この日が来たか、というのが最初の感想で、そりゃあ、齢90を超えて「まだ数年は元気だろう」とは思えないですからね。
つまりね、アタシはここ数年、本当に大丈夫か、とは思っていた。しかし、たまにテレビやYouTubeでお姿をお見かけすると「いやメチャクチャ元気やん!」と。
あれだけ元気なのなら、やっぱ、アタシの心配は杞憂なのかな、とさえ思っていた。いやこれ、下手したら、何も<下手>ではないんだけど、こりゃあヒャクまでイケるんじゃないか、と本気で信じかけていたんです。
しかし、それは望みすぎだった。ま、この年齢になると「突然、ちょっとしたことで極端に体調を崩して旅立ってしまう」のは普通にあることなのですが、いくら覚悟はしていたとは言え、やっぱ、もう、ものすごいショックを受けてしまった自分がいます。
2025年2月3日、現役時代は「今牛若丸」と呼ばれ、いまだに「歴代最高のショート」と呼び声も高い守備でファンを魅力し、3度の一軍監督を歴任、とくに2度めの時は球団史上初の日本一に導くなど阪神タイガースの歴史に輝かしい実績を残した吉田義男氏が逝去されました。
吉田義男、ま、そう書くと堅苦しくてしょうがないので「ヨッさん」と書かせてもらいますが、ヨッさんにかんしてはココに書いたんだけど、とにかくこれだけ阪神に愛情を注いでくれた人はいないと断言出来る。
ヨッさんはとにかく守備には厳しかった。まだまだ、という言葉の裏にあるのは自分の現役時代の絶対的自信からでしょう。
ただし、あくまで「見る目が厳しい」だけ、というかなかなか及第点を出さないだけで、選手に向けられる言葉は「あたたかい」のひと言で、「ここがダメ」とは言わず「老婆心ながら」と必ず付け加えた上で「こうやったらええと思いますよハイ」と押し付けがましさ皆無で意見を述べる。もちろん、とくにショートの守備にかんしての及第点は本当に高いのですが、ただただ「上手くなって欲しい、自分を超えて欲しい。そうなれば阪神はもっと強くなる」という気持ちからです。
終生のライバルと言われた広岡達朗が老害扱いされながらも、実際、監督時代から典型的な「嫌われ監督」だったにもかかわらず、相変わらず辛辣な言葉を吐き続けていますが、結果としてその性格ゆえ、お荷物だった西武ライオンズを常勝球団に変えながら、以降、ついぞ一軍監督になることはなかった。オファーはあったんだろうけど断ることでどんどん年齢的、また野球観的に監督の座が遠のいた。
その広岡率いる西武と日本シリーズで対峙、見事勝ち切ることが出来た1985年の日本シリーズが吉田義男の野球人生の頂点だったと思う。
ま、翌々年に最下位転落という<オチ>はついたものの、となったらですよ、もう完全隠居しても良かったのです。
でも以降もヨッさんは精力的だった。
まったく野球が根付いていないフランスへ単身渡航し、ほぼズブの素人に野球をイチから教える、というとんでもないことをやった。
さらに「やっても損しかしない」三度目の阪神一軍監督を引き受けた。
ヨッさんが三度目の監督になった頃、阪神はまともに戦えるチームじゃなかった。新庄や桧山は伸び悩み、亀山は一軍出場すら難しいレベルにまで落ち込んでいた。1992年の優勝争いの時に威力を発揮した自慢の投手もどんどん「歯抜け」になり、新エースと期待された藪恵壹もどうしても「突発性炎上症」が治らない。
唯一、大きな期待をもってドラフトで入団した今岡誠だけが希望で、あとはもう、惨憺たる戦力だったと言ってもいい。
ぶっちゃけ、誰も勝てるとは思ってなかったと思う。何よりヨッさん自身もそれはわかっていたはずです。
それでも「せめて、この<どんより>した空気を一掃しよう」とし、エイプリルフールに優勝会見なんて<シャレ>までやった。
というかこの三度目の監督がヨッさん自身にプラスをもたらしたことがあったとするなら「世間から見た吉田義男というキャラクター」が一変したことでしょう。
第二次政権までのヨッさんは、ま、マジメというか、それこそケチとか、とにかくネガティブなキャラクターでしたが、この第三次政権以降、監督を辞めてから「ムッシュ」が愛称になり、とにかく「京都人特有のトボけた明るいキャラクター」に変貌したのです。だからこそ三度目の監督を辞めてからバラエティ番組からオファーが殺到し「ヨッさん、ホンマ、オモロイオッサンやな」みたいになった。
余談ですが、これは岡田彰布にも言える。
変にオツに済ましていた第一次政権の岡田から、2023年からの第二次政権では完全に「オモロイオッサン」キャラに変わっていた。
もしかしたらこれはヨッさんの影響なのか、たんにトシをとって丸くなっただけなのか。
話を戻しますが、案の定、第三次政権は失敗に終わりましたが、この辺が京都人たるところというか「監督としては失敗したけどキャラクターを売り込むことには成功した」わけで、結局元を取っている。
この「タダでは転ばない」ところがヨッさんのヨッさんたるところでして、何だかんだ、みんなに愛されながら自分も損しない、失敗が失敗にならない、というのは本当にすごい。
それでもです。
結果的にそうなっただけで、三度目の監督就任を受諾したのはもう、ただただ、阪神にたいする愛情だけだったと思う。それがファンに伝わったからこそ愛されたんだと思うし。
たぶん、これほど阪神に深い愛情を傾けてくれた人はいないと思う。自分が犠牲になってでも、身を粉にしてでも、阪神のために役に立ちたい、なんてヨッさんだけだよ。
ヨッさん、本当にありがとうございました。あなたのように、胸を張って「こんな素晴らしいOBがいるんだ」と言える人がいた、というのはファンにとってものすごい支えになってくれたんだから。