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絶対RGB出力じゃなきゃ嫌だった
FirstUPDATE2021.9.26
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 ファミコンが発売された1983年当時の話ですが、Page1でアタシは

・プログラミング優先でない、ゲーム優先のパソコン入門機やゲーム機は、ボケボケで低解像度ながら色数に制限のないRF出力もしくはコンポジット出力
・プログラミング最優先なのでより多くの文字数を表示したい10万円以上のパソコンは、色数は8色までだが高解像度でクッキリ表示のRGB搭載

 というふうに書いてきました。
 こうなると疑問が生まれるのは当然です。

「8色以上表示出来るRGBの規格はなかったの?」

 もちろん、あるにはありました。
 Page1で例外扱いしたSMC-777(ソニー)は標準で15色、オプションを装備すれば当時としては破格の4,096色を出せました。
 SMC-777は余裕で10万円を超えるパソコンなので当然プログラミングを想定している。つまりはRGB端子は搭載されていました。
 ただしSMC-777に搭載されていたのは<アナログRGB21ピン>というヤツで、この規格なら8色以上、いくらでも色数を表示出来た。

 では他の標準的なパソコンに搭載されていたRGB端子はというと<デジタルRGB8ピン>というヤツなんです。
 8色以上出るマシンは軒並み<アナログRGB21ピン>の方が搭載されていた、と言いたいところだけど、どうも独自に拡張して「あくまで<デジタルRGB8ピン>なんだけど、無理矢理15色までは表示出来る」ようにした、なんてパソコンもモニターもあったんです。Page1で挙げた中ではPC-6001mkⅡがそれに該当する。
 正直仕組みはいまだによくわからない。というか何故素直に<アナログRGB21ピン>にしなかったのかはわかりません。ライセンス料の問題かね?


・・・とまあ、ここまでファミコンが発売された頃のパソコン及びゲーム機とモニターの関係を書いてきたのですが、ここからは完全に個人的な話になります。

 ココにも書いたように、アタシのパソコン熱は完全に「家でゲームがやりたい」というところからはじまりました。
 アタシにとってのファーストパソコンは叔父から譲り受けたベーシックマスターレベル3(日立)です。これはもう、完全なるパソコンで、つまりはプログラミングをするためのマシンなんだから当然RGB端子が装備されていました。
 つまり、パソコンゲーム機問わず、RGBによるクッキリ表示ではじまったのです。
 ここまであえて書きませんでしたが、アーケードゲーム、つまりゲームセンターにおいてあるゲームも内部でRGBで接続されていた。つまりクッキリ表示。
 ではゲーム機はというとファーストゲーム機はセガマスターシステムで、かなり後です。つまりアタシはビデオデッキを除いて「RGBで接続出来ないマシン」を相当後まで所有していなかったのです。

 セガマスターシステム、そしてその直後に購入したファミコンは良くも悪くも衝撃的でした。
 ポジティブ方面で言えば、ゲームセンタークオリティのゲームが遊べること。しかしネガティブ方面の「こんなボケボケの画面でやんなきゃいけないのか」ってのは残念ポイントすぎた。
 ま、これは何となくわかってはいた。おもちゃ屋とかおもちゃ売り場とかで映像は見てたわけで、それを見て「やっぱRGBじゃないと嫌だなぁ」とは思っていた。それでもファミコンなりを買ったのはあまりにも魅力的なゲームが多かったからなんだけどさ。

 それでもRGBへのこだわりが消えたわけじゃなかった。
 再びファミコンが発売された頃まで遡りますが、この頃アタシはFM-X(富士通)というMSXマシンを購入しています。
 各社から発売されていたMSXの中からFM-Xを選んだ理由はただひとつ。いやふたつか。
 ひとつは一番安価だったこと。そしてもうひとつはRGB端子が搭載されていたからです。
 ただしFM-Xに搭載されていたのは、いわば拡張されていないデジタルRGB8ピンで、つまりは8色しか出ない。MSXは16色出せる仕様ですが、全部の色が出ないことに他なりません。
 そんなことは百も承知だった。それでもアタシはRGBにこだわった。最悪カラフルなゲームに限ってRF端子でつなげばいいと思ったけど、結局それもしなかった。当然ゲームによっては色が潰れたりするんだけど、それでもアタシはRGBが良かったんです。

