沖縄なんて、少なくとも30歳になる頃までは何の興味もなかったし、もしかしたら一度も訪れることもなく現世を終えるのではないか、とすら思っていたわけでして。
さて、1999年の話です。
当時アタシは福岡に在住しており、んで何のことかS社というスポーツ写真の会社でカメラマンなるものをやっておりました。ってな話はココに若干詳しく書きました。
S社での撮影の仕事はほぼ土日祝日に限られていた。稀に平日もあったけど、数は少ない。基本イベント事っつーかスポーツイベントの撮影なので、やはり土日祝日に固まってしまいます。
そして撮影範囲は、まァS社が福岡なので当然福岡県内が中心なのですが、実際は九州全域というかなり広大なものだったんです。
福岡県内、そして佐賀県東部や熊本県北部くらいなら、言っても日帰りで問題ない。しかし長崎、大分、宮崎、鹿児島となると、さすがに日帰りは不可能です。
となるとどうなるか、もちろん泊りがけ。土曜の昼過ぎに出発して、現地近くで一泊して、翌日曜日に撮影。いわば出張です。
バイトの分際で出張、というのも大概だけど、S社では社員が一切同行しない、バイト扱いの連中だけの出張は常態化していたんです。
しかしこの出張ってのが、実はこの会社の最大の取り柄である、と言うのがわかってきた。
まずはカネ。と言ってもギャラが上がるとかではないのですが、出張が決まると「取っ払い」で「一万円貰える」のです。これが出張費ってことになるんだけど、ま、この一万円でホテル代をまかなえ、ということです。(ガソリン代と高速代は別だったと思う)
これだけだとたいしておトクな感じがないんだけど、何しろ出張先は地方、はっきり言えば田舎です。ビジネスホテルも都心部に比べると安く、まず5000円は超えない。つまりは5000円は余るっつーことになります。
ここがこの出張費の素晴らしいところで、余ったからといって一切返金しなくていい。何しろホテルの領収書すら不要だったんだから。要はまるまる懐に入ることになるというね。
ま、5000円ぽっちでは生活費の足しになるほどではないんだけど、少なくとも出張先での飲み食いに使う分には十分すぎる。ましてやアタシは下戸なので、少々贅沢したところでたかが知れている。だいたい田舎とかならそんな高い店もないし。
もうひとつ、たぶん他の連中にはたいして重要ではないんだろうけど、アタシにとっては「まったく知らない、こんなことでもなければ二度と訪れることはないだろうと思える街に一泊できる」というのはかなり魅力的でした。
この頃のアタシは実にくだらない野望があった。それは日本の全地域に一度だけでも居住してやるっていうね。
居住と出張はぜんぜん違うけど、それでも日本にはこんないろんな街があるのか、みたいに味わえるってのは実に実に楽しいことだったんです。
晩メシは一緒に出張に行った連中と食うんだけど、あとは自由行動。そこからが本当の楽しみの時間で、ひとりで街を散策するんです。
何しろ晩メシを食い終わった後だから、もう外は暗いし、田舎なので開いてる商店もほとんどない。
だけれどもそんなことは関係ない。ただ闇雲に歩き回って、この街だけの空気感を満喫する。いわば<やぶ散歩>です。
こーゆー感覚は福岡に移住して初めてだった。別に仕事とは関係ないんだけど、自分はこういう時間の過ごし方が好きなんだ、という、いわば発見だったわけで。
まァね、出張たってほとんどは宮崎か鹿児島で、もちろん宮崎や鹿児島も面白いことは面白いんだけど、何度も何度も行くと飽きてくる。
ホテルもいつものホテルだし、食事する場所も自然に決まってくる。たしかに、とくに宮崎はですが、街行く女の子が可愛い子が多いってのはいいんだけど、たまには他の場所にも行きたくもなってきます。
