「日本一の裏切り男」が製作されたのは1968年。まずはこの年がどんな年だったか、簡単におさらいしておきます。
「裏切り男」に関係ない話に思われるかもしれませんが、この映画の場合、時代背景を知っていると知っていないでは感じることのできる面白味が大幅に変わってくるんです。なので少し辛抱願いたい。
◇ 1月
・「あしたのジョー」、「アタックNo1」連載開始
・円谷幸吉(東京オリンピックのマラソンで銅メダル)自殺
・ベトナム戦争 テト攻勢
◇ 2月
・金嬉老事件
・「受験生ブルース」(高石友也)発売
◇ 3月
・イタイイタイ病裁判
◇ 4月
・霞が関ビル オープン
◇ 5月
・パリ五月革命
◇ 6月
・「ねじ式」(つげ義春)
◇ 7月
・東大紛争
◇ 8月
・日本初の心臓移植
◇ 9月
・「緋牡丹博徒」(東映)封切
・日大紛争
◇ 10月
・メキシコ五輪
◇ 12月
・三億円事件
これだけ見ても、時代が猛烈な勢いで動いていっているのが読み取れると思います。
ま、「三丁目の夕日」のような、いわゆる昭和30年代的な時代が完全に終焉したのがこの年だったとも言える。
特に日本の経済的発展の集大成だった東京オリンピック。その東京オリンピックで銅メダルと獲得した円谷幸吉の自殺は薄ら寒くなるほどそれを象徴していると思う。
リアルタイムで昭和30年代を知らないアタシから見ても、クレージーやその他のエンターテインメントを覗くと昭和30年代は「大人」の時代だった、と認識せざるをえないんです。
そう書くと「太陽族はどうなる」、「日活の一連の作品を知らないのか」と批判もあるでしょうが、それらは「時代の象徴」ではあるけど「ムーブメント」にはなっていないというのが私見です。
ところが1968年(昭和43年)あたりになると、若者による若者のための若者文化は完全にムーブメントになってきている。学生紛争然り、「あしたのジョー」連載開始然り。
<大人>が主役の時代から<若者>が主役の時代へー。
それだけではありません。
イタイイタイ病に代表される公害問題も大きく浮上していたし(公害問題は前年に公開された「クレージーの怪盗ジバコ」でも取り上げられている)、さきの簡素な年表にはありませんが、2年後には1970安保を控えており「これから日本がどう転ぶかわからない」といった緊迫状態だったことも付け加えておきたい。
クレージーキャッツの映画が初めて興行的に惨敗したといわれる「クレージーメキシコ大作戦」はこの年の4月に公開されています。
「メキシコ大作戦」の惨敗の原因はいろいろありますが、時代が大きく変わった、クレージーが全盛期のような、大人が主役の時代じゃなくなってきた、一番の要因はそこにあったように思うんです。
「クレージーメキシコ大作戦」の惨敗後、東宝と渡辺プロで様々な策が練られたとおぼしい。
1968年夏、谷啓主演の「空想天国」が封切られましたが、2本立ての添え物(メインは「連合艦隊司令長官・山本五十六」)で、監督も題材的には適任といえる坪島孝でなく松森健があたっています。
そして「作戦」シリーズと並んでドル箱だった「日本一」シリーズにも手が加えられいきます。
どのようないきさつで、須川栄三・佐々木守・早坂暁が抜擢されたのかはさだかではありません。
しかし先ほど書いたような大きく変化していた
「時代の空気」を吸い上げられることの出来る人、というのが人選のポイントだったような気がしてならない。
簡単に略歴を見てみます。
◇ 須川栄三
フィルモグラフィを見ると、日本で最初で最後の本格的シネミュージカルといわれる「君も出世ができる」(1964 東宝)が際だっていますが、本来は大藪春彦原作のハードボイルド「野獣死すべし」で注目された監督で、スタイリッシュでシニカルな作風が信条の人です。
といってもコメディも多く手がけ、「裏切り男」の前作品は「サラリーマン悪党術」(1968 東宝)という艶笑コメディで、小沢昭一をうまく使っています。
◇ 佐々木守
大島渚が作った独立系制作プロダクション・創造社出身であり、大島渚の「絞首刑」や「帰って来たヨッパライ」でも脚本を手がけています。
左翼系の人で、戦争について強い怒りを持っていたといわれいます。
◇ 早坂暁
年齢は佐々木守よりも上ですが、「裏切り男」製作時点では映画はほとんど手がけていません。
この人も実妹を広島の原爆で亡くしていることもあり、戦争にたいして憤りを感じていたようです。
これだけ見ても、作る前から、今までの「日本一」シリーズとは180度違うものができてくることは容易に想像出来たはずで、だからこそ、東宝も渡辺プロも、相当の意気込みを持って、「日本一」シリーズを、ひいては植木等というスターを、再生させようとしたことは読み取れる。
とはいえ「明るく楽しい」をモットーとする東宝と、本来「わかりやすい娯楽作品」を欲していた渡辺プロにとって、これらのスタッフの起用は大博打といえるものだったはずなんです。
主要スタッフを大幅に変えたということは、当然内容も大幅に変わるということになりますが、まず、構成からして異質で、「日本一の裏切り男」はオムニバス形式で話が進んでいく。
正確にいえば完全なオムニバスではなく、昭和20年、昭和25年、昭和34年、昭和43年
そして製作時点では近未来である昭和45年、とどんどん時代をたどっていっている。
これは昨今のドラマでもよくある「××年後」を繰り返し行っているとも言えるわけで。
