さて、少し結論めいたことを書いていきますが、アタシが思う、何故にあそこまで「ルビーの指環」がヒットしたかの理由は「良くも悪くも厨二的感覚のカッコ良さ」に満ち満ちていたからだとしか思えないんです。
「ルビーの指環」がヒットした当時、アタシはまさしく中学生でしたが、テレビでギターを手に歌う寺尾聡は「中学生の想像する(出来る)最大限の、大人のカッコ良い男」像だったんです。あ、もちろん「1980年代前半の中学生」という注釈が必要ですが。
都会的で大人びた歌詞、グラサン、ギター、くわえ煙草、声を張り上げないクールな歌唱、あえて着崩したスーツ、ナドナド、顔はそんなでもないにもかかわらず、とにかくカッコ良かった。
正直、当時の大人が「ルビーの指環」を歌う寺尾聡をどのように見ていたのかはわからない。記憶にあるのは「どうしても、あの「おくさまは18歳」の海沼先生がカッコ付けて歌ってるように見えて笑ってしまう」みたいなコラムを読んだことがありますが、まァそれが一般的な大人の意見ってわけでもないだろうし。
どっちにしろ、そんなことは中学生には関係ない。「おくさまは18歳」の再放送は見たことがあったはずだけど、子供のアタシにはそこまで強烈なイメージじゃないので、言うほどダブらない。
それにしても、よくぞここまで、ま、ラッキーパンチと言えばラッキーパンチだけど「中学生が喜びそうな」ギミックを揃えたもんだと思う。
寺尾聡からしたら、いやこの曲に携わったすべての人からしたら、まったく中学生なんか想定してなかっただろうし、本当に「大人が聴く、大人のロック」のイメージだったと思う。
想定通りコトが運べばいいってもんじゃない。それこそピンクレディーだって「大人の色気」で売るつもりが小学生に馬鹿受けしたわけだし、そんなことを言いだせばドリフターズだってね、かねがねいかりや長介は「ドリフは子供向けに作ったことは一度もない」と公言してました。
やっぱ娯楽なんてもんは子供向けでも若者向けでも老人向けでもなく「分別のある大人向け」に作るのが一番ですよ。
ただし仕掛けみたいなのだけはいっぱい用意する。その<仕掛け>が万が一子供にハマった時はとんでもないスパークをしてマストアイテムレベルにまでなれるんだから。
そうなんです。何かの偶然で「子供にハマった時」、信じられないくらいのブームが起こる。これは現今のヒカキンにさえ言えることです。
レコードの場合もまったく一緒で、結局、当時のレコードの主な購買層って子供だったんですよ。「ルビーの指環」は子供と言うには若干高めだけどせいぜい中高生で、「自分でゼニコを稼いでいない」という意味では十分子供の範疇に入る年齢です。
もちろん大人もレコードを買ってたんだけど、ミリオンセラーの数が左右するほど大人が買うわけじゃない。それより、なかば同調圧力みたいな感じでね、クラスのみんなが買ってるんだから、自分も買わなきゃ、みたいなことがなければそんなにセールスは伸びないですよ。
まァ、何というか、レコードというよりはアイテムです。いや、持ってないと輪に入れない、ということで言えば、まさしく「マストアイテム」だったというか。
いやいや、ちょっと待てよ。あんた基本的なことを失念してるぞ。レコードって「聴く」ためのもんじゃないかって?