S社では沖縄への出張撮影もあったのですが、宮崎や鹿児島に飽きた身としては惹かれるわけですよ。
ってさっき沖縄には興味がなかったって書いてなかったっけ?ってな話だけど、少なくとも「飽き飽き」している宮崎や鹿児島よりは魅力的に思えた。
それに、やっぱ沖縄と言えば異文化の香りがするし、当然飛行機で行くことになるわけで、想像するだけでもいろいろ楽しそうだな、と。
しかしこの沖縄出張のメンバーに、何故かアタシは選ばれだことがなかった。
S社の所長には何度も「僕も沖縄に行きたいです」とアピールしてたんだけど、なかなかお鉢が回ってこなかった。
そしてこの年、つまり1999年の夏、ついにアタシが沖縄出張組に選ばれた。いやぁ、あれは嬉しかったなぁ。とうとう沖縄に行けるんだ!と。そこまで強い興味があったわけではないとは言え、ジラされた分だけ喜びが大きかったというべきか。
撮影メンバーはアタシを含めてふたり。この時の相方になったのは、そうですね、Nってことにしましょうか。
正直それまでNとは同じ現場に入ったことも少なかったし、たまに同じ現場に入っても別段喋ることもなかった。たしかS社に出入りし出したのはNの方が先、つまり先輩だったと思う。年齢はアタシの方が上だったけど。
Nは如何にも勉強が出来そうな見た目で、実際デキが良かったらしく、大学を卒業してコンピュータ系の某大手企業に入社したはずです。
だからと言ってエリートぶってるわけじゃないんだけど、そっか、彼が相方か、と、軽くガッカリしたわけです。ま、嫌ってほどじゃないけど、あんまり面白くなさそうだなってのが正直な感想でね。
とにかくアタシとNは福岡空港から沖縄に飛行機で行き、んで空港近くでレンタカーを借りて、予約しておいたホテルに到着しました。
日程としては2泊3日。現地到着した翌日に撮影して、さらにその翌日に福岡に戻る、という算段です。
ホテルは国際通りの近くだったと思う。ま、ホテルにさえ着いてしまえばその日の予定は何もないので、アタシはいつものことをやりだした。つまりは<やぶ散歩>をやろうと。
ひとりで市場(記憶が欠落してるけど、たぶん牧志公設市場)とか探索したんだけど、時間も時間だしほとんど店も開いてなかったんだけどね。
それでも「半異国に来た」という感覚が気分を高揚させた。何しろまだ一回しか海外に行ってない頃だったから。
そんな感じで初日が終わり、翌日は朝から撮影。たしか15時くらいには撮影も終了したと思う。これで仕事も完了。
仕事が終わったら何をするか、もちろん晩メシタイムなのですが、仕事が早めに終わったこともあって、かなりのんびり後片付けをして、じっくりと何を食うか吟味する時間が出来たっていう。
最初はS社の沖縄出張組がよく行くというステーキ屋でって話だったんだけど、アタシも同行のNも、どうもステーキって気分じゃなかったし、どうせならもっと沖縄らしいものにしようじゃないかと。店を探す時間もたっぷりあるし。
とはいえ、時は1999年。食べログだのぐるなびだのは存在しない時代です(念のために調べたら、ぐるなびは1996年からあったらしい)。かといってガイドブックの類いももちろん持ってきてない。旅行じゃなくて出張だしさ。
そこで、ふと、つまらないことを思い出した。
地元民が行くような普通の、だけども上手い定食屋を探す方法として「タクシーが止まっているか否か」ってのはわりとアテになるやり方なんですよ。実際アタシはこれで何度も良い定食屋に巡り合ってきたからね。
しかしそうそう都合良くそんな店があるのか、とか言ってたら、いきなりあった。バッチリタクシーが止まってる。店構えもちょっとうらぶれた感じで、如何にも「地元民しか知らない、本当に知る人ぞ知る名店」ってなニオイがプンプンしている。
よっしゃ!ここだ!
