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複眼単眼・アダルトコンテンツ
FirstUPDATE2020.3.8
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 「洗濯屋ケンちゃん」なる映像アダルトコンテンツを見るために人々はこぞって高価なビデオデッキを買い求めた、なんて今では信じられないかもしれません。
 アタシだって全面的に信じてるわけではありませんが、少なくとも<最後のひと押し>くらいの力はあったのではないかとは思えるんです。

 これも時代がよく出た話なので記しておきますが、1980年代前半と言えばまだそんなに大型家電量販店がない頃です。もちろんAmazonだののネット通販サイトが存在するわけがない。
 では当時、一般の人はどこで家電を買い求めていたか、となると街の電器屋さんで、この時代までは「東芝のお店」や「ナショナル(現・パナソニック)のお店」といったメーカー直販の電器屋がどこの商店街にもひとつは存在していたのです。
 しかし現在の家電量販店と違って街の電器屋さんは定価売りが基本だった。「その代わりアフターサービスもやりますよ」というのが代金に含まれていたから客も納得して定価で購入していたのですが、それでもビデオデッキのような「高額だが生活必需品ではない」商品に販売店も相当憂慮していたのではないかと思われます。
 メーカー直販なんだから簡単には値引きは出来ない。その代わり<オマケ>を付ける、というのはかなり前からあったことで、それがビデオデッキに限っては映像アダルトコンテンツ、つまり「洗濯屋ケンちゃん」が販促として使われただけのことです。
 もちろん内容が内容なので堂々と告知出来るものではありませんが「ほれ、話題になってるでしょ、ナントカケンちゃんってのが。あれ、普通の店では買えないからね。でもウチは特別なルートで入手出来たから。今ならあのテープをオマケしますよ」なんて言われたら、最後のひと押しには十分なんじゃないでしょうか。

 もちろん<気軽に>とはほど遠いとはいえ、1980年代になって、「洗濯屋ケンちゃん」が起爆剤となることで、ついに<オカズ>は動画の時代へと突入した。
 さらに1990年代になった頃から爆発的に増えたレンタルビデオ屋のおかげで、とうとうその気軽さにおいても静止画と動画は同等にまでなり仰せたのです。
 正直ここからは21世紀になってだいぶ経った今でもあまり変わらない。春画などの静止画→写真を含む静止画→動画ときて、たしかにVRのアダルトコンテンツも登場してきたとはいえ、一部の好事者のものでしかありません。
 それでもまったく様変わりがなかったのかというとそんなことはない。
 それこそアダルトビデオはストリーミングで自宅にいながら簡単に購入&視聴が出来るようになったし、サンプル動画ならタダで見られる時代になった。
 というかインターネットなんてものが登場して以降、<オカズ>に困ることはまったくなくなりました。
 ちょっと検索してやるだけで、好みの画像や動画が無制限に無料で手に入る。公平に見て自慰行為環境は今がもっとも恵まれていると思うし、これからさらに充実していくはずです。

 しかし自慰行為環境が本当に攻守ともに隙なしになったのは2010年代に入ってからなんです。
 本当に「パパ、ヌルヌルして」というアダルトビデオがあったのかは知りませんが、「鶴瓶上岡パペポTV」内のトークで鶴瓶が盛んにおこなっていたのが「ホテルに宿泊した際に、ホテル側が用意しているアダルトビデオをどうやってフロントから借りるか」という話であり、これはパペポに限らず深夜ラジオなどでも繰り返し語られてきたっつーか定番のネタでした。
 その後わざわざフロントにまで借りにいかなくても各階に備え付けられているプリペイドカードを購入すれば、フロントに知られることなく自由に視聴出来るようになります。これがたぶん21世紀になった頃です。
 ここで突然アタクシ事になります。
 2001年からサラリーマンをやっていたアタシはビジネスホテルに宿泊することはそれなりにありました。
 しかし一度も「アダルトビデオを視聴するためのプリペイドカード」を購入したことがない。何故なら、いやぁ、この話はかなり恥ずかしいのですが、書かなきゃしょうがないので書きます。

