイ」では、やはり、現在の技術ではモノクロが最適解だった、と言わんばかりにモノクロ液晶を採用しました。
これ、今ではまるで任天堂の英断、みたいに語られることが多いけど、当時の、つまりリアルタイムでの感想を言うなら「今更モノクロかよ」という意見の方が圧倒的に強かった。
任天堂としてもカラー液晶の品質からくる見やすさと電池の保ちと価格を考えての決断だったはずで、トレードオフなんだからしかたがない、くらいの話だったはずです。
実際、アタシはゲームボーイにはあまり興味がなかった。唯一、これはモノクロでも関係ないな、と思えたのがアーケードゲームからしてモノクロだったスペースインベーダーの移植だけで、しかしインベーダーのためだけにゲームボーイを買おうとは思わなかったんです。
今現在、任天堂の英断とまで言われるのは、カラー液晶を採用した、他社が発売した携帯ゲーム機の画面があまりにも低品質で、しかもゲームボーイに比べたら圧倒的に電池が保たない。もちろん価格もゲームボーイよりぜんぜん高い、つまり他社が任天堂の判断が正解だったと証明してくれたからでしょう。(ゲームボーイの開発にもかかわっていた横井軍平は「ライバルがカラーで出たらウチの勝ち」と読み切っていたのはさすがです)
つまり任天堂の株を上げたのはセガやアタリであり、何だか「バーチャファイターのヒットで3Dゲームの価値を上げ、結果3Dに強いプレステの価値を上げてしまったセガ」みたいですな。というかセガってわりとこういうことがあるんですよね。
ま、それはともかく、結果としてはゲームボーイの存在は「何でもかんでもカラーにすればいいってもんじゃない」という当たり前のことがはっきりした。ましてや技術の問題がある電子機器の場合、カラーがダメということではなく、カラーにすべきタイミングがあることがはっきりしたと思う。
1990年なかば頃にはモノクロ液晶はものすごい勢いで高品質化&低消費電力化&低価格化が進んでいました。
そして1996年、モノクロ液晶を使ったふたつの特大ヒットゲーム機が誕生します。
いずれもキーチェーンゲームと呼ばれるマッチ箱大の超小型ゲームで、ひとつは「みに・テトリン」、もうひとつは「たまごっち」です。
みに・テトリン→テトリン55にかんしてはココに書いたので割愛しますが、たまごっちのブームはマジで爆発的だった。
「ゲーム&ウォッチ」の開発者である横井軍平はたまごっちを見て悔しがったと言います。たまごっちはまさに「枯れた技術の水平思考」 と似た発想で作られたものだったから。
何の偶然か、この1996年、横井軍平は任天堂を退職した。そして「コト」という会社を立ち上げて、何とたまごっちのバンダイと組んで新型ゲーム機を企画するのです。
ただし横井軍平本人は翌1997年に交通事故で夭折していますが、横井軍平の意思を受け継いだスタッフたちによって新型ゲーム機は完成にまでこぎつけた。これが「ワンダースワン」です。
今の目で見ると、ワンダースワンほど「もったいない」と思えるゲーム機はない。
発展の仕方次第では、というかもし横井軍平が生きていればあんな感じにならなかったのではないか、と思わされるんです。
ワンダースワン最大の失敗は「安易にカラー化したハードをわずか一年後に発売してしまった」ことにあると考えます。
ワンダースワンの発売は1999年、ゲームボーイカラーの発売は1998年です。つまり「カラー化の機は熟していた」とも言えるのですが、それだと結局任天堂の後追いになるだけで、ゲームソフト開発、ゲーム機開発に一日の長がある任天堂に敵いっこないのです。
ワンダースワンはワンダースワン独自の路線で行くべきだったと今でも思う。スペックアップを重ねるのは当然として、しかしそれはカラー化などではなく、さらなる低価格化やさらなるバッテリーの保ちだったはずです。
もし価格を3,000円前後まで下げられて、バックライト化した上でバッテリーの保ちが単三電池一本で30時間余裕で保つレベルになれば、カセット交換可能な、テトリンやたまごっちに代わるやや大型のキーチェーンゲーム機、というポジションを担えたのです。
もしこの路線で行っておけば、任天堂のDSや3DS、ソニーのPSPなどともまったく違う携帯ゲーム機として存在感を示し、下手したら令和になった今も普通に売られていたのではないか、と思ってしまうのです。
