「9歳」と「14歳」と言われても
FirstUPDATE2024.10.10
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何か最近、桃井はるこって人が気になってて、と言ってもアタシはソッチ界隈にはてんで興味がないので、ファンだったどころか詳しく知ろうとさえ思ったことはなかったんだけど。

とにかくこの桃井はるこは「元祖アキバ系」と言われる人で、一時期はアイドル活動(と言っても限りなく地下アイドルに近い形でだけど)をしたり、アキバ系らしくラジオパーソナリティや声優としても活躍した、らしい。
これらのことはごく最近になって知った。つか検索したら出てきた。それまでは「何か桃井はるこなる、アキバ系のアイドルがいる(いた)らしい」くらいの知識しかありませんでしたからね。

それが何故、突然、桃井はるこに興味が出てきたのかと言うと、もうちょっとね、秋葉原って街を深掘りしていきたいなぁと思ったからなんです。
それも青果市場があった頃は、みたいなあまりにも古すぎるっつーか歴史的な話じゃなくて、秋葉原が電器の街になって以降、つまり1970年代より新しい時代が気になってるわけで。
しかし、こと「文化」という視点で言えば、アタシは秋葉原のことを何も知らない。せいぜい「電車男」や「AKB48」の頃くらいまでしか遡れないのです。

本当のところ、一番知りたいのは1990年代の姿でして、となると必然的に桃井はるこという人がせり上がる。
とにかくこの桃井はるこ、人生が秋葉原、と言える人で、たぶん体幹で秋葉原の移ろいを浴びてきたということにかんしてはナンバーワンでしょう。
もちろんそれはご本人の趣味趣向が大きいのでしょうが、ルッキズムがうるさいので簡単に書くけど、自身が「アイドルとして十分成立するほどのルックスを備えていた」ことも大きいはずです。間違いなくアイドル活動が可能だったから、より深く秋葉原のオモテウラを味わうことが出来たと思うしね。

アタシがこういうことを思うのは非常に珍しいんだけど、実際にお会いして、かねがね疑問に思ってることをぶつけてみたい、と思ってるくらいで。
もう、徹底的に細部の話をね、1990年代末当時の秋葉原の住宅地図をおっ広げて、ここはこうだった、客層は、店員は、雰囲気は、みたいなことを根掘り葉掘り聞いてみたい。
たぶん網羅的に記憶されている人なんてそんなにいないはずで、こういうのはいずれ消えてしまうので、今のうちにやっておきたい。
となると桃井はるこほど適任はいないと思うから。

で、ですよ。
話は大幅に変わるというか、桃井はるこのインタビューで出てきたことから話を広げたいのですが

桃井 「人間は結局、9歳と14歳のときに出会ったもの、ハマったものに戻ってくる」。そういう法則があるんだとか。自分のことを振り返ってもそうなんですよね。9歳のときに出会った野球観戦と、14歳で出会ったカラオケというか、歌うこと。どちらも今、あらためて楽しんでいます。(後略)(「『アキバくんが悪い女に引っかかっている!』みたいに言わないで(笑) 」・文春オンライン


ここがどうしても引っ掛かったというか、たしかにね「人間は結局、9歳と14歳のときに出会ったもの、ハマったものに戻ってくる」ってのは何かで読んだことはあるんですよ。でも、関西弁で言えば「ホンマかいな」と。
何故ならアタシ自身が「9歳」と「14歳」で出会ったものへの思い入れがほとんどないからなんです。
先日のエントリ(「やぶにら大全番外編 「45年前・・・・・・」のアタシへ贈る言葉」)でアタシは「ドラえもんという作品に出会った時のこと」を書いたのですが、これが10歳の時。
んでマイコン→パソコンとの出会いは13歳、ハマったのが15歳くらい、と微妙にズレている。
しかし、ま、この程度のズレであれば、十二分に許容範囲と言ってもいいと思うんだけど、『戻ってくる』、つまりいずれアタシの趣味はドラえもんをはじめとする藤子不二雄作品やマイコン→パソコンに集約される、されそうかと言えば、まったく、その気配は微塵もない。

むしろ、今好きなもので、順番に切り捨てなきゃいけないとなったら、藤子不二雄やパソコンは真っ先に候補に上がる。つかそもそも、このふたつにかんしては今現在ですら、少なくとも「淫して」はいない。「好きか嫌いか」で言えば好きだけど、間違ってもマニアじゃない。
実際、マニアとまで言えるかはともかく、戦前モダニズム文化やクレージーキャッツやドリフターズ、あと<街>なんかに比べると、あきらかに興味が薄い。
たぶん7歳の時に出会った野球は、まァ、今後も重要なものであり続けるとは思うけど、「8歳と9歳」ならともかく「7歳と9歳」ではだいぶ違うよ。たった2年だけど子供にとって2年も違えばかなり違うからね。

つまり、何が言いたいのかと言うと、9歳と14歳論には否定的というか、誰にでも当てはまる話じゃない、かなり「人による」ことなんじゃね?と。
そういう人がいるのは事実だろうし、当てはまったら「これすごい理論だよ!」と言いたくなる気持ちもわかる。でも当てはまらない人は別に言及なんかしない。つか否定するほどでもないからほっとく。
となると、どんどん「9歳と14歳論イコール正しい」みたいになっちゃうと。

つかさ、もっと「ざっくり」でいいんじゃないの?と思うわけでね、博多大吉の「年齢学序説」の26歳論もだけど「子供の頃」とか「20代半ばの頃」とか幅を保たせた方が当てはまりやすいというか絶対当てはまる。
もっとも、それではフックがないので、あえて「◯◯歳!」って絞るんだろうけど、となったら9歳とか14歳ってフックのためっつーかインパクトを与えるために絞ってるだけと言えるのか。

何だか、そういうのに噛みついちゃうこっちが悪いみたいなオチになっちゃったな。ゴメリンコ。







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