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クロサワを観ずに死ねるか!
FirstUPDATE2021.6.13
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 はっきりいって、黒澤明ほど語りづらい題材はありません。
 いや、一般には、どちらかといわれれば、じゃないな、むしろ黒澤明は語りやすい題材なのですよ。

 誰が言ったか忘れましたが、ジャンル問わず、語られることによって後世に残っていくタイプと語られるのをはばかられるタイプに分かれる、という言葉はよく憶えている。
 何故そのような<感覚>におそわれるかはわからない。しかし、漫画家で言えば手塚治虫は語りやすいタイプであり、藤子不二雄(F・A問わず)は語りづらいタイプ。それは論評の刊行数を見れば一目瞭然です。
 藤子不二雄は作品の深読み系やファンブック系を除けば、まともな論評は米澤嘉博の「藤子不二雄論」くらいしかない。しかして手塚治虫はというと、もうどれだけあるのかわからないレベルであるわけでね。

 映画監督で「語りづらい」代表は何と言っても小津安二郎でしょう。
 と書けば「何言ってんだ。小津安二郎を扱った書籍などいくらでもあるだろ」と返されるかもしれない。
 しかし、アタシもいろいろ小津安二郎にかんする書物を読んだけど、ほぼ<深読み系>か<盲目的絶賛系>の、いわばファンブックと謳っていないファンブックかのどちらかで、正直、論評と呼んで差し支えない書物は知らない。
 どういう経緯でそうなったか、何となくの想像は出来るんだけど、とにかく小津安二郎には「一切の批判も許さない、ご当人の人格まで含めて上げ奉る」狂信的ファンか、まったく、何の関心もない人か、どちらかしかいないんです。

 そう言えば、あれは2010年代の半ばくらいだったか。鎌倉で「小津安二郎の集い」みたいなのがあってね、もちろんご当人はとっくに故人だけど、まァ、ファンが集まるイベントみたいなのがあってアタシも参加したことがあります。
 アタシは間違っても小津安二郎の狂信的ファンじゃない。なのに何でこのイベントに参加したかというと、司葉子さんがゲストで来てくれるってんで、ならば、まァ行ってみようと。
 しかしこのイベントに参加したのは失敗だった。はっきり言えば終始イライラしていた、と言ってもいい。
 とにかく、イベントの司会者からして狂信的な小津フリークでね、それはもうしょうがないとしても、せっかく司葉子さんが小津映画に出た時の面白いエピソードを話そうとしてくれているのに、司会者が「どれほど小津先生のお人柄が素晴らしかったか」みたいなことばかり振るんです。

 あのなぁ、何なんだコレは、と。別に小津安二郎の人柄とかどうでもいいよ。それよりこっちは東宝所属の司葉子が何故松竹の小津映画に出ることになったかを「ご本人の口にから」聞きたかったんです。なのにそんなことは一切質問せず、作品の内容にかんすることすら質問せず、ひたすら「お人柄」のことだけ。そりゃあイライラしますよ。
 フシギなのは、小津安二郎本人に限らず、小津映画の常連だった原節子や笠智衆にまで「一切の批判許すまじ」という空気があることです。

 その一方、黒澤明関連本でそんな空気を感じさせるものはほとんどない。
 ファンブックっぽいものでさえ多少批判混じりなのも珍しくなく、ましてや「お人柄」を上げ奉ったものなんて読んだことがない。

 だからこそ、実は手塚治虫にしろ黒澤明にしろ、語りづらいのです。
 論評なんてものは多少批判的な視点がないと面白くなるわけがなく、しかしご両名の論評にはしっかり批判的な視点を持ちつつ書かれている。
 そうなるとね、たかがインターネットで、書くことなんて残ってないのですよ。
 もしこれが藤子不二雄や小津安二郎を「批判的視点から書く」ってのなら、逆にやりやすい。独自性を出しやすいからです。
 ところが黒澤明などになるともう「ぺんぺん草も生えない」レベルで語り尽くされているので、本当に書くことがないわけで。
 しかもアタシが得意とするところの「戦前モダニズム的観点」からってのも、すでにある。ここまでギュウギュウに手足を縛られた状態で黒澤明について何か書くなんて不可能に近いのです。