仮に、機が熟していても、カラー化しちゃいけない商品がある、ワンダースワンはそれを教えてくれた気がするわけで。
しかし「安易なカラー化」はワンダースワンだけの話ではない。
アタシが「これはカラー化しない方が絶対に良かったのに」と思うのがPalmです。
PalmってのPDAで、PDAってのはモバイル機器で、という説明はメンドいのでココ参照。
Palmは「Zen(禅) of Palm」という哲学で開発されたOSで、シンプルで直感的、を売りにしていました。
PDAというのはパーソナルデジタルアシスタントの略ですが、まさに、まるで手帳にメモをする感覚で入力し、それを電子的に処理してアシスタント的役割を担える、ということを狙っていたわけで。
やや後発の、マイクロソフトのPDA規格「PalmsizePC」(→PocketPC→WindowsMobile)はPalmとのバッティングを避けたのかエンターテイメント寄りの仕様で、かなり早い時期からカラー表示をサポートしていました。
別にこれに触発されたわけでもないんだろうけど、Palmもカラー表示をサポートし出したわけですが、これも完全に失敗だったと思う。
Palmの「Zen of Palm」というコンセプトからしたらカラーなんて蛇足でしかなく、というか手帳の代替+電子的処理によるアシスタント、というPDAの概念からすればカラー表示なんか何の関係もない。
Palmの進むべき道はどう考えても「紙の手帳」に近づけることだったと思う。
具体的には高精細化やベゼルレスといった進化が最重要だったはずで、本当の意味での電子版手帳(昔、電子手帳なるものがあったからややこしいけど)を目指していれば、一見似た製品カテゴリに思えるスマホが登場してもビクともしてなかったんじゃないか。
もしカラー表示をサポートするにしてもフルカラーをサポートする必要はどこにもない。マーカー的に使えるように、せいぜい8色くらいで十分だった。
さらに将来的には電子版手帳ならぬタブレットサイズの電子版ノート、なんて展開も十分にあり得たと思うんです。
今、同じ轍を踏みそうなのが電子ペーパーです。
近年になって民生用カラー電子ペーパーブックが発売されたけど、その画質たるや有機ELはおろか液晶にさえ<はるかに>及んでいない。しかもあいも変わらず画面リフレッシュ時の白黒反転が解決出来ていない。
電子ペーパーもカラー化ではなく、まずはモノクロとしてどれだけ<紙>に近づけられるかが鍵のはずで、はっきり言えばカラー化なんて寄り道でしかない。そりゃ将来的にはカラー化もタイムスケジュールには入るんだろうけど、まずはモノクロとして完成させなきゃ。でないとイメージがどんどん悪くなるよ。つかもうなってるよ。
話を戻しますが、映画に限らず映像作品には必ず「カラーよりもモノクロで撮った方がいい」ものはある。いや映像作品どころか写真でさえ、そうです。
同じように、電子機器もモノクロの方が「使いやすい」製品群も絶対にある。そして「使いやすい」の中には「安価である」というのも含まれる。安価だから雑に使えるってのは間違いなくあるんだし、雑に使えるから使い勝手が上がるってのもあるんだから。
いやそれよりもさ、今からでもいいからワンダースワンをリブートしてくれないかな。かえすがえすも、あんな良い素体は滅多にないよ。出来れば何本か内蔵ソフト込みで2,000円くらいでコンビニで売れば売れそうなんだけどなぁ。
「テトリンの遠慮なさ」ってエントリでも書いたのですが、せいぜい2,000円以内で、ふらっと買えるようなスタンドアロンのゲーム機って絶対に需要があると思うんですよ。例えば旅先で買ったとするなら、荷物になるのなら帰りに捨てて帰っても良い、くらいの感覚で買えるヤツ、というか。 んなもん、スマホがあるじゃん、と言われるかもしれないけど、実はあんまりバッティングしないと思うわけでね。上手く言えないけどラインが違うというか、<ソフトウェア>というよりは<モノ>としての価値があるというか。 うーん、やっぱ、説明が難しいや。誰か考えといて。んでプレゼンしてきてよ。 |
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