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カセットテープレクイエム
FirstUPDATE2021.10.10
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 えと、このエントリ、最初はエラくマジメに始まります。
 多少は個人的体験談が入っているとは言え下手したら「複眼単眼」でもイケるのではないかと思われるかもしれませんが、ちゃんとPage2の途中から「やぶにら大全」らしい内容になるのでご安心を。って誰が心配してるんだって話で。

 さて、藤子不二雄の名作「オバケのQ太郎」の中にオープンリール式のテープレコーダーを題材にした話(「なんでも記録しよう」てんとう虫コミックス3巻、藤子・F・不二雄大全集11巻)があります。

 この話が掲載されたのは「小学六年生」1965年12月号であり、アタシが生まれたのは1968年ですから時代のズレとしては「ちょっと」なのですが、この時代、2、3年も違えばだいぶ世の中っつーかモノが様変わりしてるんですよね。
 で、アタシがオープンリール式のテープレコーダーを見たことがあるのか、というとない。いや後年になってからはありますよ。そーゆー昔のは好きだから。でもリアルタイムでは、つまり子供の頃に限定するなら一度も見た記憶がないのです。
 ウチの家系は新しもの好きもいいところですが、何しろUマチックのビデオデッキがおばあちゃんの家にあったんですよ。なのにオープンリールのテープレコーダーを見たことがなかったってのは、もう、「オバケのQ太郎」から10年も経たないうちに過去の遺物になってたってことなんじゃないかと。

 ウチの、たった一例だけで決めつけるのもアレだけど、それでも後述の理由から1970年代前半にはオープンリールは激減していてカセット式になっていたと思う。
 ただし、オープンリール式は見たことはなかったけど、8トラと呼ばれるものは見たことがあった。
 8トラはその名の通り、一本のテープ幅に8つのトラックがある、というものですが、もちろんマルチトラックレコーダーのような使い方を想定したものではなく、頭出しが簡単、ということもあって、当時流行しかけていたカラオケ用として普及することになります。
 ただし1970年前後にはカーステレオ用としても普及の兆しを見せており、アタシが見たのも親戚のクルマに付いていたステレオ用でした。
 8トラの寿命は短かった。カラオケ用としては細々と生き残りましたが、その構造上、どうしても長時間の録音・再生が難しく、またそもそも「録音に適した規格ではなかった」ために、いわゆる生テープはほとんど流通せず、「レコードの代替」として、つまりすでに録音済みのテープが販売される、という形になっていました。ま、この辺は後のMDの反対かもしれない。MDは逆に録音済みメディアとしては中途半端でしたからね。

 正直、オープンリール→8トラ→(今の人が想像する)カセットテープの移り変わりの時期は曖昧です。
 アタシの調査が行き届いていないのもあるけど、個人によってかなり違い、一般論のようなものがないので言及しづらいのです。
 ま、ものすごくざっくり言えば
・1960年代 オープンリール
・1970年前後 8トラ
・1972、3年~ カセットテープ
 という感じになると思います。
 先ほどわざわざ<今の人が想像する>と注釈を付けましたが、実はカセットテープもいろいろ、ではないけど、一時期は2種類が混在していました。
 <今の人が想像する>、そして一般に、単にカセットテープと呼ばれるものは、正式には「コンパクトカセット」で、もともとは会議などを録音するための規格でした。
 オープンリールに比べると圧倒的に手軽で簡便に扱えるのですが、音質にかんしては(とくに1970年代前半までは)「推して知るべし」レベルであり、当然のように「オープンリールの音質で、カセットテープの手軽さ」を求める声が挙がった。

 まさにその声を汲み取る形で、1976年、エルカセットという規格が生まれた。
 のですが、エルカセットは早々に失敗があきらかになった。失敗の最大の理由はどう考えてもその大きさのせいで、<エル>カセットの名の通り、コンパクトカセットと比べてはもとより、はがきよりも大きい。というか同じ1976年に規格が発表され販売されたVHSビデオテープよりも「わずかに」幅が狭い程度です。

 しかも「推して知るべし」レベルだったコンパクトカセットのテープがどんどん改良され、エルカセット登場の前年にはハイポジが、1978年にはメタルテープが登場した。
 それでもコンパクトカセットでは本当の意味での高音質は無理なんだけど、とりあえず、コンパクトカセットの音質が<そこそこ>レベルであれば、エルカセットが太刀打ち出来るわけがないわけで。

 音楽というものが面白いのは、音楽ってね、けして<音にうるさい>、いわば音質マニアしか聴かないわけではないのです。
 むしろ音質にかんしてはどうやって<そこそこ>を実現出来るかが鍵であり、とにかく音質が<そこそこ>であれば、次に求めるのは「さらなる高音質」ではなく「利便性」なんです。
 これは現今も何も変わっていない。
 いくらハイレゾ音源の配信が始まっても、結局人々が求めるのは<そこそこ>の音質のストリーミング配信であり、それを有線よりもあきらかに音質で劣るBluetoothヘッドホンで聴いているのです。
 「音楽は一定以上の音質ならば、次は利便性に関心が行く」というのはかなり普遍の真理だと思う。だからコンパクトカセットよりも高音質だけど利便性は変わらないDATは失敗した。
 またレコードより圧倒的に利便性が高かったCDが普及し、音質ではCDに圧倒的に勝っていながら利便性が変わらない(むしろコピーガードなどを考えるなら利便性は落ちる)DVDオーディオやスーパーオーディオCDはまったく普及しなかったわけで。

