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複眼単眼・アダルトコンテンツ
FirstUPDATE2020.3.8
@Classic #複眼単眼 #性 #ビデオデッキ #1970年代 #1980年代 #2000年代 #モバイル 全2ページ 自慰行為 手塚治虫 平沢貞通 帝銀事件 春画 ブルーフィルム ピンク映画 洗濯屋ケンちゃん 裏ビデオ エロ画像 小室友里 泉麻人

 アダルトコンテンツ、つまりアダルトビデオやエロ本、懐かしい言い方で言えばビニ本について書いていきたいと思うのですがね。

 つまりはこのエントリ、かなり<オトナ>方面の話です。しかも本来秘事っつーかほとんどの人があまりおおっぴらにしたくない自慰行為について書いていきたいと思ってる。
 ただしアタシは「オナペットの歴史」のようなものを書きたいわけではない。んなもん、ものすごくクソ真面目な調査が必要だし、そーゆーのは研究している人が意外といっぱいいます。
 アタシがやりたいこと、それは「自慰行為をするための環境」の話です。環境ったってムードがどうこうということじゃなくてね、スペースだったりメディアだったりのことをね、ちょっとやってみようと。
 あ、ただし男性限定の話です。女性でも自慰行為をする人はそれなりにいるらしいけど、わからないことが多すぎるのでオミットさせてもらいます。

 さて、自慰行為をやるにあたって何はともあれ必要なのは「ひとりっきりになれる空間」です。
 ま、余興でね、例えば学生時代に大人数で自慰に耽るなんてことをやったことがある人もいないではないと思うけど、普通は誰も見てないのを見計らってやるものだと思う。
 ところが我が国においては、昔は非常に難しいことだった。1950年代くらいまではよほどの金持ち以外はひとり部屋が用意されていることは稀で、思春期を迎えても居住スペースの関係で親と同じ部屋で寝起きすることを強いられた人がほとんどだったから。
 となると誰もいない<時間>を見計らって自慰をするしかない。逆に言えば自慰のタイミングは「家に自分以外の誰か家族がいるか否か」がすべてであり、「性的に悶々としてきた」タイミングでってのは無理だったんです。
 もちろんね、それが当たり前だと思っていたはずだから、苦しい、まではいかなかったと思うけど、それでも「出来ることなら、性欲の昂りに合わせて自慰をしたい」という欲望があるのが普通です。
 アタシはこれが自立を促す側面があったと思う。「性欲のために自立する」なんて不純な気がするけど、もともと自立心の薄い日本人が自立する立派なシステムだったんじゃないかと。
 だからね、子供の引きこもりに悩む方に言いたい。別に働きに出なくてもいいし、外に出なくてもいいから、夜から朝までは親と一緒にいなさい、親と同じ部屋で寝起きしなさい、としたら、問題が片付きそうな。そんな簡単なことじゃないかもしれないけど。

 次に大事なのが、いわゆる<オカズ>ってヤツです。
 自慰行為をしたくなる、つまり性的興奮を高めるために何らかの材料(オカズ)を用意するのは普通で、そりゃ脳内で、早い話が想像だけで自慰が完結する人もいるけど、やっぱりそれはごく一部だけでしょう。
 この辺のことはテクノロジーとは無関係ではない。
 江戸時代には春画なんてものがあって、とか書いていく気はないけど、戦前の頃までは女性の裸体写真さえ手に入れることが難しく、絵や文章をオカズとして使っていたのです。
 しかし戦後あたりから、ようやくその手のポルノグラフィティが出回るようになった。もちろん公のものじゃないけど、アンダーグラウンド的に出回るようになっていったのです。
 写真一枚から様々なシチュエーションを想像してオカズとして成立させる。何しろ写真一枚からだからきわめて限られた想像しか出来ないんだけど、それでも自慰行為が捗るようになったのは間違いないでしょう。