このことにかんしては当時の文化事情の説明が必要になります。
もう今はサブスクリプションのストリーミング配信が基本になり、音楽を聴くための環境(=スマホ、もしくはパソコン)は誰でも持っている(どころか持ち運んでいる)時代ですが、当時、つまり1980年代まではそうじゃなかったんです。
カセットテープのことはココに書いたから割愛するけど、レコードプレーヤーがどの家にも当たり前のようにある、とはほど遠い状況だったんです。
とくに1950年代まではレコードプレーヤーだけ持っててもしょうがない。アンプとスピーカーがないとダメだったし、しかもかなり高価でサイズも馬鹿デカい。つまりそれなりに裕福な家庭でなければ買うことも出来なければ置く場所もない、という感じだったのです。
1959年に初のアンサンブル型オーディオプレーヤー(レコードプレーヤー、アンプ、チューナー、スピーカーが一体になったもの)が発売されましたがまだまだ高嶺の花で、サイズも後のオーディオコンポと比べるとかなり大きいシロモノでした。
1970年代前半くらいから「ポータブルレコードプレーヤー」が登場した。これは如何にもオモチャ然とした<つくり>で、とくに見た目からしててんとう虫の形を模したコロムビアの「SE-8」は子供向け丸出しですが、安価であったこと、とにかく小型であったことで大ヒットします。
ま、この、てんとう虫プレーヤーは、何しろ小さいボディの中にアンプと小型スピーカーを内蔵しているので、当然のようにスピーカーは一個しかついてない=モノラルだし、音質などを問うべき商品ではありません。それでも「仰々しくなくレコードを楽しめる」というのは画期的だったのです。
そうは言っても、かなり簡略化された子供向けプレーヤーであっても、やはりレコードの扱いは子供には難しい。ましてや、下手にオーディオフルシステムやアンサンブル型オーディオプレーヤーがある家だと余計子供の手におえるものではない。
いや仮に使い方をマスターしても、「一度に何度も聴く」みたいなのは問題ないけど、「毎日聴く」となったら果てしなくめんどくさいものだったからね。
実際問題、「ルビーの指環」に限らず「黒ネコのタンゴ」でも「およげ!たいやきくん」でも、買ったはいいけど購入したレコード盤に針を落としたことがない人は結構いたんじゃないかね。データがあるわけじゃないけど、どうもそんな感じがする。
ま、せいぜい、ジャケットを眺めるか、ジャケットの裏面にある歌詞を暗記したりとかね。それはそれで楽しいかもしれないけど、とにかく、子供でも簡単に扱えるメディアはCDの登場を待たなければなりませんでした。
1990年代になってミリオンセラーの数が飛躍的に増えたのは、CDなんていう<子供でさえ簡単に扱える>気軽なメディアが普及したからだと思う。
CDはプレーヤーが安価だったし(1990年頃にはCDラジカセが2マン円を切ってたと思う。これなら高校生以上なら買える)、何しろ再生が簡便。聴きたい盤を「すぐ」聴ける。曲のスキップも簡単かつ一瞬。それでいて、ちゃんとステレオ再生出来たし、さすがにCDラジカセくらいの価格帯のものなら「てんとう虫プレーヤー」とは音質は比べものにならない。
このアドバンテージがなければCDがレコードを駆逐することはなかっただろうし、あれだけミリオンセラーが出ることもなかったと思う。
だけれども、それで片付けていいのか、という気がするんです。
おそらくCDになって以降の購買者は純粋に「CDの中に入っている音楽を聴く」ためにCDを買っていたはずで、少なくともそれはAKB商法なんてのがまかり通るまでは「売上枚数=確実にその楽曲を聴いている人の数」だったと思う。つまりCD時代になってからは文字通り音楽メディアとして売れて、ただ持ってるだけ、つまり「プレーヤーも持ってないクセに「みんなが持ってる」っていう理由だけで、あくまでアイテムとして買う」人は絶滅したような気がする。
マストアイテムとして考えていいのはあくまで「レコード」だけで、いくらミリオンセラーになっていてもCDは(それこそ「およげ!たいやきくん」と似た売れ方をした「だんご3兄弟」ですらも)勘定に入れちゃいけないと思う。
ところが近年になって、再びCDは、マストアイテムではないけどアイテム扱いになってきたような気がするんです。いや正確にはCDだけでなくDVDやBlu-rayなどの物理メディアすべてに言えることだけど。