 それでもアタシは、ほんの小さな突破口を見つけた。
 先ほど書いたように、黒澤明は「語り継がれることで後世に残る」存在です。だから黒澤明作品については語り尽くされているんだけど、では現今、映画に限らず様々なフィクションにおいて、どれほど黒澤明の影響が感じられるか、となると、もうこれが皆無に近いのです。
 「世界のクロサワ」とまで言われた大監督であるにもかかわらず、黒澤明が目標です!なんて公言する新進気鋭の監督など、少なくともアタシは聞いたことがない。
 ま、海外ではいるのですが、それは後述します。

 これが小津安二郎なんかだと、古くは周防正行のように小津リスペクトの「ピンク映画」を撮った人までいるのに。
 なるほど、たとえば「踊る大捜査線」の映画第1作なんかは「天国と地獄」のオマージュが入っていますが、あれはむしろ<影響>というよりは公認の<引用>といったニュアンスに近いし。

 何故ここまで、黒澤明は目標にされないか、また濃厚に影響を受けたと思われる人がいないのか、それがもう不思議でならないのです。
 ただし、まったくわからないわけでもないんです。とくに黒澤明を目指す最大の<壁>は予算でしょう。
 黒澤明と言えばあり得ないレベルで美術に凝り、また撮影期間も恐ろしく長いことで有名です。
 「七人の侍」など約10ヶ月間の撮影期間を要したのは有名です。これは今の感覚でさえ長期間ですが、当時としては破格で、もともと大作扱いで企画がスタートしたにもかかわらず当初の撮影期間は90日でしたからね。当時はこれでも長い方ですが。
 また「用心棒」ではファーストカットである犬が手首を咥えるシーンをなかなか撮影せずに日数だけが過ぎていったり、なんてこともありました。
 美術(装置)や衣装も、自身が画家志望だったこともあってきわめてこだわりが強く、カメラに映すわけでもない場所なのに、何もここまでこだわらなくても、なんてエピソードも山のようにある。

 撮影期間の長さや美術・衣装の徹底といった<こだわり>は、もっともダイレクトに制作費が削られていく。だから「世界のクロサワ」だろうがなんだろうが、大ヒットしなければペイしない、というね、常にギリギリのところで映画を作っていたのです。
 こうした黒澤明のやり方はハイリスクであるにもかかわらずハイリターンとも言えないもので、万事上手くいって得られるのは「金銭という報酬」ではなく名声だけなのです。
 そう考えたら、たしかに黒澤明はすごい、しかし<リスク>というものを考えたら、ああいうのは一番真似しちゃいけないものだ、となるのも、しょうがない気がするんですよ。
 こうなると、黒澤明は目標ではなく<別格>ってことにするしかない。あれは黒澤明という人だから出来たのだ、と。それならば、たとえば小津安二郎、たとえば溝口健二、たとえば成瀬巳喜男、たとえば市川崑、あたりの人の方が<目標>として適しているんじゃないかと。ってそれもたいがい失礼な話なんだけど。

 いや、それも、どうも言い訳というかね、別に黒澤明に影響されてないのは「本当は黒澤明を目指したいけど、そんな予算は取れないし、リスクも大きいから我慢してる」って感じもないんです。
 もしそれなら、目標にはしないまでも、作品の中に影響は見て取れるわけで、実際、スティーブン・スピルバーグやジョージ・ルーカス、そしてフランシス・コッポラなどの作品にはあきらかに影響が見られるし、影響どころかまるパクり(後に許諾を得た)した「荒野の用心棒」なんてイタリア映画まである。
 そう、たしかに日本では黒澤明の影響は皆無だけど海外ではあるのです。なのに、日本で「あ、黒澤明の影響が濃厚だな」と思える人がいないのは、そもそも「日本人の、映画監督を志すような人は黒澤明には影響されない、影響されること自体が不可能」なんじゃないかと思っているんです。