 ここまでRGBにこだわりのあったアタシですから、理想としては「ファミコンだってRGBで遊びたい」となるのは当然です。
 これはひとつだけ抜け道があった。そう、シャープから発売されていたマイコンピュータテレビC1です。
 C1はファミコンとほぼ同時期に発売された「ファミコン内蔵テレビ」でして、アーケードゲームと同じく内部でRGBで接続されていた。これも店頭デモがあってね、当時の基準ならグラフィック性能といいクッキリ表示といい、まさしくアーケードゲームそのものに見えたわけで。
 でもこれは所詮テレビ。解像度もアマいっちゃアマいし、何よりあくまで内部的にRGBで繋がってるにすぎないのでRGB外部入力端子があるわけでもない=パソコンのモニターとしては使えない、という。

 C1に搭載されているPPU(≒GPU=グラフィックチップ)はファミコンとほぼ同じでありながらRGB出力が付加されたものです。
 このチップは補修部品扱いで当時取り寄せが出来たようで、だいぶ後になって、たしかバックアップ活用テクニックかなんかで「ファミコンのPPUをC1用のに載せ換えてRGB出力する」なんて記事があったはずです。
 しかし当時のアタシはそんなことは知らなかった。ただ、もしかしたら、こうすれば、というアイデアはあったんです。
 それが「C1を購入してファミコン部だけを取り出してアナログRGB21ピン対応のパソコンモニターに接続すりゃいいんじゃないか」と。
 ま、電源をテレビとファミコン部が共有しているのは間違いないし、そんな簡単な話じゃなかったんだろうけどね。
 しかも当時アタシはまだ高校生です。ファミコンよりはるかに高いC1を購入するなんて易々と出来るわけがないし、買っていきなり分解して、なんて、そんな度胸もなかったんだけどさ。

 そのうちアタシはソニー製のアナログRGB21ピン端子が付いたテレビを購入した。たしか大学に入る直前だったんじゃないかな。ということは1986年くらいか。つまりファミコンが発売されて3年目。つかスーパーマリオブラザースが発売されて数ヶ月ほど経った頃って言った方がわかりやすいか。
 機種名は「KV-14CP1」。もうとっくに捨てちゃったけど、当時のブラウン管テレビとしては黒の締りが良くて、しかも解像度感もあって、友人がウチに遊びに来る度に「お前のとこのテレビ、ホンマにキレイやなぁ」と言ってたのを思い出します。
 しかしこの期に及んで、まだ、アナログRGB21ピン出力の付いたパソコンもゲーム機も持っていませんでした。
 そんな時、雑誌でとある広告に刮目した。ってもう正直、具体的なことは憶えてないし、どの雑誌だったかの記憶もないんだけど、とにかくね、これが

「コンポジット出力をRGB出力に変換する機械」

 だったのです。
 はい、わかっています。元がコンポジット出力ならいくらRGB出力に変換してもクオリティは限りなくコンポジット出力に近い。例えるならMP3音源をソースにCD-Rに焼いてもCD音質にならないのと同じです。
 しかし、当時のアタシには夢の機械に思えたんですよ。
 値段も忘れたけど、かなり高かった。おそらく3万円くらいだったと思う。高校生が買うには躊躇する金額です。
 でもそんなことはどうでも良かった。完全ににRGB狂信者と化していたアタシは飛びつくように、この怪しげな機械を通販で購入したのです。

 結果は先ほど書いた通りですが、懲りないアタシは大学に入ってから「コンポジット出力をアナログRGB21ピン出力に変換するテロッパー」を再び買っている。どれだけRGB狂なんだ。つかRGB狂ってなんだよ。ジャン狂とか野球狂は知ってるけど。買わなきゃハドソン!
 アタシのRGB熱はとどまることを知らない。その後発売されたPCエンジンはわりと早い時期に買っていますが、これは「実は拡張スロットからRGB出力信号が出ている」って情報を掴んだから。
 ずっと後に製品化されますが、まだ純正のRGB接続ユニットなんかなく、これまた通販でアタシはPCエンジン用の拡張スロット端子を購入して、自分ではんだ付けしてRGB出力化に成功している。
 ココにも書いたように、大学に入ったくらいから急激にパソコン熱が醒めたのです。なのにRGB熱だけが醒めなかった。それくらい取り憑かれていたのでしょう。

