馬に乗れる役者
FirstUPDATE2025.4.9
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もしかしたら似たようなことをYouTubeでやるかもしれないけど、ま、その前哨戦として。

おそらく戦前の芸能界で最高の人気を誇ったタアキイこと水の江瀧子は晩年になって乗馬に目覚めたのですが、これは時代が関係あると思うのですよ。
ってよく考えたら比較的最近でも華原朋美が乗馬に目覚めたりしたからやっぱり関係ないような気もするけど、それでもタアキイの場合、役者は馬に乗れるのが当たり前の時代を知ってるのも事実なわけで。

ココに現代で時代劇を作ることの難しさみたいなことを書きましたが、実際ね、今の時代劇って役者が馬に乗るシーンってものすごく少ないのですよ。
じゃあ、昔の時代劇、とくに映画の場合であれば、当たり前のように乗馬シーンがあったのかというと、それほどでもない。でも相対的には圧倒的に多いとは思うわけですが、これってね、結局は「ハリウッド映画への憧憬」からだったと思うわけで。

ってぜんぜん関係ないと思われるかもしれないけど、ハリウッド映画にとっての時代劇、それはもちろん西部劇ですが、西部劇の魅力ってガンアクションよりも乗馬だと思うんですよ。
少なくとも<馬>という乗り物は日本だろうがアメリカだろうがヨーロッパだうろが関係ない。関係ないって言っちゃうとアレだけど、公共交通機関が発達する前の時代、馬が自転車の、バイクの、トラックの、乗用車の代わりっつーか、それらと同等の存在でした。

西部劇では流れ者が馬に乗って<とある>集落に行き着く、というところから始まるケースが多いですが、主人公の流れ者だけでなく悪党たちもみな馬に乗ってる。んでカーチェイスならぬ「乗馬チェイス」などがあった末にガンファイトになる、と。
これを下敷きにして時代劇を作るとなると、そりゃガンファイトはチャンバラに置き換えるのは当然として、乗馬チェイスはほぼそのまま使える。つか良い監督は実に上手く馬を使っています。

黒澤明は後年、自身が助監督についていた「戦国群盗伝」(1937年)を「馬の扱い方を見たい」というだけで再見したそうですが、実は「役者が馬に乗れるだけ」ではダメで、監督が馬の使い方をわかっていなければ迫力のあるシーンにならない。
「七人の侍」の、あの雨中の決戦シーンね、あれって村人、村人から請われた侍、そして敵方に加えて敵方の乗る<馬>を交えての合戦だからあの迫力になっている。もしあそこから<馬>を抜いていたら、あそこまでの迫力にはならなかったと。

もちろんそのためにはエキストラだけでなくスター役者も馬に乗れなければならなかった。
三船敏郎が乗れたのは当たり前ですが、正直、三船敏郎がどれほどの乗馬テクニックがあったかはわからない。でもちゃんと、すげぇカッコよく乗ってる。とくに「隠し砦の三悪人」での馬上での斬り合いとかすごいもん。
やっぱスターなら「ただ馬に乗れる」だけでなく「カッコよく馬に乗れ」なきゃ、ね。それまでいくらカッコつけてても乗馬になると途端にへっぴり腰じゃあ一気にカッコ悪くなるから。

喜劇系でもエノケンは馬に乗れたし、植木等は古澤憲吾の「ホラ吹き太閤記」で軽い乗馬シーンで練習させられた後で「大冒険」でちゃんとした乗馬シーンを演じた。
「大冒険」は大スケールのアクションコメディを狙った作品で、アクション、となると乗馬が出来る出来ないで「やれる<手立て>」が変わってくる。別に時代劇じゃなくても現代劇でも、馬に乗れた方が良いに決まってるんですよ。

つかね、西部劇もだし時代劇もだし、んでアクション要素のある現代劇もだけど、馬に乗って参上!ってメチャクチャテンションが上がるんです。
とくに現代劇においては別に馬に乗る必要なんかないんだけど、乗り物でカッコよさが変わるなんて当たり前で、それこそ主人公側が「チャリで大集合」してもね。「チャリできた」にしかならないし。
バイクならまあまあカッコいいけど、でもバイクよりも絶対馬の方がカッコいい。果てしなく無意味であってもエンターテイメントならば観客のテンションを上げる演出があるに越したことはないからね。

もしかしたら、そうしたカッコよさはただのケレン味かもしれない。でもリアリティ>>>>>ケレン味なのは絶対おかしい。つかケレン味たっぷりの、てらいのないエンターテイメントを、もう恥ずかしがって誰も作らなくなってしまった。

「現代劇で馬で登場?そんな、馬鹿馬鹿しい」

みたいに思う人はホント、エンターテイメントなんか撮るなよ、と思ってしまう。

役者だって覚悟は必要で、如何にも練習して馬に乗れるようになりましたってんじゃあダメなんですよ。映画が封切られて時間が経ってからそうした裏側を見せるのはいいけど、ん?馬なんか昔から乗れるよ。当たり前じゃん、みたいな顔してやんなきゃいけない。
少なくとも昔の映画は「頑張って馬に乗れるようになりました!」なんて一切見えないもん。それこそ本当は血の滲む努力をしてね、それもスターだけに留まらず端役まで、必死になって練習したはずなんですよ。でもエンターテイメントにおいてはそうした努力の跡みたいなのってメチャクチャ邪魔なだけで、実際みんな、当たり前のような顔して乗ってるんだから。

いやマジで、アクションでもコメディでもいいからさ、一切てらいなく馬に乗るシーンがあって、役者も当たり前の顔して馬に乗ってる、そんな映画が見たいわ。つか映画ってそういうものでしょ。







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