 もっとそもそもの話になりますが、何故「映画が撮りたい」=映画監督を目指すか、というと、そのほとんどはかつての映画少年、映画青年であり、映画の影響を強く受けたからです。つまりあまたの映画を見て「自分も映画を作ってみたい」と考えて映画監督を志したと。
 まずそこが黒澤明と違う。黒澤明が画家を目指していたのは先述の通りですが、それこそ黒澤明がP.C.L.という映画会社に入ったのは<偶然>といっていいレベルで、少なくとも「どうしても映画監督になりたかった」というわけではなかった。いや、もっと言えば「職にありつく」のが第一目的で、募集していたのが、そして採用されたのがたまたま映画会社だった、というレベルです。
 だから当初は当然映画にたいする意欲は薄く、最初にサード助監督としてついた作品の監督とソリが合わず、早くも辞めようとしている。本人からしたら「無職になりたくはないけど、だからといって映画にたいして何の感情もない」って感じだったんだと思う。

 その後「エノケンの千万長者」でサード助監督についたことで山本嘉次郎に可愛がられ、映画に目覚めるのですが、「第一志望は画家だった」「映画はたまたま映画会社に就職し、良い師匠、同僚に導かれた」、このふたつはきわめて重要です。
 言い方を変えます。P.C.L.に入る前の黒澤明が映画に興味がないとするなら、ゼロの知識でP.C.L.に入り、映画の知識はすべて撮影所で学んだってことになる。
 つまり映画監督を志す人がほぼ必ず持っているはずの、映画にたいする<ある種の余計な>思い入れみたいなものを持たない状態でいきなり実戦投入されたのです。
 たぶん「映画に興味がないのにたまたま映画会社に就職した映画監督」なんて黒澤明と、文学青年だったという前田陽一くらいで、いや前田陽一でさえ黒澤明ほど映画には無関心ではなかったと思う。
 つまり、黒澤明を目標にした時点でその人は「映画好き」であり、映画に興味がなかった黒澤明とは違うということになる。これでは理屈として100%「第二の黒澤明」は出てこないのです。

 こうした黒澤明のようなケースは珍しいと言えば珍しいのですが、成功者にはむしろこういう話は多いんです。
 ほとんど漫画を読んだこともなかったのに、カネを稼ぐ手段として漫画を描き始め、漫画家として成功した鳥山明や植田まさしなどもそうですし、興味はゼロではなかったが第一志望ではなかった、程度であれば、数学者を目指していたビートたけし、バンドマンになりたかった上岡龍太郎、「エノケンのような音楽と<動き>に強い」コメディアンになろうとした筒井康隆など、数限りなくあります。
 彼らに共通して言えるのは、「ナンバーワンになれないが故の」、いわばマヤカシのオンリーワンではなく、本当の意味でのオンリーワンだというところです。
 こういう人を目指すだけ無駄、目指せば目指すほど遠ざかる、というか、上岡龍太郎が言っていた「ぼくに弟子入りしようとする時点でそいつはセンスがない」というのは「そもそも自分自身が大きな憧れをもって、誰かのようになりたいと思ってこの世界に入ってきたわけじゃないのに、自分を目指している時点で出発点からして違いすぎる」ということでしょう。

 でもね、アタシは思うわけです。
 黒澤明と言えば間違っても芸術映画を撮っていたわけじゃない。フィルモグラフィーの大半はド直球のエンターテイメントです。
 そんな人を<別格>とか<オンリーワン>にしておいていいのか。仮に映画監督への道の第一歩が映画に淫していたとしても、いや映画に限らずフィクションの担い手全員、黒澤明から学ぶべきものはないのか。
 アタシはそんなことはないと言い切れる。何故なら黒澤明作品は「フィクションとしてやるべきことをやってるから面白い映画になっている」と思うから。黒澤明の映画は映画に限らず小説であろうが漫画であろうが、フィクションを作るにおいて「学ぶことだらけ」なんです。

 いや、もっとズバッと言いましょう。自分が何か、もう何でもいい。何か自分でモノをこしらえようと思っている人間ならば、その手法、魂、向き不向きまで含めて、まず黒澤明作品を見てからにして欲しい。
 ここらでPage2に続きます。







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