 ところが、もうこれがフシギなところなんだけど、スーパーファミコンが発売されて、純正のRGBケーブルが発売されたタイミングで、アタシのRGB熱はピタリと治まった。
 いや、もしかしたらゲームへの情熱が限りなくゼロに近づいたのもスーパーファミコンからだった気がする。
 スーパーファミコンはね、発売直後に買ったんじゃなかったけど、一応は持ってたんですよ。でも遊んだ記憶があるのは「MOTHER2」と「スーパーファミスタ5」のたった2本しかない。しかも「スーパーファミスタ5」に至っては<計画的購入>だったのでたった一週間ほど遊んだだけです。

 先ほど書きましたように、スーパーファミコンには純正のRGBケーブルが用意されていました。
 しかし、アタシはこのケーブルを購入した記憶がまったくない。スーパーファミコンを所有していた当時、アナログRGB21ピン端子が付いたソニーのKV-14CP1を、まだ使っていたのかも憶えてないけど、何にせよスーパーファミコンは普通にコンポジットでつないでいた。
 もうひとつ、時期としては若干ズレるけど、たしか1993年に投げ売り(っても3万円くらいはした)PCエンジンLTを購入しています。
 発売当初のPCエンジンLTは非常に高価で、その理由は当時は高級部品だったTFT液晶を使っていたからです。
 もちろん、当時としては破格なほど高画質で、当たり前のように(C1なんかと同様)内部でRGB接続されている。

 いやちょっと待て。ゲームに興味がなくなってたんじゃなかったのか?と言われそうですが、アタシはPCエンジンLTを「ゲーム機」ではなく「車載テレビ」として購入したのです。
 だからソフトは「ストリートファイター2ダッシュ」しか持ってなかったし、もう「ただ持ってた」だけに近い、というか「ストリートファイター2ダッシュ」を必死でプレイした記憶がないんです。
 とにかくPCエンジンLTはアタシに「本当にキレイな映像で楽しみたければRGB接続だけでも、解像度の高いモニターだけでもダメだ」というのを教えてくれた。
 もちろんスーパーファミコンの時点からだいぶRGBへの情熱は失われていたとはいえ、これで完全にRGBでないと嫌だ!ってのがなくなったんです。

 時が流れました。
 今はどれだけ安いテレビにもHDMI端子が付いています。昔のRGB規格と比べても意味がないので止めますが、HDMIが<ボケボケ表示>か<クッキリ表示>かというと、もちろん<クッキリ表示>です。
 つまりもう、逆にファミコンのRF出力とかMSXのコンポジット出力のような<ボケボケ表示>は完全に駆逐されました。というかそもそもテレビ放送さえアナログ放送から地上波デジタルに切り替えられて<クッキリ>になっているような時代です。
 RGB出力という規格が生まれて、そしてHDMIという規格が生まれるまでの間しか、アタシのような「RGB狂信者」は生まれるわけがない。つまりアタシのやってたことは時代の徒花だったんだと思う。

 でもね、アタシほどかわからないけど「絶対RGB出力じゃなきゃ嫌だった」なんて人間はアタシひとりとは思えない。いっぱいいたかはともかく「ひとりだけ」ってのはあり得ないと思うんです。
 いったい何人いるかわからないけど、アタシ自身を含めて、そうした人たちの鎮魂歌になればいいな、と思ってここまで書いてきたのですが、もしアタシと同じ徒花を咲かせた方がおられたら、熱くRGBの魅力を語り合いたい、と思っている次第でして。

他にもソニーのMSX2「HB-F1」をRGB出力が付いてるって理由だけで買ったりしたんですが、さすがにね、本文ではオミットしました。
ただ、いまだに理解出来ないのがS端子ってヤツ。もちろんビデオ用の規格ですが、あれ、言ってもSD解像度の規格だし、音声も別だったし、アナログRGB21ピンで良かったんじゃないかね。まァ何かしら無理な理由があったんだろうけどさ。




@8bitマイコン #ゲーム #映像 #電脳 #1980年代 #1990年代 全2ページ RGB デジタルRGB出力 アナログRGB出力 8色以上 RF ビデオ端子 @ベーシックマスターレベル3 @MSX @FM-X @マイコンピュータテレビC1 @ファミコン @PCエンジン スーパーファミコン HDMI PostScript







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