アタシもNも喜び勇んで店内に入って行こうとしたその時です。
ちょうどすれ違い様にガイコクジンが出て行くところだった。ま、沖縄だからガイコクジン客は日常風景なんだろうけど、手には昔のコントでお馴染みの折り詰めをぶら下げている。
「おい、ガイコクジンが土産まで持って帰ろうとするくらい美味いんだよ。これは当たり確定だな!」
アタシも、一見冷静に見えるNも興奮を隠しきれなかった。いやぁ、偶然にもこんな良い店に当たるとは。
さて、何にしよう。
メニューに目をやりますが、沖縄料理に明るくないアタシにはどんな食い物なのかの想像がつかない。とりあえず無難そうというか、ひと通り入ってそうな「Bランチ」ってのにした。夜なのにランチは変だけど、そこはまあいい。
「じゃあ、Bランチ。それとソーキそば」
続いてNも注文する。
「僕はAランチで。ソーキそ・・・、そこまで腹減ってないから、このソーキ汁ってのでいいや」
先にソーキそばとソーキ汁が運ばれてきました。
うん、美味い。とくにソーキがメチャクチャ美味い。軟骨のコリコリ加減の絶妙さは今まで食った中でも最高だったと今でも思う。
アタシもNも、むさぼるようにソーキに食らいついた。いやぁ、本当に美味いねぇ。これならいくらでも食べられるわ。
気がつけば10分ほど経っていた。いくらいつまでも食べてられるとはいえ、10分もソーキとそばに食らいついているのに、一向に丼の様子が変わらない。まるで今運ばれてきた状態に見える。
おかしい。どうなってんだ。
ふと昨日の晩メシのことを思い出した。
沖縄についた日の晩メシは、ホテルの近くの食堂でね、この時もソーキそばを食べたんだけど、とにかく量が多くてね。
アタシとNが苦戦してるのを見かねた食堂のおばちゃんが
「島唐辛子をかけると味が変わってまた食べられるよ」
とアドバイスをくれた。
数滴、かけてみた。うん、たしかにピリッとして食欲が増進される。こりゃいいわい、とちょうどいい辛さにすべく適量をふりかけたのです。
たしかに良い辛さにはなった。ところが異様に泡盛臭くなってしまったんです。その時初めて「そうか、島唐辛子は唐辛子を泡盛に漬け込んであるんだ」と知った。
けど後の祭り。下戸のアタシはあまりにも泡盛臭いソーキそばを残すしかなかったんです。
しまった、沖縄の料理は量が異様に多いんだ!
ああ、こんなことならアタシもソーキ「汁」にすれば良かった。
そんなようなことを呟くとNは冷静にこう返した。
「一緒ですよ。麺の代わりに豆腐が入ってるだけだから」
あと二口三口でソーキそばを食べ終わる、というところまできて、アタシの箸は完全に止まってしまいました。
ふぅ~っとひと息つき、何気に周りを見渡してみた。するとアタシら以外にもひとりだけ客がいた。
でもそれはアタシらが目印にしたタクシーの運転手じゃなさそうだ。何故なら彼もガイコクジンだったから。つかタクシーの運転手はどこ行ったんだ。
ま、日本人の感覚からしたらガイコクジン、とくに若い男性はメチャクチャ量を食べそうなイメージがありますが、そのガイコクジンもアタシら同様、あまりの量の多さに苦戦していた。
いやもうこれは苦戦どころではない。苦悶と言った方が適当で、箸を持った手を目いっぱい膨らませた頬に当てたまま固まっている。
その状態のまま、少なくともアタシが目をやってからでさえ3分は固まっていたのですが、彼は何かを悟ったような顔つきになり、店員のおばちゃんを呼んだのです。
するとおばちゃんは料理を下げ、しばらくして折り詰めを持ってきた。
店に入った時のガイコクジンと同じだ!
そうか、折り詰めのカラクリはそういうことだったのか。
しかしあのガイコクジンも頼みすぎたんだよ。たぶん彼はアタシよりは食えるんだろうけど、ソーキそばに他の料理をプラスするなんて無茶だわ。
「お待たせしました~!」
・・・ん?何これ?こんなもん頼んで・・・
あ!!ああああああ!Bランチのこと忘れてた!!
そのBランチってのがまた強烈で、長さ40センチくらいの楕円形の皿にトンカツやらスパゲティやら野菜炒めやらご飯やらがこれでもかってくらい盛られている。
だってね、たしかこのBランチ、600円くらいだったはずなんですよ。600円でパーティーサイズなんて普通想像します?
いやこれが普通なんだ。
だってここは
だから!
その後すぐ、アタシとNがおばちゃんを呼んだのは言うまでもありません。
ちなみにこのAランチ、Bランチってのは沖縄特有のものらしく、ランチかどうか、つまり昼食用のセットかどうかは一切関係ないらしい。
とにかくプレートに山のようにオカズが乗ってるのを沖縄では「ランチ」と呼称すると。念の為沖縄コザウェブから引用しておけば
Aランチは、ニューヨーク帰りのシェフが1956年に沖縄市にオープンした「ニューヨークレストラン」で提供されたのが発祥、戦後のコザ(沖縄市)で生まれました。 沖縄のメニューにある「Aランチ、Bランチ、Cランチ」は、戦後の沖縄の豊かさを具現化した食文化で沖縄独自のランク付ですが、特に「Aランチ」は、ガッツリ食べたい!デカ盛り・大盛りグルメ好きな人にオススメなメニューです!!
ということらしい。
てなわけで、Page2に続きます。