もう「自慢じゃない」としか言いようがないのですが、アタシは生まれてこの方、ただの一度も「時代の波に乗れたことがない」のです。
これの意味するところは「可能か不可能か」の話であり、「時代の波になんか乗りたくない」という厨二病というかスノッブ的発想ではない。いやそういう時期が本当に皆無だったかは記憶がないんだけど、ベースとしては「本当は乗りたかったけど、無理だった」のです。
何故なら、その「時代の波」とやらに、どうやっても価値観を見い出せなかったから、食らいついてでも乗ってやるという覚悟を持てなかった。
いや、こう書くと何か、まだちょっとカッコつけてるな。
ま、早い話が「流行り物にピンとこない」、そういう鈍い人間なのです。ピンとこないからピンと来る人に劣等感を抱いてしまう。するとどうしても距離を置いてしまう、と。
ただね、流行り物を追っかけてる人を馬鹿にしていたのは高校生の時までです。以降、一切そういうのを止めた。
だってそうでしょうが。何で自分より感覚が優れている人間を馬鹿に出来るのさ。
もちろん、いくつになっても流行り物を馬鹿にする人がいる。自分の感覚が「時代の感覚」に追いついてない、いわば「時代の劣等生」なのに、自分の感覚を正当化したいがためにね。
こういうタイプはたいがい、流行についていってる人をハタで見てせせら笑う、いわゆる「冷笑系」になる。でも冷笑系ならまだマシな方で、こじらせてしまうと陰謀論とかに走ってしまう。「◯◯が流行るなんておかしい。あれはきっと電◯の陰謀が」なんて言い出しちゃうのです。
そこにいくと、ある一定の年齢、ま、そうだな、少なくとも30代のころまではごく普通に時代の波に乗ってたような人は、この手の冷笑系や陰謀論者になることが少ないように思う。
変に斜めから物事を見ようとしないし、自分らしく、とか、もっと自分を持て、とか、そういうくだらないことに縛られていない。もちろん自分の意見と他人の意見が同じでも、喜びこそすれど敗北感のようなものを覚えるわけがない。
そして、そういう人の方が圧倒的に付き合いやすいわけで。
アタシはね、正直陽キャとか陰キャとか、そういう分け方がよくわからないのですよ。
それこそインドア派であっても、度を超えたコレクターであっても、博覧強記的なマニアであっても「変なのは自分」、いや「自分は時代の劣等生」って意識があれば、少なくとも「付き合いづらい」タイプから離れている。
変に正当化しない。周りが劣っているから、自分が特段優れているから、こんなことになったんじゃない。流行りが理解出来ないなんて当たり前だ、何故なら自分は時代の劣等生だから、みたいな。
アタシもね、もう最近、つくづく感じるのですよ。
流行り廃りの話だけじゃなくて、一定の年齢になれば「当たり前」になっていくことって結構あるんです。
ココとかココに「脂味がたっぷりある肉のが好きだし、別に翌日胃もたれとかしない」みたいなことを書いたのですが、50代後半になった今もやっぱり、同じです。
内臓が元気なのは良いこっちゃないか、と言われるかもしれないけど、それでも何だか、すごく遅れをとってるような気がして仕方がない。
心理面で言えば、もう、見事なまでに「昔は良かったなぁ!」みたいなことを思うことがない。完全にゼロ、絶無です。
そりゃあね、たしかにアタシは戦前の文化が好きですよ。だから「ごく短期間であれば」戦前にタイムスリップ旅行に行きたいけど、間違っても「死ぬまで住みたい」とは思わない。
ましてやアタシは「時代の波に乗りたかった=乗れなかった」人間です。乗れなかったんだから何歳に返ろうとも、どの時代の音楽もテレビも、たいして知らない。知らないから懐かしいわけがない。
それはつまり「懐かしいモノに興味を惹かれない」わけで、興味が惹かれないモノを「良かった」なんて思うわけがない。
それでも、自分が生まれてからの範疇で過去をほじくり返そうとするのは「記憶と記録の両面が使える」からです。つまりそれはストロングポイントになると。
逆に言えば「出来るからやってる」だけで、興味としては本当に薄い。
だからアタシの書く文章も、YouTube動画も、どこか醒めている。熱い思いが薄いので、どうやってもそうなってしまう。それでも、その自覚があるから、動画にかんしては極力「熱くなって喋ろう」とは思ってるんだけど、どこまで出来てるのやら。
もし、もしですよ、アタシが特定の分野において専門家と呼べるだけの知識があれば、いくら醒めてようが、それはそれで価値があります。
でも現実はアタシは何の専門家でもない。ただただ「劣っているだけの、人並み以下の人間」でしかないのです。
これは卑下でも何でもない。むしろ正真正銘の「嘆き」であり、もっと言えば「昨日ちょっと、脂っこいモノを食べすぎてさぁ、胃がもたれてもたれて」とか「昔の(自分が若い頃に流行った)音楽っていいよなぁ。それに比べて今の音楽は」なんて言う人が羨ましかったりする。そうだよな、ちゃんと人並みに生きれていたら、絶対そうなるよな。それに比べてアタシと来たら、ねぇ。
そうなんですよ。ちゃんと人並みに生きることが出来た人ほど、老いてきた時に「老害」になれるのです。
アタシは老害になれない。「なりたくない」じゃなくて「なれない」。時代の劣等生には老害になる資格すらない。
今後、この現実とどう向き合っていくか、これは非常に難しい問題です。何度も書いたように、アタシは基本的に同世代とは話が合わないから、もし仮に施設のようなところに入ることになったら地獄でしかない。
ここんところ、わりと「昔を懐かしもう」とするエントリが多いんだけど、これはかなり無理矢理やってる。本当は子供の頃なんて懐かしくも何ともないんだけど、それではもっと老いた時に辛いことになるのが目に見えてるから、そういうね、昔は良かったなぁ!みたいな話に合わせられる<下地>を作ろうとしているのです。
自然には出来ないんだから、ある意味自分を律して、覚悟を持って挑むしかない。
江分利満氏じゃないけど、人並み以下の人間が人並みなことをやろうとしたら、そういう努力をしなきゃ、どうしようもないっていう。
変?いやいや、その<変>って思えるのはアナタが人並みっていう証拠だよ。