もはや音楽も、そして映画などの映像作品も、サブスクで見ればいいじゃん、となってきているのは間違いなく、じゃあ何のために物理メディアを買うかというと、「ファンとしてアーティストを支えたい」という理由をよく聞きます。
サブスクで何回再生されようがアーティスト当人への還元額はたいしたことがない、と言われますが(この辺のことは<中の人>ではないのでよくわからないけど)、とにかく、物理メディアを購入した方がアーティストへの実入りになる。それは間違いないでしょう。
こうなると実際に中身を聴いたり観たりするのはサブスクなどの配信サービスを使い、購入した物理メディアはセロファンも剥がさない、なんてことが増えていると思う。
これはある意味レコード時代よりもすごい。レコード時代は仮にプレーヤーを持ってなくても、ただのアイテムとして購入したとしても、ジャケットを取り出して歌詞くらいは見たと思うんですよ。ところがそれさえない、というのは、CDを購入したというよりはそのアーティストの写真が入った高価で何の実用性もない<板>を購入した、という方が正しい。
つまりはアイテム化はアイテム化でもマストアイテムとはまるで違い、コレクターズアイテムになったわけで。
将来的にはゲームや書籍にまでその幅が広がる可能性もないことはないけど、たぶんアタシはないと思う。
ダウンロード配信があるのに物理メディアも別途購入して下支えしたい、というのは、やはり相当のファンでなければあり得ないはずで、ゲームや書籍の場合はさすがにほとんどないんじゃないか。熱狂度を考えるならその相手は芸能人に限られるような気がするわけで。
どっちにしろこれからは物理メディアを入手するという方法は下火になり、インターネット経由で入手するというのがさらに当たり前に近づくとは思うんです。
となると、コレクターズアイテムはともかく、昔に比べるとマストアイテムってのが極端に生まれづらい時代になったと言える。
もちろん景気も関係ある。「生活必需品ではない」けど「誰しもがみんな持ってる、もしくは欲しがってる」ってのは「みんながそこそこ小銭を持ってる」ってのが前提だから。
ただ、2020年に「鬼滅の刃」の単行本が極度の品不足になり、どれだけ大量に入荷しても入荷した傍から売れる状態ってのは、ダウンロードコンテンツも用意されているにもかかわらずってことを考えるなら相当すごい。
となると、多少点が甘いかもしれないけど、現時点では「鬼滅の刃」の単行本が最後のマストアイテムと言えるかもしれません。
つまり、いくらサブスクやダウンロードコンテンツが隆盛をきわめても、今後もマストアイテムが生まれる可能性はあると思うんです。
今回はレコードを中心に書いたけど、個人的体験談で言えばガンプラとかドラクエ3とかたまごっちとか、スマホが生活必需品になる前のiPhoneとかね、ああいうのは今考えるとものすごく面白い体験だったんですよ。
つまりマストアイテムには必ずイベントやエピソードが付加される。流行に乗ったからこそ体験出来るイベントやエピソードってのは共通体験としても強力で、話のタネになる。そういうの、あったよなぁ!って語り合ったことも、いつかまた思い出になるわけです。
斜に構えて流行を馬鹿にしたり、馬鹿のひとつ覚えみたいに「電○の陰謀」とか言っちゃったりね、何かそういうの、アタシは嫌だわ。単純に面白くない。
乗れるものにはとりあえず乗っかっとけ!くらいの精神でね、マストアイテムを必死に買い求めるくらいのが楽しいですよ。
「鬼滅の刃、19巻売ってるとこ、ついに見つけた!」
「いや、19巻は持ってんだよな。持ってないのは17巻なんだよ」
「もしかしたらさ、あそこにあるんじゃね?」
「ほんじゃあ日曜日にでも行ってみるか」
「その間に売り切れたらどうするんだよ!行くなら、いつだ?今でしょ!○○○ビンビンですよ神!!」
なんて林修みたいなことを言いながら書店に走る楽しさがわからないなんて、人生損してると思うんだけどなぁ。
正直、一番苦労したのが「寺尾聡の良い画像がネットに落ちてない」ってことでして、アタシの中にある、それこそ「厨二病的カッコ良さ」に溢れる「ルビーの指環」を歌ってる時の画像がまったく見つからなくて。 バラバラでならあるけど、完全に集約されてるのがないっていうか、おそらく脳内でいつの間にか組み合わせていたんだろうね。 |
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