「裏切り男」の評価が分かれるのは、今までの「日本一」シリーズと毛色が違うこともさることながら、年代ごとに出来事が羅列してある、ブツ切りの構成にもあると思う。
ではなぜこんな奇異(少なくとも過去のシリーズと比べた場合)になったのか、です。
1968年(昭和43年)は「これから日本がどう転ぶかわからない」という不安定な状況だったことは冒頭で述べました。
と同時に、この年は明治百年にあたる年で、しかも「昭和元禄」という言葉が横溢していた。
(ちなみに東宝の「裏切り男」の前プログラムは、恩地日出夫の「昭和元禄 TOKYO 196X年」で「裏切り男」と同様、大森幹彦が製作としてクレジットされている)
実際にどのような形で企画が進行していったのかはつまびらかではありません。
ただ「植木等で昭和史をやりたい」という企画が通るのが不思議ではない、そんな時代の空気があったことも確かなんです。
しかし、やみくもに昭和史の中に植木等を放り込んだだけでは、芯がなにもない映画になってしまう。
そこで、かどうかはわからないけど、佐々木守と早坂暁は「戦争」という芯を作り出した。
1945年8月15日、現在では終戦記念日といわれる日から、日本が再び戦争に突入するまでを「コメディ」という枠の中で描こうとした。
没になった準備稿では、完成作品よりもさらに時代を進め、日本が戦争状態になるまでを描いていますが(その話はココ)、これは風刺としてはすぐれているけど、映画としては後味がよくない。しかも東宝映画の枠で作るには、あまりにもラジカルすぎる。
結果「再軍備法案可決」までで映画は終わっています。
では具体的にストーリーを追っていきたい。
いきなり特攻隊の出陣シーンからはじまる巻頭部分で、初見の人の大半がビックリすると思う。
ハナ肇がボロラジオをたたいたりして、重くならないようにはしてあるのですが、浜美枝の演技も妙にシリアスで、何か異様な雰囲気がただよっている。
その後、植木等のひとくさりで少しだけホッとさせられ、オチがきてタイトルバックになる。
もちろんこの巻頭シーンは伏線になっているんだけど、桂枝雀の唱えた笑いの基本「緊張と緩和」を押さえていて、ちゃんとしたコントとしても成立しているんです。
クレージー映画は、タイトルバックの前にワンエピソードを入れるパターンがわりと多いのですが、オチが用意されているものはほとんどなく、それだけとっても珍しい。
しかもその後、針すなおの漫画入りのクレジットバックが入るのだから、いよいよ珍しい。
もしクレージー映画のオープニングだけ集めたDVDがでたら「裏切り男」だけとんでもなく浮いているはずです。
それはともかく、この巻頭シーンがあるからこそ「日本一の裏切り男」というタイトルが成立する。
この映画の主人公たち、植木等もハナ肇も浜美枝も、日本(というか国家)に裏切られた人なんです。
その後この三者が裏切り合戦をするに至るわけですが、「国家から裏切られた人による裏切り合戦」という前提がないとただのエピソードの羅列にしかならない。
言い方を変えれば、戦争によって日本に裏切られた日本人の戦後史、と言えるわけでして。
各人のキャラクターの思想も非常に濃いもので見事に戦争を体験した&戦争から生きて帰った人を類型的に抽出しているのですが、この事をこれ以上追求するのは止めておきます。
ただスタッフ側に戦争にたいして特別な感情があったのは間違いない。それだけをおぼえていただきたい。
ここで簡単にストーリーを整理してみます。
・1945年(昭和20年)
ハラキリショウと隠遁物資をめぐる植木とハナの攻防と、何とか植木に死んでもらおうとする浜美枝との攻防
・1950年(昭和25年)
朝鮮戦争で鉄の値段がどんどんあがっていることに目をつけた植木とハナの攻防
・1959年(昭和34年)
東京オリンピック開催に伴う、高速道路の建設をめぐる、植木・ハナ・浜の裏切り合戦
・1968年(昭和43年=製作年)
オールセールス社をはじめた植木が、ハナ肇を国会議員に担ぎ出すまでを描く
・1970年(昭和45年=近未来)
日本が再軍備法案を可決するまでを描く
ここまで読んでいただいた、しかも映画を未見の方からすれば、何かとんでもなく重たい映画に思われるかもしれません。
が、実際はそんなことはない。ちゃんとした、いや、それまでのクレージー映画の中でも突出しているといってもいいほど、真っ当なコメディになっているんです。
アイデアも豊富だし、ギャグもキチンとしたもので、それまでのクレージー映画のような、植木等の言動だけで笑わせる、というのとは全然違う。
「裏切り男」が佳作になったのは、戦争がテーマだからではなく、映画的アイデアとギャグがしっかりしているからなんです。
ちょっと余談というか、まったく私的な話で申し訳ないけど、えと、1990年頃だったかにね、「終戦直後の日本を舞台に、ハラキリをショーとして行う男」の話を夢想したことがありました。
日本といえば「フジヤマ・ハラキリ」といったイメージが、諸外国でずいぶん長きにわたって根付いています。進駐軍として日本にきたアメリカ兵も、日本にたいしてその程度の知識しかなかった人が多かったとしても、何ら不思議なことではない。
となると、それを商売として成立させて、米兵から金をせしめようと考える日本人がいても、やはり何ら不思議ではないはずだ、と。
それから1年ほど経った頃だったと思うけど、初めて「日本一の裏切り男」を観てぶっ飛んだんです。
アタシが生まれた年に
他ならぬ植木等がやってるじゃないか!