 そういえば手塚治虫が死去した後に、大量の女性の裸体イラストが発見されたらしいですが、こうしたことも公に、つまり書店で販売されている写真集や雑誌にヌードが掲載されることがなかった時代を考えるなら妥当です。
 ヌード写真なんて簡単には手に入らない。よしんば手に入ったところで自分が望むシチュエーションの想像がしづらい。しかし自分に画力があれば想像の趣くままに、好きなスタイルの女性を好きなシチュエーションで描くことが出来るわけで。
 もうひとつ例を挙げるなら「帝銀事件」です。って戦後すぐに起こった事件と自慰行為が何の関係があるのかと思われるかもしれませんが、少しお付き合い願います。

 帝銀事件とは1948年に起こった無差別大量殺人事件で、帝国銀行(現在の三井住友銀行)椎名町支店に厚生省技官を名乗る男が現れ「この近くで赤痢が発生したので、予防のために薬を飲んで欲しい」と、行内にいた客と行員に促します。この薬というのが毒薬でして、計16人中12人が死亡、男はまんまと現金と小切手の強奪に成功します。
 この事件の犯人とされたのが平沢貞通という画家でした。
 平沢貞通は狂犬病の注射が原因で重度の虚言症を患っていたらしく、犯人とされた理由のひとつになった。
 もうひとつ、この時期に平沢貞通は入手経路不明の大金を持っていたと言われており、これも疑われる原因になったんです。
 しかし平沢貞通が犯人であるという証拠は乏しく、とうとう死刑執行されることはなく獄中死しています。(現在では主犯ではなかったものの一部関与していたのではないかという説がある)
 仮に平沢貞通が犯人でないとして、この大金の出どころは諸説あるのですが、一説には「春画を売りさばいて得たカネではないか」と言われています。
 それなりに著名なテンペラ画家だった平沢貞通は春画を描いていたことをひどく恥じており、逮捕されてからでさえ春画売却を否定しているくらいです。
(ただし先述した通り、重度の虚言症だったこともあるため真相は一切不明)

 どのみち手塚治虫にしろ平沢貞通にしろ(このふたりを並べるのは手塚治虫には失礼だけど)、もし現代に生きていたらこのような行為はしなかったと思う。
 自分で楽しむためにヌード画などを描かなくても無数の<オカズ>があるし、無数の<オカズ>が溢れかえる現代では自慰行為のために画家から春画を購入しようとする人間など皆無でしょう。
 ま、今もエロ系同人誌を売ってる人はいるけど、銀行強盗と同額程度の大金を得るのは到底不可能です。
 こうした状況から脱却出来たのは1960年代後半になってからだと思う。
 この頃から雑誌にヌード写真が普通に掲載されるようになったし、まだアンダーグラウンドだったとはいえエロ漫画も登場し始めます。

 しかし「ひとりっきりになれる空間」に持ち込めるのはあくまで<静止画>に限られた。ま、漫画ならストーリーはあるとはいえ動いてるか動いてないか、つまり動画かどうかで言えば違います。
 もちろんこの時代には動画というか映像としてのアダルトコンテンツも存在しました。
 東映がソフト路線とはいえピンク映画を上映しだしたり、1970年代に入ると日活が「にっかつ」と名称を変更してピンク映画製作(にっかつロマンポルノ)がメインになって、映像によるオカズは大幅に身近にはなりました。
 ではピンク映画の前はどうだっかでいえば、ブルーフィルムなんてものが存在していた。ブルーフィルムとは8ミリ(稀に16ミリのものも存在したらしい)でセックスを撮影したものです。
 その歴史は意外と古く、何でも大正時代には日本産のブルーフィルムがすでに登場していたらしく、ピンク映画前夜の1960年代前半に最盛期を迎えたと言われています。
 ただし非常に高値で取り引きされていたとされており、個人で購入するのはほとんど不可能で、一般の人が観る機会はほぼ皆無だった。可能だったとするなら温泉街としてブルーフィルムを購入して客に観せるサービスがあったらしいけど、それでも観た人の数は限られているはずです。