 2001年頃からアタシはPDAなるものに目覚めました。PDAとは要するに今のスマホから電話機能を抜いたようなものなのですが、その話は>ここに詳しく書いています。
 今回はそのエントリであえて割愛したことを書いてみたい。
 今しがた簡単に「スマホから電話機能を抜いたようなもの」と書きましたが、時代が時代なので今のスマホとは比べものにならないくらい圧倒的に低性能でした。
 そんなものを何の用途で使っていたか。というか当時からその手の質問はよくされた。ま、電子手帳の現代版だよ、みたいな説明が一番簡単なのですが、ビジネスツールとしては一切使ってないアタシにとってこの説明はマヤカシでしかない。
 正直に言えば<ホワイト>と言い切れる使い方は何ひとつしてなかったのかもしれない。例えばMP3プレーヤーってのも当時の感覚で言えばCDからリッピングしてMP3に変換するのはグレーな感じだったし、ファミコン他のコンシューマゲーム機のエミュレータなどブラックに近いグレーです。
 2ちゃんねる(現・5ちゃんねる)の閲覧もね、これはグレーではないけど2ちゃんねるそのものがアングラ臭がしてた時代だから、おおっぴらには人に言いづらい。
 でもそれらはまだ、人に言えなくもなかった。どう?面白いオモチャでしょ?みたいな、ま、洒落っぽく伝えれば人に言ってもいいんじゃないか、というような感覚があったこともたしかです。

 アタシが当時、これだけはPDAの使い方として人には言えないと思っていたのが「アダルトコンテンツの閲覧」でした。
 ダウンロードしたアダルトコンテンツ・・・ああ、この書き方はまどろっこしいので有り体な表現でいくけど、ダウンロードしたエロ画像をね、しこたまPDAに入れてたんです。
 Page1より自慰行為の環境として、まずは「ひとりっきりになれる空間がないと始まらない」というようなことを書いてきました。
 と言うとどうしても「自室」をイメージされるかもしれないけど、実際はもっと幅広い。先ほどより書いているホテルのシングルルームなどはまさしく「ひとりっきりになれる空間」に他ありません。
 それでも20世紀までは自室以外の場所で<オカズ>を整えるのが大変だった。だからフロントとの攻防を覚悟しつつもアダルトビデオを借りようとしていたのです。

 ところがPDAを入手すると、少なくとも写真でよければいつでもどこでも、つまり自室であろうがホテルであろうが、自分のお気に入りの<オカズ>をところ構わず閲覧出来る。当時のPDAの性能では動画再生は厳しかったのであくまで静止画に限られてはいましたが、それでも誰にも悟られずにシレッとした顔で数百枚のエロ画像を持ち運べるってのは個人的には本当に画期的に思えたのです。
 でもそんなことは人には言えない。四六時中持ち歩いている、それこそ会社にも持ち込んでいたPDAなるものにエロ画像が大量に入ってる、なんて知られたら確実に変態扱いですからね。

 しかし、世間がアタシに遅れること約8年。ちょうど2010年代に入ったくらいから携帯電話のメインストリームは<ケータイ(ガラケー)>から<スマホ>になった。
 スマホはまァ、PDAの進化版(ではないけどこう書く)ですから、PDAでやってたこととほぼ同じことがスマホで出来る。
 まァね、実際にやるやらない、んでどれくらいの人がやってるのかはわからないですよ。でも2000年代初頭のアタシのように「スマホに大量のエロ画像」ってのは可能か不可能かで言えば可能になったんです。しかもPDAでは性能面で難しかった動画の閲覧も可能になった。
 いや、スマホ本体にエロ画像やエロ動画を溜め込んでいるか否かはたいして問題ではない。しかしスマホでエロ動画をストリーミングで見たり、エロ画像を検索して<オカズ>にする、なんてあまりにも普通のことになったと思うんです。
 その証拠にどこのストリーミングサービスサイトもちゃんとモバイルでの閲覧に適したページを構築しているもん。
 って何でそんなこと知ってんだって?言わせんなよ恥ずかしい。