あの時の絶望感と妙な喜びは、いまだに忘れることができません。
ま、私事はさておき、「裏切り男」にはかっちりしたアイデアがずいぶん入っています。
さきのハラキリショウもそうだし、他にもいくつかある。
・新円の切り替えで大金がパーになる
ハナ肇がせしめた隠遁物資をまんまと横取りした植木等がそれを金にかえるんだけど、浜美枝に閉じこめられた間に新円に切り替わっていた、というアイデアですが、ちゃんと時代を反映していて納得させられます。
・朝鮮戦争で鉄の値段が上がることを知って、パチンコ玉を買い占める
鉄の値段が上がる=パチンコ玉を買い占める、という発想がすごいし、パチンコ屋の店員になった浜美枝からそれを聞き出すという展開も自然。
クライマックスでは半分「用心棒」のパロディになっているのも面白い。
・高速道路の予定地に二宮金次郎の像を置いて回り、立ち退き料をせしめる
ハナ肇の会社に忍び込む植木等は「クレージー大作戦」を彷彿させるし、伏線としてはっていた二宮金次郎像を置いてまわるのもすごい。
どれもかなりダイナミックなアイデアで、ひとつだけ取り出しても、一本の映画が出来るんじゃないかと思えるほどです。
クレージー映画を観ていて一番不満なのは、あまりアイデアらしいアイデアがないことで、初期の二本はともかく、あとはいかにもご都合主義っぽくストーリーが展開します。
正直にいうならば「大冒険」の偽札やヒットラーもありきたりで、アイデアというには弱い。
でも「裏切り男」は違う。
植木等のキャラクターを最大限に活かしつつ、しかも映画的アイデアを盛り込むことに成功しています。
その結果、それまでの「日本一」シリーズの「有言実行男」ではなく、初期の「無責任男」に近いキャラクターになっているんです。
突飛な出来事に突飛な行動で対処しなければ、それは「無責任男」ではありません。
事実初期の二本(「ニッポン無責任時代」と「ニッポン無責任野郎」)には主人公を無責任男に見せるだけのアイデアが話の中にあった。
「裏切り男」の主人公が無責任男に見えるのは、それは映画の中に豊富なアイデアがあるからです。
そして昭和史の中で生きる無責任男を描くことは、つまりは「無責任男一代記」になっているとも言えるんです。
アイデアはイコール<ギャグ>にも通じています。
先ほど「ギャグもキチンとしたもので、植木等の言動だけで笑わせる、というのとは全然違う」と書きましたが、ハナ肇が飛行船につかまって飛んでいく前後のシークエンスは何度観ても笑える。
当時流行っていたタイガースの「モナリザの微笑」をハナがひとくさりするのもおかしいし
(これはサントラCDではオミットされている)
工事中のビルに着地できそうで、結局できない、というシーンもおかしい。
その後の選挙演説の時に自ら「飛行船泥棒の大和武です!」といっているのも笑える。
他にも米軍艦の上での桜井センリとのやりとりをはじめ、聖火ランナーの小松政夫から植木等が聖火を取り上げるシーンや、留置所内での加藤茶・仲本工事と植木等の絡み。
なべおさみの馬鹿ップルぶりと、その後の「エンジンが止まったら蹴飛ばすといいよ」という植木の捨て台詞。
またラスト前の藤田まことの「わしは賛成でよかったんやったかいな」と秘書に聞くシーンなど、ちゃんとしたギャグがかなり入っているんです。
これだけギャグが入ったクレージー映画は「無責任野郎」と「裏切り男」だけです。
須川栄三はテンポよくギャグを挿入する事に長けており、前作「サラリーマン悪党術」でもそのセンスは散見できるのですが「裏切り男」でも、大和武(ハナ肇)のテレビ出演のシーンで、司会役の牟田悌三が突然CMをはじめたと思ったらブチッとカットアウトするところなど、ギャグをわかっている人の演出ぶりです。
脚本家が用意したギャグも須川栄三の演出によって、活きたギャグになったといっても過言ではありません。
Page2ではもう少しクレージー寄りの視点で、この映画を眺めていきたい。というわけでPage2に続く。