 コンパクトカセットは時代を考えると、ほぼ非の打ち所がない規格でした。
 そりゃあ、日中に車内に置いておくとテープが伸びたり、テープがデッキのヘッドに絡まって大惨事になったりはあったけど、少なくとも1970年代の時点でコンパクトカセットほど「簡便な音楽再生装置」はなかった。
 サイズも名刺よりやや大きい程度であり、車内に置いておくにしても、数本レベルなら邪魔にならない且つ、なくなりづらい大きさです。
 いや、アタシはね、音楽マニアではない、世間で流行ってる音楽を聴く程度の、普通の人が「能動的に音楽を聴くようになった」のはコンパクトカセットのおかげだと思う。
 また「レコードの再生なんて難しい」と感じる子供でもコンパクトカセットなら簡単に扱える。
 これは後のVHS、いやCDやファミコンなどのゲーム機の先駈けだったのではないかと思うのです。

 アタシが本格的にカセットテープを使い始めたのは大学に入って以降、もっと言うならクルマに乗り始めてからです。
 先ほどより簡便さについて書いてますが、クルマの運転中でも簡単に扱えるカセットテープの利便性は絶大だったと思う。とくにオートリバース機能のおかげで、運転中にテープの入れ替えをしないのであれば、一切操作することなくお気に入りの音楽を楽しめるのだから、これは大きい。
 そしてCDの時代、正確にはCDレンタルの時代になってカセットテープはより威力を発揮しだした。そう、言うまでもなくCDからのダビングで、これ、著作権的にはどうかわからないけど、数百円でCDをレンタルしてきて、CDラジカセでダビングすれば、もうそのアルバムは自分のものになる。金欠の大学生からすればこんなありがたいシステムはないわけです。

 もしもの話ですが、アタシが大学生の間に、もし免許をとってクルマを運転するようなことがなければ、もしCDレンタルの時代にならなければ、音楽に接する機会はうんと減っていたような気がする。
 クルマがあるから音楽を聴く。CDレンタルがあったから「メチャクチャ」ではなく「多少」レベルでも興味が湧けば借りてきて、散々リピート再生するチャンスが出来た。
 仮にアタシがあと5年ほど早く生まれていたら、今ほど音楽に興味を持っていたかは甚だ疑問で、そういう意味では「ギリギリの良いタイミングで生まれた」のかもしれません。
 さらにもうひとつ、これはタイミング云々ではなく個人的なことだけど、最初はCDラジカセすら持ってなかった。つかレコードプレーヤーも持ってなかった。つまり、音楽を再生出来る装置と言えばカーオーディオだけだったのです。

 しかし当時はレコード屋に行けば「ソフトウェアとしてのカセットテープ」が結構売ってたんです。この頃はちょうど、レコードとCDの変わり目くらいの時期だったけど、ほとんどのアルバムはCDとカセットテープの両方で(下手したらレコードも合わせて3メディアで)発売されていたのです。
 だから最初は全部カセットテープソフトを買ってた。んでその中の一本にクレージーキャッツのベストアルバムがあり、人生を変えられることになるのだからわからないものです。
 ま、それはともかく、CDラジカセを買ってからも、たまに「ソフトウェアとしてのカセットテープ」を買ってた。んなもんCD借りてきてダビングすりゃいいのに、何でかさっぱり理由はわからないんだけど、とにかく最後に「ソフトウェアとしてのカセットテープ」を買ったのがたぶん1993年。ドリカムの「MILLION KISSES」だったことは憶えている。
 しかし何だってドリカムなんだ。そこまでハマってたわけでもないし、出先で急に聴きたくなったんだろうか。うーん、謎だ。

 この「ソフトウェアとしてのカセットテープ」はおそらく1970年代前半にはありました。いや少なくとも1974年には確実にあった。
 当時5歳のアタシは、何のことか急性腎炎で入院した。ま、入院そのもののことは割愛して、あくまでカセットテープに関係あることを書いていきます。
 何しろ「苦痛のない入院」だったので、基本は暇でね、まだ見舞い客や親がいる時はいいんだけど、誰もいない時はすることがない。個室だったけど部屋にテレビもなかったし、ラジオは持ち込みオッケーだったけど、幼稚園児がラジオを面白がるわけがない。
 そこで親戚がラジカセとカセットテープをプレゼントしてくれた。もちろん幼稚園児であるアタシに向けてだから、いわゆる「まんがのうた」のカセットテープね。

 まんがのうたとアニソン=アニメソングの違いについてはまたの機会にするけど、とにかく、アタシが入院中にもらったカセットテープは一曲目は「ゲッターロボ」、二曲目は「魔女っ子メグちゃん」でした。さすがに全曲は憶えてないけど、この2曲だけははっきりと記憶している、
 どちらもこの年の春に始まったばかりの最新「TVまんが」ですが、歌っていたのは、「ゲッターロボ」がささきいさお、「魔女っ子メグちゃん」が前川陽子、と、まァ今考えれば当時の「まんがのうた」の男女二大巨頭ですな。
 ささきいさおはもちろんあのシブい、しかも色気ムンムンの声で歌ってるし、前川陽子はパンチありまくりなのにどこかキュートで、いやぁ、この頃のまんがのうたは本当にレベルが高いわ。

 というか、ささきいさおにしろ前川陽子にしろ、とにかく「プロ感」がすごい。昨今のアイドルだかなんだかわからない人が「まんがのうた」ならぬ「アニソン」を歌ってるのとワケが違う。
 つまり彼ら彼女らが<プロ>だったからあんなクオリティになったわけで、ではもし、プロとも呼べないような人がまんがのうたを歌ったら・・・。
 何を言ってんだ、と思われるかもしれませんがPage2に続きます。