 ここまで自慰行為の環境の変遷を長々と書いてきたのですが、ひとつ気づくことがあります。
 さっきからアタシは「PDAにエロ画像が入ってるのが恥ずかしかった」とか、ストリーミングサービスサイトのことを知ってるのが恥ずかしいとか書いてきましたが、時代を経る毎にどんどんエロから恥ずかしさみたいなのが消えつつあるのかな、と思うんです。
 先述の通り、レンタルビデオ屋がどこの駅前にもあるのが当たり前になってきたのは1990年代からですが、アダルトビデオを借りる、というのはやはりかなり恥ずかしい行為だった。
 あの<のれん>をくぐるのも恥ずかしかったし、アタシと同じように選別している他の客と目が合うのも恥ずかしい。んで何よりカウンターに持っていくのが一番恥ずかしかった。まだ兄ちゃんならいいけど、カウンターに若い女性しかいない、となったら「今日は借りるの止めておこう」と思ったくらいです。
 さらに昔なら、エロ本を買うなんてとんでもなく勇気のいることだった。顔を覚えられていそうな近くの本屋を避けて、わざわざ遠出して、といってもたいした距離ではないけど、それでもひと駅は離れた本屋に買いに行った。
 それ以上前になると当然経験としてはないけど、コラムニストの泉麻人はピンク映画やストリップの受付でチケットを買う時のドキドキ感を何度も記していますし、太古の、春画を買う時の羞恥心なんか尋常ではなかったと思うんです。

 しかして現代はというと、もはや<オカズ>の範疇で収まる程度のアダルトコンテンツなら、何の羞恥心もなく閲覧出来る時代になった。本当に強いて言えば検索履歴や変換予測くらいのものです。けどスマホのようなパーソナルなモバイル機器の場合はそれさえも問題になりづらい。
 これが本当に良いことか悪いことか、実に判断が難しい。何故ならアダルトコンテンツ、と書くと逆に紛らわしくなるので<エロ>と書くけど、エロの場合、どこか羞恥心とセットのところがあると思うからです。
 これにかんしては元アダルトビデオ女優の小室友里が面白い発言をしています。

(前略)ああいうエロスの禁断の世界というのは、言っちゃったら面白くない、言っちゃったらエロスでも何でもないってのがあって。大っぴらにしないからこそエロスであったり、のぞきたくなったりするわけじゃないですか。それを大っぴらにしちゃうのは間違っちゃう(筆者注・ママ)と思うし、エロスの世界の価値がなくなっちゃうと思うんです。
(安藤健二著「封印作品の謎」より)


 ここで小室友里が語っているのは「エロがおおっぴらになること」への懸念であり、アタシが書いてきたのは「エロを求めるために羞恥心を味わうことがなくなること」への懸念です。一見反対っぽいけど、エロは秘事として留めておかなくてはいけない、そして秘事を求めるためには多少の恥ずかしさがあって然るべきだ、という意味で繋がっています。
 Page1でアタシは「引きこもり問題を解決するには親と同じ部屋で寝起きさせればいい」と書きました。
 アタシはね、セックスよりも自慰行為の方がより羞恥心をおぼえるものだと思うし、もし仮に親が平然と子供の自慰行為を見るようになる、となれば完全に性のオープン化の方向が間違ってると思う。
 自慰行為を見られるのが<恥ずかしいから>ひとり暮らしを促進させ、<オカズ>を見られることによって性的趣向を知られるのが<恥ずかしいから>たとえ親友であってもどんな画像を所有しているのかを隠そうとする。それが健全なんじゃないか。

 かなり早い時期に「モバイル機器を用いることで自慰行為環境を整えていた」アタシが言うのは間違ってるかもしれないけど、それでも「整いすぎたが故」にエロに性的興奮をおぼえなくなるんじゃないかという危機感は常にあった。
 何しろアタシは新し物好きの家系なので、世の中がどんどん便利に、そして精神的に負担が減る方向でテクノロジーが進化することは歓迎しています。
 それでも、どこか、エロ、ここからは再び表現を戻すけど、アダルトコンテンツだけはどこかでブレーキをかけないといけないんじゃないか、という気持ちが消えない。古い人間と思われようが、エロと羞恥心はセットとして残しておかないと、小室友里が言う通り、エロがエロでなくなるのではないかと危惧しているのです。

 たしか片岡鶴太郎だったと思うけど、江戸の古典落語の「転失気(てんしき=放屁の意)」という噺を「オナニー(=自慰行為)」の題で改作して演じていましたが、この改作版の主人公の男のように自慰行為を知らないのが当たり前になるのは良い傾向じゃないんじゃないかと。
 もっと言えば、セックスは不滅だとしても自慰行為は将来廃れることになりかねない。
 でもそれは健全でない気がする。つか自慰行為はセックスとは独立した性欲処理として残存していった方がね、大仰に言えば犯罪抑止の面でも人類の発展の意味でもいいと思うわけで。

こういう「マジメくさった分析系下ネタ」は書いてて面白いです。つかどれだけマジメに書いても、どこかフザけたニュアンスが出るっていう安心感があるんですよね。




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