 しかしね、ブルーフィルムにしろピンク映画にしろ「特定の場所に行かなければ、自分以外の人間も一緒でなければ観れない」ものには違いない。1950年代に最盛期を迎えたストリップと同じで、ソレらを見ながら自慰行為を、とはなかなかなりづらいものです。とはいえこの当時は映画館やストリップ小屋で自慰行為をする人間が普通にいたらしいけど、自慰行為の本流である「ひとりっきりになれる空間」に持ち込めるものではなかったんです。
 こうしたことを理解していないと民生用(家庭用)ビデオデッキが如何に画期的なモノかがわからないと思う。
 民生用ビデオデッキの登場は意外と早い。すでに1970年代前半にはUマチックという規格のビデオデッキが登場しています。
 しかしこれまた高価で、しかも利用法としてテレビ番組が録画出来るくらいしか想定されていない。そうしたタイムシフト視聴の有用性が知れ渡っていない状態で、さらに「ビデオテープのソフトウェア」みたいな概念されほとんどない時代です。んなもんが売れるわけがなく、Uマチックという規格はやがて業務用にシフトしていきます。

 こんな時代を経て登場したのがVHSとβマチックという規格で、大幅に簡素化&安価にして家庭に普及させるのを目的に開発された規格でした。
 ま、VHS・β戦争については趣旨から逸れるので割愛しますが、ここにもアダルトコンテンツが大きく絡んでくるのです。
 VHSの登場は1976年ですが、1970年代いっぱいまではまだ「ビデオテープのソフトウェア」はなかったといって差し支えない。あくまでビデオデッキはテレビ番組を録画するためのものでしかありませんでした。
 もう少し具体的に語ってみます。
 ウチの家は典型的な新し物好きの家系なので、VHS初号機(ビクターHR-3300)を発売からわずかひと月後に購入しています。だから何となく当時のビデオデッキの使い方みたいなのがわかるのですが(ま、サンプルはひとつだけど)、主な用途は「テレビで放送される映画の録画」とバラエティ番組などのタイムシフト視聴でした。
 まだこの時代は映画のテレビ放送が盛んだったからですが、映画を録画したテープは保存用になる。つまり「残しておきたい映画」がテレビで放送されるたびにテープの本数が増えるということです。
 一方タイムシフト視聴のためのテープは一本あれば十分で、上書きされて何度も繰り返し録画されていました。
 その名残りで、ビデオテープの<質>以外にもカテゴリがあって、ずいぶん長い間「保存用」もしくは「繰り返し録画用」といった<売り>がパッケージに書かれていたのです。

 風向きが変わったのは1980年代に入ってからです。
 ようやく日本でも「ビデオテープのソフトウェア」が登場し始めたのですが、価格は一本あたり数万であり、しかもまだレンタルビデオ屋などはない時代ですから、極端に言えば大半の人は「ビデオテープのソフトウェア」の存在を知らない状態でした。たぶん購入まで至ったのはその作品の重度のマニアだけだったと思う。
 しかし1982年、とんでもない「ビデオテープのソフトウェア」が登場した。しかもコレ、どう考えても正規に出回ったものじゃない。なのに当時を生きてきた人なら必ず名前に反応すると思う。
 そのタイトルとは「洗濯屋ケンちゃん」。あきらかに1960年代後半からTBSで放送されていたジュブナイルドラマ「ケンちゃん」シリーズのパロディだけど、何とこれ、アダルトコンテンツです。しかもいわゆる<裏モノ>であり、もっとはっきり言えば無修正です。
 本当かどうかは知らないけど、とにかく日本初のアダルトビデオ且つ無修正アダルトビデオと言われており、爆発的に話題を呼んだ。
 ただし所詮は正規ルートで出回ったものではないので、どれくらいの数が販売されたかは推測でしかありません。一応13万本と言われてるけど、おそらくダビングにダビングを重ねたものがその数倍は出回っていたと考えるのが妥当です。

 この頃アタシは中学生だったので、さすがに洗濯屋ケンちゃんを見たことはない。しかし大人たちは「洗濯屋ケンちゃんが見たい<だけ>」の理由で、まだ高価だったビデオデッキを買い求めたのです。
 ここいらでPage2に続きます。







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