何だかギフハブギフハブ騒ぎそうなエントリタイトルですが、ま、まったく関係ない。つか最近この手のエントリタイトルばっかりだな。
さて、早いもので、YouTubeチャンネルを立ち上げてからもうすぐ2ヶ月になります。
あれ、自分の手持ちの知識だけでくっちゃべってるみたいだけど、とんでもない。ひとつの動画を作るのにメチャクチャ調べてる。ま、その調査の成果が動画で活かされるケースはあんまりないからね、そこまでやる必要があるのかは自分でもわからないのですが、それくらいやっておかないとやっぱ不安なんですよね。
前々回の「酔いどれ天使」の動画なんかまさしくそうなんだけど、題材が決まった時点で、とにかく該当のWikipediaの記事を読みまくるんですよ。もちろんリンクもどんどん辿っていく。
ってそれじゃあまるでWikipedia全頼りっぽいのですが、Wikipediaって「スタートライン」としてはメチャクチャ優秀なんです。まず、どこから調べるか、最低限抑えておかなきゃいけないのは何か、そういうのはWikipediaにだいたい記載があるので、まずは、兎にも角にもWikipedia、というのは本当に良いやり方なわけで。
ただし、勘違いされやすいんだけど、Wikipediaはあくまで「スタートライン」なんです。
アタシも自分のYouTubeチャンネルを立ち上げるにあたって、もういろんな動画を見まくったけど、中には配信者の全知識がWikipediaからはみ出してないな、みたいなのもかなりある。
そういう動画ってね、アタシからすればですが、面白くないんですよ。つかそれならWikipediaの当該ページを読んだ方がよほどラクだし面白い。
しかもWikipediaにある情報だけから推論を立てたりしてるから、まァ、トンチンカンになりやすいですわな。
むしろ「この動画の視聴者はWikipediaの当該記事なんて当たり前に読んでる」ということを前提にする。つまり「視聴者だってWikipediaがスタートライン」という考え方です。つかその作品のWikipediaも読んでないような人が動画を見ようなんてとても思わないだろうと。
要はね、そこからどれだけ深掘り出来るかなんですよ。
Wikipediaの記事内容からアタシが興味を惹かれたものをピックアップして、少なくともインターネット上にはどこにも載ってないことを調べていく。そのためには国会図書館にも何度も足を運ぶ。
ま、正直、昨日、2024年8月5日にアップした「ドラえもん のび太のパラレル西遊記」は深掘り出来ずにWikipediaそのままの箇所が多くなってしまったけど。
だから面倒くさい。正直文章の方のYabuniraでここまでやったのって「星電社レクイエム」くらいで、ま、さすがに「星電社レクイエム」よりは動画一本のが若干薄口だけど、それでもかなり近いレベルのことをしてるんだから、んでそれをほぼ毎週投稿してるんだから面倒に感じて当たり前なんですよ。
ついでにもうひとつ愚痴を言うなら、これは面倒とは違うんだけど、動画一本につき2、3本の映画を見なきゃいけないのが時間的にキツかったりします。
これがね、先日の「酔いどれ天使」なら、主題である「酔いどれ天使」はマジで面白いのでまったく苦痛じゃないんですよ。でもあの動画はそれに付随する形で「新馬鹿時代」という作品についても触れてるので、それも見なきゃいけない。正直「新馬鹿時代」はマジで見るのが辛かった。今まで2、3回見て散々「つまんない」ってわかってるからさ、しかもあの映画、前篇后篇合わせて2時間半もあるのよね。こんなもんに2時間半も浪費するなんて無駄でしかない。
話を戻しますが、昔は「バカとハサミは使いよう」と言ったけど、今なら「バカとWikipediaは使いよう」ですよ。
Wikipediaを調査の終着点にしちゃうと「ただいい加減なだけの使えない百科事典」になるんだけど、あくまで「とっかかり」と捉えるならこんな便利なものはない。
たしかにWikipediaはいろいろと甘い。情報の精査もされてるとは言い難い。でも「だからあんなもんに価値はない」ということではない。そういうことを言いたがる輩は常にいるけど、それは使い方を間違えてるだけです。
もちろんWikipediaに知識を頼ってる人も使い方を間違えてるわけで。
何でもそうだけど、使い方を間違えといて使えないも何もないんだよ。胃腸が痛い時に痛み止めの薬を飲むようなもんで、そんなことをしたら余計胃が荒れるでしょうが。